HMM
海兵中型ヘリコプター飛行隊 Marine Medium Helicopter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第365海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron 365: VMM-365)は、MV-22Bオスプリーを運用するアメリカ海兵隊のティルトローター飛行隊。“ブルー・ナイツ Blue Knights”の愛称で知られる同飛行隊は、ノース・カロライナ州のニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverに拠点を置き、第26海兵航空群(Marine Aircraft Group 26: MAG-26)および第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下にある。水陸両用作戦およびそれに続く上陸後の作戦において、戦闘部隊、補給品、および装備に対する強襲支援を行う

↑Old squadron insignia. Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAF Santa Ana 1963/7/1
MCAS New River 1965/9/1
テイル・コード 割り当て日
YM 1963
YM 1980
航空機の割り当て 初受領日
UH-34D 1961/1
CH-46A 1967/3
CH-46D 1970/1
CH-46E 1980/6/13
MV-22B 2014
日付 主な出来事
1963/7 第365海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron 365: HMM-365)は、1963年7月1日、カリフォルニア州サンタ・アナ海兵航空施設 MCAF Santa Anaにて編成された。UH-34Dを運用する同飛行隊の任務は、艦船から海岸への部隊デプロイメント(シップトゥショア ship-to-shore)の際、艦隊海兵軍を支援するために部隊や物資の強襲輸送を行うことだった。HMM-365は、ヴェトナム共和国への派遣に備え、1964年8月に沖縄の普天間海兵航空基地 MCAS Futenmaへ移動した。同飛行隊は1964年10月7日にダ・ナン空軍基地 Da Nang Air Baseに到着し、直ちに“シューフライ作戦 Operation Shufly”を支援する補給任務を開始した
1964/10 10月11日、到着したばかりの海兵隊パイロットと航空搭乗員たちは、初の交戦を経験した。タム・キー Tam Kyの西南西約20km(10マイル)の丘陵地帯にヴェトナム軍部隊(112名)を降下させていた際、8機のUH-34Dが解放戦線の射撃を受けた。10月26日には、“ブルー・ナイツ Blue Knights”部隊が初の戦闘による死傷者を出す事態となった。タム・キーの南西約20kmにある、敵の脅威がある着陸地点へ接近中、搭乗していたヘリコプターが解放戦線の小火器射撃を受け、副操縦士とクルー・チーフが負傷した。しかし、機長は損傷した機体をタム・キーまで持ち帰り、無事に着陸させることに成功した。モンスーンの最盛期にあたる11月初旬、台風“アイリス Iris”がヴェトナム沿岸を直撃した。悪天候のため、緊急の医療搬送を除き、飛行任務はすべて停止された。11月10日に飛行任務が再開されると、搭乗員たちは浸水した沿岸平野からのヴェトナム民間人の救助に注力した。洪水救援活動の初日、17時から19時の間に、HMM-365(第365海兵中型ヘリコプター飛行隊)は144名の被災者を救助した。救助活動の多くは、解放戦線による散発的な嫌がらせ射撃を受ける中で、木の上や屋根といった不安定な場所にいる人々をホイスト(吊り上げ装置)で引き上げるという困難な状況下で行われた。72時間におよぶ活動の末、“ブルー・ナイツ”は1,500名以上の被災者を救助することに成功した
その間、飛行隊の他の隊員たちは、新たな兵器システムを搭載できるようヘリコプター3機の改修を行っていた。この“TK-1”システムは、M60機関銃と2.75インチ(70mm)ロケット弾発射機を組み合わせた機外搭載型兵器であり、ダ・ナンから南へ約17マイル(27km)のトゥボン川(Song Thu Bon)南岸で実施された“タイガー・フライト Tiger Flight”任務の支援において初めて実戦投入された。武装したUH-34Dヘリコプター2機は、上陸前の攻撃において敵陣地に対しロケット弾90発と7.62mm弾500発を撃ち込んだ。飛行隊は翌日も同様の作戦を実施した。同飛行隊は1965年2月までダ・ナンに駐留した。