哨戒爆撃機

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


コンソリデーテッド社(現ロッキード・マーチン社)製 初飛行:1935年3月28日(XP3Y-1) PBY-5Aデータ=全幅:31.70m 全長:19.47m 全高:6.15m 翼面積:130.06m² 空虚運用重量:9,485kg 基本離水重量:16,066kg パワープラント:定格出力1,200hpのプラット&ホイットニー製R-1820-92ツイン・ワスプ星型ピストン・エンジン2基 最大速度(2,135m):288km/h 実用上昇限度:4,480m 航続距離:4,096km 兵装:艇首に7.62mm機銃2挺、艇体の段の後部トンネルを通じて発射する7.62mm機銃1挺、12.7mm機銃2挺を側面銃座に1挺ずつ 無誘導弾薬:1,814kgまでの爆弾および爆雷 乗員:7名~9名
※社内呼称モデル28

↑PBY-5A

↑Image courtesy of Shipbucket.

FY Block No. Bu.No.
()内は製造番号
機数、備考1 備考2
Bu.No. 直後の()内の
番号は製造番号
XP3Y-1 9459 ◎1機 社内呼称モデル28-5
PBY-1 0102~0161 ◎60機 社内呼称モデル28-1
PBY-2 0454~0503 ◎50機 社内呼称モデル28-2
PBY-3 0842~0907 ◎66機 社内呼称モデル28-3
PBY-4 1213~1244 ◎32機 社内呼称モデル28-4
XPBY-4 1245 ◎1機 のちにPBY-4に、さらにXPBY-5Aに改造された
PBY-5A 2456~2488 ◎33機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-5A 7243~7302 ◎60機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN ◎7285(c/n 283)は1943年12月19~22日にスタンリー W. エルダール大尉 LT Stanley W. Erdahlが指揮する駆潜艇(鋼製船体)PC-571は、第4哨戒航空団 Patrol Wing Fourの第42哨戒飛行隊(Patrol Squadron 42: VP-42)所属のPBY-5A(code V23)の3名の士官と乗員を救助した。トーマス F. ユーイング少尉 Ensign Thomas F. EwingとM. L. シェパード整備兵 Machinist M. L. Sheperdが搭乗したこの航空機は、1943年12月19日、アリューシャン列島のアムチトカ島 Amchitka Islandを調査していたタリー陸軍大佐 COL Talley率いる一行を乗せたのち、エンジン・トラブルにより海上で墜落した。6時間のタキシングののち、PC-571が到着し、さらに15時間ボートを曳航した。激しいうねりと悪天候のため、飛行艇はウヤク湾 Uyak Bayで沈没した。生存者はコディアック海軍航空基地 NAS Kodiakに搬送された(1234
PBN-1 02791~02946 ◎156機 社内呼称モデル28-5。Naval Aircraft Factor製ノーマッド Nomadとして製造
PBY-5A 02948~02977 ◎30機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBV-1A 03563~03712 ◎150機 カナディアン・ヴィッカース社でPBV-1AカンソA Canso Aとして製造されたPBY-5A。カナダ空軍に引き渡された
PBY-5A 04399~04420 ◎22機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-5A 04972~05045 ◎74機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-5A 08030~08123 ◎94機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-5A 08124~08549 ◎426機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-4 99080 ◎1機。社内呼称モデル28-4。1944年にアメリカン・エクスポート・エアライン American Export Airlinesの民間登録No. NC18997“トランスアトランティック Transatlantic”としてアメリカ海軍に引き取られる
PBY-6A 111149~111348(キャンセル) ◎200機 社内呼称モデル28-6A
PBY-6A 119779~119978(キャンセル) ◎200機 社内呼称モデル28-6A
PBY-6A 120475~121414(キャンセル) ◎940機 社内呼称モデル28-6A。これらの番号は、SB2C-5のキャンセルされた契約にも記載されている
PBY-5A 21232 ◎1機 1970年に米領ヴァージン諸島に渡ったアラスカ・コースタルエリス航空 Alaska Coastal-Ellis Airlinesの1機として、No. N2763Aとして民間登録されている。のちにeBayに出品
PBY-5A 33960~34059 ◎100機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBN-1 35798~35921(キャンセル) ◎124機 社内呼称モデル28-5。Naval Aircraft Factor製ノーマッドとして製造
PB2B-1 44188~44227 ◎40機 社内呼称モデル28-5。ボーイングカナダ社
PB2B-2 44228~44294 ◎67機 社内呼称モデル28-6。ボーイングカナダ社
PBY-5A 46450~46638 ◎189機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-6A 46639~46698 ◎60機 社内呼称モデル28-6A
PBY-6A 46724 ◎1機 社内呼称モデル28-6A
PBY-5A 48252~48451 ◎200機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-5 63992 ◎1機 社内呼称モデル 28-5/-5MA/-5MC/-5ME/-5MN
PBY-6A 63993~64441 ◎449機 社内呼称モデル28-6A
PBY-6A 64101~64107 ◎7機 社内呼称モデル28-6A
PBV-1A 67832~68061 ◎230機 社内呼称モデル28-5Aライセンス機、カナディアン・ヴィッカース社でCL-1型として製造され、OA-10Aとして米陸軍航空軍に採用された
PB2B-1 72992~73116 ◎125機 社内呼称モデル28-5。ボーイングカナダ社


