戦闘飛行隊 Fighter Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※海軍航空予備隊 Naval Air Reserveの再編成の際にニュー・ヨーク海軍航空基地 NAS New Yorkの戦闘飛行隊(VF-718と思われる)が1949年9月にVF-831に改称された。第831戦闘飛行隊(Fighter Squadron 831: VF-831)は1951年2月1日に現役に召集された。1953年2月4日に第153戦闘飛行隊(Fighter Squadron 153: VF-153)に改編。1956年12月15日に第153攻撃飛行隊(Attack Squadron 153: VA-153)に改編。1977年9月30日に閉隊。VA-153の呼称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはBlue Tail Flies(1953年〜1977年)
所在地 | 駐留日 |
NAS New York, Floyd Bennett Field | |
NAS Alameda | 1951/4/1 |
NAS Moffett Field | 1952/5/5 |
NAS Lemoore | 1961/8/21 |
1951年2月1日、飛行隊の現役復帰に先立ちニュー・ヨーク海軍航空基地 NAS New Yorkに配属される |
航空団 | テイル・コード | 割り当て日 |
CVG-15/CVW-15 | H/NL | 1951/4 |
COMFAIRLEMOORE | 1969 | |
CVW-19 | NM | 1969/11/22 |
第15空母航空群(CVG-15)は、1963年12月20日に第15空母航空団(CVW-15)と改称された1957年にテイル・コードがHからNLに変更された。この変更は この変更の発効日は、おそらくFY58初め(1957年7月1日)であろう |
航空機の割り当て | 初受領日 |
F6F | |
F9F-2 | 1951/2/6 |
F9F-5 | 1952/8 |
F9F-6 | 1953/10 |
FJ-3 | 1955/3 |
F9F-8 | 1955/11 |
F9F-8B | 1956/4 |
A4D-1 | 1957/2/12 |
A4D-2 | 1958/10/27 |
A4D-2N/A-4C | 1961/6/20 |
A-4E | 1967/1 |
A-4F | 1968/4 |
A-7A | 1969/9/14 |
A-7B | 1973/5 |
1949年9月から1951年1月まで予備役として、ニュー・ヨーク海軍航空基地に配備されていたF6Fプール機(保管機)を利用していた可能性が高いA4D-2Nの呼称は1962年にA-4Cに変更された |
日付 | 主な出来事 |
1955/2 | タチェン諸島 Tachen Islandsからの中国国民党 Chinese Nationalistsの避難を支援するために飛行隊の航空機が出撃した |
1958/8/23〜9/9 | 中国共産党 Chinese Communistsが金門島 Quemoy Islandを砲撃した後、台湾海峡で出撃 |
1961/1 | VA-153を搭載した攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)は、ラオスでパテート・ラオ軍 Pathet Lao forcesが戦略的拠点を占領したのち、南シナ海で活動した |
1965/2/2 | ラオスでの作戦に参加し始める。これらの作戦は“ヤンキー・チーム Yankee Team”、“バレル・ロール Barrel Roll”、“スチール・タイガー Steel Tiger”のミッションであった。 |
1965/2/7と11 | 民族解放戦線が南ヴェトナムのプレイク Pleikuのアメリカ人顧問団とクイ・ニョン Qui Nhonのアメリカ人宿舎を攻撃したのち、北ヴェトナムの目標に対する報復攻撃である“フレーミング・ダートI Flaming Dart I”と“フレーミング・ダートII Flaming Dart II”に参加した |
1965/3 | 北ヴェトナムの軍事目標への爆撃である“ローリング・サンダー Rolling Thunder”作戦に参加 |
1965/8/3 | 飛行隊長 squadron's commanding officerであったH. E. トーマス中佐 Commander H. E. Thomasが北ヴェトナム上空で戦死 |
1968/3 | VA-153を搭載したコーラル・シーは、1月に環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)が北朝鮮に拿捕されたのち、韓国沖で定点観測を行った |
1970/11/12 | ハノイ Hanoiの西20マイルにあるソンタイ捕虜収容所 Son Tay prisonerでのアメリカ人捕虜の救出作戦を支援するため、飛行隊が飛行した |
1973/2/11〜22 | 北ヴェトナムとの停戦後、1973年2月22日にラオスとの停戦協定が結ばれるまでラオスで戦闘任務を行った |
1973/2 | D. R. ワイクマン中佐 Commander D. R. Weichmanはヴェトナム戦争で625回目の戦闘任務を遂行した。彼はこの紛争における海軍固定翼パイロットの最多戦闘任務数の記録を保持している |
1973/11 | VA-153を搭載した攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)は、中東の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争 Yom Kippur War)後の不穏な情勢のため、アラビア海に停泊中の攻撃航空母艦ハンコック Hancock(CVA-19)を救援するために南シナ海での作戦から離脱した |
Update 24/02/20