| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| 不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 軽荷排水量(計画):1,500t(DD-384、DD-385は1,490t) 満載排水量:2,286t(DD-384、DD-385は2,186t(2,345tともいわれる)) 全長:104.04m(DD-384は103.98m(104.03mともいわれる)) 幅:10.67m(DD-384は10.79m) 吃水:3.76m(DD-384は5.23m) 主缶:バブコック&ウィルコックス式水管缶(重油専焼)4基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式オール・ギアード蒸気タービン2基/2軸 出力(計画):46,000馬力 速力(計画):37.0kt(DD-384は35.0kt(37.0ktともいわれる)) 燃料搭載量(計画):重油550t 航続力(計画):12ktで6,500浬(戦時は12ktで6,940浬) 兵装:38口径127mm単装両用砲5基、12.7mm単装機銃4基、533mm4連装魚雷発射管3基(DD-384は1945年には38口径127mm単装両用砲5基、40mm機関砲8基、20mm機関砲5基、533mm4連装魚雷発射管3基、爆雷投下軌条2条、爆雷14個) 乗員:158名(DD-384は251名)
- ※DD-384以降をダンラップ級ともいわれる
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、1、2、3、4、5、6、7、8)
| 艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
| マハン | Mahan | DD-364 | バス鉄工所 | 1936/9/18 | ― | ||
| カミングス | Cummings | DD-365 | ユナイテッド・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1936/11/25 | 1945/12/16 | 1947/1/28 | ◎1947/7/17 解体のため売却 |
| ドレイトン | Drayton | DD-366 | バス鉄工所 | 1936/9/1 | 1945/10/9 | 1945/10/24 | ◎1946/12/20 解体のため売却 |
| ラムソン (1、2) |
Lamson | DD-367 | バス鉄工所 | 1936/10/21 | 1946/8/15 | ◎1946/7/25 原爆実験標的として沈没 | |
| フラッサー | Flusser | DD-368 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1936/10/1 | 1946/12/16 | 1947/4/7 | ◎1948/1/6 解体のため売却 |
| リード | Reid | DD-369 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1936/11/2 | ― | ||
☆DD-369の撃沈スコア(以下の艦船) ・1942/8/31 日本海軍呂号第六一潜水艦(アトカ島南方海域にて撃沈) |
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| ケイス | Case | DD-370 | チャールズタウン海軍工廠 | 1936/9/15 | 1945/12/13 | 1947/1/28 | ◎1947/12/31 解体のため売却 |
☆DD-370の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/11/20 日本海軍特殊潜航艇(甲標的)(ウルシーにて撃沈) |
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| カニンガム | Conyngham | DD-371 | チャールズタウン海軍工廠 | 1936/11/4 | 1946/12/20 | 1948/6/13 | ◎1946/7 ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1948/7/2 標的として沈没 |
| カッシン | Cassin | DD-372 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1936/8/21 | 1945/12/17 | 1947/1/28 | ◎1947/11/25 解体のため売却 |
| ショー | Shaw | DD-373 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1936/9/18 | 1945/10/2 | 1945/10/4 | ◎1934/10/1 起工 ◎1935/10/28 進水 ◎1937/6中旬 フィラデルフィアにて修理改装 ◎1939/1/8 メア・アイランドにてオーヴァーホール(〜1939/4/4) ◎1940/11 西海岸にてオーヴァーホール ◎1941/12 引き揚げられ一時的な修理(〜1942/1) ◎1942/2 サン・フランシスコにて修理(〜1942/6末) ◎1943/1/15 離礁、真珠湾にて修理(〜1943/9) ◎1943/12下旬 Milne Bayにて一時的な修理 ◎後にハンターズ・ポイントにて修理(〜1944/5/1) ◎1944/9下旬? エニウェトクにて修理改装 ◎1945/5下旬 サン・フランシスコにて修理、改装(〜1945/8/20) ◎1945/9? ニュー・ヨークにて不活性化工事 ◎1946/7/21 解体のため売却 |
| タッカー | Tucker | DD-374 | ノーフォーク海軍工廠 | 1936/7/23 | ― | 1944/12/2 | |
| ダウンズ | Downes | DD-375 | ノーフォーク海軍工廠 | 1937/1/15 | 1945/12/17 | 1947/1/28 | ◎1947/11/18 解体のため売却 |
| カッシング | Cushing | DD-376 | 海軍工廠ピュージェット・サウンド | 1936/8/28 | ― | ||
| パーキンス | Perkins | DD-377 | 海軍工廠ピュージェット・サウンド | 1936/9/18 | ― | ||
| スミス (1、2) |
