アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
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- 軽荷排水量:27,000t 満載排水量:34,253t 全長:245.82m 幅:27.76m 吃水:8.25m(平均、CB-2は9.20m) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶8基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン4基/4軸 出力:150,000馬力 速力:31.4kt(33.0ktとも33.4ktともいわれる) 燃料搭載量:重油3,710t 航続力:15ktで12,000浬 兵装:50口径305mm3連装砲3基、38口径127mm連装両用砲6基、56口径40mm4連装機関砲14基、70口径20mm単装機関砲34基 装甲:水線241.3mm、砲塔前楯325.12mm、砲塔側面152.4mm、砲塔後面133.35mm、砲塔天蓋127mm、甲板71.12mm〜82.55mm、隔壁269.24mm、バーベット279.4mm〜330.2mm、司令塔101.6mm〜228.6mm 乗員:士官73名、下士官兵1,444名(士官、下士官兵合わせて2,251名ともいわれる)
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、1、2、3、4)
- ※1947年、ハワイ(CB-3)をミサイル搭載艦に改装する案があった。艦前半部は航空機搭載施設に、艦後半部に当時計画中のタロスSAM(Bumblebee計画)とドイツのV2型弾道ミサイルを搭載する案。以降、いくつかの案が浮上する。例えば1957年試案ではポラリスSLBM、タロスSAM、ターターSAM搭載する計画だったが、いずれも計画のみに終わる
- ※下の画像は、1944年11月にフィラデルフィア海軍工廠にてシェイクダウン後の改装を終えたアラスカ(CB-1)である。駆逐艦用の迷彩 destroyer schemeをアラスカ級大型巡洋艦用に作り直した“メジャー32/1D Measure 32/1D”で迷彩されている。この“ミディアム・パターン・システム medium pattern system”は、潜水艦の観測に対して最高の防御力を発揮すると考えられていた。アラスカは就役前にこのスキームに塗装され、大西洋でのシェイクダウン・クルーズでもこのスキームが採用された。垂直面にはライト・グレー Light Gray(5-L)とダル・ブラック Dull Black(#82)の幾何学模様が描かれ、オーヴァーハング overhangsの下にはホワイト White(5-U)のカウンターシェードが施されて影を減らしている。平面図の水平面にはデッキ・ブルー Deck Blue(20-B)とオーシャン・グレー Ocean Gray(5-O)が交互に配置されている。1944年6月17日、フィラデルフィア海軍工廠での就役後、アラスカ(CB-1)は最初のシェイクダウン・クルーズをアメリカ東海岸からカリブ海にかけて行った。シェイクダウン後の改装のためフィラデルフィアに戻ったアラスカ(CB-1)は、1944年11月中旬にこの艤装で造船所を出発した。この改装では、アラスカ(CB-1)の前方上部構造が変更され、03レヴェルの司令塔の周りに目立つブリッジ・ウィング bridge wingsが追加され、08レヴェルの火器管制塔の両サイドに小さなキャットウォーク catwalksが追加された。シェイクダウンの際、アラスカ(CB-1)の船体には大きな航跡が残っていたが、船体を延長することで水しぶきの侵入を防ぐことができた。アラスカ(CB-1)の同型艦グアム(CB-2)は、これらの変更がすでに施された状態で就役した。同級3番艦のハワイ(CB-3)も同様のステム変更が施されたが、ステップはない。アラスカ(CB-1)の主砲である50口径12インチのMk. 8ライフル砲9門は、3基の3連装砲塔に収められていた。Mk. 8“FH”レーダーを搭載したMk. 38方位盤が主砲の火器管制を行った。副砲は、Mk. 32 Mod. 2およびMod. 4連装両用砲塔に格納された12門の38口径5インチのMk. 12砲で構成されていた。これらの砲は、Mk. 22“オレンジピール orange peel”ハイト・ファインダー height finderを備えたMk. 12測距レーダーを搭載した2基のMk. 37方位盤が前後に配置されていた。1944年11月にフィラデルフィアで行われたアラスカ(CB-1)の改装では、4基のMk. 57方位盤が追加され、前部および後部の上部構造の目立つ位置に設置された。これらの方位盤は、Mk. 51方位盤に代わり、5インチ砲の補助象限制御 auxiliary quadrant controlに使用された。