| 日付 |
主な出来事 |
| 1943/8/26 |
VB-114は、ヴァージニア州ノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkに、FAW-5の管轄下で、重爆撃機PB4Y-1リベレーターを運用する爆撃飛行隊(陸上)として編成された |
| 1943/10/14~12 |
同飛行隊は、PB4Y-1のさらなる訓練を行うため、ヴァージニア州オシアナ海軍航空補助基地 NAAS Oceanaに移転した。12月までに、同飛行隊の任務の重点がまもなく対潜戦(ASW)に移行することが明らかとなり、1943年12月11日、同飛行隊のPB4Y-1の1機が、ジェネラル・エレクトリック社製L-7探照灯の搭載のため、ロード・アイランド州クォンセット・ポイント海軍航空基地
NAS Quonset Pointへ送られた。1943年12月21日、残りの飛行隊の航空機と乗組員も同様の改修を受けるためクォンセット・ポイント海軍航空基地へ送られ、そののち1週間にわたり、敵潜水艦に対する夜間攻撃におけるサーチライトの使用に関する専門訓練が行われた |
| 1943/12/27 |
将校1名と下士官・兵21名からなる先遣隊が、飛行隊の海外派遣に向けた準備を行うため、ヴァージニア州ノーフォーク海軍航空基地へ派遣された。残りの飛行隊はクォンセット・ポイント海軍航空基地に残り、夜間攻撃に関する対潜戦(ASW)の訓練課程を完了させた |
| 1944/2/12~3/4 |
フランス領モロッコ(F.M.)のポート・リョーテ海軍航空施設 NAF Port Lyauteyへの転属命令が下された。1944年2月16日、ノーフォーク分遣隊は、飛行隊の装備を積み込んだ小型水上機母艦ロックアウェイ Rockaway(AVP-29)で、フランス領モロッコのカサブランカに向けて出航した。飛行隊の航空機は1944年2月21日、クォンセット・ポイントを出発し、フロリダ州ウェスト・パーム・ビーチのモリソン・フィールドへ向かい、そこから分隊ごとにポート・リョーテ海軍航空施設へ移動した。1944年3月4日に最後の航空機が到着し、移動は完了した。この時点で、VB-114はFAW-15の行政管轄下に入った |
| 1944/3/7~18 |
3つの乗員チームと航空機からなる分遣隊が、戦闘地域での慣熟飛行を行うため、モロッコのアガディール Agadirへ派遣された。最初の戦闘哨戒は1944年3月18日に開始された |
| 1944/4/29 |
6機の航空機と乗員からなる第2分遣隊がジブラルタルへ派遣され、30日に到着、1944年5月1日には作戦パトロールの準備が整った。敵との接触がなかったため、1944年6月7日に4つの乗員と航空機がポート・リョーテへ帰還し、不測の事態に備えて2つの乗員と1機の航空機がジブラルタルに残留した |
| 1944/6/17 |
サーチライトを装備した航空機6機と乗員9名からなる分遣隊が、FAW-7の管轄下でイングランド、デヴォン州ダンクスウェル Dunkeswellにデプロイメントした。この分遣隊の任務は、ノルマンディ上陸作戦期間中、連合軍の船舶を敵のUボートから守ることだった。1944年7月9日までに、サーチライトを装備した航空機3機が追加で到着し、分遣隊の規模は拡大した |
| 1944/7/20~8/1 |
1944年7月20日~8月1日:ポート・リョーテに残っていたVB-114所属の航空機2機とその乗員は、アゾレス諸島のテルセイラ島 Terceira
