VMO
海兵観測飛行隊 Marine Observation Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地 Marine Corps Air Stationの略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※海兵隊空地任務部隊を支援するため、空中射撃支援索敵と情報提供を行うのが任務。1943年11月1日に第251海兵観測飛行隊(Marine Observation Squadron 251: VMO-251)として設立され、1944年2月に第2海兵観測飛行隊(Marine Observation Squadron 2: VMO-2)に改編。1946年8月26日に閉隊。1951年6月15日に再開隊。1971年3月23日に閉隊。1971年9月30日に再開隊。1993年5月23日に閉隊。ニックネームはCherry DeuceもしくはThe Angry Two

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
Marine Corps Base Quantico 1943/11/1
MCAS Cherry Point
MCAS Santa Ana 1951/6/15
Marble Mountain Air Facility 1965
Da Nang Air Base 1970/2/2
MCALF Camp Pendleton 1971/9/30
航空機の割り当て 初受領日
F4F-3P
OY-1
OH-43D
UH-1E 1965
OV-10 1968
AH-1G 1969
日付 主な出来事
1943/11/1 1943年11月1日、ヴァージニア州のクアンティコ海兵隊基地 Marine Corps Base Quanticoで、砲兵索敵師団 Artillery Spotting Division、第251海兵観測飛行隊(Marine Observation Squadron 251: VMO-251)が就役した
1944/2 1944年2月、VMO-251は第2海兵観測飛行隊(Marine Observation Squadron 2: VMO-2)に再指定され、ハワイの第2海兵師団 2nd Marine Divisionに所属し、OY-1で数百の任務を遂行した。同飛行隊はサイパンの戦いに参加し、マーピ・ポイント・フィールド Marpi Point Fieldに着陸した最初のアメリカ軍機となった。テニアンの戦いでは、同飛行隊は島を偵察し、様々な砲台の位置を登録した。沖縄戦は彼らの戦争最後の戦闘となった。この戦いの間、飛行隊の航空機は再び島に着陸した最初のアメリカ軍機となり、偵察と砲兵偵察任務という主な役割を継続した。日本の降伏後、飛行隊は1946年6月に米国に向けて出航するまで日本に留まった。ノース・カロライナ州のチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointに到着したVMO-2は、第2海兵航空団第22海兵航空群(Marine Aircraft Group 22: MAG-22)に配置転換された。ここで飛行隊は1946年8月26日に閉隊した
1951/6/15 VMO-2は1951年6月15日にカリフォルニア州のサンタ・アナ海兵隊航空基地 MCAS Santa Anaで、偵察と砲撃、艦砲射撃の索敵を中心とした新しい任務で再就役した。1953年、飛行隊は固定翼機と回転翼機と共に日本に移動し、1956年4月に小部隊を除く全てが沖縄に移転するまでそこに留まった
1965 1965年から、VMO-2は南ヴェトナムのダナン Da Nangにあるマーブル・マウンテン航空施設 Marble Mountain Air Facilityの第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)に所属し、UH-1Eに搭乗していた
1968/7/6 1968年7月6日、VMO-2に所属する最初のOV-10がダ・ナンに到着した。小型で機動性が高く、軽武装の偵察機は対反乱作戦を支援するために作られた。1969年から飛行隊はAH-1Gの飛行を開始した
1969/12 飛行隊は1969年12月17日に分裂し、OV-10のみの部隊となり、AH-1はすべてHML-367に移管された
1970/2 1970年2月2日、VMO-2はダ・ナン基地 Da Nang Air Baseの第11海兵航空群(Marine Aircraft Group 11: MAG-11)に移った
1971/3 飛行隊は1971年3月22日に最後の戦闘任務に就いた。ブロンコは1968年9月8日から1971年3月23日の間に38,000時間以上の戦闘飛行を行った
1971/3 1971年3月24日から25日にかけて、残りの14機のブロンコはフィリピンのキュービ・ポイント海軍航空基地 NAS Cubi Pointに空輸され、米国に移送された。飛行隊は1971年9月30日にカリフォルニア州のMCALFキャンプ・ペンドルトン MCALF Camp Pendletonで再就役するまで幹部候補生の地位にあった。HMLA-267に配属されていた9機のOV-10を受領した
1990/8 1990年8月、VMO-2は6機のOV-10を“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”の支援としてサウジ・アラビアまで16,000km(10,000マイル)という前例のない旅に出発させ、航空ニュースを賑わせた
1991/1 1991年1月以降、同飛行隊は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”期間中、合計286の戦闘任務、合計900時間の飛行を行った。ミッションは紛争期間中、24時間体制で飛行し、主に米軍と連合軍の大砲、多数の攻撃機、艦砲射撃の制御に重点を置いた。同飛行隊は、94回以上もイラクの地対空ミサイル砲の標的にされ、対空砲の大群を避けようとしながらも、こうした要求の厳しい重要な任務を遂行した。こうした努力の結果、54両の戦車、53両の装甲兵員輸送車、49両の大砲、112両のその他の車両、4棟の司令部庁舎が破壊されたことが確認された
Belisarius Productions, Inc. のTVドラマ「私立探偵マグナム Magnum, P.I.」(1980〜1988年)で、ラリー・マネッティ Larry Manetti演じるリック・ライトとロジャー E. モーズリー Roger E. Mosley演じるT.C. は、以前ヴェトナムでVMO-2のメンバーだった。トム・セレック Tom Selleckとロジャー E. モーズリーはシリーズで“VMO-2 DaNang”の野球帽をかぶっていた。2018年にリブートされたTV・ラジオ・ネットワーク会社CBS放送のTVドラマ「私立探偵マグナム Magnum, P.I. (Season 1, Episode 2)」では、カール・ウェザーズ Carl Weathersが“VMO-2 DaNang”の野球帽を着用している。


Update 23/07/23