Major Naval of U.S. 2nd Fleet
↑Naval Station Norfolk at the height of the Cold War: An Octotober 1984 aerial view of destroyer and submarine piers (Nos. 22 and 23) with various ships at anchor, including destroyers, frigates, cruisers, destroyers, submarine tenders, and submarines (DN-SC-89-00580). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
- ハンプトン・ローズ
- ※ノーフォークはディスマル・スワンプ Dismal Swampと呼ばれる大湿地帯の一角にある。ジェームズ川とエリザベス川の河口が一体となってチェサピーク湾に注ぐあたり、昔からハンプトン・ローズと呼ばれる良好な泊地で、沿岸にはニューポート・ニューズ、ノーフォーク、ポーツマスなどの港湾都市が発達してきた。問題は海が浅いことで、ハンプトン・ローズの海戦でも北軍のフリゲイト4隻は座礁して行動の自由を失い、南軍もヴァージニア Virginiaもモニター Monitorとの海戦中に座礁。チェサピーク湾の入り口は10浬近くもあり、沿岸一帯が低地で明瞭な目標がないため、レーダー航法、地文航法とも難しく、入り口がわからなくて通り過ぎる船もあるという。チェサピーク湾の主航路は水深13.7m、幅約300ヤードで、両側に水深9.8m、幅150ヤードの補助航路がある。ヴァージニア州にはノーフォーク海軍基地を中心にして北西と南東の約80kmの間に、110,000人(1988年時)が勤務する6基地があり、さらにニューポート・ニューズには世界最大級の民間造船所がある。これらの基地を総合してノーフォーク基地群という。カリフォルニアの海軍基地が、サン・ディエゴ地区、ロング・ビーチ地区、サン・フランシスコ地区に3分割され、直線距離にして700kmも離れているのに対し、恐るべき過密基地網である
- ノーフォーク海軍基地
- ※ノーフォークはエリザベス川の東岸にあり、北岸はチェサピーク湾に面している。対岸のハンプトンにあるフォート・モンローと水路中央部のフォート・ウールの間は1.6km弱で、港の最終防御帯を構成。現代では昔ほどの利点はないが第二次大戦までの海軍戦略では港湾防衛上有利な地形。ノーフォーク海軍基地のある土地は、もともと1907年のジェームズタウン博覧会 Jamestown Expositionの会場だった。この博覧会の開催中、海軍の高級将校たちが相談を受け、この地が海軍基地に理想的だという考えに賛成した。1917年4月に米国が第一次大戦に参戦した直後、海軍長官はこの土地を購入するよう説得された。474エーカーの購入法案が可決された。また、桟橋、航空施設、倉庫、燃料用施設、石油貯蔵所、新兵訓練所、潜水艦基地、艦隊要員のためのレクリエーション・エリアなど、基地開発のための資金も確保された。そののち半年で、第5海軍司令部 Fifth Naval Headquarters、海軍作戦基地(Naval Operating Base: NOB)、海軍訓練所、海軍病院、潜水艦基地が設立された。1918年の休戦記念日までに、基地には34,000名の下士官がいた
- ※1917年10月、海軍作戦基地に水上機用の飛行場が設置された。1918年8月にはNOBから切り離され、ハンプトン・ローズ海軍航空基地 Naval Air Station (NAS) Hampton Roadsとなった。1921年7月にノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkと改名。1930年代後半から1940年代前半にかけて、戦争が目前に迫る中、海軍作戦基地と海軍航空基地では多くの建設が行われた。新しい建物や桟橋が建設され、第二次大戦で海軍が飛ばすさまざまな種類の航空機のために、新しい滑走路、格納庫、ランプが作られた。1942年12月、この基地での新兵訓練は、直接艦隊に向かう兵士のための上級訓練に集中するために廃止された
