日付 |
主な出来事 |
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4つの異なる飛行隊がVF-2に指定されている。公式には、アメリカ海軍は同じ呼称で新しい飛行隊が編成された場合、廃止された飛行隊との直接の血統を認めない。多くの場合、新しい飛行隊は以前の飛行隊の愛称、記章、伝統を引き継ぐ |
1972 |
“バウンティ・ハンターズ Bounty Hunters”として知られるVF-2は、F-14Aに搭乗し、1972年10月14日に設立された。VF-2は搭乗員訓練を完了し、1973年7月に最初のトムキャットを受領、1974年春には12機のF-14Aを配備した |
1974 |
VF-2の最初の配備は1974年、姉妹飛行隊であるVF-1とともに原子力攻撃航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVAN-65)に乗り込んだ。同飛行隊は1975年4月、米軍兵士の避難作戦“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”を支援するため、サイゴン上空を飛行した。エンタープライズ・ウエストパックに配備 1978年寄港:ハワイ真珠湾、フィリピンのスービック湾、シンガポール、オーストラリアのパース、香港 |
1980/9 |
VF-2は1980年9月に汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)に配属され、そのうちの4ヶ月はイラン人質事件の間、インド洋とペルシャ湾で過ごした。この飛行隊は、第14空母航空団(Carrier Air Wing
14: CVW-14)とのちの第2空母航空団(Carrier Air Wing 2: CVW-2)にとって最初の戦術航空偵察ポッド・システム(Tactical
Air Reconnaissance Pod System: TARPS)部隊であった |
1984 |
VF-2は1984年に汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)に配備され、1980年代を通して何度もレンジャー部隊の配備に戻った |
1984/6 |
1984年6月2日、VF-2は空対空砲撃目標を曳航しながら空母からF-14を発艦させた最初の飛行隊となった |
1987 |
1987年、同飛行隊はレンジャーの26万回目の着艦を記録した |
1991 |
部隊は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”に参加し、ペルシャ湾で活動するレンジャーから500以上の戦闘任務に就いた。VF-2は護衛、偵察、戦闘空中哨戒(Combat
Air Patrol: CAP)任務を遂行した |
1992 |
1992年から1993年のクルーズののち、レンジャーは(VF-2の姉妹飛行隊VF-1とともに)退役し、VF-2は汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)に乗り換えた。同時にVF-2はF-14Dに移行した |
1995 |
1995年のクルーズから数ヶ月後、VF-2はバトル“E” battle "E"を授与され、ミラマーを海兵航空基地とする基地再編閉鎖(Base
Realignment and Closure: BRAC)の決定により、ミラマー海軍航空基地 NAS Miramarからオシアナ海軍航空基地
NAS Oceanaへ移転した |
1996/4 |
1996年4月、VF-2のF-14DはLANTIRN赤外線照準ポッド infrared targeting podを搭載するように改造され、精密打撃能力を得た |
1999 |
1999年の巡航中、VF-2は“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援し、9月9日にはバスラ Basra周辺の地対空ミサイル・サイトと対空砲を攻撃した。同じ日、VF-2トムキャットはバグダッドの西にあるアルタカドゥム空軍基地
Al-Taqaddum Air Baseから飛行禁止区域に南下してきた2機のイラク空軍MiG-23とAIM-54フェニックスで交戦した。ミサイル発射を察知したミグが北上したため、ミサイルは命中しなかった |
2001 |
2001年半ば、VF-2はコンステレーションに搭載され、サザン・ウォッチ作戦を支援した |
2002 |
トムキャットでの最後のクルーズとなった2002年から2003年の間、VF-2はイラク自由作戦に参加し、偵察、近接航空支援、CAP、攻撃任務など幅広い任務に就いた。2003年2月28日、サザン・ウォッチ作戦において、VF-2はトムキャット初のJDAMを戦闘中に投下した。この展開の間、VF-2は483回出撃し、294発のレーザー誘導爆弾/JDAM/Mk.
82爆弾を投下した |
2003/7 |
2003年7月1日、VF-2はVFA-2と改名され、2003年10月6日に初号機を受領し、F/A-18Fへの移行を開始した |
2004/10 |
VFA-2は2004年10月、CVW-2と共に原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に乗ってWESTPACデプロイメントを開始した。2004年のインド洋大津波ののち、東南アジアに人道支援を提供した“ユニファイド・アシスタンス作戦
Operation Unified Assistance”を支援したのち、2005年3月に帰還した |
2006 |
2006年、VFA-2とCVW-2はWESTPACデプロイメントに乗り出した |
2006/3 |
2006年3月24日から31日にかけて行われた“フォール・イーグル2006演習 Foal Eagle 2006 exercises”では、VFA-2、VFA-34、VFA-137、VFA-151の打撃飛行隊が嘉手納基地 Kadena Air Baseを拠点とする第18航空団 18th Wingの米空軍機とチームを組み、演習の連合航空作戦センター Combined Air Operations Centerを通じて戦闘空中哨戒と調整爆撃を行った |
2008/3 |
2008年3月13日、VFA-2はCVW-2とともにエイブラハム・リンカーンに乗艦し、ペルシャ湾に7カ月間派遣され、10月8日に帰国した |
2010/9 |
2010年9月11日、VFA-2はエイブラハム・リンカーンに搭載されたCVW-2とともにアラビア海とペルシャ湾に展開した。のちに同飛行隊はAESAレーダーを搭載した新型のブロックII
F/A-18Fスーパー・ホーネットに移行した |
2020 |
現在の飛行隊長であるティメスター中佐 CDR Timmesterは、F-14トムキャットに搭乗した最後の海軍飛行隊長となる。VFA-2は現在、原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)のCVW-2に配属されている |