VAQ
戦術電子戦飛行隊 Tactical Electronics Warfare Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Carrier Tactical Electronics Warfare Squadron or Tactical Electronics Warfare SquadronはのちにElectronic Attack Squadronに改称された
※第131電子攻撃飛行隊(Electromagnetic Attack Squadron 131: VAQ-131) は“ランサーズ”としても知られ、運動性および非運動性の敵防空(kinetic and non-kinetic Suppression of Enemy Air Defenses: SEAD)制圧に特化したアメリカ海軍の戦術ジェット機飛行隊である。ホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey Islandを拠点とし、EA-18Gグラウラーを使用している。ニックネームはLancers

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Whidbey Island 1946
航空機の割り当て 初受領日
P2V 1946
A3D 1956
KA-3B
EKA-3 1968/11
EA-6B 1971
EA-6B EXCAP 1976
EA-6B ICAP 1978
EA-6B ICAP II 1984
EA-18G 2014/5
日付 主な出来事
1946 VAQ-131は元々第91哨戒飛行隊(Patrol Squadron 931: VP-931)として設立された。1946年から1955年まで、VP-931はP2Vを使用していた
1956 1956年、飛行隊はA3Dに移行し、第4重攻撃飛行隊(Heavy Attack Squadron 4: VAH-4)に改称された
ヴェトナム戦争中、VAH-4の分遣隊は“ヤンキー・ステーション Yankee Station”と“ディキシー・ステーション Dixie Station”で活動する以下の空母に配備された
1963/8 1963年8月1日~1964年3月10日までG分遣隊 Detachment GのA-3Bは西太平洋展開のため攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)に乗艦した
1964/1 1964年1月28日~11月21日、E分遣隊 Detachment Eは攻撃航空母艦ボノム・リシャール Bon Homme Richard(CVA-31)に乗艦
1964/10 1964年10月21日~1965年5月29日、L分遣隊 Detachment LのA-3Bが攻撃航空母艦ハンコック Hancock(CVA-19)に乗艦
1965/5 1965年5月10日~12月13日、第62分遣隊 Detachment 62のA-3Bが攻撃航空母艦インディペンデンス Independence(CVA-62)に乗艦
1965/9 1965年9月28日~1966年5月13日、B分遣隊 Detachment BのA-3Bが攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)に乗艦
1965/10 1965年10月19日~1966年6月13日、C分遣隊 Detachment CのA-3Bは攻撃航空母艦キティ・ホーク Ticonderoga(CVA-63)に配備されていた。 1966年4月12日、中華人民共和国は雷州半岛 Leizhou Peninsula上空で米軍機を撃墜したと主張した。この航空機は飛行隊KA-3B Bu.No. 142653であることが確認され、キュービ・ポイント海軍航空基地 NAS Cubi Pointからキティ・ホークに向かう途中、4名の乗員を乗せたまま消息を絶った
1965/10 1965年10月26日~1966年6月21日、M分遣隊 Detachment MのA-3Bは原子力攻撃航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVAN-65)に搭載された
1966/5 1966年5月29日~11月16日、G分遣隊のA-3Bはオリスカニーに配備された
1966/10 1966年10月15日~1967年5月29日、E分遣隊のA-3Bがタイコンデロガに乗艦
1966/11 1966年11月5日~1967年6月19日、C分遣隊のKA-3Bがキティ・ホークに乗艦
1967/1 1967年1月5日~7月22日、B分遣隊のA-3Bがハンコックに乗艦
1967/1 1967年1月26日~8月25日、第31分遣隊 Detachment 31のA-3Bがボノム・リシャールに乗艦
1967/6 1967年6月16日~1968年1月31日、G分遣隊/第34分遣隊 Detachment 34のKA-3Bがオリスカニーに乗艦
1967/11 1967年11月18日~1968年6月28日、第63分遣隊 Detachment 63のKA-3Bがキティ・ホークに乗艦
1967/12 1967年12月28日~1968年8月17日、第14分遣隊 Detachment 14のKA-3Bがタイコンデロガに配備された
空母への配備に加えて、1966年にはKA-3Bの分遣隊がキュービ・ポイント海軍航空基地とダ・ナン基地 Da Nang Air Baseからも派遣された
1968/11 1968年11月、VAH-4はスカイウォーリアのEKA-3ヴァージョンを受領し、第131戦術電子戦飛行隊(Tactical Electronics Warfare Squadron 131: VAQ-131)に改称された。1971年、VAQ-131はEA-6Bの標準ヴァージョンを受領した米海軍で2番目の飛行隊となった。同飛行隊は1976年に拡張能力(Expanded Capability: EXCAP)ヴァージョンのプラウラーに、1978年に改良能力(Improved Capablility: ICAP)プラウラーに、1984年にICAP IIプラウラーに移行した。2014年5月、現在運用しているEA-18Gに移行した。EA-18Gは、統合防空システム(Integrated Air Defense System: IADS)におけるレーダーと地対空ミサイル(Surface-to-Air Missile: SAM)サイトを、空対地兵器の採用と精密電子攻撃の両方を通じて、より効果的に攻撃できるように飛行隊の能力を拡張し、後者はグラウラーのニッチ能力である。EA-18Gは空対空戦闘プラットフォームとしても有能である。


Update 24/04/20