- ※海軍作戦基地と海軍航空基地は当時、まとめてノーフォーク海軍基地と呼ばれ、第二次大戦後も大西洋艦隊 Atlantic Fleetの本拠地として重要な役割を果たした。1953年1月、ノーフォーク海軍作戦基地 Naval Operating Base Norfolkはノーフォーク海軍基地 Naval Station Norfolkと改名された。1999年2月5日、ノーフォーク海軍航空基地は解体され、チェンバーズ・フィールド Chambers Fieldはノーフォーク海軍基地の一部となった。現在、ノーフォーク海軍基地は、海軍最大の部隊の拠点であるだけでなく、海兵隊、陸軍、空軍、沿岸警備隊の要員も受け入れており、重要な共同任務もサポートしている。海軍基地は市の北西端にある
- ※艦船係留区域は基地の西端で、長さ約40mの桟橋13基が櫛の歯のようにエリザベス川に突き出ている。係留岸壁の総延長は10.6kmにおよんでいる。基地内は大西洋艦隊司令部、NATO大西洋軍最高司令部、大西洋艦隊海兵隊司令部、大西洋水上部隊司令部、大西洋潜水部隊司令部、大西洋航空部隊司令部、第5海軍区司令部などの上級司令部が将旗を林立させており、海軍補給廠、艦船修理部、統合幕僚大学校などの施設もあり。基地に所属する人員は約89,000人(1988年時)、ここを母港とする艦船は96隻(1988年時)、ノーフォーク海軍航空基地(現チェンバーズ・フィールド)は32個航空隊の母基地となっている(1988年時)
- ※宿舎は士官、兵員用の官舎が約2,800。半数以上が家具付宿舎。臨時の宿泊施設は、VIP宿舎のほか基地外に海軍ロッジが90軒ある。デパートなみの売店は海軍軍人、家族用だが、通例入港艦船の乗組員には開放され、特別許可証をもらえば外来者も利用可。通貨交換所は米軍基地に必須の施設であり、屋外売店、スーパーストア、玩具、ホビー用品、大型家電品など生活必需品の専門店もある。娯楽・体育施設としては映画館、6つの水泳プール、4つの体育館、2つのボーリング場、2つのゴルフ場、22のテニスコート、釣りやヨットで楽しむ場所もある。未就学児童の保育園もあり。医療は外来は基地内の医療機関が担当。入院患者はポーツマスの海軍地区病院が面倒をみる
↑The Military Sealift Command (MSC) Combat Logistics Force (CLF) fleet replenishment oiler USNS Patuxent (T-AO-201) returns to Naval Station Norfolk, Dec. 10, 2024, after completing a 10-month deployment in the U.S. European Command area of responsibility. (U.S. Navy photo by Ryan Carter)
- ノーフォーク海軍造船所
- ※ノーフォーク海軍造船所はこちらページの「ノーフォーク海軍造船所」の項目を参照
- リトル・クリーク海軍両用戦基地
- ※ノーフォーク市の東北端、チェサピーク湾に面する位置にある。所在の主要部隊は第2海軍海岸作業隊群、第2特殊作戦群、大西洋揚陸部隊訓練団、海軍両用戦学校などある。この基地は両用戦艦艇、機雷戦艦艇など22隻の母港(1988年時)であり、基地人員は約4,000人(1988年時)
- オシアナ海軍航空基地
- ※ヴァージニア・ビーチ市にある。大西洋戦術航空群司令部、第1戦闘航空群、第1中型攻撃航空群および4個訓練航空隊などが置かれており、基地の人員は約9,000人(1988年時)