Smith | DD-378 | メア・アイランド海軍工廠 | 1936/9/19 | 1945/6/28 | 1947/2/25 | ◎1934/10/27 起工 ◎1936/2/20 進水 ◎1942夏 サン・フランシスコにてオーヴァーホール ◎1942/11上旬 真珠湾にてオーヴァーホール(〜1943/2) ◎1943/11上旬 Milne Bayにて修理改装 ◎1944春 メア・アイランドにてオーヴァーホール(〜1944/6/21、1、2、3、4、5) ◎1944/12下旬? Manusにてメンテナンス ◎1945/7末? サン・ペドロにて修理改装 ◎1947/8/20 解体ため売却 |
| プレストン (1、2) |
Preston | DD-379 | メア・アイランド海軍工廠 | 1936/10/27 | ― | ◎1934/10/27 起工 ◎1936/4/22 進水 ◎公試を終えたのち、プレストンは一時的に海軍作戦部長 Chief of Naval Operationsの直轄下で活動し、そののち、合衆国艦隊の戦闘部隊 Battle Force, U.S. Fleetに加わった。当初は第2駆逐戦隊 DesRon 2に配属され、のちに第5駆逐戦隊 DesRon 5へ移り、1941年12月7日まで太平洋で平時の訓練演習に従事した。西海岸沿いでの哨戒および沿岸護衛任務により、プレストンは1942年6月1日まで東太平洋に留まった。そののち、西へ針路を取り、航空母艦サラトガ Saratoga(CV-3)の護衛部隊(“スクリーン”)の一員としてハワイへ向かった。6日に到着したのち、所属する第11.1任務群 TG 11.1は翌日ふたたび出撃し、ミッドウェー海戦(連合軍側呼称:Battle of Midway)後に給油と休息を行っていた第17任務部隊 TF 17と合流して、航空母艦エンタープライズ Enterprise(CV-6)およびホーネット Hornet(CV-8)へ航空機、パイロット、物資を輸送する任務に就いた ◎13日に真珠湾へ戻ったプレストンは、続く4ヶ月間、ハワイ海域で各種訓練や哨戒・護衛任務を行った。10月4日に第16任務部隊 TF 16に加わり、15日にはソロモン諸島に向けて出航した。24日、TF 16はTF 17と合流して第61任務部隊 TF 61を編成し、進撃を続けた。その2日後、空母の護衛部隊にいたプレストンは、南太平洋海戦(連合軍側呼称:サンタ・クルーズ諸島海戦 Battle of the Santa Cruz Islands)において初めて敵に対して砲火を交えた。敵機2機を撃墜し、初の交戦を無傷で切り抜けた同艦は、Noumeaへと退避した。再補給を終えたのち、ふたたびソロモン諸島へと向かった ◎11月14日の夕刻、プレストンは第64任務部隊 TF 64とともにガダルカナル島の西端に沿って航行した。これは、ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃と増援部隊の上陸を狙い、“スロット(ニュー・ジョージア海峡)”を南下してくる日本軍部隊を迎撃するためだった。サヴォ島を回り込んだ同部隊(戦艦2隻を4隻の駆逐艦が先行する陣形)は、サヴォ島とエスペランス岬の間の海峡へと進入した。 2300時、戦艦ワシントン Washington(BB-56)のレーダーが敵巡洋艦川内を捕捉し、2317時、第三次ソロモン海戦(連合軍側呼称:ガダルカナル海戦 Naval Battle of Guadalcanal)の火蓋が切られた (↑日本海軍軽巡洋艦川内) ◎駆逐艦敷波をともなった川内は米艦隊を追跡していたが、16インチ砲弾の洗礼を受けて退避した。しかし、間もなく戦闘が再開された。日本側部隊は分散していたが、戦艦と巡洋艦の交戦開始から数分後には、サヴォ島南岸沿いに接近していた敵駆逐艦群が戦闘に加わった。米側からはベンハム Benham(DD-397)とプレストンがこれに続いた。それまでの砲撃戦に向けて照明弾を撃っていたグウィン Gwin(DD-433)も戦闘に加わり、接近する巡洋艦長良と駆逐艦4隻を視認した。さらに沖合では、日本側の大型艦も参戦の準備を進めていた。密集していた米駆逐艦群は、格好の標的となった (↑日本海軍駆逐艦吹雪) ◎敵との交戦開始から約8分後、ウォーク Walke(DD-416)が被弾した。 ◎戦闘は続いた。今度はグウィンが日本側の砲撃の標的となった。機関室や艦尾甲板で砲弾が炸裂した。2338時、ウォークの艦首楼が吹き飛ばされた。ベンハムも艦首をほぼ完全に破壊され、同艦は15日に沈没することとなる。激しく炎上していたウォークも、やがてプレストンに続いてサヴォ島沖の“墓場”へと沈んでいった。2348時、戦艦が戦闘を引き継ぐと同時に、残存する駆逐艦には退避命令が下された。そののちの交戦で、ワシントンは日本側の砲撃部隊に修復不可能な損害を与え、自身は無傷のままだった。一方、サウス・ダコタは探照灯に照らし出され、敵部隊からの砲撃を受けた。日本側はふたたび大きな戦果を挙げたものの、戦艦1隻と駆逐艦1隻を失い、何よりも重要な点として、ヘンダーソン飛行場を砲撃して使用不能にするという任務を断念せざるを得なくなった |
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| ◎Sunk by five hits by gunfire from Japanese cruiser Nagara, Battle of Guadalcanal,
14 Nov 1942 (116 killed). |
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| ダンラップ (1、2) |
Dunlap | DD-384 | ユナイテッド・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1937/6/12 | 1945/12/14 | 1947/1/28 | ◎1935/4/10 起工 ◎1936/4/18 進水 ◎1939/1 オーヴァーホール(〜1939/6) ◎1943/8? サン・ディエゴにてオーヴァーホール(〜1943/11) ◎1944/7/7 メア・アイランドにて修理(〜1944/7/17) ◎1947/12/31 解体のため売却 |
☆DD-384の撃沈スコア(以下の艦船) ・1945/6/19 ラガー(ラグスルのついた2〜3本マストの小型帆船)Gorgen Maru(父島北方海域にて撃沈) ・1945/6/19 ラガーLegaspi Maru(父島北方海域にて撃沈) |
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| ファニング (1、2) |
Fanning | DD-385 | ユナイテッド・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1937/10/8 | 1945/12/14 | 1947/1/28 | ◎1948/1/6 解体のため売却 |
Update 26/08/08