VA
攻撃飛行隊 Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1967年11月1日設立。1990年12月17日に第105戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 105: VFA-105)に改編。VA-105の呼称を与えられた2番目の飛行隊であり、VFA-105の呼称を与えられた最初の飛行隊である。ニックネームはGunslingers(1968年ころ〜)
所在地 駐留日
NAS Cecil Field 1967/11/1
航空団 テイル・コード 割り当て日
VA-174 1967/11/1
COMFAIRJACKSONVILLE 1968/3/1
CVW-11 NH 1968
CVW-3 AC 1970/9
CVW-15 NL 1982/10/1
COMLATWING ONE 1983/10
MAG-12, 1st MAW AC 1984/6/8
COMLATWING ONE 1984/12
CVW-6 AE 1985/4/1
COMLATWING ONE 1990/10/1
CVW-3 AC 1991/9/1
新型機A-7Aの訓練中、VA-174に配属される。1968年6月以降、1968年12月に配備される前のCVW-11に配属された。飛行隊と航空団の記録には日や月の記載はない。飛行隊はCVW-3に配属されたのは1970年初頭のいつかである。1970年の初期にCVW-3に配属された。VA-105はMAG-12、1st MAWに配属され、岩国海兵航空基地 MCAS Iwakuniに陸上配備されていた。MAG-12に配備されている間 MAG-12に配備されている間は、機体にACというテイル・コードを使用していた
航空機の割り当て 初受領日
A-7A 1968/3/4
A-7E 1973/5/7
F/A-18A 1990/12/27
F/A-18C 1991/3/11
F/A-18E 2006/7
日付 主な出来事
1968/3/4 VA-174によるA-7Aの訓練を終了し、大西洋艦隊 Atlantic Fleetの作戦部隊となる
1969/5〜6 4月の北朝鮮による海軍のEC-121の撃墜を受け、攻撃航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CVA-63)は韓国沖で維持されているアメリカのプレゼンスに組み込まれることになった
1970/9〜10 パレスチナ人による旅客機のハイジャック、ヨルダンでの深刻な戦闘の発生、シリアによるヨルダン侵攻を受け、VA-105を搭載した攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)は地中海東部で活動し、ヨルダンからのアメリカ人の避難を支援し、ヨルダン政府への支援を表明するために準備された。ヨルダン政府への支持を表明した
1971/6〜10 CVW-3の一員としてサラトガに乗艦し、北大西洋と地中海に展開しながら、CVコンセプト評価に参加した。この構想では、攻撃型空母の任務に対潜水艦戦が追加された。空母航空団にASW機が追加され、空母は艦種記号がCVAからCVに改称された
1972/6〜10 南ヴェトナムへの物資の流入を阻止するため、北ヴェトナムの目標に対して激しい空爆を行う“ラインバッカーI Linebacker I”作戦に参加した
1972/12/18〜29 “ラインバッカーI”の強化版である“ラインバッカーII Linebacker II”の対北ヴェトナム作戦に参加
1975/1 キプロスでの激しいデモを受け、サラトガは同国沖で作戦を行い、アメリカ人の避難を支援する準備をした
1976/4 レバノン沖で活動し、同国からのアメリカ人の避難を支援する準備の為、“フルイド・ドライヴ Fluid Drive”作戦に参加した
1984/7〜12 西太平洋の岩国海兵航空基地への6ヶ月間の派遣を終え、飛行隊が帰還。1st MAWのMAG-12に配属された。海軍の飛行隊が海兵隊部隊派遣プログラム Marine Corps Unit Deployment Programに参加したのはこれが初めてで、第二次大戦後、海軍の飛行隊が海兵隊将校の指揮下に入るのもこれが初めてであった。海兵隊に配備されている間、飛行隊の主な任務は近接航空支援であった
1980年代 1980年代には、6回の地中海派遣を含む8回の海外派遣を行い、1983年には原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)の処女航海で世界一周クルーズを行った
1990/12/17 VA-105は1990年12月17日、F/A-18Aへの移行に伴い、VFA-105に改称された。1991年9月1日に汎用航空母艦ジョン F. ケネディ(CV-67)のCVW-3に移籍。VFA-105は1992年10月に最初のホーネット巡航を行った。1993年4月に地中海から帰還し、1994年10月の原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)への配備のためのワークアップを開始した。その後、1996年10月の原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)への配備に向けた整備を開始した。VFA-105とCVW-3は1998年に原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)で“サザン・ウォッチ Southern Watch”作戦と“デザート・フォックス Desert Fox”作戦を支援する為に派遣された
2000/11/28 VFA-105は原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)の初陣に乗り込み、“サザン・ウォッチ”作戦(OSW)の支援として地中海とペルシャ湾に派遣された。ガンスリンガーズは、2003年にハリー S. トルーマンで“イラクの自由 Iraqi Freedom”作戦を支援する為、地中海から作戦展開した
2006/7 VFA-105は、2006年7月に東海岸で初めてF/A-18Eに移行した飛行隊となった。2007年3月、VFA-105は女性指揮官による初の海軍戦闘攻撃飛行隊となり、サラ・ジョイナー隊長 CDR Sara Joynerが指揮を執った
2010/5 VFA-105はハリー S. トルーマンに7ヶ月間乗船し、2010年12月20日に帰投した
2013/7/22 VFA-105はハリー S. トルーマンに乗艦し、“不朽の自由 Enduring Freedom”作戦を支援する為に9ヶ月間の派遣を行った。2014年1月、フランス海軍原子力航空母艦シャルル・ド・ゴール Charles de Gaulle(R 91)に2個飛行隊のF/A-18Eが初めて配備された

↑フランス海軍原子力航空母艦シャルル・ド・ゴール(R 91)

↑第105攻撃飛行隊(VA-105)“ガンスリンガーズ”所属A-7E


Update 24/03/10