戦闘飛行隊 Fighter Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※1950年7月20日にアメリカ海軍予備役飛行隊として第791戦闘飛行隊(Fighter Squadron 791: VF-791)として設立され、1953年2月4日に正規飛行隊となった後、第142戦闘飛行隊(Fighter Squadron 142: VF-142)、1962年6月1日に第96戦闘飛行隊(Fighter Squadron 96: VF-96)に再指定され、1975年12月1日に閉隊。ニックネームはFighting Falcons。第9空母航空団ナイン(Carrier Air Wing Nine: CVW-9)に所属していた時の尾翼番号はNG、無線コールサインはショータイム Showtimeを使用している
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
NAS Jacksonville | |
NAS Miramar |
日付 | 主な出来事 |
1951/3 | VF-791は航空母艦ランドルフ Randolph(CV-15)の第101空母航空群(Carrier Air Group 101: CVG-101)に配属され、1951年3月2日から10月24日まで西太平洋と朝鮮半島に展開した。この展開の間、VF-783は4機のF4U-4を失った |
1954/2 | VF-142は、1954年2月3日から8月6日まで地中海に派遣されるため、攻撃航空母艦ランドルフ Randolph(CVA-15)の第14空母航空群14(Carrier Air Group 14: CVG-14)に所属した |
1959/1 | VF-142は攻撃航空母艦レンジャー Ranger(CVA-61)のCVG-14に配属され、1959年1月3日から7月27日まで西太平洋に配備された |
1960/5 | 1960年5月14日から12月15日まで西太平洋に派遣され、攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)に搭載されたCVG-14に配属された |
1961/8 | VF-142は攻撃航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CVA-63)に搭載された第11空母航空群(Carrier Air Group 11: CVG-11)に配属され、1961年8月11日から11月1日まで南米周航を行った |
1962/11 | VF-96は、1962年11月9日から1963年6月14日まで西太平洋に派遣され、レンジャーの第9空母航空団(Carrier Air Wing 9: CVW-9)に所属 |
1964/8 | VF-96は1964年8月5日から1965年5月6日までヴェトナムに派遣されるため、レンジャーに乗船していた |
1965/4/9 | VF-96のF-4B Bu.No. 151425は、4機の戦闘空中哨戒のための発進時にエンジンが炎上して海に墜落した。その後、哨戒中にテレンス M. マーフィー中尉 Lieutenant j.g. Terence M. Murphyと彼のRIO、ロナルド・フェガン少尉 Ensign Ronald FeganがパイロットするF-4B Bu.No. 151403が海南近くで中国のMiG-17/殲撃五型を撃墜、 F-4にとって初の空対空の勝利となった。ファントムIIはその後、別のMiGか、あるいは敵の報告によると、マーフィーとフェガンの搭乗員の1人が放ったAIM-7スパローによって撃墜された。マーフィーとフェガンは戦死とされ、遺体は発見されていない |
1965/10 | VF-96は1965年10月26日から1966年6月21日まで、原子力攻撃航空母艦エンタープライズ (CVAN-65)に乗船してヴェトナムに派遣された |
1967/2/12 | F-4B Bu.No. 152219を操縦するマーティン・サリヴァン中佐 Lieutenant Commander Martin Sullivanとポール・カールソン中尉 Lieutenant j.g. Paul Carlsonは迎撃訓練中に海上に墜落した |
1968/5/9 | 1968年5月9日、アメリカ空軍の交換パイロットであるジョン・ヘファーナン大尉 Captain John HeffernanとそのRIOのフランク・シューマッハ中尉 Lieutenant j.g. Frank Schumacherが、ヴェトナム人民空軍(VPAF)のMiG-21をAIM-7で撃墜 |
1970/4 | 1970年4月10日から12月21日までヴェトナムに派遣されたVF-96は、攻撃航空母艦アメリカ America(CVA-66)に乗艦 |
1971/10 | VF-96は、1971年10月1日から1972年7月1日までベトナムに派遣されるため、攻撃航空母艦コンステレーション Constellation(CVA-64)に乗艦した。この派遣期間中の5月10日、VF-96のデューク・カニンガム大尉 Lieutenant Duke Cunninghamとウィリアム P. ドリスコル中尉 Lieutenant j.g. William P. Driscollは空中戦に勝利し、この戦争で唯一の米海軍エースとなった。さらに同日、VPAFのMiG-17をVF-96の他の2機のクルーが3機撃墜した。2機はマイケル J. コネリー大尉 Lieutenant Michael J. Connellyとトーマス J. ブロンスキー大尉 Lieutenant Thomas J. Blonski、1機はスティーヴン C. シューメーカー大尉 Lieutenant Steven C. Shoemakerとキース V. クレンショー中尉 Lieutenant j.g. Keith V. Crenshawが撃墜した |
1973/1 | VF-96は再びコンステレーションに乗り込み、1973年1月5日から10月11日まで、最後のヴェトナム・クルーズを行った |
1974/6 | 1974年6月21日から12月23日まで、“ファイティング・ファルコンズ Fighting Falcons”は姉妹飛行隊であるVF-92とともに、コンステレーションに搭載されたCVW-9とともに最後の作戦展開を行い、1975年12月1日に閉隊された |
↑"Showtime 100", the VF-96 F-4J flown for three "kills" by Cunningham and Driscoll. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 24/02/20