VF
戦闘飛行隊 Fighter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第121戦闘飛行隊(Fighter Squadron 121: VF-121)は、旧太平洋艦隊代替航空団 Pacific Fleet Replacement Air Group(RAG)部隊である。1946年7月1日にVF-781として設立されたが、1953年2月4日にVF-121に改称され、1980年9月30日に閉隊した。1958年4月11日に艦隊飛行隊 Fleet Squadronから艦隊代替飛行隊 Fleet Replacement Squadronに任務を変更し、のちに海軍F-4の飛行および整備乗組員の訓練を担当した。ニックネームはPacemakers

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Los Alamitos 1946/7/1
NAS North Island 1950/7/20
NAS Miramar 1951/1
航空機の割り当て 初受領日
F9F-2B
F9F-5 1952
F9F-6 1954
F9F-8
F2H-3
F11F-1
F3D-2T2
F3H
F-4B
F-4J
F-4N
F-4S
日付 主な出来事
1946/7 1946年7月1日、VF-781“ペースメーカーズ Pacemakers”はロス・アラミトス海軍航空基地 NAS Los Alamitosに配属された
1950/7 1950年7月20日、VF-781はノース・アイランド海軍航空基地 NAS North Islandを拠点とした
1951/1 1951年1月、飛行隊はミラマー海軍航空基地 NAS Miramarに移転
1951/5 VF-781は1951年5月10日から12月17日まで、F9F-2Bを飛ばす第102航空群(Air Group 102: CVG-102)とともに航空母艦ボノム・リシャール Bon Homme Richard(CV-31)艦上で勤務した。VF-781の次のクルーズは、航空母艦オリスカニー Oriskany(CV-34)で1952年9月15日から1953年5月18日まで、韓国上空でF9F-5を飛ばすCVG-102とともに飛行していた。1952年11月18日、VF-781はロイス・ウィリアムズ Royce Williams(12)、ジョン・ミドルトン John Middleton、ローランズ RowlansがF9F-5の20mm砲でMiG-15を初撃墜
1953 VF-781は1953年2月4日にVF-121に再指定された。VF-121に再指定されたのち、飛行隊は1954年3月3日から10月11日まで攻撃航空母艦ボクサー Bon Homme Richard(CVA-21)の第12空母航空群(Carrier Air Group 12: CVG-12)と西太平洋にデプロイメントするため、隊長ジミー E. サヴェージ Jimmie E SavageとともにF9F-6に移行した。彼らは1955年8月10日から1956年3月15日まで、CVG-12とともに攻撃航空母艦ハンコック Hancock(CVA-19)で西太平洋と朝鮮半島への再クルーズを行った。最後のクルーズは攻撃航空母艦レキシントン Lexington(CVA-16)で1957年4月19日から10月17日まで行われた
1955 R. E. “ダスティ”ローズ中佐 Commander R. E. "Dusty" Rhodesは1955年にVF-121の隊長となり、1947年から1950年までブルー・エンジェルズ Blue Angels飛行チームの指揮官を務めた。ローズはVC-6とそのAJサヴェージ・タンカーとともに空対空給油に取り組んだ。この訓練はサン・ディエゴ沖で成功裏にテストされた
1961 西海岸初のF4H飛行隊はミラマー海軍航空基地のVF-121に配属された。VF-121は1961年に最初のF-4BファントムIIを受領した。1961年5月24日、プロジェクトLANA-ベンディックス・トロフィーをかけた海軍航空50周年記念大陸横断レース Project LANA - the 50th Anniversary of Naval Aviation Transcontinental Race for the Bendix Trophyで、VF-121のクルーが優勝した。搭乗員は他の機種の出身で、F4HファントムIIの飛行、航法、操作の資格を取得した。整備士も他の飛行隊や“A”スクール 'A' schoolからファントムIIを学びに来た。砲術と武器の訓練はユマ海兵航空基地 MCAS Yumaに配備されている間に行われた。空母着艦訓練(Carrier Field Landing Practice: FCLP)。空母と同じように着陸信号室(Landing Signals Office: LSO)によって技量が採点された。一度資格を得ると、実際の空母の昼夜発艦・回収の資格に進むことができた。この訓練の後、飛行隊員は艦隊飛行隊に配属され、海上勤務に就いた
1990 トップガン Topgunとしてより一般的に世界的に知られている、オリジナルのアメリカ海軍ストライク戦闘機戦術教官プログラム United States Navy Strike Fighter Tactics Instructor programは、VF-121の管理下で1969年3月に開始された

↑VF-121 FJ-3M in 1957. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 23/12/30