| 日付 |
主な出来事 |
| 1961/9 |
第364海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron 364: HMM-364)は、当初、第36海兵航空群(MAG-36)隷下の第364海兵ヘリコプター飛行隊(Marine
Helicopter Squadron 364: HMR-364)として、1961年9月1日にカリフォルニア州サンタ・アナ海兵隊航空施設 MCAF
Santa Anaで編成された。1961年11月に初のシコルスキーHUSヘリコプターを受領し、1962年2月には部隊の名称が第364海兵中型ヘリコプター飛行隊(HMM-364)に変更された |
| 1962/4 |
同飛行隊は、1962年4月17日から8月10日までは強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)を、8月30日から11月14日までは強襲揚陸艦プリンストン Princeton(LPH-5)を拠点として、太平洋中部における核実験“ドミニク作戦 Operation Dominic”を支援した。同隊は、海上における計測用カプセルの捜索・回収、人員の避難輸送、および艦船・陸上間の物資輸送任務を遂行した |
| 1963/11 |
1963年11月、同飛行隊は沖縄にデプロイメントした。1964年2月1日、同飛行隊は南ベトナムのダ・ナン空軍基地 Da Nang Air Baseにおいて、“シューフライ作戦 Operation Shufly”任務に従事していたHMM-361と交代した 。到着後、同飛行隊はヴェトナム共和国空軍(Republic of Vietnam Air Force: RVNAF)が独自の飛行隊を編成する準備として、UH-34の運用訓練をRVNAFの乗員に対して開始した 。 4月14日、ダ・ナンの西40マイル(64km)、ラオス国境付近での負傷者後送(メディヴァック)任務中に、同飛行隊のUH-34Dが撃墜された。乗員は救助されたが、ヘリコプターは破壊された。4月18日、同飛行隊はア・サウ渓谷(A
Sầu Valley)におけるヴェトナム共和国陸軍(ARVN)の攻撃作戦“ラム・ソン115作戦 Operation Lam Son 115)”を支援した。4月27日から5月25日にかけて、同飛行隊はドゥー・サー(Đỗ
Xá、15.177N、108.078E)にある解放戦線(Viet Cong: VC)の拠点を標的としたARVNの攻撃作戦“クエット・タン202作戦
Operation Quyet Thang 202”を支援した 。 4月28日、同飛行隊のUH-34が別のヘリコプターのローター後流(ローター・ウォッシュ)に巻き込まれ、クアン・ガイ(Quảng Ngãi)の運河に墜落した。乗員は脱出したが、ヘリコプターは全損した 。 4月30日、ダ・ナンの西42マイル(68km)でARVNのパトロール隊を後送中、同飛行隊のUH-34が撃墜されたが、死傷者は出なかった 。 6月13日、ケ・サン(Khe Sanh)からタイガー・トゥース山 Tiger Tooth Mountain(ドン・ヴォイ・メップ/Dong Voi
Mẹp、16.768N、106.713E)への補給任務中、同飛行隊のUH-34が下降気流に巻き込まれて墜落した。乗員は全員救助されたが、ヘリコプターは破壊された。6月16日、同飛行隊は作戦行動を停止し、UH-34Dの準備を開始した……
6月19日、RVNAFへの引き渡しが行われた。同月末までには、当該飛行隊は沖縄へ空輸され、その任務はHMM-162に引き継がれた |
| 1965/9 |
1965年9月、同飛行隊はMAG-36のほかの部隊とともに南ヴェトナムへ戻り、キ・ハ(Kỳ Hà)を拠点とした 。12月には“ハーヴェスト・ムーン作戦
Operation Harvest Moon”を支援した。この時期、同飛行隊は“スウィフティ Swifty”という紫色のキツネの漫画キャラクターにちなみ、“パープル・フォックス
Purple Fox”という愛称を採用した |
| 1966/3 |
1966年3月、同飛行隊はMAG-36のほかの部隊とともに“ユタ作戦 Operation Utah”を支援した 。4月9日、HMM-362と交代して特別上陸部隊(Special
Landing Force: SLF)のヘリコプター飛行隊となり、プリンストンに乗艦した 。7月4日、HMM-363が同飛行隊と交代した 。同飛行隊は11月1日に南ヴェトナムを離れた 。そののち、カリフォルニア州のエル・トロ海兵航空基地
MCAS El Toroにて基幹要員のみの体制(カドレ状態 cadre status)に移行し、将校3名と下士官・兵12名で構成されることとなった |
| 1967/3 |
