RVAH
重写真偵察飛行隊 Reconnaissance Attack (Heavy) Squadron

※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1955年11月1日に第1重攻撃飛行隊(Heavy Attack Squadron 1: VAH-1)として設立され、1964年9月1日に第1重写真偵察飛行隊(Reconnaissance Attack (Heavy) Squadron 1: RVAH-1)に改編。1979年1月29日に同飛行隊は閉隊。ニックネームはSmokin' Tigers

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所在地 駐留日
NAS Jacksonville 1955/11/1
NAS Sanford 1959/1
Turner Air Force Base (renamed NAS Albany) 1968
NAS Key West 1974末
航空機の割り当て 初受領日
A3D-1 1956/3/31
A3D-2 1958
A-5A 1963/1
RA-5C 1964/8
日付 主な出来事
1955/11/1 1955年11月1日、フロリダ州のジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleで第3哨戒飛行隊(Patrol Squadron 3: VP-3)の後継として設立されたVAH-1は、A3Dを運用する最初の部隊となり、1956年3月31日に最初の5機のA3D-1を受け取った。1956年11月初旬、VAH-1のA3D-1はフロリダ州のメイポート海軍基地 NS Mayportの攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)にクレーン搭載され、フォレスタルはスエズ危機 Suez Crisisの間大西洋東部で活動し、必要に応じて地中海に入る準備をするために出航した。この間、A3D-1による空母の資格試験が行われ、フォレスタルは1956年12月12日に米国に帰還した。1957年1月、VAH-1はフォレスタルに乗艦し、最初の正式な展開である地中海クルーズを行った
1957/1 1957年1月、VAH-1はフォレスタルに乗艦し、最初の正式な展開である地中海クルーズを行った
1958 1958年、VAH-1はスカイウォーリアのA3D-2ヴァージョンにアップグレード
1959/1 1959年1月、フロリダ州のサンフォード海軍航空基地 NAS Sanfordに移転した。VAH-1は1962年後半までスカイウォーリアを運用し続け、その時点で飛行隊は現在改名されたA-3Bの運用を停止し、A-5Aへの移行の準備を始め、1963年1月に移行を完了した。同飛行隊はA-5Aで1回の海外派遣を行い、1964年半ばまで同機を運用したのち、RA-5Cへの移行を開始した。この移行は1964年8月に完了し、1964年9月1日に飛行隊はRVAH-1と再指定された
1958/9/2〜1959/3/12 VAH-1は地中海展開のために攻撃航空母艦ランドルフ Forrestal(CVA-15)に搭載された
1960/8/4〜1961/3/3 VAH-1は地中海展開のために攻撃航空母艦インディペンデンス Independence(CVA-62)に搭載された
1961/8/4〜1961/12/19 VAH-1は地中海展開のためにインディペンデンスに搭載された
1962/4/19〜1962/8/27 VAH-1は地中海展開のためにインディペンデンスに搭載された
1963/8/6〜1964/3/4 VAH-1は地中海展開のためにインディペンデンスに搭載された
1964 VAH-1は1964年9月1日にRVAH-1として再指定された。1964年9月3日、飛行隊がRVAH-1に再指定された直後、RVAH-1に所属するRA-5C(Bu.No. 151616)は油圧に完全に不具合が生じ、サンフォード海軍航空基地で墜落した。ジェームス・ベル少佐 Lieutenant Command James BellとペンバートンAMHC AMHC Pembertonの両乗員は安全に脱出した
1965/5/10〜1965/12/13 RVAH-1は西太平洋(WESTPAC)とヴェトナムへの展開のためにインディペンデンスに搭載された
1965/10/16 1965年10月16日、RA-5C Bu.No. 151615は戦闘で失われた。乗員のジェームズ・ベル少佐 LCDR James Bellとジェームズ・ハットン少佐 LCDR James Huttonはともに脱出に成功、捕虜として北ヴェトナムで1973年2月12日に米国に送還されるまで拘束されていた
1968/1/3〜1968/7/18 RVAH-1はWESTPACとヴェトナム展開のために原子力攻撃航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVAN-65)に搭載された
