VMM
海兵中型ティルトローター飛行隊 Marine Medium Tiltrotor Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第264海兵中型ティルトローター飛行隊264(Marine Medium Tiltrotor Squadron 264: VMM-264)は、アメリカ海兵隊のティルトローター飛行隊であり、MV-22オスプリー輸送機を運用している。“ブラック・ナイツ Black Knights”の愛称で知られるこの飛行隊は、ノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverを拠点とし、通常は第26海兵航空群(Marine Aircraft Group 26: MAG-26)および第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下にある。東海岸で最後にオスプリーに移行したCH-46シー・ナイト飛行隊だった。VMM-264は2020年6月24日に閉隊した。航空副司令官 Deputy Commandant of Aviationの計画指針に基づき、VMM-264は2025年10月1日にニュー・リヴァー海兵航空基地で再編成される

↑VMM-264 Insignia. Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS New River
航空機の割り当て 初受領日
UH-34
CH-46A 1968
CH-46D
CH-46E
MV-22B 2009/4
日付 主な出来事
1959/6 第264海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron 264: HMM-264)は、1959年6月30日に編成された。当初は第264海兵中型輸送飛行隊(軽) Marine Medium Transportation Squadron Light 264と称されたが、1962年2月に現在の名称である第264海兵中型ヘリコプター飛行隊に改称された
1961秋 1961年秋、飛行隊はベリーズを襲ったハリケーン“ハッティ” Hurricane Hattieの被災者の避難と補給を支援するよう要請された。この任務は、現在まで続く人道支援活動の伝統における最初の任務となった
1965/4 1965年4月28日、HMM-264は“パワー・パック作戦 Operation Power Pack”中、ドミニカ共和国サンタ・ドミンゴ Santa Domingoの戦闘状況下において、強襲揚陸艦ボクサー Boxer(LPH-4)の甲板から、警備の整っていない着陸地帯への海兵隊初の夜間全ヘリコプター攻撃を実施した。HMM-264とLST部隊の派遣により、エンバハドール・ホテル Embajador Hotelから600人以上の民間人が避難した。この作戦は、1930年代初め以来初めて、米海兵隊がドミニカ共和国の領土に上陸した事例となった。また、陸上に支援部隊がいない状態で、敵対的な海岸線を船から陸へヘリボーン輸送した初の事例でもあった。作戦中、アメリカ大使館は確保され、1,750人以上のアメリカ市民が戦争で荒廃したドミニカ共和国から避難した
1965/5 1965年5月、HMM-264は海兵隊ヘリコプター飛行隊として初めて、無事故飛行時間25,000時間を突破した。そののち数年間、飛行隊は30,000時間、40,000時間、50,000時間の無事故飛行という節目を達成し、高い専門性を維持した
1968 1968年、飛行隊は老朽化が進むUH-34ヘリコプターを退役させ、ボーイング・ヴァートル社製のCH-46シー・ナイトを導入した
1983 HMM-264は1983年、レバノンのベイルートで多国籍平和維持軍 Multinational Peacekeeping Forceの一員として活動した。この飛行隊は、シャウフ山脈 Chauf Mountainsで雪に閉じ込められた多数のレバノン民間人を救助するなど、数々の貢献を果たした。その結果、国防輸送安全賞 Defense Transportation Safety Award、海兵隊遠征勲章 Marine Corps Expeditionary Medal、海軍部隊表彰 Navy Unit Commendation、1983年海軍作戦部長航空安全賞 1983 Chief of Naval Operations Aviation Safety Awardなど、数々の賞を受賞した
1980年代初め 1980年代初め、“ブラック・ナイツ Black Knights”は、第6上陸部隊(Landing Force Sixth Fleet: LF6F)の任務を支援する東海岸の海兵隊両用ユニット Marine Amphibious Unitを展開する航空戦闘部隊(Aviation Combat Element: ACE)として、地中海を頻繁に訪問した。この期間中、飛行隊はスペインからレバノンに至るまで、数多くの演習や緊急事態対応作戦に参加した
