戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
- ※1955年7月1日、第66攻撃飛行隊(Attack Squadron SIXTY SIX: VA-66)として発足。VA-66として設立されたのと同じ1955年7月1日に第81戦闘飛行隊(Fighter Squadron EIGHTY ONE: VF-81)に改称。1959年7月1日、第81攻撃飛行隊(Attack Squadron EIGHTY ONE: VA-81)に改称。1988年2月4日、第81戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron EIGHTY ONE: VFA-81)に改称。VA-66、VA-81、VFA-81の呼称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはCrusaders(1955年〜1963年)、Sunliners(1963年〜)
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
NAS Oceana | 1955/7/1 |
NAS Cecil Field | 1966/5/1 |
NAS Oceana | 1999 |
航空団 | テイル・コード | 割り当て日 |
ATG-182 | O | 1955/7/1 |
CVG-17 | R | 1956/11 |
ATG-182 | O/AN | 1956/12 |
ATG-181 | AM | 1958/3/15 |
CVG-8/CVW-8 | AJ | 1958/8/8 |
CVW-1 | AB | 1968/8/25 |
COMFAIRJACKSONVILLE | 1970/3/2 | |
COMLATWING 1 | 1970/6/1 | |
CVW-17 | AA | 1970/8/1 |
テイル・コードは1957年にOからANに変更された。この変更の発効日はおそらく1958会計年度の初め(1957年7月1日)であった。1963年12月20日に空母航空群(Carrier Air Group: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wing: CVW)に改称された際、CVG-8はCVW-8に改称された |
航空機の割り当て | 初受領日 |
F9F-8 | 1955/8 |
F9F-8B | 1956/4 |
A4D-2/A-4B | 1959/3/4 |
A-4E | 1963/4/3 |
A-4C | 1967/9 |
A-7E | 1970/5 |
F/A-18C | 1988/3/30 |
F/A-18E/F | 2008 |
A4D-2の呼称は1962年にA-4Bに変更された |
日付 | 主な出来事 |
1956/11〜12 | 攻撃航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CVA-42)はVF-81を乗せ、スエズ運河危機の結果、スペイン沖への展開と作戦を命じられる |
1957/4〜5 | 地中海に配備された攻撃航空母艦レイク・シャンプレーン Lake Champlain(CVA-39)に搭載されたVF-81は、ヨルダン危機の際、レバノン沖で活動した |
1961/10〜1962/2 | VA-81第45分遣隊 VA-81 Det. 45は対潜航空母艦エセックス Essex(CVS-9)に乗艦して北大西洋に展開。分遣隊はCVSG-56の一部であり、サイドワインダー・ミサイルを装備したA4Dスカイホークで、エセックスに乗艦していた対潜水艦部隊を航空援護した。この分遣隊は、対潜キラー部隊の一部として機能した最初のジェット部隊であった (↑AIM-9サイドワインダー) |
1969/9 | 1969年9月 VA-81を搭載した攻撃航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CVA-67)は、1969年9月1日にリビアの王政を転覆させたクーデターののち、リビア沖での作戦を命じられた |
1972/12/2〜5 | 飛行隊のA-7EコルセアIIが英航空母艦Ark Royal(R.09)とクロスデッキ・オペレーションズ cross-deck operationsを実施 |
1974/7〜8 | 1974年7月-8月 キプロスでクーデターが発生し、トルコ軍が侵攻したのち、飛行隊は攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)からキプロス近辺で活動した。危機の間、同飛行隊は偵察と掩護任務を飛行した |
1981/5〜6 | 汎用航空母艦フォレスタル(CV-59)に乗艦したVA-81は、レバノン南部にあるシリアのミサイル砲台に対するイスラエルの報復空襲を受け、地中海東部で活動した |
1981/8 | 飛行隊はシドラ湾での“航行の自由演習 Freedom of Navigation Exercise”に参加。この演習中、原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)の2機のF-14トムキャットが8月18日に2機のリビアのSu-22フィッターを撃墜した。緊張が高まり、VA-81は敵対する可能性のあるリビアの船の上空で偵察任務を行った |
1988/2 | 1988年2月4日、VA-81はF/A-18Cホーネットに移行し、第81戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron EIGHTY ONE: VFA-81)と改称された |
1986/3/24 | リビアのSA-5ミサイルが“航行の自由演習”中にシドラ湾を航行中の米海軍機に対して発射されたことを受け、VA-81機はリビアのスルト Surtにあるミサイル・サイトへの報復攻撃に参加。飛行隊の航空機は、VA-83によるリビアのミサイル・レーダー・サイトに対するHARM攻撃の囮グループとして行動した (↑AGM-88 HARM) |