Islandにあるラゲンス・フィールド Lagens Fieldへ移転し、フランス領モロッコには飛行隊が1つも残らなくなった。1944年7月24日、ダンクスウェル分遣隊から2機の航空機が到着し、同グループを補強した。全ての装備、物資、要員、航空機の移動は1944年7月28日までに完了した。アゾレス分遣隊はFAW-9の行政管轄下に入った。中立国ポルトガルの領土から初めて行われた実戦任務は、1944年8月1日に実施された。アゾレス諸島は、第二次大戦において中立国であったポルトガルに属していた。ポルトガルの長年の同盟国である英国は、1943年にアゾレス諸島に空軍基地を設置することを許可されていた。この飛行場は米軍機の中継基地として使用することはできたが、英国のマークを付けた航空機でなければ恒久的な基地として使用することはできなかった。そこで、同飛行隊がテルセイラ島を拠点とし、英国および米国のマークを併せて掲げ、RAF沿岸司令部の作戦指揮下で活動するという合意が成立した。英国に残留した分遣隊は、引き続きFAW-7の作戦指揮下で活動した |
| 1944/11/18~1945/2/14 |
同飛行隊の任務完了と乗員の交代が間近に迫っていた。交代要員の訓練に十分な航空機と経験豊富な乗員を確保するため、ダンクスウェル分遣隊は4組の乗員と4機の航空機に縮小され、残りの人員はアゾレス諸島のラゲンス・フィールド分遣隊の補充として派遣された。1944年12月8日、後任の乗員がアゾレス諸島に到着し始め、隊員たちは飛行隊の夜間サーチライト訓練プログラムに参加した。ダンクスウェルに残されていた4機の航空機と乗員は、1945年2月14日に飛行隊に合流した |
| 1945/5/26 |
フロリダ州キー・ウェストのボカ・チカ Boca Chicaにおいて、ハリケーン偵察を行うため、航空機6機と乗員7名からなる飛行隊分遣隊を編成する命令を受けた。航空機は1945年5月31日、アゾレス諸島を出発し、フロリダへ向かった |
| 1945/5/29 |
ラゲンス・フィールドにおける同飛行隊の行政管理権が、FAW-9からFAW-11に移管された |
| 1945/6/29 |
VB-114は、3機の航空機と4組の乗員からなる分遣隊をフランス領マルタ諸島のポート・リョーテにデプロイメントさせ、6機の航空機と飛行隊の行政指揮スタッフをアゾレス諸島のラゲンス・フィールドに残した |
| 1945/10~11 |
フロリダ州ボカ・チカおよびプエルト・リコのサン・ファンに駐留していた飛行隊の分遣隊は解散され、ノース・カロライナ州イーデントン海軍航空基地 NAS
Edentonへ移管された。11月29日、飛行隊は本部をアゾレス諸島からイーデントン海軍航空基地へ移転するよう命じられ、モロッコのポート・リョーテ海軍航空基地
NAS Port Lyauteyおよびアゾレス諸島のラゲンスに分遣隊を維持した。この移転に伴い、同飛行隊はFAW-5の作戦指揮下に入った |
| 1947/1 |
同飛行隊はニュー・ジャージー州アトランティック・シティ海軍航空基地 NAS Atlantic Cityを母基地としており、3機の分遣隊がフランス領モルディヴのポート・リョーテに駐留し、対潜戦を主任務としていた。実際には、飛行活動の大部分は、郵便・旅客輸送、捜索救助、および東大西洋・地中海海軍司令部(ComNavEastLantMed)からの指示に基づく特別飛行で占められていた。1年以内に、飛行隊の残りの部隊もふたたびポート・リョーテ海軍航空施設
NAF Port Lyauteyを拠点とするようになった |
| 1948/1/4 |
同飛行隊は、寒冷地での作戦を実施し、第61任務部隊司令官 Commander Task Force 61に支援を提供するため、ニューファンドランド島のアルジェンティア海軍航空基地
NAS Argentiaにデプロイメントした |
| 1948/6/26 |
ソヴィエトとその同盟国である東ドイツは、指定された航空路を除き、ベルリンへのあらゆる交通を遮断した。西側連合国空軍は、包囲された都市を支えるため、物資の輸送を目的とした“ベルリン空輸作戦”を開始した。この空輸作戦はまもなく“ヴィタルズ作戦 Operation Vittles”として知られるようになった。VP-HL-6は、連合国占領区域内の飛行場に医療物資を運ぶため数多くの任務を遂行し、そこで物資はベルリンへ向かう非武装の輸送機へと引き渡された。封鎖は1949年5月に解除された |
