陸軍輸送船

※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略
※データは識別番号船ケーニヒ・ウィルヘルムII世の項を参照

↑USAT U.S. Grant (U.S. Army Transport, 1919-1941) Underway in Manila Bay, 11 May 1938. Photographed by the U.S. Army Air Corps Second Observation Squadron. Note the U.S. flag painted on her side. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Image courtesy of HyperWar.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
マダワスカ
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Madawaska Stettiner Maschinenbau A.G. Vulcan 1919/9/2 1941/6/16 ◎1919/9/2 陸軍に移管
◎1920/2/21 チェコ軍団の一部をウラジオストクから避難させ、クロアチアのFiumeに上陸させるために数回航海を行った(~1920/7/7)
◎1921/1 ポーランド救済遠征に参加(~1921/2)
◎1921/4/1 ニュー・ヨークにて係船、United States Shipping Boardに移管
◎1921/6/30 大統領令により陸軍省に移管される
◎1921/12 改装、オーヴァーホール(~1922/4、安全性の向上と高速化の為に最新の水管式ボイラーが搭載)
◎1922/6/3 U. S. グラント U. S. Grantと改名
◎後に陸軍輸送科太平洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)にて運用開始、母港はフォート・メイソン
◎サン・フランシスコ~ホノルル~マニラ~Chinwangtao間を運航し、時折グアムや長崎に寄港した
◎また、サン・フランシスコ~運河地帯~プエルト・リコ~ニュー・ヨーク間の航路にも臨時で就航
◎1925/4 サン・フランシスコにて石炭推進から重油推進機関への改装、その他の改装の(~1927/6)
◎1928 海兵隊遠征と陸軍のニカラグア地形調査団を支援(~1932)
◎1929/1 フィリピンの革命家として有名なエミリオ・アギナルド Emilio Aguinaldoをマニラからアメリカに移送し、アメリカ視察を実施
◎1938/3 中国から帰国した第15歩兵部隊 15th Infantryをタコマに輸送(1234
1939/5/19 グアムで座礁するも、軽微な損傷で離礁に成功(掃海艇ペンギン Penguin(AM-33)雑役艦ロバート L. バーンズ Robert L. Barnes(AG-27)が力を合わせても珊瑚から船を離す事が出来ず、グアム知事代理のジョージ W. ジョンソン Acting Governor of Guam, Comdr. George W. Johnsonは、島に向かう重巡洋艦アストリア Astoria(CA-34)リッチモンド K. ターナー大佐 Capt. Richmond K. Turnerと共同で(無線で)行動計画を立てるに至ったのである。21時間にわたり、海軍島嶼部隊 U.S. Naval Insular Forceと地元の港湾労働者は、座礁したU. S. グラントから300tの貨物を降ろし、燃料の多くは雑役艦ロバート L. バーンズ(AG-27)1023型貨物船Admiral Halsteadに移された。アストリアは、斉藤博駐米日本大使 Japanese Ambassador Hiroshi Saitoの遺灰を故郷に運び、アメリカに向かう途中、5月21日6時半に到着した。掃海艇ペンギン(AM-33)雑役艦ロバート L. バーンズ(AG-27)1023型貨物船Admiral Halsteadとともに所定の位置につき、0809、乗員の歓声とともにU. S. グラントが珊瑚礁から離礁。その後、島の新聞“グアム・レコーダー The Guam Recorder”は、1939年6月号でこう報じている。“この困難な作戦が短時間で遂行されたのは、陸海軍と商船隊の関係者の効率的な協力によるものであった”全ての貨物はすぐに積み替えられ、U. S. グラントは航海を再開)
◎1941/6/16 海軍に移管、メア・アイランド海軍工廠にて改装


Update 22/02/11