1990/8〜12 | イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、またイラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一環として、アメリカ軍と連合軍の戦力を増強する“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”に参加 |
1990 | 同飛行隊は1990年から1994年にかけて、汎用航空母艦サラトガ Saratoga(CV-60)に3度配備された。F/A-18を運用する最初のクルーズで、VFA-81は湾岸戦争に参加した。1991年1月17日、戦争初日の夜、バグダッド西方で作戦飛行中、F/A-18Cを操縦していたスコット・スパイチャー少佐 LCDR Scott Speicherが、イラク空軍第84戦闘機中隊のズハイル・ダウッド中尉 Lt. Zuhair Dawoodが操縦するMiG-25PDSに撃墜され、死亡した |
同じ日、同飛行隊はイラク西部のH-3空軍基地を爆撃する途中のイラク軍のMiG-21を2機、F/A-18Cで撃墜し、作戦期間中に敵戦闘機に対して海軍で唯一の空中戦2勝を挙げた。パイロットはニック“モンゴ”モンギロ Nick "Mongo" Mongillo(コールサイン“クイックサンド62 Quicksand 62”)とマーク“MRT”フォックス Mark "MRT" Fox(コールサイン“クイックサンド64 Quicksand 64”)。VFA-81は連合軍の迅速な勝利を受けて、1991年3月27日に母港であるフロリダのセシル・フィールド海軍航空基地 NAS Cecil Fieldに帰還した。同飛行隊は、1994年8月に退役したサラトガの最後の地中海デプロイメントにも参加した | |
1996 | 1996年、VFA-81は第17空母航空団(Carrier Air Wing 17: CVW-17)とともに原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)に乗艦し、1998年には原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)に乗艦した。このクルーズののち、1999年のBRACによるセシル・フィールド海軍航空基地閉鎖のため、飛行隊は母港をヴァージニア州オシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ移した |
2000 | 2000年、2001年、2002年にVFA-81は原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に乗艦し、地中海とペルシャ湾に3度派遣された。2004年、VFA-81は汎用航空母艦ジョン F. ケネディ(CV-67)に1回配備された |
2007 | 2007年、VFA-81は太平洋艦隊の第11空母航空団(Carrier Air Wing 11: CVW-11)に再配置され、ニミッツで西太平洋とペルシャ湾にデプロイメントした。最後のデプロイメントは2008年6月3日に終了し、飛行隊はF/A-18CホーネットからF/A-18Eスーパー・ホーネットへの移行訓練を開始した |
2011 | 2011年、同飛行隊はCVW-17とともに原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)で西太平洋とペルシャ湾に派遣された |
2012 | 2012年、同飛行隊はカール・ヴィンソンに搭載され、CVW-17とともにサージ・デプロイメントを完了した |
2014 | 2014年、同飛行隊はCVW-17とともにカール・ヴィンソンに乗艦し、“生来の決意作戦 Operation Inherent Resolve”を支援し、2015年にオシアナ海軍航空基地に帰還した |
2018春 | 2018年春、同飛行隊は原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)乗艦の第1空母航空団(Carrier Air Wing 1: CVW-1)とともに“生来の決意作戦”を支援し、2018年晩夏にオシアナ海軍航空基地に帰還した |
↑Sailors clear an F/A-18E Super Hornet attached to the "Sunliners" of Strike Fighter Squadron (VFA) 81 to take off from the Nimitz-class aircraft carrier USS Harry S. Truman (CVN-75) during flight operations in the Atlantic Ocean, Aug. 10, 2024. The Harry S. Truman Carrier Strike Group is underway in the Atlantic Ocean completing integrated naval warfighting training. Composite unit training exercises are an intense, multi-week exercise designed to fully integrate a carrier strike group as a cohesive, multi-mission fighting force, to assess their ability to carry out sustained combat operations from the sea, and drive future warfighting development. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class Logan McGuire)
Update 24/08/15