| 1949/3 |
飛行隊の本部および母基地が、メリーランド州パタクセント・リヴァー海軍航空基地 NAS Patuxent Riverからモロッコのポート・リョーテ海軍航空基地へ変更された。その結果、ポート・リョーテ海軍航空基地に駐留していた飛行隊の分遣隊は、パタクセント・リヴァー海軍航空基地に分遣隊を置く完全な飛行隊となった |
| 1950/4/8 |
ドイツのフライト・サーヴィス・フランクフルトにより、PB4Y-2(Bu.No. 59645)が行方不明と宣言された。このプライヴァティアはフランス領モロッコのポート・リョーテ海軍航空基地を拠点としており、西ドイツのヴィースバーデン
Wiesbadenから発進し、ラトビアのレピヤ Lepija沖のバルト海上空で哨戒任務を遂行中だった。そののち、VP-26および米空軍の航空機によるバルト海海域での10日間にわたる捜索活動は実を結ばなかった。数日後、スウェーデンの漁船が、行方不明の航空機のものであると特定された救命胴衣を回収した。その直後、ソヴィエトは抗議文を発表し、行方不明の航空機がソヴィエト国境を越え、ソヴィエトの戦闘機と交戦した(プライヴァティアは非武装であった)として、国際法違反であると非難した。ジョン
H. フェッテ大尉 Lieutenant John H. Fetteと、将校4名、下士官・兵6名からなる乗員は、そののちも行方不明のままであり、冷戦の最初の犠牲者の一人と見なされた。未確認の情報によると、行方不明となった乗員たちは撃墜後に海から救出され、尋問のためにKGBに引き渡されたという。彼らの最終的な行方は、今なお明らかになっていない |
| 1950/6/30 |
VP-26は、FAW-3の作戦指揮下にあるメリーランド州パタクセント・リヴァー海軍航空基地へ新たな母基地として移転した。到着後、同飛行隊はPB4Y-2プライヴァティアからP2V-4ネプチューンへの機種転換訓練を開始した |
| 1952/2 |
VP-26は、FAW-3の行政指揮下にある、新たに設立されたメイン州ブランズウィック海軍航空基地 NAS Brunswickへ移転した最初の哨戒飛行隊となった |
| 1952/2/14 |
ブランズウィック海軍航空基地の滑走路端付近の森林地帯で、P2V-4(Modex No. EB-7)が墜落し、VP-26は初の死亡事故に見舞われた。この事故により、副操縦士と乗員4名が死亡した |
| 1954/10 |
VP-26は、大西洋艦隊の年次演習である“LANTFLEX作戦 Operation LANTFLEX”に参加した。 C. O. パドック中尉 Lieutenant (jg) C. O. Paddockは、小型の標的練習用爆弾を攻撃型潜水艦トロ Toro(SS-422)の潜望鏡に直撃させ、同艦を戦闘不能にさせたという快挙を成し遂げた。トロの艦長は、ねじれた潜望鏡の一部を額装してパドック中尉に贈呈した |
| 1955/3 |
VP-26はアイスランドのケフラヴィーク海軍基地 NS Keflavikへデプロイメントした。デプロイメント期間中、同飛行隊はP2V-5(MAD)を、ジェット補助エンジン搭載型の新型P2V-5Fネプチューン12機に更新した |
| 1956 |
VP-26はグリーンランドのトゥーレ Thuleにデプロイメントした。このデプロイメント期間中、VP-26は12機全ての航空機を北極上空に飛行させた初の哨戒飛行隊となった |
| 1957/9/5 |
VP-26は、NATOの空中機雷戦演習のため、アイスランドのケフラヴィーク海軍航空基地 NAS Keflavikに展開した。分遣隊は、F.M.
