航空対潜飛行隊 Air Anti-Submarine Squadron
| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| UFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Air Anti-Submarine Squadronは1993年にSea Control Squadronに改称された
- ※1943年1月1日に第17爆撃飛行隊(Bombing Squadron 17: VB-17)として創設され、1946年11月15日に第5B攻撃飛行隊(Attack Squadron 1E: VA-5B)に改称、1948年7月27日に第64攻撃飛行隊(Attack Squadron 64: VA-64)に改称、1949年4月8日に第24混成飛行隊(Composite Squadron 24: VC-24)に改称、1950年4月20日に第24航空対潜飛行隊(Air Anti-Submarine Squadron 24: VS-24)に改称されたが、1956年6月1日に閉隊。1960年4月8日に再開隊。2007年3月に閉隊。ニックネームはScouts。無線コールサインはスカウト Scoutを使用している
_insignia_2006.png)
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
| 所在地 | 駐留日 |
| NAS Norfolk | 1950 |
| NAS Quonset Point | 1951 |
| NAS Cecil Field | 1974 |
| NAS Jacksonville | 1997 |
| 航空機の割り当て | 初受領日 |
| SB2C | |
| AD | |
| AF-2S/W | 1950/9/27 |
| S2F-1 | 1960 |
| S-2F | |
| S-2E | |
| S-2G | |
| S-3A | 1975/8 |
| S-3B | 1989 |
| 日付 | 主な出来事 |
| 1943/11 | 航空母艦バンカー・ヒル Bunker Hill(CV-17)をベースとしたVB-17は、1943年11月11日にSB2Cを使用してラバウルを攻撃し、その戦闘デビューを飾った |
| 1945/2 | VB-17は第17空母航空群(Carrier Air Group 17: CVG-17)の一部となり、1945年2月から6月まで航空母艦ホーネット Hornet(CV-12)から運用された |
| 1950/9 | VS-24はAF-2S/Wを運用する最初の艦隊飛行隊となり、1950年9月27日に初号機を受領した |
| 1965 | 1965年から、VMO-2は南ヴェトナムのダナン Da Nangにあるマーブル・マウンテン航空施設 Marble Mountain Air Facilityの第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)に所属し、UH-1Eに搭乗していた |
| 1960/4/8 | VS-24は1960年4月8日にロード・アイランド州のクォンセット・ポイント海軍航空基地 NAS Quonset Pointで第24航空対潜飛行隊 Air Antisubmarine Squadron 24: VS-24として再組織され、“スカウツ Scouts”の愛称で呼ばれ、S2F-1に乗り、大西洋艦隊のエセックス級対潜航空母艦に配備された。ヴェトナム戦争後の戦力削減により1974年にクォンセット・ポイント海軍航空基地が閉鎖されると、飛行隊はフロリダ州のセシル・フィールド海軍航空基地 NAS Cecil Fieldに移転し、プロペラ機のS-2Gからジェット機のS-3Aに移行し、フォレスタル級、キティ・ホーク級汎用航空母艦、ニミッツ級原子力汎用航空母艦に配備された |
| 1991 | 1991年、“スカウツ”はペルシャ湾の“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”に派遣された。VS-24の乗組員は、敵地上空での最初のS-3B陸上攻撃と、敵対する哨戒機に対する最初の海上攻撃を担当した。戦争後、第24制海飛行隊(Sea Control Squadron 24: VS-24)は“プロヴァイド・コンフォート作戦 Operation Provide Comfort”に参加し、イラクから逃れてきたクルド人難民に援助を提供した |
| 1993 | 1993年、S-3AからS-3Bに移行したVS-24は、S-3Bのマルチミッションの役割をよりよく反映させるため、第24制海飛行隊(Sea Control Squadron 24: VS-24)として再指定された |
| 1995 | 1995年、“スカウツ”は原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)に配備され、紅海とペルシャ湾で南方監視作戦を支援し、東地中海ではボスニア・セルビアの軍事目標に対するNATOの攻撃を支援した。“デリバレート・フォース作戦 Operation Deliberate Force”にて、VS-24は陸上攻撃を支援するために戦術航空デコイ(Tactical Air Launched Decoys: TALD)を発射した最初のS-3B飛行隊となった |
| 1997 | 1997年、VS-24は紅海とペルシャ湾に戻り、南方監視作戦の継続的な取り組みを支援し、地中海とアドリア海でデリバレート・ガード作戦 Operation Deliberate Guard”に参加した。この派遣期間中、“スカウツ”は航空団で最も多用された飛行隊であり、任務完了率100%を維持しながら2,300時間以上の飛行時間を記録した。“スカウツ”の乗組員はヴァイキングが水上戦と電子偵察の実施に最適なプラットフォームであることを繰り返し証明した |
| 1997/10 | 1997年10月27日のVS-24と8機のS-3Bの移動は、VS-24のセシル・フィールド海軍航空基地から10マイル東のジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleへの移転を開始した。この移転は、セシル・フィールド海軍航空基地を1999年10月1日までに閉鎖するよう命じた1993年の基地再編閉鎖委員会(Base Realignment and Closure: BRAC)に従ったものである。VS-24の残りのS-3ウイングは1997年12月末までにジャクソンヴィル海軍航空基地に移転する予定であった。大西洋艦隊のVSウィング全体を構成する6つのVS飛行隊に所属する合計48機の航空機は、約2,000名の軍人と民間人の従業員と共に最終的にジャクソンヴィル海軍航空基地に移転した |
↑Image courtesy of Shipbucket.
Update 23/07/17