| 日付 |
主な出来事 |
| 1952/3 |
第2対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-Submarine Squadron TWO: HS-2)は1952年3月7日に編成され、現在活動中の海軍ヘリコプター飛行隊としては最古の歴史を誇る(これより古いのは第8訓練ヘリコプター飛行隊(Helicopter
Training Squadron EIGHT: HT-8)のみ)。同隊は西海岸初の対潜水艦戦(Anti-Submarine Warfare:
ASW)ヘリコプター飛行隊として、HO4S-3チカソーを運用した。当初は小規模な分遣隊として運用されていたが、飛行隊全体としての初デプロイメントは1957年に行われ、その際にはHSS-1シーバットを運用し、攻撃航空母艦フィリピン・シー Philippine Sea(CVA-47)に乗艦した。当時、同隊は17機の航空機を運用・整備するために、下士官・兵258名と士官39名を擁していた。それ以来、同隊はほかの10隻の空母にもデプロイメントしており、現在は原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)に搭載された第5空母航空団(Carrier Air Wing Five: CVW-5)の隷下で、下士官・兵190名、士官22名、そして8機のMH-60Sシーホーク・ヘリコプターを運用している |
| 1960 |
1960年までに、同飛行隊は自動操縦装置を搭載したHSS-1Nシーバットへ機種を更新し、夜間や悪天候下での運用能力を獲得した。西海岸初のHS(対潜ヘリコプター)飛行隊であったHS-2は、1962年までに、海軍初のタービンエンジン搭載全天候型対潜ヘリコプターであるHSS-2シー・キングを運用してデプロイメントした最初の対潜ヘリコプター飛行隊となった(なお、HSS-2は1962年9月、米軍の統合航空機命名規則 United States
Tri-Service aircraft designation systemに基づきSH-3Aシー・キングへと改称されている)。また、HS-2はH-3運用飛行隊として初めて、夜間におけるヘリコプター空中給油(Helicopter
In-flight Refueling: HIFR)を実戦運用した部隊でもある。1965年11月には、HS-2所属のSH-3Aが当時最長となる実戦飛行を行った。同機は北ヴェトナムでの捜索救難任務において、計4回のHIFR(うち3回は夜間)を実施し、11時間18分にわたって飛行を続けた。この飛行は、北ヴェトナムにおける初の夜間救助活動でもあった |
| 1967 |
同飛行隊によるそのほかの技術的革新としては、1967年のSH-3Dシー・キング導入に伴う潜水艦探知能力の先駆的な向上が挙げられる。SH-3Dは多種センサーを搭載した対潜戦プラットフォームであり、Bendix社製AQS-13Bソナーに加え、磁気探知機(Magnetic Anomaly Detector: MAD)や多チャンネルJezebelリレー(Multi-Channel Jezebel Relay: MCJR)アクティヴ・ソノブイ・システムが搭載された。特にMCJRの導入により、空母側でソノブイの情報を監視することが可能となった |
| 1965 |
HS-2は1965年、北ヴェトナムにおいて初の夜間救助任務を遂行した。1966年にはアポロ・サターンAS-202ミッションの回収作戦に参加し、1967年には北ヴェトナムでパイロットの救助任務(陸上10件、沿岸部5件)にあたった。また、1967年のクリスマス休暇中には、アリゾナ州で大雪により孤立した先住民への救援活動を行い、15tの食料を空輸したほか、292回の救援飛行と37回の医療搬送を実施した |
| 1969 |
対潜航空母艦ホーネット Hornet(CVS-12)に搭載され “ヤンキー・ステーション トンキン湾の作戦海域”へデプロイメントしていた期間中、同飛行隊は以下の勲章・表彰を授与された:軍遠征章 Armed Forces Expeditionary Medal(1969年4月、朝鮮半島、第71任務部隊 Task Force 71)、海軍功労部隊感状 U.S. Navy Meritorious Unit Commendation Viet Nam(1968年~69年、ヴェトナム、第71任務部隊)、ヴェトナム共和国従軍章 Republic of Vietnam Campaign Medal(1968年~69年)、ヴェトナム従軍章、および2つのブロンズ・キャンペーン・スター Two Bronze Campaign Stars(対象作戦:ベトナム反攻作戦フェーズVI Vietnam Counteroffensive, Phase VI[1968年11月2日~1969年2月22日]、テト攻勢1969反攻作戦 Tet 1969 Counteroffensive[1969年2月23日~1969年6月8日]) |