- ダムネック艦隊戦闘訓練基地
- ※ヴァージニア・ビーチ市の大西洋岸にある大西洋艦隊戦闘訓練団、各種戦闘訓練学校、海軍誘導弾学校などがある。基地の人員は約4,000人(1988年時)
- ヨークタウン海軍兵器廠
- ※ジェームズ川東岸、ヨークタウン市の西南端にある。ミサイル弾庫、機雷庫、海軍眼科訓練所、海兵隊兵営などがある
- ニューポート・ニューズ
- ※ハンプトン・ローズの北側、ジェームズ川の東岸にある港湾都市で、弾道ミサイル原潜4隻の母港になっている(1988年時)。ニューポート・ニューズ造船所はこちらページの「ニューポート・ニューズ造船所」の項目を参照
- ※チャールストンは大西洋からクーパー川を約6.5浬遡ったところにあるサウス・カロライナ州の港湾都市。大西洋に出る航路の幅は200〜300ヤード、水深は約10m。チャールストン海軍基地は南北戦争の史跡であるサムター要塞から約8浬上流のクーパー川の西岸にある。ノーフォーク、サン・ディエゴに次ぐ米海軍第3の基地で、チャールストン兵器廠を含めてチャールストン基地群と呼ばれている。基地所在の第6海軍区司令部、チャールストン兵器廠、チャールストン海軍造船所、海軍補給廠、大西洋潜水艦弾道弾庫、第2巡洋艦駆逐群、第6潜水隊戦群、機雷戦部隊、病床数500のチャールストン海軍地区病院などがある。戦略原潜17隻を含む68隻がチャールストンを母港にしており、基地に所属する人員は約24,000人(1988年時)
- ※ニュー・ロンドンはニュー・ヨーク港の北の出口であるロング・アイランド湾に北から流れこむテームズ川の西岸にあるコネチカット州の港湾都市。テームズ川の東岸には、ニュー・ロンドン郡の自治町グロトンがあり、2本の道路橋によってニュー・ロンドンと結ばれている。ニュー・ロンドンには沿岸警備隊士官学校がある。グロトン潜水艦基地はニュー・ロンドンから2.5浬上流にあり、ニュー・ロンドン基地とあわせてグロトン・ニュー・ロンドン基地もしくは単にニュー・ロンドン潜水艦基地と呼ばれる。テームズ川航路は水深が比較的深く、グロトン基地前面でもおおむね10m以上はある。ニュー・ロンドンは造船業が盛んで、ジェネラル・ダイナミックス社の造船部門であるエレクトリック・ボート部のグロトン造船所もここにある(グロトン造船所はこちらページの「エレクトリック・ボート社」の項目を参照 )。史上初の原子力潜水艦ノーチラス Nautilus(SSN-571)が1955年1月17日にグロトン造船所の岸壁を離れてテームズ川を下り、“原子力にて航行中”という歴史的な信号を発信したことはあまりにも有名である。最初のポラリス・ミサイル潜水艦が建造されたのもグロトン造船所。ジョージ・ワシントン George Washington(SSBN-598)は、1959年12月30日にグロトン造船所のDドックで就役した。ニュー・ロンドンの緯度は青森県むつ市と同じだが、冬季は寒冷で肌がさすような雪の日が多い。宇宙競争でソヴィエトの先を越されたアメリカはポラリス潜水艦建造計画を繰り上げ、ソヴィエトのスプートニク打ち上げから3ヶ月後には、グロトンのエレクトリック・ボート社では攻撃型原潜スコーピオン Scorpion(SSN-589)の船体を切断して、ポラリス潜水艦に改装する工事が始まった(1959年6月9日に上記のジョージ・ワシントンと改名、別の建造中の艦がスコーピオンの艦名を引き継ぐ)。しかし、あまりの寒さに溶接部に割れ目ができるという事故が頻発したので、この時から溶接工場に暖房施設を取り付けたのである。ニュー・ロンドン基地にある主要部隊・機関は海軍潜水学校、海軍潜水艦原子力学校、海軍潜水医学センター、海軍水中医学研究所、1個開発潜水戦隊、2個潜水戦隊、潜水艦支援整備隊などで弾道ミサイル原潜、攻撃型原潜約30隻の母港になっており、基地の人員は約14,000人である(1988年時)
Update 25/01/24