1968/5/5 1968年5月5日、RA-5C BuNo. 149278は戦闘で失われた。乗員のジャイルズ・ノリントン大尉 Lieutenant Giles Norringtonとリチャード・タングマン大尉 Lieutenant Richard Tangemanはともに脱.出に成功し捕虜として北ヴェトナムに収容され、1973年3月14日に米国に送還された
ヴェトナム戦争の予算上の圧力により、国防総省はフロリダ州のサンフォード海軍航空基地を含むいくつかのアメリカ国内の空軍基地や海軍航空基地を閉鎖することを余儀なくされる。1968年の派遣から帰還したRVAH-1は、本拠地をサンフォード海軍航空基地から旧ターナー空軍基地 former Turner Air Force Baseに移し、ジョージア州のアルバニー海軍航空基地 NAS Albany(“ターナー・フィールド Turner Field”)に改名した
1969/7/9〜1970/1/22 RVAH-1は地中海展開のために攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)に搭載された
1970/10/27〜1971/7/17 RVAH-1はWESTPACとヴェトナムへの派遣のため攻撃航空母艦レンジャー Ranger(CVA-61)に搭載された
1972/4/11〜1973/2/13 RVAH-1はWESTPACとヴェトナム派遣のためにサラトガに搭載された。これは飛行隊にとって最後のヴェトナム派遣であった
1972/6/7 1972年6月7日、RA-5C Bu.No. 156616は北ヴェトナムのハイフォン Haiphong近郊で戦闘中にSA-2地対空ミサイルに撃墜された。乗員は2名とも無事脱出し、救助された
1974/1/3〜1974/8/3 RVAH-1は大西洋と地中海の展開のために攻撃航空母艦アメリカ America(CVA-66)に搭載された
1974/9/6〜1974/10/12 RVAH-1はNATO演習“ノーザン・マージャー Northern Merger”のためにアメリカに搭載された
ヴェトナム戦争終結後の予算削減の圧力により、国防総省はジョージア州のアルバニー海軍航空基地など、アメリカ国内の空軍基地や海軍航空基地を再び閉鎖することになる。1974年後半、RVAH-1は所在地をアルバニー海軍航空基地からフロリダ州のキー・ウェスト海軍航空基地 NAS Key West(“ボカ・チカ・フィールド Boca Chica Field”)へ移した
1975/4/7〜1975/5/12 RVAH-1は西大西洋とカリブ海での作戦のために汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)に搭載された
1975/6/28〜1976/1/27 RVAH-1は大西洋と地中海の展開のためにジョン F. ケネディに搭載された
1976/7/30〜1977/3/28 配備後6ヶ月の所在地でのターンアラウンドののち、RVAH-1は西太平洋とインド洋の配備のために原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)に乗船した
1978/4/4〜1978/10/30 RVAH-1は西太平洋への展開のためにエンタープライズに搭載された
ヴェトナム戦争後の国防予算の制約の中で、機体の消耗とRA-5Cの維持費と飛行時間の増加により、海軍は1974年半ばからRA-5Cを段階的に退役させ、RVAHコミュニティも廃止することになった。RVAHコミュニティと並行して、ミラマー海軍航空基地 NAS Miramarの現役軽写真偵察(light photographic reconnaissance: VFP)コミュニティとアンドリュース基地/NAFワシントンの海軍予備役VFPコミュニティがRF-8Gを使用して空母ベースの偵察を同時に行っていた、 1987年3月29日に最後のRF-8Gが退役し、任務がミラマー海軍航空基地、オシアナ海軍航空基地 NAS Oceana、ダラス海軍航空基地 NAS Dallas、のちにJRBフォート・ワース海軍航空基地 Naval Air Station JRB Fort Worthの現役および海軍予備戦闘機(fighter: VF)コミュニティに完全に移行し、戦術航空偵察ポッド・システム(Tactical Air Reconnaissance Pod System: TARPS)、のちにデジタルTARPS(D-TARPS)を搭載したF-14の二次的役割となるまで継続した
1978後半 最後の西太平洋展開から帰還したRVAH-1は、約24年間の現役生活を終え、1979年1月19日にキー・ウエスト海軍航空基地で不活性化された

↑North American RA-5C "Vigilante" reconnaissance aircraft (Bureau # 146696). Lands on board USS Saratoga (CVA-60). This photograph was received by the Naval Photographic Center in May 1969. Official U.S. Navy Photograph.

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/05/22