HMM
海兵中型ヘリコプター飛行隊 Marine Medium Helicopter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1951年9月に第262海兵ヘリコプター輸送飛行隊(Marine Helicopter Transport Squadron 262: HMR-262)として設立。1962年2月1日、飛行隊の名称は第262海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron 262: HMM-262)に変更。2013年に第262海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron: VMM-262)として再指定された。ノース・カロライナ州チェリー・ポイント海兵隊航空基地 Marine Corps Air Station Cherry Pointを拠点とし、第36海兵航空群(Marine Aircraft Group 36: MAG-36)および第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)の指揮下にある。ニックネームはFlying Tigers

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS Cherry Point 1951/9
MCAS New River 1954/7
MCAS Kaneohe Bay 1971
MCAS Futenma 1992/9/27
航空機の割り当て 初受領日
HUS-1/UH-34D
CH-46A 1966
CH-46D
CH-46E
MV-22B 2013
HUS-1の呼称は1962年にUH-34Dに変更された
日付 主な出来事
1951/9 第262海兵中型ヘリコプター飛行隊は、1951年9月にノース・カロライナ州のチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointで活動し、第262海兵隊ヘリコプター輸送飛行隊(HMR-262)となった。朝鮮戦争の間、同飛行隊はアメリカ東海岸に留まり、同地域の艦隊海兵隊部隊にヘリコプターの支援を提供した。1952年2月、同飛行隊は第26海兵航空群(MAG-26)に配属された。1954年7月、同隊はノース・カロライナ州のニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverに移転し、1966年まで在籍した
1962/2/1 1962年2月1日、飛行隊の名称は第262海兵中型ヘリコプター飛行隊に変更され、1965年4月から6月にかけて、HMM-262はドミニカ共和国での“パワーパック作戦 Operation Powerpack”に参加した
1966/12 24機のCH-46Aを搭載した飛行隊は1966年12月4日に南ヴェトナムに配備され、Kỳ Hàの第1海兵航空団、第36海兵航空群(MAG-36) に所属した
1967/1 1967年1月下旬、飛行隊は“デソト作戦 Operation Desoto”を支援した。8月23日、飛行隊は強襲揚陸艦トリポリ Tripoli(LPH-10)に搭乗し、特殊上陸部隊ブラヴォー・ヘリコプター飛行隊 Special Landing Force (SLF) Bravo helicopter squadronとして活動した。9月、構造的な故障により全てのCH-46が接地されたため、飛行隊はSLFから切り離され、沖縄のCH-46の改造を支援し、分隊は強襲揚陸艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(LPH-8)に残った。12月末に飛行隊はSLFブラヴォーの“バジャー・トゥース作戦 Operation Badger Tooth”に参加した
1968/1 1968年1月10日、飛行隊は陸に戻り、Quảng Trị戦闘基地でMAG-36と再合流した。飛行隊はケ・サンの戦い Battle of Khe Sanhで海兵隊を支援するために広範囲に関与していた。4月15日、飛行隊はクアンチの他のMAG-36部隊とともに、第39臨時海兵航空機群 Provisional Marine Aircraft Group 39に移管された。1969年9月21日、飛行隊はふたたびMAG-36に移管された
1969/10 1969年10月16日現在、フー・バイ戦闘基地 Phu Bai Combat Baseを拠点とする飛行隊は、第16海兵航空群(MAG-16)に移籍した
1971/5 1971年5月7日、飛行隊はマーブル・マウンテン航空施設 Marble Mountain Air Facilityに一時帰休させた
1971 ヴェトナムからの撤退に伴い、HMM-262は1971年にハワイのMCASカネオヘ・ベイ MCAS Kaneohe Bayに移転し、第24海兵航空群(MAG-24)に配属された
ハワイのカネオヘ・ベイに駐留している間、HMM-262はFMFの第1海兵水陸両用旅団 1st Marine Amphibious Brigadeにヘリコプターのサポートを提供。1976年12月、HMM-262はハワイを拠点とする最初のヘリコプター飛行隊に指定され、複合飛行隊 composite squadronとして西太平洋に派遣された。同飛行隊は11月17日にトリポリに乗り込み、そののち8ヶ月間、第31海兵航空ユニット 31st MAUの“カッティング・エッジ Cutting Edge”であり続けた
1990/3 “フライング・タイガース”は1990年3月に強襲揚陸艦(汎用)ベロー・ウッド Belleau Wood(LHA-3)に乗り込み、1985年以来、ハワイに拠点を置くヘリコプター飛行隊として初めて艦内に配備された。1990年8月、HMM-262は部隊展開計画(Unit Deployment Plan: UDP)で日本の沖縄に展開し、1990年9月にフィリピン共和国のキュービ・ポイント海軍航空基地 NAS Cubi Pointに再移動し、海兵空地任務部隊4-90(Marine Air-Ground Task Force 4-90: MAGTF 4-90)を支援する空戦部隊(air combat element: ACE)となった。同飛行隊は緊急洪水/地震救援活動に参加し、“砂漠の盾/嵐作戦 Operation Desert Shield/Storm”のため海外に延長され、1991年6月4日にハワイに帰還した
