河用砲艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※データは哨戒砲艦パロスの項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
パロス | Palos | PR-1 | メア・アイランド海軍工廠 | 1914/6/24 | 1937/5/21 | 1937/5/21 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-1)に改める ◎1933〜1934 この間、上海にて入渠(1、2) ◎1937/6/3 解体のため、Ming Sung Industrial Co. に売却 |
- ※データは哨戒砲艦モノカシーの項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
モノカシー | Monocacy | PR-2 | メア・アイランド海軍工廠 | 1914/6/24 | 1939/1/31 | 1939/1/31 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-2)に改める ◎1929 上海にてオーヴァーホール ◎1939/2/10 中国沿岸沖にて沈没処分 |
◎Yangtze River 1930-1932. |
- ※データは哨戒砲艦グアム級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
グアム (1、2) |
Guam | PR-3 | Kiangnan Dock & Engineering Works | 1927/12/28 | ― | 1942/3/25 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-3)に改める ◎1941/1 ウェーク Wakeと改名 1941/12/8 上海にて日本に降伏、拿捕され江南造船所、上海第一工作部で改装(〜1941/12/26) ◎1941/12/15 日本海軍に編入、多々良と改名 ◎1942/7/7 南京にて無線改装(〜1942/7/20) ◎1943/6/11 江南にて修理 ◎1945/9/30 除籍 ◎1945 日本より返還 ◎1946 中国国民党に貸与され太原 Tai Yuanと改名 1949/4 南京にて中国共産党に降伏、直後に中国国民党空軍機の攻撃により損傷 ◎のちに引き揚げられる、修理 ◎1960年代まで在籍 |
ツツイラ | Tutuila | PR-4 | Kiangnan Dock & Engineering Works | 1928/3/2 | 1942/1/18 | 1942/3/25 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-4)に改める 1939/10/4 Chungkingにて商船Payangと衝突し損傷 1940/5/8 Chungkingにて座礁 ◎1940/5/13 離礁 1941/7/30 日本軍機の誤った攻撃により損傷 ◎1942/3/19 中国国民党に貸与され眉原 Mei Yuanと改名 ◎1948 放棄、沈没処分 1949 中国共産党が引き揚げられ、拿捕 ◎1960年代まで在籍 |
◎At Chungking、China, 1938-1942. |
- ※データは哨戒砲艦パネイ級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
パネイ | Panay | PR-5 | Kiangnan Dockyard & Engineering Works | 1928/9/10 | ― | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-5)に改める 1929/11/30 Hwangshihkangの埠頭にてイギリスの商船Payangに衝突され損傷 1937/12/12 揚子江の南京付近にて日本海軍機の誤った攻撃により沈没 |
|
オアフ | Oahu | PR-6 | Kiangnan Dockyard & Engineering Works | 1928/10/22 | ― | 1942/5/8 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-6)に改める ◎1941? 改装(〜1941/11末) 1942/5/5 コレヒドール島にて日本軍の攻撃により沈没 |
- 排水量:500t 全長:64.28m 幅:9.44m 吃水:1.82m(平均) 主機/軸数:直立三段膨張式蒸気機関2基/2軸 出力3,150馬力 速力:16.0kt 兵装:76mm砲2基、7.62mm機銃10基 乗員:80名
- ※下は河用砲艦ルソン(PR-7)の搭載艇。ガソリン機関で速力は16.0kt。河用砲艦グアム(PR-3)でも搭載されていて1941年12月に日本軍拿捕後、そのまま日本海軍は多々良に搭載して使用した
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ルソン | Luzon | PR-7 | Kiangnan Dockyard & Engineering Works | 1928/6/1 | ― | 1942/5/8 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-7)に改める 1929頃 長江にて座礁 ◎1941? 改装(〜1941/11末) ◎1942/5/6 コレヒドール島にて日本軍に拿捕されるのを防ぐため沈没処分 1942/5後半 日本が引き揚げ拿捕 ◎1942/8/1 日本海軍に編入、唐津と改名 ◎1942/10/14 第一〇三工作部で整備完成 1944/3/3 スールー海にてアメリカ海軍潜水艦ナーワル Narwhal(SS-167)の雷撃により損傷 ◎1945/2/5 マニラ撤収のため、マニラ湾にてキャヴィテ工作部により爆破処分 ◎1945/4/10 除籍 |
◎Philippines 1942. | |||||||
ミンダナオ | Mindanao | PR-8 | Kiangnan Dockyard & Engineering Works | 1928/7/10 | ― | 1942/5/10 | ◎1928/6/15 艦種を河用砲艦(PR-8)に改める ◎1928年7月28日に上海を出発したミンダナオは、長江でシェイクダウンを行い、重慶 Chongqing、万県 Wanxianを経て、8月31日に上海に戻った。9月10日、ミンダナオ砲艦はふたたび出航し、万県に戻り着艦した。9月22日に到着し、12月28日に燃料補給と修理のために上海に戻るまで、長江哨戒船団 Yangtze Patrol convoy任務に留まった。1929年3月21日までオーヴァーホールを受けたのち、川を遡って哨戒し、断続的に上海に戻って政情を調査した 1942/5/2 フィリピンにて日本軍機の爆撃により損傷、日本軍に拿捕されるのを防ぐため沈没処分 |
◎Flag ship, South China Patrol, 1929-1941. Philippines 1942. |
Update 24/03/09