戦闘飛行隊 Fighter Squadron
| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| 不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第24戦闘飛行隊(Fighter Squadron 24: VF-24)は、“ファイティング・レネゲイズ Fighting Renegades”の異名を持つアメリカ海軍の戦闘機部隊である。1955年6月に第211戦闘飛行隊(Fighter Squadron 211: VF-211)として編成され、1959年3月9日にVF-24へ改称、1996年8月31日に閉隊した
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
| 所在地 | 駐留日 |
| NAS Moffett Field | 1955/6 |
| NAS Miramar |
| 航空機の割り当て | 初受領日 |
| FJ-3 | 1955 |
| F8U-2/F-8C |
1957 |
| F-8E | |
| F-8J | |
| F-14A | 1975/12/9 |
| F-14B | 1988/8 |
| 日付 | 主な出来事 |
| 1955/6 | VF-211は1955年6月、モフェット・フィールド海軍航空基地 NAS Moffett Fieldにて編成された。同部隊は攻撃航空母艦ボノム・リシャール Bon Homme Richard(CVA-31)艦上でFJ-3フューリーを運用した。1957年にF8Uクルーセイダーへの機種転換を行った |
| 1959 | VF-24は1959年から1975年にかけて、攻撃航空母艦ミッドウェー Midway(CVA-41)、ボノム・リシャール、ハンコック Hancock(CVA-19)に乗艦し、西太平洋にデプロイメントした。 |
| 1967 | (↑AIM-9サイドワインダー) |
| 1975 | VF-24は1975年、ハンコック艦上で最後のF-8クルーセイダー巡航任務を遂行した。サン・ディエゴ帰還後、同飛行隊はF-14Aトムキャットへの移行を開始し、1975年12月9日に初号機を受領。そののちVF-24は“レッド・チェッカーテイルズ Red Checkertails”へ名称を変更した。1970年代後半から1990年代初めにかけて、VF-24は汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)とともに西太平洋へデプロイメントした。 |
| 1983 | 1980年代にはさらなる記録が樹立された。1983年、VF-24は第9空母航空団 Carrier Air Wing Nineとともに、エコー戦闘群 Battle Group Echoの一員として汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)に配属された。中米作戦と西太平洋(WESTPAC)への初デプロイメントでは、インド洋作戦が121日間連続で行われ、これは従来型航空母艦としては当時最長の記録となった。レンジャーへの移籍は、コンステレーションにF/A-18ホーネット運用能力が追加されたためであり、レンジャーのクルーズは乗組員11名の犠牲により“デス・クルーズ83/84 Death Cruise '83/'84”の異名で呼ばれた。1984年8月、VF-24とその航空団は汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)での訓練を開始し、1985年7月には再び西太平洋(WESTPAC)およびインド洋クルーズを実施した |
| 1986 | 1986年4月、VF-24は“コヨーテ作戦 Operation Coyote”の実行を命じられた。これは4機の完全任務遂行可能なF-14戦闘機、搭乗員、150名以上の整備要員、必要な予備部品を、3,300km(2,000マイル)離れた地点へ46時間以内に展開させる作戦であった。作戦発動命令からわずか30時間以内に、航空機はアラスカ州アダック島
Adakの飛行場にデプロイメントした。指揮統制資産が限られ、アダック島の環境が極めて厳しい中、この迅速かつ戦略的に重要な任務は7日間継続された。革新的な計画と戦術を駆使したソヴィエト偵察機に対する任務迎撃は、想定射程を大幅に超える成果を上げ、圧倒的な成功と評価された。1986年10月、 |
| 1988 | 1988年、VF-24は年間70%を配備で過ごし、残りの期間も原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)の航空団に合流するなど多忙を極めた。北太平洋・西太平洋・インド洋に展開し、“オリンピック・プレゼンス作戦 Operation Olympic Presence”ではソウル夏季五輪の警備を担当。ミッドウェーやシンガポール・マレーシア・タイ空軍との合同演習も実施した。同年10月、ニミッツはVF-24を乗艦させ、ペルシャ湾を通過するクウェート籍タンカーの護衛作戦“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”に参加した。 |
| 1989 | 1年後、VF-24は統合航空団訓練 Integrated Air Wing Trainingにおいてファロン海軍航空基地 NAS Fallonで対地兵装を投下した初のF-14飛行隊として歴史に名を刻んだ。1990年11月、彼らはデプロイメント準備を開始し、1991年2月にペルシャ湾へ向かい、F-14Bをデプロイメントした西海岸の2飛行隊の1つとなった。1991年4月、VF-24はイラクとクウェート上空での“プロヴァイド・コンフォート作戦
Operation Provide Comfort”支援任務を開始し、バーレーンとアラブ首長国連邦への分遣隊にも参加した。 |
| 1992/2 | VF-24は1992年2月、ネリス空軍基地 Nellis AFBでの“レッド・フラッグ演習 RED FLAG exercise”に参加し、積極的な転換サイクルを開始した。VF-24は多国籍連合攻撃部隊に対する“レッド・エア red air”として出撃を行った。海軍の全F-14部隊と同様、VF-24は爆撃任務認定(Bombcat)を取得しており、Mk. 80シリーズ爆弾、Mk. 20ロックアイ・クラスター弾、空中投下式機雷 air laid sea mines、TALD地対空ミサイル・デコイ TALD surface-to-air missile decoy、練習爆弾などの非誘導兵器を搭載可能であった。レーザー誘導爆弾も搭載可能だったが、バディ・レーザー誘導が必要であった。F-14トムキャット運用期間中、VF-24は第9空母航空団の一員としてVF-211と行動をともにした。最後のデプロイメントは1995年11月から1996年5月にかけて、ニミッツ艦上で行われた。VF-24は1996年8月31日に閉隊した |
↑VF-24 F-8J landing on USS Hancock in the early 1970s. Image courtesy of en.wikipedia.org.
↑VF-24 F-14A lands on the USS Nimitz in 1992. Note that the refuel probe cover is gone. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 26/01/02