グレン L. マーチン社(現ロッキード・マーチン社)製 初飛行:1939年2月18日(XPBM-1) PBM-3Dデータ=全幅:35.97m 全長:24.33m 全高:9.872m 翼面積:130.80m² 空虚運用重量:15,000kg 基本離水重量:26,300kg パワープラント:定格出力1,900hpのライト製R-2000-22サイクロン星型ピストン・エンジン2基 最大速度(460m):340km/h 実用上昇限度:6,035m 航続距離:3,660km 兵装:機首と背面銃座と側面および尾部:12.7mm機銃8挺 無誘導弾薬:3,600kgまでの爆弾および爆雷 乗員:7名~8名
※社内呼称モデル162

↑PBMマリナー

↑Martin PBM-5 "Mariner" Patrol Bomber (with the nickname "HOTOGO" painted on its bow). Is hoisted on board USS Curtiss (AV-4) in the Korean Warzone, 8 November 1950. At that time this plane, and others from Fleet Air Wing 6, wereengaged in anti-mine patrols off the Korean coast. Note twin .50 caliber machine gun turret fully trained to starboard,with guns depressed. Official U.S. Navy Photograph, from the collections of theAviation History Branch, Naval Historical Center. Image courtesy of HyperWar.

↑Image courtesy of Shipbucket.
FY Block No. Bu.No.
()内は製造番号
機数、備考1 備考2
Bu.No. 直後の()内の
番号は製造番号
PBM-5 59000~59348 ◎349機 59225は1945年12月5日にてバハマ沖にて行方不明となった5機の第19飛行小隊(TBF/TBM)を捜索中に行方不明になった(12)。19時30分に定例の無線連絡を入れたのち、それっきり音信不通となった。2115時にT2-SE-A1型タンカー・ゲインズ・ミル Gaines Mill(MCハル337)は、28.59N、80.25Wの位置で、100フィート(30.48m)高く跳躍し10分間燃え続ける爆発と見られる炎を観察したと報告した。船長のShonna Stanleyは、油とガソリンのプールの中で生存者を捜索したが、失敗したと報告した。護衛航空母艦ソロモンズ Solomons(CVE-67)も同じ位置、同じ時刻に航空機とのレーダー・コンタクトを失ったと報告している
画像解説:1945年10月3日から7日、日本の和歌山沖で西太平洋の嵐に遭った米海軍護衛航空母艦ルンガ・ポイント Lunga Point(CVE-94)。空母は、10月2日にウィリアム D. サンプル少将 Rear Admiral William D. Sampleを乗せたまま行方不明になったVPB-205のマーチンPBM-5マリナー(Bu.No. 59336)を捜索していた。残骸は1948年にようやく発見された。撮影者はPHC John Highfill, USN。 Lunga Point 1944-1945 Cruise Book, p.227, Bangor, Maine Public Libraryで入手可能


Update 24/07/22