1987 1987年、HMM-264は、AV-8BハリアーIIと海兵航空管制群(Marine Air Control Group: MACG)の部隊を率いて展開した最初の航空戦闘部隊となった。強襲揚陸艦ナッソー Nassau(LHA-4)に展開した同飛行隊は、スペイン、イタリア、フランスのPHILBEXに参加した。ACEの戦力リストへのこれらの追加は、のちにLF6F海兵隊遠征ユニット(LF6F Marine Expeditionary Units: MEU)の展開における標準となった
1990/1 1990年1月(一部報告では1989年5月)、LF6F 2-90からの帰還後、HMM-264はコロンビア沖での“トップ・キック作戦 Operation Top Kick”支援任務を命じられた。同中隊はこの作戦全体を通じて支援を提供し、1990年2月にコロンビア・カルタヘナで開催された大統領級麻薬サミットでその頂点を迎えた。“ブラック・ナイツ”は作戦中の功績により、合同功績部隊表彰 Joint Meritorious Unit Citationを受賞した
1991/4 1991年4月、同飛行隊はサルデーニャ島での作戦から転用され、トルコのイスケンドゥルン Iskendrunへ移動した。92日間にわたり、“ブラック・ナイツ”は“プロヴァイド・コンフォート作戦 Operation Provide Comfort”の一環として、イラク北部のクルド人難民への支援と安全確保を行う連合軍の主力航空部隊として活動した。“プロヴァイド・コンフォート作戦”開始から2週間で、ブラックナイツは1,000時間以上を飛行し、イラク山岳地帯の孤立したクルド人キャンプへ450t以上の救援物資を輸送した。同飛行隊は合同功績部隊表彰 Joint Meritorious Unit Commendation、人道奉仕章 Humanitarian Service Medal、南西アジア従軍章(ブロンズ・スター付) Southwest Asia Service Medal with Bronze Star deviceを授与された。
1994/6 1994年6月、“ブラック・ナイツ”は飛行隊創設35周年を祝った。8月までに、同飛行隊はふたたび増強され、特別目的海兵航空地上任務部隊(Special Purpose Marine Air Ground Task Force: SPMAGTF)カリブ海部隊の主力航空部隊(ACE)として強襲揚陸艦(多目的)ワスプ Wasp(LHD-1)に搭乗し、そののちハイチにおける“民主主義支援作戦 Operation Support Democracy”および“民主主義擁護作戦 Operation Uphold Democracy”を支援するため展開した。1994年9月20日、HMM-264はカプリ・ハイチアン空港および港湾施設への垂直攻撃作戦に参加した。この作戦は1900年代初め以来となる海兵隊のハイチ上陸を意味した。これらの作戦期間中、HMM-264は襲撃作戦、兵站支援、人道支援飛行、医療後送支援など多様な任務も遂行した。同飛行隊はこれらの作戦支援に対し、人道奉仕章および遠征軍勲章 Armed Forces Expeditionary Medalを受章した
1995春 1995年春、同飛行隊は第26海兵遠征ユニット(26th Marine Expeditionary Unit: 26th MEU)の主力航空部隊として地中海に再デプロイメントした。この期間中、HMM-264はボスニアヘルツェゴヴィナにおける“デナイ・フライト作戦 Operation Deny Flight”および“ディサイシヴ・エンデヴァー作戦 Operation Decisive Endeavor”を支援するため、固定翼機99回、回転翼機36回の出撃を行った。
1996/6 1996年6月、66時間の通知期間を経て、“ブラック・ナイツ”はリベリア特別機動任務部隊(SPMAGTF Liberia)とともにデプトイメントし、西アフリカの都市モンロヴィア Monrovia(リベリアの首都)において大使館の増強、警備、補給作戦を実施した。HMM-264は4機のCH-46Eと2機のUH-1Nドック型輸送揚陸艦ポンス Ponce(LPD-15)に搭載し、大西洋を横断して出航した。2か月間にわたり、“ブラック・ナイツ”はシエラ・レオネのフリータウンを拠点に、過酷な環境と長距離作戦に伴う兵站上の課題にもかかわらず、海兵隊員および米国大使館を支援した。同飛行隊はこの功績により人道的奉仕勲章と共同功績表彰章 Joint Meritorious Commendation Medalを受章した。
HMM-264は、デイトン和平合意調印 Dayton Peace Accords後、ボスニアヘルツェゴヴィナ国内で活動した初のNATO戦術航空戦力(NATO TACAIR)を提供した。1998年8月に別のデプロイメントから帰還したHMM-264は、軍隊従軍章 Armed Forces Service Medal、軍隊遠征章、および部隊表彰(功績) Meritorious Unit Commendationを受賞した。HMM-264はまた、1998年度の海兵隊航空協会選定“年間最優秀中型ヘリコプター飛行隊” Marine Corps Aviation Association, Marine Medium Helicopter Squadron of the Year for 1998に選ばれた