のポート・リョーテ海軍航空基地に駐留し続けた |
| 1957/12/3 |
VP-26所属のP2V-5Fが、スペインのロタにあるスペイン空軍基地(ロタ海軍航空基地 NAS Rotaは1957年11月に設立)に、米海軍の戦闘用航空機として初めて着陸した |
| 1958/11/22~1959/5/4 |
“リトル・ラスカルズ Little Rascals”は、アイスランドのケフラヴィーク海軍航空基地とニューファンドランドのアルジェンティアへ分遣隊を派遣した。その間、同飛行隊は1959年2月に大西洋横断ケーブルを故意に切断したソヴィエトのトロール船の位置を特定した |
| 1960/1/25 |
VP-26は6機の分遣隊をスペインのロタ海軍航空基地にデプロイメントさせた。3月、同飛行隊はフランスのラン・ビウー Lann Bihoueを拠点として、NATOの対潜戦演習“ドーン・ブリーズ
Dawn Breeze”に参加した。同飛行隊は、約10年ぶりに同基地から作戦行動を行った最初の部隊となった |
| 1962/9 |
VP-26は、5ヶ月の予定で6機の分遣隊をニューファンドランド島のアルジェンティア海軍航空基地にデプロイメントさせたが、10月に発生したキューバ危機により、この展開は早期に打ち切られた。1962年10月23日、VP-26は、ソヴィエト圏の艦船による中距離ミサイルや長距離爆撃機の搬入を阻止し、キューバに対する封鎖を維持するため、この分遣隊をフロリダ州キー・ウェスト海軍航空基地
NAS Key Westにデプロイメントさせた。残りの飛行隊の航空機は、ニューファンドランドのアルジェンティアからアゾレス諸島のラジェス Lajesにいたる北大西洋全域にデプロイメントされた |
| 1964/10 |
VP-26は、ノース・カロライナ州ポープ空軍基地 Pope AFBで米陸軍特殊部隊の要員と共同訓練を行うため、航空機1機と乗組員を1ヶ月間派遣した。SP-2Eは、特殊部隊の空挺兵による昼夜を問わず高高度からの降下訓練において、降下プラットフォームとして機能するよう改造された |
| 1965/10~1966/1/5 |
VP-26は、15年以上にわたり同飛行隊が運用してきた信頼性の高いP2Vネプチューンから、新型のP-3Bオライオンへの移行訓練を開始した。1966年1月5日、最初のP-3Bがメイン州ブランズウィック海軍航空基地に到着し、VP-26は海軍で初めてP-3Bを運用する飛行隊となった。 |
| 1966/7/19 |
VP-26はニューファンドランド島のアルジェンティアにデプロイメントし、分遣隊をアイスランドのケフラヴィークに配置した。デプロイメント期間中、飛行隊の隊員たちは、1965年7月に海面から隆起した海底火山である、新しく形成された火山島シルトリンデュル
Syrtlindurを間近で観察するという、ほかに例を見ない体験をした |
| 1967/11/24~1968/4 |
VP-26は西太平洋(WestPac)にデプロイメントし、フィリピンのサンリー・ポイント海軍基地 NS Sangley Pointおよびタイのウータパオ海軍基地
RTNB U-Tapaoに分遣隊を配置した。同飛行隊は、サンリー・ポイント海軍基地においてVP-5の後任として任務を引き継いだ。デプロイメント期間中、“トライデンツ
Tridents”機はトンキン湾における“チーム・ヤンキー・フォース Team Yankee Force”の哨戒任務、ヴェトナム南岸沖での“マーケット・タイム”監視任務
Market Time Surveillance、および南シナ海をカヴァーする外洋哨戒任務に就いた。 同飛行隊はデプロイメント中に2機の航空機を失った。2月6日、ロバート F. メグリオ少佐 Lieutenant Commander Robert
F. Meglioが操縦するP-3B(Bu.No. 153440)が海上に墜落し、CAC-8の乗員全員が死亡した。4月1日、CAC-1所属のスチュアート
M. マクレラン中尉 Lieutenant (jg) Stuart M. McClellanが操縦するP-3B(Bu.No. 153445)が、南ヴェトナム沖のフー・コック島
Phuy Quoc Island付近で敵の砲火により撃墜され、同飛行隊の隊員12名が命を落とした |
| 1970/6/19~10 |
“トライデンツ”部隊はシシリー島のシゴネラ海軍航空施設 NAF Sigonellaにデプロイメントし、VP-5と交代した。デプロイメント中、パレスチナ・コマンドーによるヨルダン王政転覆未遂事件が地中海地域で引き起こした危機により、全ての米軍部隊が最高警戒態勢に入った。VP-26は、1970年9月10日から10月22日に状況が安定するまで、地中海東部で1日平均2回の出撃を行った |