1967年3月、同飛行隊は改編され、新型のボーイングCH-46Dシー・ナイト・ヘリコプターの受領を開始した。10月28日、飛行隊のパイロットや乗員の大半が南ヴェトナムへ空路移動した。彼らは、カリフォルニアで自隊の機体の改修作業が終わるのを待つ間、CH-46の飛行停止措置によって生じた中型輸送ヘリコプター不足を補うため、UH-34の運用を開始した。11月10日、機体は強襲揚陸艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(LPH-8)に搭載されて米国を出発し、19日後にフー・バイ戦闘基地 Phu Bai Combat Baseに到着した |
| 1968 |
1968年を通じて、同飛行隊はMAG-36のほかの部隊とともにフー・バイ(Phu Bai)を拠点として活動し、ケ・サンの戦いやフエ(Huế)の戦いを含む第1軍団
I Corps北部の海兵隊部隊を支援した。1968年12月には、“テイラー・コモン作戦 Operation Taylor Common”の支援任務に就いた |
| 1969 |
1969年の初めまでには、同飛行隊はマーブル・マウンテン航空施設 Marble Mountain Air Facilityに駐留する第16海兵航空群(Marine
Aircraft Group 16: MAG-16)の隷下に入っていた |
| 1971/2 |
1971年2月16日、同飛行隊は南ヴェトナムにおける最後の任務を遂行し、同月末までには米国へ向けて出発した |
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わずか10年という短い存続期間のほぼ半分を、HMM-364は南ヴェトナムでの任務に費やした。 同地での3度の派遣期間中、飛行隊のパイロットや乗員は戦闘および戦闘支援任務において延べ70,000時間近い飛行を行い、その功績により大統領部隊感状 Presidential Unit Citationを授与された。1971年3月22日、同飛行隊は隊旗を返納し、閉隊された |
| 1984/9 |
1984年9月28日、HMM-364は、ハワイのカネオヘ・ベイ海兵航空基地 MCAS Kaneohe Bayに所在する艦隊海兵軍 Fleet
Marine Forc第1海兵旅団 1st Marine Brigade第24海兵航空群(Marine Aircraft Group 24:
MAG-24)隷下で再編成された。同年10月12日、海兵隊総司令官P. X. ケリー大将 Commandant of the Marine Corps, Gen. P. X. Kelleyが部隊旗を指揮官に授与し、同飛行隊の再編成が公式に宣言された |
| 1990/2 |
1990年2月、同飛行隊は日本・沖縄へデプロイメントした。1990年8月から1991年3月にかけて、“砂漠の盾作戦 Operation Desert
Shield”および“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”の期間中、HMM-364は予備戦力として待機しつつ、第1海兵遠征旅団
1st Marine Expeditionary Brigadeを支援する唯一の飛行隊としての役割を担った |
| 1991/6 |
1991年6月、同飛行隊はふたたび沖縄へデプロイメントした。このデプロイメント期間中、フィリピン共和国において、ピナトゥボ火山の噴火とその被害の前・中・後を通じて、第4-90海兵空地任務部隊(Marine
Air Ground Task Force 4-90: MAGTF 4-90)の支援任務に従事した。続いて1992年には、ハリケーン“イニキ
Iniki”による甚大な被害を受けたカウアイ島にて、人道支援活動を行う“ガーデン・アイル作戦 Operation Garden Isle”に参加した |
| 1993/1 |
1993年1月から7月にかけて、同飛行隊は部隊デプロイメント・プログラム(Unit Deployment Program: UDP)の一環として、沖縄の普天間海兵隊航空基地へデプロイメントした。この期間中、韓国・浦項(ポハン)での演習“チーム・スピリット
Exercise Team Spirit”、カンボジアでの統合人命救助機関(JPRA)の活動、およびタイでの演習“コブラ・ゴールド Exercise
Cobra Gold”を支援し、無事故で2,200時間以上の飛行を記録した |
| 1996/2 |
1996年2月、洪水被害を受けたオレゴン州ポートランドを視察するクリントン大統領 President Clintonやそのほかの要人の輸送任務を担当した。これは、米大統領が海兵隊(艦隊海兵軍)のヘリコプターに搭乗した史上初の事例となった |
| 1998/12 |
