VF
戦闘飛行隊 Fighter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第2戦闘飛行隊(Fighter Squadron 2: VF-2)は、アメリカ海軍の航空部隊であった。1943年6月1日に設立され、1945年11月9日に閉隊した。VF-2と命名されたアメリカ海軍の3番目の飛行隊であった

↑The second Fighting Two squadron (VF-2), "Rippers," later "Tall Dogs," was established on 1 June 1943. It made two combat deployments, one aboard USS Enterprise (CV-6), November 1943–January 1944, and one aboard USS Hornet (CV-12), March-September 1944. Its first commanding officer, and leading ace, was Commander William A. Dean. VF-2 was disestablished on 9 November 1945. David LaMar Berrey was a pilot between 1943–1944. His brother, Boyd Berrey, also served on the Hornet and trained with "Pappy" Boyington in 1941. Image courtesy of NavSource.

↑The second Fighting Two squadron (VF-2), "Rippers," later "Tall Dogs," was established on 1 June 1943. It made two combat deployments, one aboard USS Enterprise (CV-6), November 1943–January 1944, and one aboard USS Hornet (CV-12), March-September 1944. Its first commanding officer, and leading ace, was Commander William A. Dean. VF-2 was disestablished on 9 November 1945. David LaMar Berrey was a pilot between 1943–1944. His brother, Boyd Berrey, also served on the Hornet and trained with "Pappy" Boyington in 1941. Image courtesy of NavSource.

↑The second Fighting Two squadron (VF-2), "Rippers," later "Tall Dogs," was established on 1 June 1943. It made two combat deployments, one aboard USS Enterprise (CV-6), November 1943–January 1944, and one aboard USS Hornet (CV-12), March-September 1944. Its first commanding officer, and leading ace, was Commander William A. Dean. VF-2 was disestablished on 9 November 1945. David LaMar Berrey was a pilot between 1943–1944. His brother, Boyd Berrey, also served on the Hornet and trained with "Pappy" Boyington in 1941. Image courtesy of NavSource.

所在地 駐留日
NAS Atlantic City 1943/6/1
航空機の割り当て 初受領日
FM-1 1943/6
F6F
日付 主な出来事
1943/6 VF-2は1943年6月1日、アトランティック・シティ海軍航空基地 NAS Atlantic Cityにて創設された。現在“リッパーズ”として知られるVF-2は、第二次大戦において、戦前の部隊と同じ呼称を継承した初の戦闘飛行隊となった。複数のパイロットはVF-6およびVF-10から移籍してきた。同飛行隊は当初8機のFM-1ワイルドキャットを配備したが、間もなくグラマン F6Fヘルキャットを受領した
VF-2は1943年10月まで東海岸で訓練を続け、そののち西へ進路をとりサン・フランシスコを経てハワイへ向かった。ハワイでは海兵隊上陸演習に参加し、その活躍が影響力のある“ブッチ”オヘア大佐 "Butch" O'Hareの目に留まり、航空母艦エンタープライズ Enterprise(CV-6)艦上の航空団においてVF-6に代わってVF-2を配属するよう要請した
1943/11 1943年11月から1944年1月にかけて、VF-2はギルバート諸島・マーシャル諸島作戦で実戦を経験した。オヘアが考案した夜間迎撃用の“バット・チーム bat teams”(グラマンTBFアヴェンジャー1機+ヘルキャット2機)編成にも参加した。
1944/3 1944年3月、VF-2は航空母艦ホーネット Hornet(CV-12)に配備された。ホーネットからVF-2は1944年6月11日午後のマリアナ諸島攻撃に参加。グアムとロタを目標とする米空母群から200マイル(320km)離れた地点で、200機以上のF6Fが発進した。グアム飛行場上空での攻撃でVF-2は23機の撃墜を主張し、一方ホーネットに近い位置にいた同飛行隊機は三菱G4M“ベティ”陸上攻撃機3機を撃墜した。グアムへの第二波攻撃ではさらに10機の日本軍機を撃墜。VF-2は計37機の撃墜を記録し、損失はわずか1機だった。翌日、VF-2は小笠原諸島と硫黄島を攻撃。この任務にはこれまで撃墜記録のないパイロットのみが派遣され、17機の撃墜を報告した
1944/6 1944年6月19日から20日にかけて、VF-2は47機の撃墜を記録し、自機は1機のみが修復不能な損傷を受けた。6月20日午後、日本艦隊は西約200マイル(320km)の位置に捕捉された。爆弾と魚雷による攻撃が命じられた。攻撃後、VF-2の機体でホーネットに帰還したのはわずか6機で、残りは他空母に着艦した。5機が海上で行方不明となった。5日後、VF-2は硫黄島掃討作戦で1日67機の撃墜を記録し、損失はF6Fヘルキャット1機のみ(さらに1機が修復不能な損傷)であった
1943 1943年から1944年にかけて、VF-2は184回の攻撃作戦と2,050回の出撃を実施し、50,000tの艦船、216機の空中機、245機の地上機を撃破した。損失は空中戦で3機、対空砲火で4機であった
1944/10 1944年10月23日号の「Life_(magazine)ライフ Life」誌のトップ記事では、7ページにわたってVF-2が特集され、のちに“ブルー・エンジェルズ”の最初のフライト・デモンストレーション・チームの“ブルー・エンジェル1”となるロイ“ブッチ”ヴォリス Roy "Butch" Vorisアーサー・ヴァン・ハーレン Jr. Arthur Van Haren, Jr.、コニー・ハーグリーヴス Connie Hargreaves、ウィルバー“スパイダー”ウェブ Wilbur "Spider" Webbなど、“1日でエース Ace in a Day”となった27名の部隊エースの写真が掲載された

↑VF-2 Grumman F6F-3 Hellcat crash-lands aboard USS Enterprise, 10 November 1943. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 25/09/09