| 1979/3 |
VP-26はロッキードP-3CアップデートII型機への移行を行った。P-3CアップデートII型には、昼夜を問わず標的を識別するために機首から降下するタレット搭載型赤外線探知装置をはじめ、最新の航空電子機器および兵器システムが組み込まれていた。AGM-84Aハープーン・ミサイルの搭載能力は、万一の戦争発生時にソヴィエトの監視トロール船を排除することを目的として、特に組み込まれたものであった。 |
| 1980/3/3 |
“トライデンツ”飛行隊は、新型のP-3C UII機を率いて沖縄の嘉手納海軍航空施設 NAF Kadenaにデプロイメントした。ソヴィエトがペルシャ湾で軍事力を増強していた間、ディエゴ・ガルシア(B.I.O.T.)には分遣隊が駐留していた。このデプロイメントは、1967年以来初めて東海岸の哨戒飛行隊が同地域に配備されたことを意味した |
| 1990/11/7 |
VP-26は分割デプロイメントを行い、1つの分遣隊をプエルト・リコのルーズヴェルト・ローズ海軍基地 NS Roosevelt Roadsに、もう1つの分遣隊をアゾレス諸島のラジェス海軍航空施設に配置した。プエルト・リコの分遣隊は、それまでフロリダ州キー・ウェスト海軍航空基地に駐留していた3つの乗員分遣隊が担当していた麻薬監視任務を引き継いだ |
| 1993/9/17 |
VP-26はシシリー島のシゴネラ海軍航空施設へデプロイメントし、サウジ・アラビア、トルコ、マルタにも分遣隊を配置した。同飛行隊の活動の多くは、戦火に包まれたボスニアヘルツェゴヴィナへの武器の流入を阻止することに注がれた |
| 1995/7 |
1995年7月から1996年2月にかけて、同飛行隊はP-3CアップデートIII型機への移行に向けた7か月にわたる移行作業を開始した。1996年8月、VP-26はアイスランド、プエルト・リコ、パナマの3か所をクルーズするデプロイメントを実施した。同飛行隊は麻薬取締率でトップを記録し、コカインとマリファナを合わせて$1,900,000,000相当を押収した。コカインだけでも38メートル・トンを超え、これは米国の推定消費量の20%以上に相当する。ケフラヴィーク海軍航空基地の乗組員たちは、過去4年間において、米国のすべての海上哨戒飛行隊の中で、潜水艦との接触時間の合計が最も長かった。VP-26は、ノルウェーの国家演習“FLOTEX
96”への参加を招待された最初の米軍部隊であり、 1996年には4度目のバトル“E”賞 Battle "E" Awardを受賞した |
| 1997/1 |
VP-26は1997年1月、メイン州ブランズウィックに帰還し、ふたたび本拠地での活動期間に入った。そののち、1998年2月のシゴネラ海軍航空基地への展開に向けた準備を開始した。同飛行隊は、ボスニアヘルツェゴヴィナで活動する国連平和維持部隊を支援するため、“ジョイント・フォージ作戦
Operation Joint Forge”において180回以上の飛行を行った。VP-26は1998年8月に帰還し、整備要員および乗組員を訓練する展開間訓練サイクル(inter-deployment
training cycle: IDTC)を開始した。“ミレニアム”デプロイメントに際し、同飛行隊はケフラヴィーク海軍航空基地とルーズヴェルト・ローズ海軍基地に分割配置された。ケフラヴィーク分遣隊は、ノルウェーのアンドイア
Andøya、スコットランドのキンロス空軍基地 RAF Kinloss、フランスのラン・ビウー、スペインのロタ海軍基地、そしてシシリー島のシゴネラ海軍航空基地に展開し、NATOの作戦を支援した。カリブ海分遣隊は、空と海上で麻薬密輸の疑いのある船舶を追跡した。VP-26は、東太平洋でも麻薬取締任務を行うため、エクアドルのマンタ
Mantaに複数の分遣隊を派遣した |
| 2000 |
VP-26は2000年までに38年以上にわたり、275,000時間の無事故飛行時間を記録し、これは民間・軍用航空を問わず世界記録となった。次回の地中海デプロイメントに備え、同飛行隊は12の乗員に対し、指揮・統制・通信・情報(command, control, communications and intelligence: C4I)、監視、および生存性において最先端の改良が施された新型P-3C Update III AIP(対水上戦能力向上プログラム anti-surface-warfare improvement program)機での訓練を実施した。同飛行隊は2000年9月に最初のAIP機を受領した。また、VP-26はSLAMおよびマーヴェリック・ミサイルの運用に向けた広範な訓練も実施した |
| 2001/2 |
