海兵重ヘリコプター飛行隊 Marine Heavy Helicopter Squadron
アイコン | 意味 |
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戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません |
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戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです |
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映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です |
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参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
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インターネットやTVゲームに登場する事柄です |
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不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第461海兵重輸送ヘリコプター飛行隊(Marine Heavy Helicopter Squadron 461: HMH-461)は、CH-53Kキング・スタリオン輸送ヘリコプターで編成されるアメリカ海兵隊のヘリコプター飛行隊である。“Ironhorse”の異名を持つ同飛行隊は、ノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵隊航空基地 MCAS New Riverを拠点とし、第29海兵航空群(Marine Aircraft Group 29: MAG-29)および第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下にある。1944年にその歴史を遡るHMH-461は、海兵隊において現役最古の重輸送ヘリコプター飛行隊である。任務は遠征作戦、連合作戦、または合同作戦において、昼夜を問わずあらゆる気象条件下で、重装備、戦闘部隊、および物資の攻撃支援輸送を提供することにより、MAGTF司令官 MAGTF Commanderを支援する
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAF El Centro | 1944/3/15 |
MCAS El Centro | 1945/1 |
MCAS Cherry Point | 1949/7/1 |
MCAS New River | 1957/1 |
日付 | 主な出来事 |
1944/3 | 第461海兵戦闘飛行隊(Marine Fighting Squadron 461: VMF-461)は、1944年3月15日にカリフォルニア州エル・セントロ海兵航空施設 MCAF El Centroで、第43海兵基地防衛群 Marine Base Defense Group 43の一部として発足。新しく結成されたこの飛行隊は、ヴォートF4Uコルセアを運用し、そのコールサインは“レッド・レイダー Red Raider”で、飛行隊の徽章は赤い髭を生やしたヴァイキングを描いたもの。1945年1月、同飛行隊はエル・トロ海兵航空基地 MCAS El Centroに移転し、第46海兵航空団(Marine Aircraft Group 46: MAG 46)に配属され、戦争の残りの期間、補充訓練飛行隊として指定 |
1946/2 | 1946年2月25日、VMF-461は護衛航空母艦パラオ Palau(CVE-122)の初航海訓練中に同艦に乗艦し、同年3月16日にサン・ディエゴ海軍基地 NB San Diegoを出航して米国東海岸へ向かった。1946年3月16日にノーフォーク海軍基地 NS Norfolkに到着したVMF-461は、南下してノース・カロライナ州チェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointへ移動し、第11海兵航空群(Marine Aircraft Group 11: MAG-11)への一時的な任務に就いた。1947年5月から8月にかけて、同飛行隊はふたたびパラオに乗艦し、グアンタナモ湾、リベリアのモンロヴィア、ブラジルのレシフェ、フランス領西アフリカのダカールを訪問した。