1999/9 1999年9月、“ブラック・ナイツ”はハリケーン“フロイド” Hurricane Floydの接近に先立ち避難活動を実行した。同飛行隊は洪水被害を受けたノース・カロライナ州に戻り、連邦緊急事態管理庁 Federal Emergency Management Agencyおよび同州民への支援を提供した。“ブラック・ナイツ”は救援任務を実施し、被災地域全域における国会議員やそのほかの要人の移動を支援した。12月初めには、同飛行隊は強襲揚陸艦サイパン Saipan(LHA-2)艦上で初の艦上相互運用性訓練 shipboard interoperability trainingを実施し、MV-22作戦試験評価 MV-22 Operational Test Evaluationを支援した
2003/3 2003年3月5日、同飛行隊は強襲揚陸艦(多目的)イオー・ジマ Iwo Jima(LHD-7)の処女航海に搭乗し、計画された8か月のデプロイメントを開始した。同飛行隊は2003年4月14日に開始され2週間続いたイラク北部作戦を実施。6機のCH-46Eと6機のCH-53Eが地中海からイラクのアルビル Irbilおよびモスルまで495マイル(797km)以上を飛行した。この飛行は、MEU(海兵遠征ユニット)による陸上作戦への自己展開飛行としては史上最長記録である。“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するため、同飛行隊はイラク北部地域で偵察飛行および存在感示威飛行を実施した。デプロイメント期間中、同飛行隊はペルシャ湾において1か月以上にわたり即応展開可能な両用即応群(ARG)として“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援し、アフリカ・ジブチでは“ジブチ演習 exercise Djibouti-Ex”に参加した。2か月間、同飛行隊はリベリア合同任務部隊を支援し、ECOWAS軍部隊が配置されるまで内戦後のリベリア安定化に貢献した。10月、ブラックナイツは約8か月の展開を終え帰還。リベリア作戦に対し人道的奉仕勲章を、イラク・ペルシャ湾・アフリカの角における作戦に対し新設の対テロ戦争(遠征)勲章 Terrorism (Expeditionary) Medal for Operationsを授与された
2005/1 2005年1月、同飛行隊は“イラクの自由作戦04-06 OIF 04-06”を支援するためイラク・アル・アサド基地 Al Asadへデプロイメントした。イラク駐留中、“ブラック・ナイツ”は負傷者後送、要人輸送、攻撃支援作戦を実施し、“マタドール作戦 Operation Matador”に参加した。2005年8月下旬、“ブラック・ナイツ”はニュー・リヴァー基地へ帰還したが、ハリケーン“カトリーナ” Hurricane Katrina救援活動支援のため分遣隊としてふたたび召集された
2008秋 2008年秋、同飛行隊は第26海兵遠征ユニットの航空戦闘部隊として展開した。2009年4月の帰還後、東海岸の飛行隊として最後にMV-22オスプリーへの移行を完了した
2010/12 MV-22プラットフォームでの作戦能力達成後、VMM-264は“不朽の自由作戦”支援のため2度のデプロイメントを遂行した。2010年12月の初デプロイメントでは、V-22コミュニティにとっての画期的な出来事となった。2011年2月10日、“ブラック・ナイツ”が操縦する機体が、プラットフォーム全体の総飛行時間100,000時間を突破したのである。飛行隊は2013年1月にふたたびデプロイメントした
2018秋 西アフリカにおけるエボラ出血熱 Ebola Virus Diseaseの拡大を受け、米国は“ユナイテッド・アシスタンス作戦(Operation United Assistance: OUA)”を開始した。空輸資産の必要性が即座に認識され、2014年10月にはMV-22部隊の一部がリベリアのモンロヴィアにデプロイメントし、ほかの米軍資産が到着するまでの間、輸送要件を満たすこととなった。モンロヴィア到着から3日以内に、VMM-264はウイルス流行への対応支援を目的とした飛行作戦を開始した。そののち数週間にわたり、VMM-264はVIPの移動、医療訓練チームの輸送、NGO支援、リベリア全土への医療物資輸送など多岐にわたる任務を遂行した。VMM-264はリベリア駐在米国大使、国連駐在米国大使、リベリア軍参謀総長、リベリア大統領を含む多数の要人を輸送した
2025/12 米海兵隊は、2020年6月24日に閉隊していた VMM-264の再編式典を2025年12月11日にニュー・リヴァー海兵航空基地で挙行した。第2海兵遠征軍(II Marine Expeditionary Force: II MEF)の指揮下に入る


Update 25/12/25