TBS戦術音声ラジオ tactical voice radioのアンテナは各ヤードアーム yardarmに取り付けられ、DAK-3方向探知システム direction finder systemのクロスループ・アンテナ cross-loop antennaはメインマスト後部の小さなプラットフォームに取り付けられている。このプラットフォームには、本船のマグネシンコンパス magnesyn compassのセンス・ユニット sense unitも搭載されている。前檣と主檣にはSG水上捜索レーダー surface search radar antennasのアンテナが見え、主檣にはSK航空捜索レーダー air search radarの大型マットレスがある。BKとBNレーダー・システム用の“スキーポール Ski pole”IFFアンテナは、ファンネル上のフォアトップとスタブ・メインマストの下の小さなヤードに取り付けられている。本艦の設計図には、SN緊急探索レーダー emergency search radarを前部防空レヴェル、3番砲塔上、後部40mmクリッピング・ルーム clipping room上に搭載する規定が記載されているが、戦時中に使用された写真はない。このとき、アラスカ(CB-1)は第16巡洋艦偵察飛行隊(VCS-16)のSC-14機を乗船させている。これらの機体は、1943年半ばから1945年にかけてアメリカ海軍の観測機に採用された“3色スキーム tri-color scheme”で塗装されている。このクラスのユニークな特徴は、ミッドシップでの航空機ハンドリングの配置で、前方上部構造の後端に格納庫スペースがあり、デッキ・エッジ deck edgeの大きなタワーに2つの“タイプP Type P”Mk. 6 Mod. 1カタパルトが設置されている。船体の右舷側にある油圧ガスラインは船尾の航空ガソリン・タンクに繋がっているが、これは戦闘時の火災の危険性を減らすための措置である。注:AN/APS-4レーダーは、シーホークの右翼パイロンに外部記憶装置として搭載されている。SC-1は、フィラデルフィア入港時の最初のシェイクダウン・クルーズで搭載されたOS2Uに代わるもので、アラスカ(CB-1)は1945年まで西太平洋に展開する間、これらの航空機を搭載していた
- ※1945年7月に戦時中の巡航中のアラスカ(CB-1)。アラスカ(CB-1)は西太平洋の艦隊に参加する前の1945年初頭に“メジャー22 Measure 22”に再塗装された。このスキームは、船体のシアライン line of sheerまではネイヴィー・ブルー Navy Blue (5-N)、それ以上の垂直面は全てヘイズ・グレー Haze Grey(5-H)で構成されていた。水平面はデッキ・ブルー Deck Blue(20-B)。1945年にアラスカ(CB-1)は当時就航していた最新のレーダー対策機器の一部を搭載した。AN/SPR-1 ECMシステムの受信アンテナがヤードアームに取り付けられ、TDYa Sバンド・ジャミング・システム S-band jamming systemのドームが見えている。送信アンテナはミッドシップ・ハンガー上部のレドームに、受信レドームはメインマスト後部に設置されている。さらに、TDY-1ジャマー・アンテナ jammer antennaが第10上部構造レヴェル前方の主要防空ステーションの前端に括り付けられている。前方防空ステーションの上部戦闘灯の下には、“NANCY”赤外線信号ビーコン(X-2Aタイプ)が設置されている。最後に、DBMレーダー方向探知システム用の2つのレドームが、フォアトップ foretopのすぐ下の小さなヤードに取り付けられている。それ以外の電子機器の装備は変わっていない。アラスカ(CB-1)の戦闘指揮官 fighter direction officerの記述によると、アラスカ(CB-1)は“特に優れた航空捜索レーダー”を持っており、他の船よりも遠くのボギーを探知することができたという。戦時中の巡航中のアラスカ(CB-1)の音声無線コールサインは“ホッパー Hopper”であった。アラスカ(CB-1)はこの構成で終戦を迎え、戦後も短期間、“マジック・カーペット MAGIC CARPET作戦”(戦争終結後のアメリカ軍人の大量送還)に協力したのち、1947年にニュー・ジャージー州Bayonneにて保管。戦後のアラスカ級大型巡洋艦の改装計画には、ミサイル巡洋艦や指揮艦としての再利用も含まれていたが、費用対効果が見込めず、アラスカ(CB-1)は1960年に解体により売却された