1948年2月から3月にかけてVMF-461は艦隊演習に参加し、今回はルーズヴェルト・ローズ海軍基地 Roosevelt Roads Naval Stationを拠点に活動した。1948年8月にはふたたびパラオに乗艦し、3週間のグアンタナモ湾クルーズを行い、同年11月には北極圏演習に参加した。1949年1月、同飛行隊は2カ月の地中海クルーズのために大型航空母艦ミッドウェー Midway(CVB-41)に乗艦し、1949年3月から6月にかけて、ミッドウェーおよびフランクリン D. ルーズヴェルト(CVB-42)に乗艦して、複数の短期クルーズに参加。1949年7月1日、VMF-461はチェリー・ポイント海兵航空基地のMAG-11に配属。1949年9月から1950年1月まで、この飛行隊は、航空母艦レイテ Leyte(CV-32)に乗船したMAG-11の一部として、地中海クルーズに配備された。1950年9月、VMF-461は閉隊 |
1957/1 | 1957年1月、同飛行隊はノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverにて第461海兵ヘリコプター輸送飛行隊(中型)(Marine Helicopter Transport Squadron (Medium) 461: HMR(M)-461)として再編成され、第26海兵航空群 Marine Aircraft Group 26に配属された。同飛行隊は、当時海兵隊が保有する最新かつ最大のヘリコプターであったHR2S-1(のちにCH-37と改称)を配備した最初の部隊となった。通称“デュース”と呼ばれたこの機体は、最大26名の兵員または8,000ポンド(約3.6t)の貨物を搭載可能で、最大速度は110kt(約204km/h)に達した。機体はR2800-54エンジン2基で駆動され、乗員4名を搭乗させた。1961年には米国宇宙計画の一環として、ウォロップス島から打ち上げられたNASAロケットの空中回収任務を遂行した。1962年2月、HMR(M)-461は第461海兵重輸送ヘリコプター飛行隊(Marine Heavy Helicopter Squadron 461: HMH-461)に改称された |
1962 | 1962年から1965年にかけて、HMH-461は強襲揚陸艦ボクサー Boxer(LPH-4)および強襲揚陸艦ガダルカナル Guadalcanal(LPH-7)に配備され、地中海およびカリブ海におけるさまざまなデプロイメント任務や演習に参加した。1966年2月、同飛行隊はCH-37に代わるCH-53Aヘリコプターの到着を待つため、要員のみを残す状態に縮小された。1970年11月、CH-53AはCH-53Dヘリコプターに置き換えられた。1970年代を通じて、HMH-461は地中海・カリブ海、スカンジナビア、北欧、イギリスなどにおける艦隊海兵隊作戦の支援を継続した |
1987/10 | 新型CH-53Eスーパー・スタリオン・ヘリコプターは、1987年10月の初実戦飛行によりHMH-461の歴史に新たな章を刻んだ。1988年9月、HMH-461はシコルスキー社から最初の11機のCH-53Eを受領。そののち、海兵隊航空部隊として史上初めて、暗視ゴーグルを用いた空中給油、河川強襲艇の外部吊り上げ、CH-53EのC-17グローブマスターIIIへの積載、2台のHMMWV同時吊り上げといった歴史的記録を打ち立てた![]() (↑C-17) |
1990/2 | 1990年2月、HMH-461はコロンビアで開催された麻薬対策サミットへの大統領訪問を支援するため、艦載機4機を展開した |
1990/8 | 1990年8月から1991年4月にかけ、同飛行隊は強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)に艦載し、ペルシャ湾紛争へ向かった。1991年1月5日、デルタ分遣隊 Detachment Deltaは“砂漠の嵐作戦 Opration DESERT STORM”から任務変更を受け、戦火に包まれたソマリア・モガディシュからの米国市民非戦闘員避難作戦(non-combatant evacuation: NEO)を支援。アイアンホース IRONHORSES部隊は海上から約500マイルを飛行し、米国市民の避難作戦を成功裏に開始するとともに“イースタン・イグジット作戦 Operation EASTERN EXIT”を展開した |
1993/10 | アイアンホース海兵隊は1993年10月から1994年6月にかけてふたたび展開し、4機の航空機からなる分遣隊がHMM-362とともにハイチでの緊急作戦に派遣された |