| 1970 |
1970年、HS-2は、反対側の沿岸に所在する艦艇へのデプロイメントのために米国本土を横断移動した初のヘリコプター飛行隊となった。同飛行隊はその年、ヨルダン危機に対応する米軍の作戦に参加した。このデプロイメント中、戦闘地域で活動する可能性のあったイスラエル軍のH-3ヘリコプターと識別できるよう、同飛行隊の機体には星条旗が塗装された。この出来事を記念し、海軍作戦部長
Chief of Naval Operationsは、星条旗をHS-2の機体塗装の一部として恒久的に採用することを承認した。 一連の活動における卓越した功績により、同飛行隊は海軍部隊勲功章 Navy Unit Commendationを授与された |
| 1973 |
1973年のパリ和平協定締結後、HS-2は北ヴェトナムへ飛行した初の米海軍航空部隊となり、交渉団のハイフォンへの往復輸送を担った。1974年には、サイクロンによる甚大な被害を受けたモーリシャス島への救援活動を行った |
| 1976 |
1976年の原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)へのデプロイメントは、海軍の近代的な空母(CV)運用構想に基づく西太平洋への初のデプロイメントとなった。S-3Aヴァイキングや艦上の戦術支援センター(Tactical Support Center: TSC)と連携し、HS-2は現代的な対潜戦(ASW)戦術の洗練と成功に貢献した。1979年後半、HS-2は多国籍任務部隊による水陸両用作戦への参加部隊に選出された。同飛行隊は強襲揚陸艦ニュー・オーリンズ New Orleans(LPH-11)に乗艦してデプロイメントし、ヘリコプターによる対潜戦の有用性を改めて実証した。1980年には、西海岸の部隊として初めて、新型の戦術航法(tactical navigation: TACNAV)システムを搭載したSH-3Hシー・キング・ヘリコプターを運用してデプロイメントした。 同年、HS-2はヴェトナム難民(ボート・ピープル)の3つのグループを救助した功績により、人道支援章 Humanitarian Service
Medalを授与された。1984年には、ソヴィエトのヴィクターI型原子力攻撃型潜水艦と汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)の衝突事故発生後、初の被害状況調査を実施した |
| 1990 |
1990年、HS-2はSH-3HからSH-60FシーホークおよびHH-60Hシーホークへと機材を更新した。同年11月に新型のHH-60Hを2機受領したHS-2は、戦闘捜索救難(Combat Search and Rescue:
CSAR)任務を本格的に導入した最初の現役HS飛行隊となった。さらに、HS-2はFLIR(前方監視赤外線装置)およびヘルファイア・ウェポン・システムを装備してデプロイメントした最初のHS飛行隊でもあった |
| 2005 |
2005年、原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)搭載の第2空母航空団(Carrier Airwing TWO: CVW-2)に配属されていた同飛行隊は、2004年12月26日に発生した津波で甚大な被害を受けたインドネシアの人々に対し、救援活動を行った。SH-60FおよびHH-60Hヘリコプターを運用し、31日間にわたる活動期間中、避難民の医療搬送(メデヴァック
medevac)を231回実施、470,000ポンド(約213t)の救援物資を輸送し、総飛行時間1,010.9時間を記録した。活動開始から最初の10日間で、10,000人の命が救われた |
| 2009/8 |
2009年8月6日、同飛行隊はSH-60FおよびHH-60HからMH-60Sシーホーク・ヘリコプターへの機種更新を完了し、部隊名称をHSC-12に変更した。これにより、対潜水艦飛行隊としての長い歴史に幕を下ろした。海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron:
HSC)となったHSC-12の任務は、現在、対水上戦、捜索救助、戦闘捜索救助、海軍特殊戦支援、および垂直補給となっている。機種更新と改称を経て、HSC-12はCVW-2から、神奈川県の厚木海軍航空施設
NAF Atsugiを拠点とする第5空母航空団(Carrier Air Wing Five: CVW-5)へと配属先が変更された。現在はロナルド・レーガンに搭載され、デプロイメントしている |