そののち、1965年3月7日に強襲揚陸艦プリンストン Princeton(LPH-5)に乗艦し、4月27日まで第7艦隊 7th Fleetの特別上陸部隊を支援する任務に就いた。HMM-365は5月15日にダ・ナンへ戻り、1965年8月に任務を交代するまで同地に留まった。同飛行隊は、激しい戦闘作戦の支援において、無事故で12,000時間以上の飛行を記録した。9月1日、HMM-365はノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverの第26海兵航空群(Marine Aircraft Group 26: MAG-26)隷下へと配置換えされた。ヴェトナムでの功績に対し、同飛行隊は大統領部隊感状 Presidential Unit Citationおよび海軍部隊感状 Navy Unit Commendationを授与された
1966 1966年、同飛行隊はハリケーン“イネス Inez”の被害を受けたドミニカ共和国およびハイチにおいて救援活動を行った。1967年3月、HMM-365は初のCH-46シー・ナイトを受領した。機種転換は6月下旬までに完了した。1970年1月、カリブ海への派遣に備え、同飛行隊は新型のCH-46Dを8機受領した。同年6月には、地震に見舞われたペルーでの災害救援活動に従事した。1971年3月1日、HMM-365は閉隊された
1980/6 HMM-365は1980年6月13日に再編成され、新型のCH-46Eヘリコプターを装備した。1983年5月、同飛行隊は第29海兵航空群(Marine Aircraft Group 29: MAG-29)の隷下に移管された。1984年には、戦術ヘリコプター飛行隊として初めて無事故飛行時間75,000時間を達成した。1989年4月、HMM-365は第24海兵遠征ユニット(24th Marine Expeditionary Unit: 24th MEU)の航空戦闘要素(Aviation Combat Element: ACE)として、2度目のデプロイメントを開始した
1991/1 その4ヶ月後、イラクによるクウェート侵攻を受け、HMM-365は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”に参加するため強襲揚陸艦グアム Guam(LPH-9)に乗艦した。1991年1月6日、イラクへ向かう途上で、HMM-365とHMM-263は、ソマリアのモガディシュにある米国大使館からの非戦闘員退避作戦(NEO)である“イースタン・エグジット作戦 Operation Eastern Exit”を実施した。このNEOは成功を収め、米国人および外国人計281名が安全に退避した
1991/2 2月17日には“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”が開始された。2月26日、“ブルー・ナイツ”はブビヤン島に対する水陸両用作戦の陽動を支援するため、夜間の長距離任務を遂行した。2月28日に停戦が発効し、“ブルー・ナイツ”はニュー・リヴァー海兵航空基地へ帰還した
1992 1992年のデプロイメント中、両用即応群(Amphibious Ready Group: ARG)は“プロヴァイド・プロミス作戦 Operation Provide Promise”を支援するためアドリア海へ移動した。9月3日、沿岸海域での待機中、“ブルー・ナイツ”は、サラエヴォへ救援物資を輸送していたイタリアの貨物機が撃墜されたことを受け、ユーゴスラヴィア領内での航空機および人員の戦術的回収(Tactical Recovery of Aircraft and personnel: TRAP)任務に出動した
1994/4 1994年4月、同飛行隊は第26海兵遠征ユニット(26th Marine Expeditionary Unit: 26th MEU)の航空戦闘要素(ACE)としてグアムに乗艦しデプロイメントした。このデプロイメント期間中、同飛行隊は英仏海峡で行われたD-Day(ノルマンディ上陸作戦)50周年記念式典に参加しました。式典の際には、クリントン大統領 President Clintonや海兵隊総司令官が同飛行隊の航空機に搭乗した。そののち、同飛行隊は米軍の撤退に伴いソマリア近海で待機任務に就き、続いてアドリア海での作戦を支援した
1995 1995年、同飛行隊は海兵隊航空協会(Marine Corps Aviation Association: MCAA)からエドワード C. ダイアー年間最優秀海兵中型ヘリコプター飛行隊賞 Edward C. Dyer Marine Medium Helicopter Squadron of the Year Awardを授与された