1997/5 | 1997年5月と6月には、同飛行隊の分遣隊がコンゴ共和国(ブラザヴィル Congo-Brazzaville)における“ガーディアン・リトリーヴァル作戦 Operation Guardian Retrieval”に参加するため再展開した。そののち、この分遣隊はVMM-261(Rein)の一環としてシエラ・レオネで非戦闘員避難作戦(NEO)を実施。この作戦は“ノーブル・オベリスク作戦 Operation Noble Obelisk”と命名された。NEOにより、革命統一戦線(Revolutionary United Front: RUF)の脅威にさらされていた米国人、英国人、そのほかの第三国国民が救出された |
2001/9 | 2001年9月11日の同時多発テロ事件後、HMH-461はアフリカ・ジブチに展開した最初の海兵隊ヘリコプター部隊であり、合同任務部隊“アフリカの角”
Combined Joint Task Force-Horn of Africaを支援した。この展開では、対テロ戦争における特殊作戦を支援するため、複数の作戦を実施した。![]() |
飛行隊本隊がアフリカの角に展開されるのと同時に、第22海兵遠征ユニット(22 MEU)を支援するHMH-461海兵隊も、アフガニスタンの険しい山岳地帯で困難な飛行に直面した。第22海兵遠征ユニット航空中隊(22 MEU ACE)は、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するためカンダハール空港 Kandahar airportに駐留し、任務部隊ラインバッカー Task Force Linebackerの一部として指定された。CH-53Eはアフガニスタンの過酷な環境下で極めて有用な存在となった。春から夏にかけて、分遣隊はタリバン勢力との戦闘支援、58,000人のアフガン有権者登録、2,000人の医療・歯科患者治療に貢献した。7か月に及ぶ成功裏の展開を終え、HMM-266所属の“アイアンホース Ironhorses”は2004年9月16日にニュー・リヴァー海兵隊航空基地へ帰還した | |
2005/8 | 2005年8月29日、HMH-461はハリケーン“カトリーナ”救援活動支援のため、18時間前の通知で展開命令を受けた。HMH-461は親部隊となり、HMH-464、VMM-365、HMT-302、VMM 264から海兵隊員と装備を統合し、被災地向け特別海兵航空地上任務部隊を支援するためHMH-461(-)(REIN)を編成した。HMH-461はペンサコーラ海軍航空基地 NAS Pensacolaへ自主展開し、翌日にはニュー・オーリンズとミシシッピ州で救援活動を開始した。その活動は1か月間継続され、ハリケーン“リタ”上陸後の影響緩和にも寄与することとなった |
帰国後まもなく、飛行隊は第4回米州サミット 4th Summit of the Americas支援のため米国大統領を護衛する任務として、アルゼンチンのマル・デル・プラタ Mar Del PlataへHMH-461を派遣する警告を受けた。アルゼンチンでの任務は2週間半にわたり、そののち米国へ帰還した | |
2005 | 2005年と2006年にはアフリカの角へ分遣隊を同時に展開する中、第22海兵遠征ユニット(22 MEU)支援のためHMM-261へ派遣された分遣隊は、ペルシャ湾から456マイル以上内陸へ展開し、イラクのアル・アサド Al Asad基地における第2海兵航空団(2d MAW)支援作戦を実施した。多国籍軍西部作戦区域 Multi-National Forces-West Area of Operations内での日常作戦を通じ、OIF 04-06を支援した。イラク作戦終了後、分遣隊はアフリカのジブチで実施された“イメージ・ノーチラス作戦2006 Operation Image Nautilus 2006”を支援した |
2007/8 | 次のHMH-461海兵遠征ユニット分遣隊 HMH-461 MEU detachmentは、2007年8月にVMM-365に配属され、2008年3月にアフガニスタン・カンダハールへ展開した。HMH-461分遣隊Aの海兵隊員は、不安定なアフガニスタン・ヘルマンド州で活動する第24海兵遠征部隊の攻撃支援および重量物輸送要求を支援し続け、2008年11月に全員が無事に帰還した |
2009/6 | 2009年6月、ジュピター・センチネル作戦支援のため、5日間の事前通知でふたたび展開命令が発令された。飛行隊は直ちに4機の航空機と全利用可能なアイアンホース海兵隊員を強襲揚陸艦(多目的)イオー・ジマ Iwo Jima(LHD-7)に搭乗させ、バラク・オバマ大統領 President Barack Obamaのアクラ Accraおよびケープ・コースト・キャッスル Cape Coast Castle訪問支援のため、迅速にガーナ沿岸へ向けて出航した。2010年1月、同飛行隊は緊急招集され、直近の壊滅的地震後のハイチ救援活動支援のため第22海兵遠征ユニットを輸送した(“ユナイテッド・レスポンス作戦 Operation Unified Response”)。同時に、同飛行隊のMEU分遣隊は戦略輸送により早期展開し、歴史的な洪水被害を受けたパキスタンでの災害救援活動を支援した |
