ミサイル重巡洋艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※この艦種記号は1968年8月14日に廃止される
- ※データは重巡洋艦ボルティモア級の項を参照
- ※兵装:テリアSAM連装発射機2基(1968年に撤去)、55口径203mm3連装砲2基、38口径127mm連装両用砲5基
- ※上部構造物を改装、煙突は1基、格子型マストを追加
- ※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
↑Caption: Canberra at sea on 9 January 1961. (U.S. Navy Photograph KN-1526, National Archives and Records Administration, Still Pictures Division, College Park, Md.). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ボストン (1、2) |
Boston | CAG-1 | ベスレヘム・スチール社 | 1943/6/30 | 1970/5/5 | 1973/11/1 | ◎1952/1/4 艦種をミサイル重巡洋艦(CAG-1)に改める ◎1952/2 Camdenのニュー・ヨーク・シップビルディング社でミサイル重巡洋艦に改装(1、2、3) ◎1955/11/1 フィラデルフィア海軍造船所にて再役 ◎1960春 ボストン海軍工廠にてオーヴァーホール(1、2、3、4、5、6、7、8) ◎1968/5/1 艦種を重巡洋艦(CA-69)に改める |
◎Lebanon Jul-Sep 1958, Cuba Apr 1961, Vietnam Apr-Oct 1967 (1, 2), Apr-Sep 1968. | |||||||
キャンベラ (1、2、3) |
Canberra | CAG-2 | ベスレヘム・スチール社 | 1943/10/14 | 1970/2/16 | 1978/6/31 | ◎1952/1/4 艦種をミサイル重巡洋艦(CAG-2)に改める、Camdenのニュー・ヨーク・シップビルディング社へ曳航、ミサイル重巡洋艦に改装(1、2) ◎1956/6/15 再役 ◎1958年6月9日から8月7日まで、キャンベラはヨーロッパへの中等兵訓練クルーズに出航し、その間にスペインのVirgo、スウェーデンのGothenburg、オランダのアムステルダムに寄港したのち、ノーフォーク海軍造船所に戻って長期のオーヴァーホールを行った。翌1959年5月、巡洋艦はジョン・マクン少将 Rear Adm. John McN. Taylorの旗艦として地中海に展開。テイラー大西洋艦隊巡洋艦部隊司令官 Commander of the Atlantic Fleet Cruiser Forceの旗艦として地中海に派遣された。航海中、キャンベラはソウダ湾、ギリシャのロードス島、イタリアのナポリとレグホーン、フランスのカンヌとトゥーロン、マヨルカ島のパルマ・デ・マジョルカ、バルセロナ、英国海外領土のジブラルタルを訪れた。8月にノーフォークに戻り、短期間の保全整備と休暇ののち、第2艦隊 Second Fleetでの活動を再開した ◎1962年には、キューバ危機の際の海上封鎖に参加するため、ノーフォークから南へ出航した。ヴェトナム戦争の間、キャンベラはサン・ディエゴに母港を置いていた。1965年から1969年まで5回ヴェトナムに派遣され、8インチ砲と5インチ砲で米軍を支援した。1967年と1968年の派遣中、キャンベラは非武装地帯の北側で橋、輸送ルート、陸上施設を砲撃した。1967年3月2日、巡洋艦は陸上から発射された2発の砲弾を受け、5名の負傷者と軽微な構造上の損傷を与えた。1967年4月6日、ダグ・ヘグダール Doug Hegdahlという若い二等兵曹が誤って5インチ砲の1つによって海中に吹き飛ばされ、彼は北ヴェトナムの砲艦に捕らえられ、悪名高いハノイ・ヒルトン Hanoi Hiltonに収監された。そこでのヘグダールの回想は、のちに捕虜収容所での北ヴェトナムによる拷問の証拠となる。1967年4月に2度目の任務が終了すると、巡洋艦はメルボルンを訪れ、5月にはオーストラリア海域で珊瑚海海戦の記念式典に参加した ◎1967 スービック湾にて砲身交換工事 ◎1968/5/1 艦種を重巡洋艦(CA-70)に改める |
◎Carried President Eisenhower to Bermuda conference, Mar 1957 (1, 2, 3). Ceremonial flagship for selection of the unknown servicemen of World War II and Korea, May 1958 (1, 2, 3). Lebanon Jul-Sep 1958, Cuba Oct-Nov 1961, Cuban missile crisis Oct-Nov 1962, Vietnam Feb-Jun 1965, Feb-May 1966, Dec 1966-Apr 1967 (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11), Oct 1967-Apr 1968, Korea Jan-Mar 1968. |
Update 24/07/14