VA
攻撃飛行隊 Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1955年6月1日設立。1992年10月30日に閉隊。最初のAttack Squadron 176: VA-176の名称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはThunderbolts(1955年〜1992年)

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
NAS Cecil Field 1955/6/1
NAS Jacksonville 1955/2
NAS Oceana 1968/5
航空団 テイル・コード 割り当て日
ATG-202 X/AQ 1955/6/1
CVG-17 AL 1958/3/15
COMFAIRJACKSONVILLE 1958/9/13
CVG-10/CVW-10 AK 1959/4/16
CVW-3 AC 1967/3/1
COMFAIRJACKSONVILL 1967/12/6
COMFAIRNORFOLK 1968/5
CVW-6 AE 1969/4/1
テイル・コードXは1956年までATG-202に割り当てられなかった。テイル・コードは1957年にXからAQに変更された。この変更の発効日はおそらく1958年度の初め(1957年7月1日)であった。1963年12月20日に空母航空群(Carrier Air Groups: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wings: CVW)に改称された際、CVG-10はCVW-10に改称された。VA-176は1967年12月6日にCVW-3が中南米派遣から帰還した際にCVW-3から移駐された。同飛行隊は、A-6イントルーダーの移行訓練を開始した艦隊航空ノーフォーク司令官 Commander Fleet Air Norfolkに譲渡されるまで、艦隊航空ジャクソンヴィル司令官 Commander Fleet Air Jacksonvilleの管理下にあったと考えられている
航空機の割り当て 初受領日
AD-6/A-1H 1955/6
A-6A 1969/2/5
KA-6D 1970/9/25
A-6C 1971
A-6E 1975/7
AD-6の呼称は1962年にA-1Hに変更された
日付 主な出来事
1956/10〜12 VA-176を搭載した攻撃航空母艦ランドルフ Randolph(CVA-15)は、スエズ動乱 Suez Warに対応するため、エジプト沖での作戦を命じられた
1960/11/14〜12/8 グアテマラとニカラグアの要請を受け、キューバからの共産主義者の侵入を防ぐため、中米諸国沿岸に海軍のパトロール隊が設置された。飛行隊は11月25日まで攻撃航空母艦シャングリラ Shangri-La(CVA-38)で活動し、航行中にシャングリラから攻撃航空母艦ワスプ Wasp(CVA-18)へ航空機と人員の完全な移送を行った。12月8日までワスプに駐留した
1961/6/2〜19 ドミニカ共和国の独裁者ラファエル・トルヒーヨ将軍 General Rafael Trujilloが暗殺されたのち、国内情勢が安定し始めるまで、飛行隊はシャングリラから同国沖で活動した
1963/5 ハイチとドミニカ共和国の内紛が続く中、飛行隊はカリブ海のシャングリラを拠点に活動
1965/8 シャングリラがイタリアのナポリに係留されている間、飛行隊の航空機は“ピンウィール作戦 Operation Pinwheel”で何度か使用された。航空機は空母の甲板に固定され、そのプロペラの推力は、悪天候や強風の中、修理中の船が係留から外れるのを防ぐのに役立てられた
1966/4/4 VA-176は対潜航空母艦イントレピッド Intrepid(CVS-11)に搭載された第10空母航空団(Carrier Air Wings 10: CVW-10)の一員としてヴェトナムに派遣された。これは最初に編成され、最初に配備された全攻撃航空団であった。2個飛行隊はA-1に、2個飛行隊はA-4に搭乗した
1966/5/15 “ディキシー・ステーション Dixie Station”から飛び立った飛行隊は、ヴェトナム共和国の反政府勢力に対する攻撃を行い、最初の戦闘出撃を行った
1966/10/9 救難戦闘空中哨戒任務 rescue combat air patrol missionを飛行中、4機の飛行隊航空機が4機の北ヴェトナムMiGと交戦。ウィリアム T. パットン中尉 Lieutenant (jg) William T. Pattonは交戦中にMiG-17の1機を撃墜。これはヴェトナム紛争中、プロペラ機が敵ジェット機を撃墜した最初で唯一の出来事であった。この功績により、パットン中尉は銀星章 Silver Starを授与された
1967/6/8 イスラエル軍が技術調査艦リバティ Liberty(AGTR-5)を攻撃した際、4機の飛行隊機が攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)から発進し、リバティを守るよう命じられた。出撃直後にイスラエルが攻撃を謝罪したため、航空機は回収された
1969/8 飛行隊のA-6Aが“ストーム・フューリー1969作戦 Operation Storm Fury 1969”で使用される。同機はハリケーン“デビー Debbie”の種まきに使用され、ハリケーンの壁を貫通し、“目”を通過して再び壁の外に出て、その時に種まき用の化学物質が散布された
1970/9/25 VA-176はKA-6Dタンカーを運用する最初の飛行隊となる
1973/10〜11 攻撃航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CVA-42)に乗艦した飛行隊は、アラブイスラエル戦争 Arab-Israeli warに対応するため、クレタ島近辺で活動した
1976/6 1976年6月13日、駐レバノン・アメリカ大使 The American Ambassador to Lebanonが暗殺され、汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)はVA-176を搭載してレバノン近海で活動した。飛行隊の航空機は、同国からの非戦闘員の避難を支援する任務に就いた
1981/5 VA-176を乗せた汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)は、スエズ運河を通過したのち、イスラエルがレバノンにあるシリアの地対空ミサイル・サイトを空襲したのちのイスラエルとシリアの危機のため、地中海東部に留まった
1983/10/25〜11/1 政治紛争が続き、グラナダの島国からアメリカ人を保護し避難させる必要があったため、VA-176機は“アージェント・フューリー作戦 Operation Urgent Fury”(アメリカ海兵隊と陸軍レンジャーが島に上陸する作戦)を支援するため、戦闘近接航空支援と偵察出撃を行った。
1983/12/4 レバノンのシリア陣地からの米軍偵察機に対する敵対的射撃に対応して、VA-176機は多国籍平和維持軍を見下ろすシリアのレーダー、通信、砲兵陣地に対する連携攻撃に参加した。飛行隊の5機すべてが任務を完了し、空母に無事帰還した
1988/6〜7 ペルシャ湾でのイラク・イラン戦争中、同飛行隊はクウェートの石油タンカーを護衛する“アーネスト・ウィル・ミッション Earnest Will Missions”の支援を行った
1991/6〜9 同飛行隊は、湾岸戦争後のイラクにおけるクルド人難民を支援するための第24海兵遠征ユニット 24th Marine Expeditionary Unitの任務を支援する“プロヴァイド・コンフォート作戦 Operation Provide Comfort”の支援任務を飛行した

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/07/02