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1945年1月にフィラデルフィア海軍工廠でシェイクダウン後の改装を終えたグアム(CB-2)である。グアム(CB-2)は、“メジャー32/7C Measure 32/7C”の“ミディアム・パターン”方式で迷彩されている。この方式では、垂直面にライト・グレー(5-L)、オーシャン・グレー(5-O)、ダル・ブラック(#82)の幾何学模様が描かれ、オーヴァーハングの下にはホワイト(5-U)のカウンターシェーディング countershadingが施されて影が軽減されている。水平面はデッキ・ブルー(20-B)とオーシャン・グレー(5-O)を交互に塗り分けた。1945年初めにグアム(CB-2)はこの迷彩から脱却し、お馴染みの“メジャー22”に塗り替えられた。1944年後半にフィラデルフィアで行われたグアム(CB-2)の改修では、既存のMk. 8“FH”主砲火器管制レーダー main battery fire control radarが改良型のMod. 3にアップグレードされており、このセットはMk. 38方位盤の上に見られる。グアム(CB-2)のMk. 37方位盤は、director officer's slewing sightの“コクピット cockpit”を備えた後期のタイプである。その他は、同型艦のアラスカ(CB-1)とほぼ同じである。1945年3月、グアム(CB-2)はウルシーの第58任務部隊 Task Force 58に参加し、日本本土への攻撃と沖縄への侵攻を支援する。グアム(CB-2)はアラスカ(CB-1)と同様、第二次大戦後暫くの間、中国や朝鮮半島の港を回り、1945年12月にアメリカに帰国する。1947年に退役して予備役となったグアム(CB-2)は、そののち再稼働することはなく、1960年に解体により売却された
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1938年4月の重巡洋艦案(8インチ砲ヴァージョン)
- 基準排水量:24,100t 公試排水量:28,100t 吃水線長:243.84m 幅:26.51m 吃水:7.68m 出力:196,000馬力 速力:35.0kt 航続力:15ktで15,000浬 兵装:55口径203mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲5基、12.7mm機銃8基、3連装魚雷発射管2基
- ※1938年4月の重巡洋艦案(12インチ砲ヴァージョン)
- 基準排水量:24,900t 公試排水量:29,500t 吃水線長:243.84m 幅:26.51m 吃水:7.92m 出力:203,000馬力 速力:35.0kt 航続力:15ktで15,000浬 兵装:50口径305mm連装砲3基、38口径127mm連装両用砲5基、12.7mm機銃8基、3連装魚雷発射管2基
- ※1940年1月18日のCA2-D案
- 基準排水量:38,700t 吃水線長:259.08m 幅:31.85m 吃水:9.60m 出力:212,000馬力 速力:33.5kt 兵装:50口径305mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲8基
- ※ゲーム「World of Warships」ではプエルト・リコ Puerto Ricoという艦名で登場
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1940年1月19日のCA2-A案
- 基準排水量:25,600t 吃水線長:243.84m 幅:27.43m 吃水:8.16m 出力:150,000馬力 速力:33.5kt 兵装:50口径305mm3連装砲3基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1940年3月19日のScheme 2案
- 基準排水量:15,750t 吃水線長:213.36m 幅:21.94m 吃水:7.16m 出力:120,000馬力 兵装:55口径203mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1940年3月20日のScheme 3案
- 基準排水量:17,300t 吃水線長:216.40m 幅:22.55m 吃水:7.46m 出力:120,000馬力 兵装:50口径305mm連装砲3基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1940年4月10日のScheme 4A案
- 排水量:17,500t(Scheme 4B案は17,850t) 吃水線長:216.40m 幅:22.70m 吃水:7.52m(Scheme 4B案は7.62m) 出力:120,000馬力 速力:33.1kt(Scheme 4B案は33.0kt) 兵装:55口径203mm3連装砲4基(第1、第2、第4砲塔を50口径305mm連装砲に換装可能。Scheme 4B案は50口径305mm連装砲3基)、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1940年6月19日のCA2F案
