日付 |
主な出来事 |
1970 |
VF-202は1970年7月1日に第52海軍予備役戦闘飛行隊第2分遣隊(Naval Reserve fighter squadron 53D2:
VF-53D2)から分離して設立された。これは1968年のプエブロ危機の際に海軍予備役戦術航空飛行隊 Naval Reserve tactical
aviation squadronsの召集に問題があったため、海軍航空予備役の全面的な見直しの一環として行われた。これにより、海軍航空予備役の空母艦載機飛行隊は、現役の正規海軍と同じように、全ての海軍予備役空母艦載機飛行隊を2つの予備役空母航空団(Reserve
Carrier Air Wing: CVWR)に編成することになった |
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VF-202は最初F-8Hを飛ばし、1976年にF-4Nに移行した。1980年代にはF-4Sに移行した |
1987 |
1987年、VF-202はF-14Aの新造ブロック110ヴァージョンに移行し、1987年3月27日に最初の機体を受領した。予備役のため、移行には現役部隊よりも時間がかかり、1988年5月にVF-202が汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)でF-14の空母艦載機資格を取得するまで完了しなかった |
1988 |
VF-202は、RA-5CとRF-8Gが段階的に使用されなくなったのち、2機の核攻撃可能な航空機を装備し、飛行隊に余分な任務を与えた。TARPS部隊として1988年、同飛行隊はテキサス州バーグストローム空軍基地 Bergstrom AFBで開催された偵察航空大会に、太平洋艦隊代替飛行隊 Pacific Fleet Replacement SquadronのVF-124を含む他のF-14飛行隊とともに参加した。冷戦終結後の兵力削減と継続的な予算削減があったとしても、TARPSが可能な飛行隊が廃止されることはないだろうと予想されていた。しかし、VF-202を閉隊し、F-14の姉妹飛行隊であるVF-201をTARPS対応飛行隊にすることが決定された。VF-202は1994年12月31日に閉隊され、その航空機は現役のF-14飛行隊、主に旧大西洋艦隊
Atlantic Fleet、そして現在はヴァージニア州オシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaで唯一のF-14艦隊代替飛行隊であるVF-101に再配分された |
海軍予備役テイルフック中隊年間最優秀賞 Naval Reserve Tailhook Squadron of the Year(1981年)
ノエル・デイヴィス・バトル“E”賞Noel Davis Battle"E" Award(1981年、1982年、1985年、1989年)
海軍作戦部長安全“S”賞 Chief of Naval Operations Safety "S" Award(1981年、1984年、1987年、1990年)
CVWR-20保持優秀賞 CVWR-20 Retention Excellence Award(1988年、1989年、1992年)
功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendation(1988年、1989年)
COMNAVAIRESFOR“安全による即応性賞” COMNAVAIRESFOR "Readiness through Safety
Award"(1989年)
世界偵察航空大会海軍/海兵隊最優秀チーム Worldwide Reconnaissance Air Meet (RAM) Best Navy/Marine
Corps Team(1990年)
1994年、VF-202はCOMFITWINGLANT史上最高のCWTPIスコアを獲得。査察官から“これまで観察された中で最もプロフェッショナルな飛行隊
the most professional squadron ever observed”と評価される |