1998年12月5日、同飛行隊は強襲揚陸艦(多目的)ボクサー Boxer(LHD-4)に乗艦し、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”およびアフリカの角沖での各種分割ARG(両用即応群)作戦に参加した |
| 1999/6 |
1999年6月、同飛行隊はデプロイメント任務を終えて帰還し、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵基地にある第39海兵航空群(Marine
Aircraft Group 39: MAG-39)の新たな拠点へと移動した。同飛行隊は、有事の際の作戦行動において第3海兵航空団 3rd Marine
Aircraft Wingの“フライイン(空輸展開)”部隊の一翼を担うという新たな中核的任務に向けた訓練を開始した |
| 2003 |
2003年、HMM-364は、第1海兵遠征軍 1st Marine Expeditionary Forceおよび“イラクの自由作戦 Operation
Iraqi Freedom”を支援するため、クウェートへのデプロイメントに向けた準備を命じられた |
| 2003/2 |
2月末までに同飛行隊の機材は揚陸され、12機のCH-46Eヘリコプター全てがアリ・アル・サレム空軍基地 Ali Al Salem Air Baseへと空輸された。MAG-39および増強部隊と連携し、HMM-364はイラクに対する戦闘作戦の計画策定とリハーサルを開始した |
| 2003/3 |
“イラクの自由作戦”は、有志連合軍による事前攻撃と、イラク軍によるアリ・アル・サレム空軍基地への地対地ミサイル攻撃を経て、2003年3月20日夕方に開始された。HMM-364は初夜から作戦に参加し、第1海兵師団 1st Marine Divisionの第7連隊戦闘団(Regimental Combat Team 7: RCT-7)および英海兵隊第42コマンドー Royal Marines's 42 Commandoによる攻撃を支援した。飛行隊の航空機搭乗員は、戦争期間中、RCT-7司令部を直接支援する形で負傷者後送(Casualty Evacuation: CASEVAC)任務を遂行し、第1海兵師団とともにバスラからバグダッド市街地まで移動した。また、HMM-364の機体は戦域全体で兵站支援任務にも従事し、3月と4月にはそれぞれ、戦闘および直接的な戦闘支援任務で640時間以上飛行した |
| 2003/4 |
4月17日にイラクでの戦闘作戦が終了したのちも、HMM-364はイラク国民のための海兵隊による人道支援活動の一環として、CASEVACや兵站支援の飛行を続けた。HMM-364は2003年10月にキャンプ・ペンデルトン海兵基地へ帰還した。 このデプロイメント期間中、再補給任務中に飛行隊の機体1機が運河に墜落し、失われるという事故が発生した。搭乗員4名(アンドリュー・ラモント大尉
Captain Andrew Lamont、ティモシー・ライアン中尉 First Lieutenant Timothy Ryan、アーロン・ホワイト二等軍曹
Staff Sergeant Aaron White、ジェイソン・ムーア伍長代理(下級伍長) Lance Corporal Jason Moore)全員が死亡し、 さらに、飛行隊には所属していなかったものの、搭乗員の救助を試みた海兵隊員のカーク・ストラセスキー軍曹 Marine Sergeant Kirk Straseskieも悲劇的なことに溺死した。 墜落機を目撃したほかの数名の海兵隊員も、仲間を救おうと運河に飛び込んだが、急を要する救助活動は成功せず、救助に当たった数名が戦闘とは無関係の軽傷を負った。同飛行隊は2005年初めにふたたびイラクへデプロイメントした。3度目のイラク展開は2006年夏に行われ、2007年初めに帰還した。 このデプロイメント中、負傷者後送(CASEVAC)任務に従事していた同飛行隊の航空機1機が撃墜され、同飛行隊の隊員4名、他部隊の海兵隊員1名、および海軍衛生兵2名が死亡した |
| 2008早春 |
同飛行隊の4度目のイラク・デプロイメントは、2008年の早春から同年秋にかけて行われた |
| 2009後半 |
同飛行隊にとって5度目、かつ最後となるイラク・デプロイメントは2009年後半に行われた。彼らは任務を無事に完遂し、2010年初めに無事帰還した |
| 2014/10 |
2014年10月9日、HMM-364はMV-22Bオスプリーへの機種転換を行い、これに伴いVMM-364へと改称された |
著名な元メンバー
ユージーン R. ブレイディ Eugene R. Brady
レイモンド M. クラウセン Jr. Raymond M. Clausen, Jr.
ロジャー E. コムズ Roger E. Combs |