戦闘機、戦闘攻撃機

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※FYは会計年度 Fiscal Yearの略。kNは1kN=102.0kgf=102.0kg
グラマン社(現ノースロップ・グラマン社)製 初飛行:1954年7月30日(YF9F-9) F11F-1(後期生産型)データ=全幅:9.64m、8.35m(主翼折り畳み時) 全長:14.31m 全高:4.03m 翼面積:23.23m² 空虚運用重量:6,536kg 最大離陸重量:10,931kg パワープラント:アフターバーナー作動時推力4,762kgのライト製J65-W-18ターボジェット・エンジン1基 最大速度(海面高度):1,211km/h 制限マッハ数:高高度1.3 初期上昇率:4,968m/min 実用上昇限度:12,770m 航続距離:2,122㎞ 兵装:機関砲:Mk. 12 Mod. 0 20mm機関砲4門(携行弾薬各125発、外側機関砲は140発まで搭載可能) 空対空ミサイル:AIM-9サイドワインダー 乗員:1名
※社内呼称モデル98(G-98)
※1962年9月18日の3軍統一命名法によりF11FはF-11になる
↑第156攻撃飛行隊(VA-156)“アイアン・タイガース”所属F11F-1(初期生産型)
↑第21戦闘飛行隊(VF-21)“マッハ・バスターズ”所属F11F-1(後期生産型)
↑海軍飛行展示飛行隊“ブルー・エンジェルズ”所属F11F-1(後期生産型)

↑F11F-1F

↑日本航空自衛隊向けG-98J-11(提案のみ)

↑Image courtesy of Shipbucket.
FY Block No. Bu.No.
()内は製造番号
機数、備考1 備考2
Bu.No. 直後の()内の
番号は製造番号
F9F-9 138605~138608 ◎3機 1955年以降の名称はF11F-1 ◎138608(c/n 6)
F11F-1 138609~138645 ◎37機 138618は後にYF11F-1となる。航空母艦にて適性試験に使用 ◎138613はUS Weather Bureau Tornado Hunter Squadron所属機
◎138642は“ブルー・エンジェルス”所属機の1番機となる
F11F-1F 138646、138647 ◎2機 ◎138646は消火作業練習機となる。1980年代に破壊
F11F-1P 140379~140413(キャンセル) ◎35機
F11F-1 141728~141980 ◎253機 141885~141980はキャンセル ◎141738は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の6番機だった
◎141764は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の1番機だった。後に“ブルー・エンジェルス”所属機の5番機となる
◎141783(c/n 100)
◎141790(c/n 107)は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の2番機だった
◎141811(c/n 128)
◎141828は“ブルー・エンジェルス”所属機の1番機となる
◎141849は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の4番機だった
◎141850は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の3番機だった
◎141851は1964年~1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機だった
◎141859は1965年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の5番機だった
◎141867は“ブルー・エンジェルス”所属機の3番機となる
◎141868(c/n 185)
◎141869は1965年からペンサコラ海軍航空基地のゲートに置かれていたが、F/A-18A(Bu.No. 161961)に置き換えられた。2014年にテネシー州ユニオン・シティ Union Cityの公園に展示された。国立海軍航空博物館から貸与されている。後に“ブルー・エンジェルス”所属機の4番機となる。1958年から1960年にかけて、ロバート L. ラスムセン大佐 Captain Robert L. Rasmussenがこの機体を操縦した。のちにペンサコラ海軍航空基地の国立海軍航空博物館 National Naval Aviation Museumの館長を務める。30年間務めたのち、2014年に引退した。館長としての最後の仕事は、ユニオン・シティのディスカヴァリー・パーク・オブ・アメリカ Discovery Park of Americaへこの機体の貸し出しを監督することだった。それまでは1965年からペンサコラのフロント・ゲートに展示されていたが、2014年にユニオン・シティに移された。ユニオン・シティに到着してからは 展示準備中に見つかったデータ・プレートから、ラスムセン機長が300回飛行した機体であることが判明した。300回も飛行していたという事実を、彼は初めて知った
◎141870は“ブルー・エンジェルス”所属機の6番機となる
◎141873は“ブルー・エンジェルス”所属機の6番機となる。1968年1月14日にエル・セントロ海軍航空基地にて墜落。パイロットは死亡
◎141882(c/n 199)
◎141884(c/n 201) 1961年~1963年のシーズン中に“ブルー・エンジェルス”所属機の6番機だった
F11F-1P 141981~142009(キャンセル) ◎29機
F11F-1 143232~143366(キャンセル) ◎135機
F11F-1P 143367~143387(キャンセル) ◎21機


Update 24/06/06