2001年2月、VP-26は国連の作戦“デリバレート・フォース作戦 Operation Deliberate Force”および“ジョイント・ガーディアン作戦
Operation Joint Guardian”を支援するため、シゴネラ海軍航空基地に戻り、アフリカおよびヨーロッパで行われた幾つかの多国籍演習に参加した。 シシリー島での6ヶ月の駐留期間中、同飛行隊は事故ゼロで5,000時間以上の作戦飛行時間を記録し、出撃達成率は93%に達した。VP-26は15カ国(スペインのロタ海軍基地、クレタ島のスーダ湾、ドイツのノルトホルツ
Nordholtz、スウェーデンのヴィスビー Visby、フランスのニーム Nîmes、スコットランドのキンロス空軍基地、マルタ、トルコを含む)に分遣隊を派遣し、大西洋、バルト海、黒海、北海、地中海上で任務を遂行した。任務には、2つの米空母戦闘群およびNATOの水上戦闘艦への支援、NATO安定化部隊(support
of NATO stabilization forces: SFOR)およびそのコソヴォ部隊(Kosovo Force: KFOR)を支援するための陸上偵察、ならびに24ヶ国が参加した20回以上の多国籍演習が含まれていた。2001年8月10日、VP-26は配備サイクル間の休息期間のため、本拠地であるメイン州ブランズウィックに到着した。9月11日の同時多発テロ事件後、同飛行隊は警戒態勢を強化し、国土防衛作戦に参加することで対テロ戦争を支援した |
| 2002/8 |
2002年8月、VP-26は、ケフラヴィーク海軍航空基地およびルーズヴェルト・ローズ海軍基地への6ヶ月間の分散配備を開始した。乗組員たちは、ジブラルタル海峡での武装水上戦闘空中哨戒から、麻薬・テロ対策作戦に至るまで、幅広い任務に従事した。カリブ海および東太平洋におけるVP-26の作戦により、市場価格$3400,000,000以上に相当する12,641kgのコカインが押収された。また、同飛行隊は米国南方軍(USSOUTHCOM)へのAIP技術の導入にも貢献した。5,000マイル以上を飛行(83回の対潜戦演習を含む)し、 2002年の“フェニックス賞(整備優秀賞) 2002 Phoenix Award for Maintenance Excellence”および“2002年戦闘効率賞
2002 Battle Efficiency Award”にノミネートされた。VP-26は、“マンタ・サンタ Manta Santa”(200世帯に衣類、1,678人の子供におもちゃを配布し、地元の小児病院に$800の寄付を行った)、レイキャヴィクでのマザー・テレサ修道会
Sisters of Mother Teresaの支援活動、および数多くの“学校支援プログラム”への参加を通じて、地域社会を支援した |
| 2003/4 |
2003年4月4日、VP-2は隊長交代式を行い、ショーン S. バック中佐 Commander Sean S. Buckの後任としてマシュー
J. カーター中佐 Commander Matthew J. Carterが指揮官に就任した。式典には隊員の家族や友人に加え、VP-26と提携関係にあるニュー・ヨーク市消防局(New
York City Fire Department: FDNY)ラダー10 Ladder 10(はしご車隊)の隊員も参列した。消防隊員たちは、世界貿易センターの鉄骨で作られた十字架と“グラウンド・ゼロ
ground zero”の写真を同飛行隊に贈呈した。4月7日には、VP-26の2つの航空機クルーと整備支援要員が、イラク戦争への参加に向けて地中海地域へ出発した。同飛行隊は、まずロタ海軍基地、続いてシゴネラ海軍航空基地を拠点としてデプロイメントし、ジブラルタル海峡を通過する補給船団の武装支援飛行を行った。シゴネラ海軍航空基地では、原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)およびセオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)を中心とする空母戦闘群を支援する任務も数多く遂行した。また、本土防衛任務に加え、他基地から飛来した航空機への機械的支援や、その搭乗員に対する地上での兵站支援も行った。2003年5月と6月には、隊員たちが“ハビタット・フォー・ヒューマニティ、バスブランズウィック地域支部(Habitat
for Humanity, Bath-Brunswick Area: HFHBBA)”の活動に参加し、住宅建設を行った |
| 2003/8 |
2003年8月、VP-26は無事故飛行41周年を達成し、その記録は海軍および連邦航空局(Federal Aviation Administration:
