VAQ
戦術電子戦飛行隊 Tactical Electronics Warfare Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没み、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Carrier Tactical Electronics Warfare Squadron or Tactical Electronics Warfare SquadronはのちにElectronic Attack Squadronに改称された
※1949年に第33混成飛行隊(Composite Squadron 33: VC-33)として設立され、1956年に第33攻撃飛行隊(全天候、All-Weather Attack Squadron 33: VA(AW)-33)に改編。1958年に第33艦載早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Squadron: VAW-33)に改編。1970年に第33戦術電子戦飛行隊(Carrier Tactical Electronics Warfare Squadron 33もしくはTactical Electronics Warfare Squadron 33: VAQ-33)に改編。1993年10月1日に同飛行隊は閉隊。ニックネームはNighthawks(1952年〜1970年)、Firebirds(1970年〜1986年)

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
NAS Norfolk 1949
NAS Atlantic City 1950
NAS Quonset Point 1958
NAS Norfolk 1970
NAS Oceana 1978
NAS Key West 1980
航空機の割り当て 初受領日
TBM-3E/N/QSNB-5 1956/3/31
ERA-3BEA-4FNC-121K 1970
EF-4B/J 1976
EA-6A 1978
P-3A 1980
日付 主な出来事
1949 飛行隊は1949年にノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkの第33混成飛行隊(Composite Squadron 33: VC-33)として設立された。TBM-3E/N/Qアヴェンジャーと数機のSNB-5テキサンを飛行させた。その任務は対潜水艦戦(antisubmarine warfare: ASW)であった。1950年にアトランティック・シティ海軍航空基地 NAS Atlantic Cityに移転し、任務は夜間攻撃に変更された。朝鮮戦争には3つの分遣隊を空母に搭載して派遣し、夜間攻撃とECM任務で功績を残した
1952 1952年には“ナイトホークス Nighthawks”というニックネームを採用し、1956年には第33攻撃飛行隊(全天候、All-Weather Attack Squadron 33: VA(AW)-33)として再指定された
1958 1958年、飛行隊はクオンセット・ポイント海軍航空基地 NAS Quonset Pointに移転し、間もなく第33艦載早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Squadron: VAW-33)に改称された
1961 1961年には、大西洋艦隊の対潜空母にASW分遣隊を提供し始めた
1966 1966年、VAW-33分遣隊はジェミニ9号宇宙船 Gemini IX spacecraftの回収を支援した
1967 1967年から1968年にかけて、VAW-33はヴェトナム戦争地域で空母ベースのECMサーヴィスを提供した
1970 1970年にノーフォーク海軍航空基地に戻った飛行隊は、現在は第33戦術電子戦飛行隊(Carrier Tactical Electronics Warfare Squadron 33もしくはTactical Electronics Warfare Squadron 33: VAQ-33)と命名され、“ファイヤーバーズ Firebirds”のニックネームを採用し、艦隊電子戦支援グループの作戦統制下に入った。その新しい任務は、艦隊のユニットに対する電子的脅威をシミュレートすることであった。その標準的な航空機はすぐに、クジラの愛称で呼ばれるERA-3Bスカイウォーリア4機、EA-4Fスカイホーク4機、NC-121Kウォーニング・スター1機となった。その分遣隊は、ノルウェーからハワイまでのミサイルや妨害レーダーをシミュレートし、艦隊の演習の標準装備としてすぐに要請されるようになった。1976年、飛行隊はEF-4BEF-4JファントムIIの運用を開始した
1977 1977年、“ファイヤーバーズ”は“ホエール”の訓練ヴァージョンを追加し、A-3スカイウォーリア艦隊代替飛行隊(fleet replacement squadron: FRS)となり、A-3乗組員に飛行訓練、整備訓練、空母資格サーヴィスを提供した
1978 飛行隊は1978年にオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ移り、すぐに4機の元海兵隊EA-6Aイントルーダーを獲得した
1980 1980年、飛行隊はキー・ウェスト海軍航空基地 NAS Key Westに最後の移転を行った。海軍最後の“コニー”となったNC-121Kに代わってP-3Aオライオンが配備された
最後の十数年間、VAQ-33は艦隊を支援するテンポの速い作戦を続けた。VAQ-33は、自律整備ユニット(autonomous maintenance units: AMU)を利用する数少ない米海軍飛行隊のひとつであった。AMUは主力飛行隊の中で特定の型式の飛行隊として活動した。AMU-1はA-3スカイウォーリア(“クジラ Whales”として知られる)の整備を行った
1988 1988年から“ホエール”が退役するまでの間、VAQ-33はデイヴィス・モンサン空軍基地 Davis Mothan AFBや博物館に払い下げられる前に評価されるA-3のクリアリング・ハウスとなった。AMU-2はEA-6AとEA-6Aリキャップ・エレクトリック・イントルーダー Recap Electric Intrudersの整備を行った。AMU-3はA-1スカイレイダーの整備を行い、A-4スカイホークに置き換えられ、TA-7CTA-7ZコルセアIIに置き換えられた。TA-7ZコルセアIIは、飛行隊の電子戦任務を支援するために社内でアヴィオニクスと機体を改造したもので、一連の電子戦ポッドを搭載することができた。AMU-4は、P-3(airframe #3)から、飛行隊の任務を支援するために特別に作られたEP-3Jに改造するためのデポレヴェル整備を受けるP-3Bまで、いくつかのヴァリエーションのP-3オライオン航空機の整備を行った。AMU-5はF-4ファントムIIの整備を行った。AMU-6は航空機が搭載する電子戦ポッドの中級レヴェルの整備を行った。EA-6Aは飛行隊の唯一のジェット機となり、ターボプロップのP-3オライオンを3機保持した。飛行隊の任務における成功は、1983年にポイント・マグー海軍航空基地 NAS Point MuguにVAQ-34を、1991年にホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey IslandにVAQ-35を設立したことで示された。1991年の“ホエール”の退役により、A-3 FRSとしての役割は終了した。電子攻撃機の任務は最終的に海軍予備役に移管された。2機のEP-3Jオライオンは海軍予備役飛行隊 Navy Reserve Squadronである第66哨戒飛行隊(Patrol Squadron 66: VP-66)に移管され、電子戦攻撃任務を継続することになった。これはVP-66の新しい任務であり、飛行隊の人員は飛行隊の他の任務に加えて新しい任務を達成するために増員された。VAQ-33は1993年に最終的に運用を終了した。“この飛行機を飛ばすのは最後”という伝統に従い、そのEA-6Aはその種の最後の退役機となった。飛行隊は1993年10月1日に閉隊した

↑EA-1F Skyraider from VAQ-33 assigned to USS John F. Kennedy. Image courtesy of en.wikipedia.org.

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/12/30