| 日付 |
主な出来事 |
| 1957/6 |
第11対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-Submarine Squadron 11: HS-11)は、1957年6月27日にロード・アイランド州クォンセット・ポイント海軍航空基地
NAS Quonset Pointで編成。飛行隊の愛称は“サブ・シーカーズ Sub Seekers”で、初飛行はシコルスキーHSS-1シーバット・ヘリコプターを使用し、コールサイン“スノーバウンド Snowbound”の運用だった。シーバットの主任務は対潜水艦戦(antisubmarine warfare:
ASW)で、ディッピング・ソナーを搭載していた |
| 1959 |
1959年には、全天候型作戦に対応するため、ドップラー・レーダー、自動安定装置、ホヴァリング機能を備えたHSS-1Nシーバットに機種転換した。HS-11“サブ・シーカーズ”は、テイル・コード“AS”で第52空母対潜航空群(Carrier Anti-Submarine
Air Group 52: CVSG-52)に配属され、対潜航空母艦ワスプ Wasp(CVS-18)に配備された。1962年9月、この飛行隊のHSS-1Nヘリコプターは、1962年の米国三軍航空機指定システムに準拠して、SH-34Jシーバットに再指定された |
| 1962 |
1962年末、飛行隊は双発のシコルスキーSH-3Aシー・キングに移行し、そののち、1969年にはSH-3D、1980年にはSH-3Hにそれぞれアップグレードした。1969年12月、HS-11は攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)に搭載されたCVW-17とともに、近代的な空母航空団 carrier air wingの一員として展開した初の対潜ヘリコプター飛行隊となった。1970年から1973年にかけて、HS-11はCVSG-56に配属され、テイル・コード“AU”の対潜航空母艦イントレピッド Intrepid(CVS-11)にデプロイメントした。1973年10月17日、HS-11は新たな母港であるジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleに移動し、第1空母航空団(Carrier
Air Wing ONE: CVW-1)に再配属され、現在もその配属が続いている。1989年、HS-11は飛行隊の愛称を“サブ・シーカーズ”から“ドラゴンスレイヤーズ”に変更した。HS-11は、汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)、アメリカ America(CV-66)、原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)、原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)、そしてエンタープライズ Enterprise(CVN-65)に展開し、エンタープライズは2012年後半に退役した |
|
“ドラゴンスレイヤー”の歴史には、輝かしい輝かしい歴史が数多くある。ジェミニ計画 Gemini missionでは、ホワイト White、マクディヴィット
McDivitt、ラヴェル Lovell、オルドリン Aldrinといった著名な宇宙飛行士を海上から救助するなど、宇宙飛行士救助活動において主導的な役割を果たした。 1976年には、汎用航空母艦ジョン F. ケネディに所属し、海上での船舶衝突事故で数え切れないほどの人命を救出した功績により、海軍部隊表彰 Navy
Unit Commendationを受賞した。HS-11は長年にわたり、ハリケーン救援活動において国内からの要請に何度も応えてきた。1993年のハリケーン“アンドリュー
Andrew”や、1999年のハリケーン“フロイド Floyd”では、風速50ktを超える強風と波高30フィートの海上で沈没した船から9名の乗組員を救助した。HS-11
は、2008年9月にハリケーン“アイク Ike”がテキサス州ガルヴェストンを襲った数時間後に最初に現場に到着した海軍飛行隊だった。さらに最近では、HS-11は、2010年1月にハイチで発生した地震への対応を目的とした統合対応作戦の一環として最初に活動した部隊の1つだった |
| 1985 |
1985年以降、HS-11は北大西洋における“オーシャン・サファリ作戦 Operation Ocean Safari”、リビアにおける“プレーリー・ファイア作戦
Operation Prairie Fire”、ペルシャ湾における“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”、“砂漠の嵐作戦
Operation Desert Storm”、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”、アドリア海における“プロヴァイド・プロミス作戦
Operation Provide Promise”、ソマリア・モガディシュ沖における“プロヴァイド・コンフォート作戦 Operation Provide
Comfort”、アドリア海における“デナイ・フライト作戦 Operation Deny Flight”および“ディサイシヴ・エッジ作戦 Operation
Decisive Edge”に参加。HS-11は2001年から2003年にかけてアフガニスタンにおける“不朽の自由作戦 Operation Iraqi
Freedom”と“イラクの自由作戦 Operation Enduring Freedom”に参加し、2006年と2007年には“イラクの自由作戦”と“不朽の自由作戦”を支援した。2006年には、“ドラゴンスレイヤーズ”はイラクのバスラにHH-60H機2機を派遣し、多国籍軍師団(南東) Multi-National Division (South-East)と統合ヘリコプター部隊 Joint
Helicopter Forceを支援た |
| 1994 |
1994年、HS-11はシコルスキーSH-60FおよびHH-60Hシーホーク・ヘリコプターに移行した。これらの航空機の能力により、飛行隊の任務範囲は大幅に拡大した。対潜水艦戦(ASW)と捜索救難に加え、“ドラゴンスレイヤーズ”は垂直補給 Vertical Replenishment、海軍特殊戦支援 Naval Special Warfare Support、戦闘捜索救難 Combat Search and Rescueといった任務も遂行できるようになった。1999年にはヘルファイア・ミサイル・システム Hellfire missile systemとGAU-16 .50口径機関銃が追加され、HS-11は対水上戦を効果的に遂行できるようになった。2014年には、HS-11はGAU-17/A 7.62mmミニガン・システムを装備した初の現役ヘリコプター飛行隊となった |
| 2016/6 |
2016年6月1日、HS-11はMH-60Sシーホークへの移行を完了し、HSC-11に改称され、ジャクソンヴィル海軍航空基地からヴァージニア州ノーフォーク海軍基地 NS Norfolkに移設された |
| 2024/9 |
2024年9月下旬、HS-11とMH-60Sシーホークは、原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)に搭乗し、予定通りデプロイメントするため、CVW-1の一員として米国を出航した |
|
欧州各国軍との複数回の演習ののち、HS-11とCVW-1は、イエメンからのフーシ派/イラン代理軍による攻撃から国際航路とイスラエルを守るため、紅海での作戦行動を命じられた。HS-11とCVW-1は2024年12月中旬にCENTCOM
AORの管轄区域に到着し、紅海到着と同時にフーシ派/イランに対する戦闘作戦が開始された |
| 2024/12 |
2024年12月後半から2025年4月にかけて、フーシ派/イランに対する空爆が行われた。2025年3月15日以降、イエメンのフーシ派/イラン代理軍部隊に対する攻撃が大幅に増加し、HS-11とCVW-1はより広範な敵標的への出撃を増加させた |