FAA)から認めらた。1962年(P-2Eネプチューン機が地上でのエンジン整備点検中に発火・爆発した事故)以来、無事故で296,000時間以上の飛行を記録した同飛行隊は、軍民の航空組織の中で最も安全な組織と評価さた。9月17日、コンバット・エア・クルー1(Combat
Air Crew 1: CAC-1)がジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleへ移動し、エンタープライズ空母戦闘群 USS
Enterprise carrier battle groupとの複合訓練演習に参加した。翌日にはCAC-5と整備分遣隊も合流した。VP-26はこの演習に2週間参加し、75時間以上の飛行を行った。なお、この演習は当初フロリダ沿岸で実施される予定だったが、ハリケーン“イザベル
Isabel”の影響により実施場所が変更されていた |
| 2004/1 |
同飛行隊は2004年1月末に展開を開始し、シゴネラ海軍航空基地にてVP-45と任務を交代した。VP-26はコソヴォとボスニアでの“デリバレート・フォージ作戦 Operation Deliberate Forge”と“ジョイント・ガーディアン作戦 Operation Joint Guardian”に参加し、ジブラルタル海峡を通過する護衛任務で米海軍予備役艦艇を護衛し、海上通信路を確保した。2月と3月には多国籍対潜水艦戦演習である“ドッグフィッシュ演習 Exercise Dogfish”に参加した。CAC-4は4月に沈没した船の乗員80人以上を救助する捜索救助活動を成功裏に実施した。そののち、2つの乗員がイラク戦争を支援するためにペルシャ湾に派遣された。5月と6月には、飛行隊は2004年夏季オリンピックを支援する“アクティヴ・エンデヴァー作戦 Operation Active Endeavor”に参加した |
| 2004/7 |
VP-26はシゴネラ海軍航空基地にてVP-16と任務を交代し、7月初めにブランズウィック海軍航空基地へ帰還した。隊員の大部分は7月4日に帰宅した。同年の残りの期間、飛行隊は訓練を継続した。 8月には、無事故飛行42周年を達成し、総飛行時間は303,420時間を超えた。9月には、1個のクルー(搭乗員班)が6日間の日程でジャクソンヴィル海軍航空基地へ派遣された。第6格納庫
Hangar 6の建設に伴い、VP-26はVP-92と同居することになった。VP-26は現役部隊と予備役部隊の統合に関する試験的部隊であったため、2つの飛行隊が格納庫を共有することは有益だった。12月には、VP-92から2つのクルーがVP-26に加わった。これは、現役飛行隊の一部として予備役クルーが組み込まれる初の事例だった。 同年度、VP-26は“対テロ世界戦争従軍章 Global War on Terrorism Medal”、“軍隊遠征章 Armed Forces
Expeditionary Medal”、“コソヴォ・キャンペーン章 Kosovo Campaign Medal”など数々の賞や勲章を授与され、2つのクルーは“対テロ世界戦争遠征章”を獲得した。 また、隊員定着率の高さが評価され、ふたたび“ゴールデン・アンカー賞 Golden Anchor Award”を受賞した |
| 2005後半 |
VP-26は2005年後半にふたたびシゴネラ海軍航空基地およびエル・サルヴァドルのコマロパ空軍基地 Comalopa Air Baseへデプロイメントした。“アクティヴ・エンデヴァー作戦
Operation Active Endeavor”の支援や、ブルガリア、ルーマニア、リトアニア、フランス、クレタ島、ガーナ、ドイツでの多国間演習に参加したほか、“ノーブル・マンタ作戦
Operation Noble Manta”やカリブ海での麻薬取締作戦に向けて欧州各地の海軍部隊を受け入れる支援も行った。 2006年6月にブランズウィックへ帰還し、“軍隊勤務章 Armed Forces Service Medal”を授与された |
| 2007 |
2007年、VP-26は無事故飛行410,000時間を達成した。この年は、デプロイメントの合間に行う訓練サイクルや、第5艦隊 Fifth Fleetの担当海域(AOR)への緊急派遣(サージ・デタッチメント)に多くの時間を費やした。12月には、対テロ世界戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、およびアフリカの角(Horn
of Africa)周辺での海賊対処作戦を支援するため、第5艦隊担当海域へデプロイメントした |
| 2010/1 |