1996/11 1996年11月23日、同飛行隊は1997年の展開任務に就くため、強襲揚陸艦(汎用)ナッソー Nassau(LHA-4)に乗艦して出航した。デプロイメント期間中、“ブルー・ナイツ”はボスニアヘルツェゴヴィナにおける“ディサイシヴ・エンデヴァー作戦 Operation Decisive Endeavor”や、アルバニアのティラナにある米国大使館からの非戦闘員退避作戦である“シルヴァー・ウェイク作戦 Operation Silver Wake”を支援した。“シルヴァー・ウェイク作戦”において、同飛行隊は計851名の米国人および第三国人の退避を成功させた。同飛行隊はふたたび、1997年度のMCAAエドワード C. ダイアー年間最優秀海兵中型ヘリコプター飛行隊賞を受賞した
1999 1999年、“ブルー・ナイツ”はコソヴォ紛争における“ノーブル・アンヴィル作戦 Operation Noble Anvil”および“シャイニング・ホープ作戦 Operation Shining Hope”を支援した。また、NATOの平和維持および人道支援任務を支えるため、6月から7月にかけてマケドニアのスコピエを拠点として航空機を運用した。同年9月、第26海兵遠征ユニットに対し、トルコでの地震救援活動への支援命令が下された。これを受け、HMM-365は“アヴィッド・レスポンス作戦 Operation Avid Response”において、救助チームや調査チームの空輸任務を遂行した
2001/9 2001年9月11日の同時多発テロを受け、“ブルー・ナイツ”は即時出撃の準備を整え、第26海兵遠征ユニット(26th MEU)は9月20日に出航した。同部隊はパキスタン沖へ移動し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援する戦闘任務を開始した。HMM-365(増強 REIN)はHMM-163(REIN)と連携し、内陸へ約800海里(1,500km)離れた“キャンプ・ライノ Camp Rhino”を確保するために6機のCH-53Eを投入した。アフガニスタン奥地の“キャンプ・ライノ”およびカンダハール空港 Kandahar Airportを確保したのち、“ブルー・ナイツ”は2001年12月から2002年2月にかけて、タリバンに対する急襲作戦を行う連合軍を支援した。3月に入ると、同両用即応群(ARG)は、イエメンにおける非戦闘員退避活動(NEO)の可能性に備え、またディック・チェイニー副大統領 Vice President Dick Cheneyの同地域訪問を支援するために、紅海へと移動した
2003/1 2003年1月、“ブルー・ナイツ”は“イラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom: OIF)”支援のため、クウェートのアリ・アル・サレム空軍基地 Ali Al Salem Airbaseへのデプロイメント準備を整えた。3月20日にOIFが開始されると、HMM-365は、戦略的に重要なアル・ファウ半島への初期ヘリボーン強襲作戦において、TRAP(戦術的航空機・人員救出)チームの任務を主導した。3月20日から5月1日にかけて、同飛行隊は第1海兵遠征軍(I Marine Expeditionary Force: I MEF)、第24海兵遠征ユニット(24th MEU)、15th MEU、タスク・フォース・タラワ Task Force Tarawa、および国連軍に対し、負傷者後送(CASEVAC)や強襲支援を提供した。地上部隊がバグダッドに向けて北上する中、“ブルー・ナイツ”の搭乗員は数多くの強襲作戦や偵察部隊の潜入支援任務を遂行した。I MEFの極めて迅速な作戦デプロイメントに対応するため、分遣隊は戦闘用クルーとして編成され、24時間体制での支援を行うべく連合軍とともに前線へと進出した。“ブルー・ナイツ”の航空機搭乗員は、クウェート国境を越えてイラク領内へ200~300マイル(約500km)におよぶ任務を飛行し、ほかの分遣隊と連携して、時には最長1週間にわたる救援・支援活動を行った。同飛行隊は4月中旬までアリ・アル・サレム Ali Al Salemを拠点にI MEFの作戦を支援したのち、1日でイラク国内のジャリバ前進作戦基地 Jalibah FOBへ再デプロイメントし、第29海兵航空群(MAG-29)に復帰した。同飛行隊はイラク国内から飛行任務を継続し、5月10日に強襲揚陸艦(多目的)キアサージ Kearsarge(LHD-3)へ艦上デプロイメントした。大統領のエジプトおよびヨルダン訪問を支援したのち、キアサージは非戦闘員避難活動(NEO)の実施に備えてリベリアへ向かった。“ブルー・ナイツ”は2003年6月28日にニュー・リヴァーへ帰還した