- 基準排水量:24,700t(CA2E案は24,100t、CA2G案、CA2H案は27,500t) 公試排水量:28,300t 吃水線長:228.60mt(CA2E案は225.55m、CA2G案、CA2H案は240.79m) 幅:25.60m(CA2G案、CA2I案は26.21m、CA2H案は26.51m) 吃水:8.83m(CA2G案は9.14m、CA2H案は8.83m) 出力:150,000馬力(CA2H案は100,000馬力、CA2I案は120,000馬力) 速力:33.0kt(CA2H案は30.5kt、CA2I案は31.5kt) 兵装:50口径305mm3連装砲1基、50口径305mm連装砲2基(CA2E案は50口径305mm連装砲3基、CA2G案は50口径305mm連装砲4基、CA2H案は50口径305mm3連装砲3基)、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1942年1月3日にアラスカ級を航空母艦に改装する案を作成
- 飛行甲板長:255.72m
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アラスカ (1、2) |
Alaska | CB-1 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1944/6/17 | 1947/2/17 | 1960/6/1 | ◎1941/12/17 起工 ◎1943/8/15 進水 ◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役、艤装(〜1944/8) ◎のちにフィラデルフィア海軍工廠にて改装(〜1944/11、127mm砲用のMk. 57射撃管制装置4基を設置) ◎1944/12中旬? ハンターズ・ポイントにて修理改装 ◎1945/3下旬? ウルシーにて修理 ◎1945/12中旬 ボストン海軍工廠にて非活性化工事 ◎1946/8/13 ニュー・ジャージー州Bayonneにて保管 ◎1960/6/30 解体のため、ニュー・ヨークのLipsett Division of Luria Brothersに売却 ◎のちにニュー・ジャージー州ニューアークにて解体(1、2、3) |
◎Iwo Jima, Honshu Raid Feb 1945, Fleet Raids 1945, Raid on Japan Jul-Aug
1945, Operation Magic Carpet. #CB-1の搭載レーダー ◎1944 SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー |
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グアム (1、2) |
Guam | CB-2 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1944/9/17 | 1947/2/17 | 1960/6/1 | ◎1942/2/2 起工 ◎1943/11/12(1943/11/21?) 進水 ◎退役後、ニュー・ヨークにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1961/5/24 解体のため、ボルティモアのボストン・メタルズ社に売却 |
◎Fleet Raids 1945, Raid on Japan Jul-Aug
1945, Operation Magic Carpet. #CB-2の搭載レーダー ◎1944 SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー |
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ハワイ (1、2) |
Hawaii | CB-3 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | ― | ― | 1958/6/9 | ◎1943/12/20 起工 ◎1945/3/11(1945/11/3?) 進水 ◎1947/2/17 82.4%の完成度で建造中止(1947年9月には84%の完成度) ◎1940年代後半 ミサイル艦への改装計画が考慮されたが計画のみに終わる ◎1952/2/26 艦種を大型戦術指揮艦(CBC-1)に改める ◎1954/10/9 艦種を大型巡洋艦(CB-3)に改める ◎1957 再度、ミサイル艦への改装計画が考慮されたが計画のみに終わる ◎1959/4/15 解体のため、ボルティモアのボストン・メタルズ社に売却 |
フィリピン (1、2) |
Philippines | CB-4 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | ― | ― | ◎1943/6/24 未着手のまま建造中止 | |
プエルト・リコ (1、2) |
Puerto Rico | CB-5 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | ― | ― | ◎1943/6/24 未着手のまま建造中止 | |
サモア (1、2) |
Samoa | CB-6 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | ― | ― | ◎1943/6/24 未着手のまま建造中止 |
Update 24/04/02