2005年の基地再編・閉鎖委員会(Realignment and Closure Commission: BRAC)は、ブランズウィック海軍航空基地の閉鎖、第5哨戒偵察航空団(Patrol and Reconnaissance Wing FIVE)の閉隊、そしてVP-26をジャクソンヴィル海軍航空基地へ移転させ第11哨戒偵察航空団(Patrol and Reconnaissance Wing ELEVEN)の隷下に入れることを勧告した。この母基地変更は2010年1月に実施された |
| 2011/12 |
VP-26は2011年12月、第5艦隊の担当海域(AOR)へデプロイメントした。同飛行隊は“ニュー・ドーン作戦 Operation New Dawn”および“不朽の自由作戦
Operation Enduring Freedom”を支援する任務を遂行し、ペルシャ湾、ホルムズ海峡、オマーン湾、アラビア海において海洋監視活動を行った。また、エイブラハム・リンカーン空母打撃群(CSG)を支援し、“ノーティカル・ユニオン
Nautical Union”、“デザート・ドラゴン Desert Dragon”、“ノーブル・プロフェット Noble Prophet”といった作戦やオマーンのマシーラ
Masirahへの派遣任務において、計57回の武装飛行任務を実施した |
| 2013/5 |
VP-26は2013年5月、第7艦隊 Seventh Fleetの担当海域(AOR)へデプロイメントした。これはP-3C運用における現役部隊と予備役部隊の初の統合展開となった。同飛行隊は245回の作戦任務を遂行し、総飛行時間は3,808時間におよんだ。その活動には、多国間演習28回、米国の海上演習20回、そして12カ国への派遣任務23回が含まれ、その中には1984年以来初となるニュー・ジーランドへの米軍P-3C派遣も含まれていた。さらに同飛行隊は、初のLSRS(長距離監視・偵察システム)デュアル・ミッション、初のVQ(艦隊航空偵察飛行隊)とLSRSのクロスキューイング cross-cueing(相互目標指示)運用、そして司令官の支援を目的とした優先目標の完全な画像収集任務を初めて実施した |
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VP-26の搭乗員は184回の対潜水艦戦(ASW)任務を遂行し、9種類の異なるクラスの外国潜水艦に対して計412時間の接触時間を記録した。台風“ハイエン
Haiyan”の発生後、同飛行隊は米海軍機として最初に現場へ急行し、“ダマヤン作戦 Operation Damayan”の一環としてフィリピン共和国への人道支援および災害救援活動を行った |
| 2015/1 |
2015年1月、VP-26(第26哨戒飛行隊)はバーレーンのイーサ空軍基地 Isa Air Baseへデプロイメントし、トルコのインジルリク
Incirlikおよびエル・サルヴァドルのコマラパ Comalapaに分遣隊を配置した。このデプロイメントは、米東海岸を拠点とする飛行隊によるP-3Cの最後のデプロイメントとなった。エル・サルヴァドルでの任務の初期段階において、同飛行隊の搭乗員は推定$17,000,000相当のコカイン530kg以上を摘発し、最終的には米国沿岸警備隊やカナダ軍と連携して、総額$625,000,000相当の麻薬輸送を阻止した。また同飛行隊は、“生来の決意作戦
Operation Inherent Resolve”や“暴力的過激主義との闘い Struggle Against Violent Extremism”を含む多国間での取り組みを支援するため、第5艦隊および第6艦隊の担当海域(AOR)において、陸上上空での戦闘任務を計3,500時間遂行した。さらにVP-26は、冷戦期にソヴィエトによって米軍機が初めて撃墜された事件から65周年を記念する式典にも参加した。この式典には、ラトヴィア軍の主要幹部や100名以上の隊員が出席した |
| 2016/3 |
VP-26は2016年3月に初のP-8Aポセイドンを受領し、同年5月にはP-8Aへの機種転換を完了した。2017年3月、“トライデンツ”の愛称で知られる同飛行隊は、P-8Aによる初の作戦デプロイメントとして、第7艦隊の担当海域(AOR)へ向けて出発した |
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VP-26は、ジャクソンヴィル海軍航空基地に駐留する現役海軍P-3飛行隊の中で、最後にP-8Aへの機種転換を行った部隊だった |
| 2017/10 |
2017年10月、VP-26はP-8Aによる初の海外デプロイメントから帰還した。西太平洋へのこのデプロイメントは6ヶ月間におよんだ |