2004/8 2004年8月7日、HMM-365の主力​​部隊はノース・カロライナ州ニュー・リヴァーを出発し、イラクのアル・アサド空軍基地 Al Asad Air Baseへ向かった。8月21日、同飛行隊はHMM-261から強襲支援任務を引き継いだ
2004/11 11月25日、“ブルー・ナイツ”はゴードン R. イングランド海軍長官 Secretary of the Navy Gordon R. Englandの輸送任務を行いました。12月13日および14日には、マイケル・ヘギー海兵隊総司令官 Commandant of the Marine Corps, General Michael Hageeをアル・タカダムおよびファルージャへ輸送する任務を遂行した。2005年2月23日、HMM-365は、航空機や人員の損失を出すことなく、3,961時間以上の戦闘飛行、2,404回の出撃、11,162名の輸送、そして748,496ポンドの貨物輸送を完遂し、米本土へ帰還した
2005/8 2005年8月、ハリケーン“カトリーナ Katrina”による甚大な被害を受け、“ブルー・ナイツ”はJTFカトリーナ(統合任務部隊カトリーナ) JTF Katrinaを支援するため、捜索救助および災害救援活動を行うべく、米国のメキシコ湾岸地域へ航空機2機と人員を派遣した。同年11月2日には、CH-46が最初に部隊配備されてから約41年を経て、同飛行隊のCH-46Eシー・ナイトの1機が退役し、デイヴィスモンサン空軍基地 Davis-Monthan Air Force Baseの“ボーンヤード(航空機保管・再生施設”へと送られた
2006/5 2006年5月、同飛行隊は24th MEUの航空戦闘要素(ACE)として、強襲揚陸艦(多目的)イオー・ジマ Iwo Jima(LHD-7)に乗艦しデプロイメントした。ヨルダンでの訓練中、同飛行隊はベイルートのアメリカ大使館における非戦闘員退避作戦(Non-Combatant Evacuation operations: NEO)を支援するため、ベイルート沿岸への移動を命じられた。また、この展開期間中にはクウェートで2週間の訓練も実施した。さらに、同飛行隊の航空機は“アフリカの角 Horn of Africa”地域における作戦の支援も行った
2008/4 2008年4月、HMM-365(REIN)は24th MEUの航空戦闘要素としデプロイメントした。そののち、同部隊は“不朽の自由作戦”の一環としてアフガニスタンへ派遣され、その航空機はカンダハール飛行場、およびそこから100マイル(約160km)以上離れた“キャンプ・バスティオン Camp Bastion”や“キャンプ・ドワイヤー Camp Dwyer”といった拠点に分散配置された。このデプロイメント期間中、同飛行隊はMEUの支援に加え、国際治安支援部隊(International Security Assistance Force: ISAF)や現地のアフガニスタン軍の支援任務にも従事した。彼らはこの展開中に3,000回以上の戦闘出撃を記録した
2009/1 同飛行隊は、MV-22Bオスプリーへの機種転換を完了したのち、2009年1月15日付で第365海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron 365: VMM-365)へと改編された。VMM-365は、ニュー・リヴァー海兵航空基地においてオスプリーへ移行した5番目の飛行隊となる
2012/1 2012年1月、アフガニスタンへの派遣任務を成功裏に終えて帰還してからわずか11ヶ月後、VMM-365は、“不朽の自由作戦”を支援する戦闘任務に就くため、ふたたび“キャンプ・バスティオン”へデプロイメントした。同飛行隊は4月に35件の“名称付き作戦 Named Operations”を実施し、その数は5月に39件、6月には42件へと増加した。7ヶ月間の派遣期間中、VMM-365は計193件の“名称付き作戦”を支援した。比較として挙げると、以前の派遣任務(OEF 10.2)において同飛行隊が実施した“名称付き作戦”はわずか10件だった。1日平均1件の名称付き作戦を成功裏に支援したことに加え、同飛行隊は“一般支援 General Support”任務を遂行しつつ、作戦地域全体で36,047名の要員と769,102ポンド(約349t)の物資を輸送した