2011/1 | HMH-461はOEF 13.1作戦中、第8海兵連隊第2大隊ゴルフ中隊 Golf Company, 2nd Battalion, 8th Marines支援のため襲撃作戦を実施。2011年1月、HMH-461はHMH-465からの分遣隊と合流し、アフガニスタンのキャンプ・バスティオン Camp Bastionへデプロイメントし、“不朽の自由作戦11.1 Operation ENDURING FREEDOM 11.1”を支援。展開期間中、アイアンホースは7,700,000ポンド(約3,500,000kg)以上の貨物を輸送し、35,000人以上の乗客を輸送するとともに、墜落したH-47ヘリコプター2機の回収を目的とした戦術航空機・要員救出(Tactical Recovery of Aircraft and Personnel: TRAP)任務を2回実施した |
2013 | 同飛行隊は2013年、今度は部隊全体としてキャンプ・バスティオンに再展開し、“不朽の自由作戦13.1 Operation ENDURING FREEDOM
13.1”を支援。4,300,000ポンド(約1,950,000kg)以上の貨物と23,800人の乗客を輸送し、130件以上の戦術的襲撃・攻撃作戦を完遂した。![]() |
2015/5 | 2015年5月、HMH-461はアフリカ角地域と同様に、SPMAGTF-SCの一環としてホンジュラスのソト・カノ空軍基地 Soto Cano Air Baseへ定期的なローテーション派遣を行う主力重輸送分遣隊として展開した。このローテーション部隊は2018年5月に再デプロイメントし、火山災害救援活動や米国副大統領を含む要人訪問の支援に当たった |
2019/5 | 2019年5月、HMH-461は4機のCH-53Eと50名の海兵隊員を分離し、VMM-365(REIN)に編入した。これらは第26海兵遠征ユニット(MEU)の航空機戦闘要素(Aviation Combat Element: ACE)における重量物輸送分遣隊 heavy lift detachmentを構成した。第26海兵遠征ユニットの作戦準備中に、ハリケーン“ドリアン”がバハマ諸島を襲った。第26海兵遠征ユニットは海外災害救援(Foreign Disaster Relief: FDR)作戦を実施し、バハマへの支援を提供した。第26海兵遠征ユニットは2019年12月にデプロイメントし、2020年7月に帰還するまで第5艦隊作戦区域(5th Fleet Area of Operations: AOR)で活動した。デプロイメント中、HMH分遣隊は作戦行動区域における外国関係強化のため、第26海兵遠征ユニットの作戦を支援し、中東諸国で活動した。HMH分遣隊はMAGTF司令官を支援するため、遠征航空基地作戦(Expeditionary Airbase Operations: EABO)および前方武装・給油ポイント(Forward Arming and Refueling Points: FARP)作戦を担当した |
2020/8 | 同飛行隊は2020年8月、第22海兵遠征ユニット(22nd MEU)の航空機戦闘支援(ACE)を支援するため、ふたたび4機のCH-53Eからなる分遣隊をVMM-263に派遣した |
2022/1 | 2022年1月、HMH-461は海兵隊においてCH-53Eスーパー・スタリオンを改良型CH-53Kキング・スタリオンに置き換えた初の運用部隊となった |
2025/8 | 8月27日、CH-53K大型輸送ヘリコプターがメリーランド州パタクセント・リヴァー海軍航空基地 NAS Patuxent Riverからサウス・カロライナ州ボーフォート海兵航空基地 MCAS Beaufortへ、運用不能状態のF-35BライトニングIIを輸送した。キング・スタリオン・ヘリコプターは、ノースカロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地所属のHMH-461の海兵隊航空乗員によって操縦された。BF-01として知られるこのF-35は、垂直着陸を初めて成功させた機体である。任務用システム、推進システム、主翼、追加装備は取り外された状態で、ボーフォート海兵航空基地に恒久的な展示機として設置される予定である |
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Update 25/09/14