日付 |
主な出来事 |
1949 |
飛行隊は1949年にノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkの第33混成飛行隊(Composite Squadron 33: VC-33)として設立された。TBM-3E/N/Qアヴェンジャーと数機のSNB-5テキサンを飛行させた。その任務は対潜水艦戦(antisubmarine warfare: ASW)であった。1950年にアトランティック・シティ海軍航空基地
NAS Atlantic Cityに移転し、任務は夜間攻撃に変更された。朝鮮戦争には3つの分遣隊を空母に搭載して派遣し、夜間攻撃とECM任務で功績を残した |
1952 |
1952年には“ナイトホークス Nighthawks”というニックネームを採用し、1956年には第33攻撃飛行隊(全天候、All-Weather Attack Squadron 33: VA(AW)-33)として再指定された |
1958 |
1958年、飛行隊はクオンセット・ポイント海軍航空基地 NAS Quonset Pointに移転し、間もなく第33艦載早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Squadron: VAW-33)に改称された |
1961 |
1961年には、大西洋艦隊の対潜空母にASW分遣隊を提供し始めた |
1966 |
1966年、VAW-33分遣隊はジェミニ9号宇宙船 Gemini IX spacecraftの回収を支援した |
1967 |
1967年から1968年にかけて、VAW-33はヴェトナム戦争地域で空母ベースのECMサーヴィスを提供した |
1970 |
1970年にノーフォーク海軍航空基地に戻った飛行隊は、現在は第33戦術電子戦飛行隊(Carrier Tactical Electronics
Warfare Squadron 33もしくはTactical Electronics Warfare Squadron 33: VAQ-33)と命名され、“ファイヤーバーズ
Firebirds”のニックネームを採用し、艦隊電子戦支援グループの作戦統制下に入った。その新しい任務は、艦隊のユニットに対する電子的脅威をシミュレートすることであった。その標準的な航空機はすぐに、クジラの愛称で呼ばれるERA-3Bスカイウォーリア4機、EA-4Fスカイホーク4機、NC-121Kウォーニング・スター1機となった。その分遣隊は、ノルウェーからハワイまでのミサイルや妨害レーダーをシミュレートし、艦隊の演習の標準装備としてすぐに要請されるようになった。1976年、飛行隊はEF-4BとEF-4JファントムIIの運用を開始した |
1977 |
1977年、“ファイヤーバーズ”は“ホエール”の訓練ヴァージョンを追加し、A-3スカイウォーリア艦隊代替飛行隊(fleet replacement
squadron: FRS)となり、A-3乗組員に飛行訓練、整備訓練、空母資格サーヴィスを提供した |
1978 |
飛行隊は1978年にオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ移り、すぐに4機の元海兵隊EA-6Aイントルーダーを獲得した |
1980 |
1980年、飛行隊はキー・ウェスト海軍航空基地 NAS Key Westに最後の移転を行った。海軍最後の“コニー”となったNC-121Kに代わってP-3Aオライオンが配備された |
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最後の十数年間、VAQ-33は艦隊を支援するテンポの速い作戦を続けた。VAQ-33は、自律整備ユニット(autonomous maintenance units: AMU)を利用する数少ない米海軍飛行隊のひとつであった。AMUは主力飛行隊の中で特定の型式の飛行隊として活動した。AMU-1はA-3スカイウォーリア(“クジラ Whales”として知られる)の整備を行った |
1988 |
1988年から“ホエール”が退役するまでの間、VAQ-33はデイヴィス・モンサン空軍基地 Davis Mothan AFBや博物館に払い下げられる前に評価されるA-3のクリアリング・ハウスとなった。AMU-2はEA-6AとEA-6Aリキャップ・エレクトリック・イントルーダー
Recap Electric Intrudersの整備を行った。AMU-3はA-1スカイレイダーの整備を行い、A-4スカイホークに置き換えられ、TA-7CとTA-7ZコルセアIIに置き換えられた。TA-7ZコルセアIIは、飛行隊の電子戦任務を支援するために社内でアヴィオニクスと機体を改造したもので、一連の電子戦ポッドを搭載することができた。AMU-4は、P-3(airframe
#3)から、飛行隊の任務を支援するために特別に作られたEP-3Jに改造するためのデポレヴェル整備を受けるP-3Bまで、いくつかのヴァリエーションのP-3オライオン航空機の整備を行った。AMU-5はF-4ファントムIIの整備を行った。AMU-6は航空機が搭載する電子戦ポッドの中級レヴェルの整備を行った。EA-6Aは飛行隊の唯一のジェット機となり、ターボプロップのP-3オライオンを3機保持した。飛行隊の任務における成功は、1983年にポイント・マグー海軍航空基地
NAS Point MuguにVAQ-34を、1991年にホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey IslandにVAQ-35を設立したことで示された。1991年の“ホエール”の退役により、A-3
FRSとしての役割は終了した。電子攻撃機の任務は最終的に海軍予備役に移管された。2機のEP-3Jオライオンは海軍予備役飛行隊 Navy Reserve
Squadronである第66哨戒飛行隊(Patrol Squadron 66: VP-66)に移管され、電子戦攻撃任務を継続することになった。これはVP-66の新しい任務であり、飛行隊の人員は飛行隊の他の任務に加えて新しい任務を達成するために増員された。VAQ-33は1993年に最終的に運用を終了した。“この飛行機を飛ばすのは最後”という伝統に従い、そのEA-6Aはその種の最後の退役機となった。飛行隊は1993年10月1日に閉隊した |