2012/3 同飛行隊は、“強襲支援 Assault Support”のあらゆる領域で活動し、広範かつ柔軟な能力を発揮することで、MV-22の運用能力の可能性を拡大した。VMMとしての主要任務を軸に、“ブルー・ナイツ”の愛称で知られる同飛行隊は、従来の部隊投入・回収(インサーション insertion/エクストラクション extraction)作戦、麻薬取締急襲作戦、空中即応部隊(Aerial Reaction Forces: ARF)としての活動、および航空阻止 Aerial Interdiction任務を遂行した。2012年3月25日には、“ブルー・ナイツ”のオスプリー6機編隊が“ジョーズ作戦 Operation JAWS”を支援し、594名の連合軍要員を投入するという、ティルトローター機による部隊投入としては史上最大規模の作戦を実施した。また、VMM-365は3機以上の編隊飛行を48回実施し、そのうち17回は5機以上の編隊によるものだった。生死を分ける“ゴールデン・アワー Golden Hour(受傷後1時間以内の救命処置が重要な時間帯)”内での長距離負傷者後送(Conducting long-range Casualty Evacuation: CASEVAC)任務、心理戦支援のためのビラ散布、ほかのMV-22のための戦場照明任務、そして3つの大隊規模作戦における指揮統制(Command and Control: C2)プラットフォームとしての機能構築と運用などは、“ブルー・ナイツ”が成功させた広範かつ革新的な作戦活動のほんの一例である
2012/6 整備部門の緊急復旧チーム Emergency Reclamation Teamは、幾度となくその能力を試された。その一例として、2012年6月27日、第1偵察大隊 1st Reconnaissance Battalionの海兵隊員を戦術着陸帯へ輸送した際、2機の航空機が激しい戦闘による損傷を負った事例が挙げられる。そのうちの1機は、敵の中口径機関銃による銃撃を12発受け、近隣の前線作戦基地(FOB)への緊急着陸を余儀なくされた。しかし、それから18時間足らずで、VMM-365は損傷した機体を修理し、“キャンプ・バスティオン”まで無事に帰還させた。この派遣期間中、“ブルー・ナイツ”の愛称で知られる同飛行隊は、計26回の敵からの攻撃を受け、12回の反撃を行い、5機の航空機が戦闘による損傷を被った
2013/4 2013年4月27日、同飛行隊の6機のMV-22Bが、危機対応特別目的海兵空地任務部隊(Special Purpose Marine Air Ground Task Force–Crisis Response: SPMAGTF-CR)の一環として、モロン空軍基地 Morón Air Baseへ自力デプロイメントした
2014/5 2014年5月27日、VMM-365はHMLA-269HMH-461、MWSS-272、MACG-28、MALS-26、およびMALS-29と統合編成され、24th MEUを支援するVMM-365(REIN)へと改編された。その3ヶ月後にはVMA-231とMALS-14が航空戦闘部隊(ACE)に加わり、VMM-365(REIN)の所属人員は500名以上の海兵隊員および海軍軍属に達した。配備された計29機の航空機のうち、同ACEが運用可能な機体は、MV-22B(12機)、CH-53E(4機)、AH-1W(4機)、UH-1Y(3機)、AV-8B(6機)だった。さらに、同ACEは複数の低高度防空チームや航空管制要員も運用可能だった。2014年12月12日、VMM-365(REIN)は、24th MEU、第8両用戦隊 Amphibious Squadron 8、およびイオー・ジマを中核とする両用即応群(ARG)とともにデプロイメントした
2015/7 2015年7月16日、VMM-365(REIN)は24 MEUとのデプロイメント任務を終えて帰還した。“ブルー・ナイツ”は即応態勢を完璧に維持し、あらゆる事態への対応に備えた。同ACEは、第6艦隊および第5艦隊 6th and 5th Fleetの担当海域における複数の二国間演習を支援したほか、“インヘレント・リゾルヴ作戦 Operation INHERENT RESOLVE”の一環としてイラクでの戦闘任務を遂行した。また、イエメンのサヌアとアデンにある米国大使館の退避支援、米国大使によるアデン訪問の支援、さらにはイエメンのフーシ派反政府勢力へ致死性兵器を輸送する水上艦艇に対する空中抑止力としての任務も果たした。7ヶ月間のデプロイメント期間中、同飛行隊は3,500時間以上の飛行を行い、MV-22Bオスプリーを運用する航空戦闘部隊としては過去最高水準の航空機稼働率を維持した

↑HMM-365 UH-34Ds aboard USS Boxer off Puerto Rico, 1966. Image courtesy of en.wikipedia.org.

↑An HMM-365 CH-46E landing at MCAS Beaufort, 1985. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 26/08/15