1992/9 1992年9月、“フライング・タイガース”はふたたびベロー・ウッドに乗船し、カウアイ島でのハリケーン“イニキ” Hurricane Inikiの救援活動に参加した。1992年9月27日、飛行隊は本拠地をMCAS普天間 MCAS Futenma、MAG-36、1st MAW、沖縄に移した。これにより“フライング・タイガース”は、1978年以来、この地域で初めて常設のHMM飛行隊に移行した
2001/10 2001年10月、HMM-262(Rein)は人道支援活動のため、ドック型揚陸艦ハーパーズ・フェリー Harpers Ferry(LSD-49)の人員と航空機の分遣隊を新国家である東ティモールに派遣。2001年12月、全ての部隊展開プログラム要員が凍結されたため、飛行隊は第31海兵遠征ユニット(31st Marine Expeditionary Unit: MEU)のACEとして、潜在的な有事作戦に備える“Be Prepared To”命令でその年を締めくくった。31st MEUのACEとして18ヶ月を過ごしたのち、飛行隊はふたたびMAG-36に配置転換され、2002年暦年で海軍作戦部長航空安全賞受賞者 Chief of Naval Operations Aviation Safety Award winnerに選ばれた
2004/12 2004年12月、HMM-262は、人道支援/災害救援(Humanitarian Aid/Disaster Relief: HA/DR)任務を支援するため、第535統合任務部隊 Joint Task Force-535の一員としてフィリピンに派遣された。わずか9日間の飛行で、同飛行隊は、相次ぐ台風による洪水や土砂崩れで荒廃した孤立地域に、204,800ポンド(92,900kg)以上の食料、水、物資を届けた
2005 2005年1月から3月にかけて、HMM-262は第536合同任務部隊 Joint Task Force-536の一員として、ドック型揚陸艦フォート・マクヘンリー Fort McHenry(LSD-43)強襲揚陸艦(多目的)エセックス Essex(LHD-2)で、2004年のインド洋地震/津波後のHA/DR活動である統一支援作戦を支援するために派遣された。インドネシアのスマトラ島北西部沖で活動したHMM-262は、大津波の被災者に援助と物資を届けることで活動を支援した。1月14日から2月9日までの期間、同隊は493,755ポンド(223,964kg)以上の食料、水、その他の物資を、120マイル(190km)以上の海岸線にまたがる地域に届けた。この活動の終了後、2005年2月19日と20日には、ビル・クリントン元大統領 former President Bill Clintonジョージ H. W. ブッシュ元大統領 former President George H. W. Bushがタイとインドネシアの津波被災地を視察した際に、ヘリコプターによる支援を行うことが決まった
2006/2 2006年2月には、2006年のレイテ島南部の土砂崩れで被災した人々に人道的支援を行うよう要請され、31st MEUの一部として再びエセックスに乗船した
2007/1 2007年1月、HMM-262は“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するため、イラクに派遣された。これはヴェトナム戦争以来の飛行隊の戦闘配備となった。飛行隊はアル・タカドゥム基地 Al Taqaddum Air Baseを拠点とし、アル・アンバル州 Al Anbar Provinceの第II海兵遠征軍(II Marine Expeditionary Force: II MEF)部隊に攻撃支援を提供することが任務であった。2007年2月から5月にかけて、同飛行隊は1,574回の出撃、合計2,532時間の飛行を行った。また、1名の海兵隊員が戦死している
2013/9 2013年9月30日、HMM-262のCH-46Eは普天間海兵隊航空基地から最後のフライトを行い、MV-22Bへの移行に伴い退役した。HMM-262のCH-46Eは、沖縄と太平洋における同型機の最後となった。部隊は第262海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron: VMM-262)として再指定された
2013/11 2013年11月、観測史上最強の台風“ハイエン” Typhoon Haiyanがフィリピンを襲った。VMM-262は、“ダマヤン作戦 Operation Damayan”を支援するため、4機のオスプリーからなる分遣隊を派遣し、物資や人員を被災地全体に運んだ。被災地は広大で、従来の固定翼機では滑走路がないため、オスプリーは災害救援に最適なプラットフォームとなった
2015/5 2015年5月、内陸の国ネパールを震撼させたマグニチュード7.8の大地震の際、VMM-262は沖縄からMV-22Bの分隊をカトマンズに自己派遣し、“サハヨギ・ハート作戦 Operation SAHAYOGI HAAT”における援助活動を支援した。第505合同任務部隊 Joint Task Force 505とともに、“タイガース”はヒマラヤ山脈全域の被災地にシェルター資材や食料を届けた
2018秋 2018年秋に31st MEUに所属していたVMM-262は、スーパー台風“ユツ” Super Typhoon Yutuに続いてグアムや北マリアナ諸島に対応。“フライング・タイガース”のV-22とCH-53は、FEMAの人員、物資、海兵隊員を陸上に運び、被災した島々への救援を支援
2020/2 2020年2月、VMM-262はシンガポール航空ショーSingapore Air Showの支援を任された。スコット・ウッド少佐 Major Scott Wood、ジョン・ブラウン大尉 Capt John Brown、ジェームズ・ナルディ大尉 Capt James Nardi、クリストファー・シロウィック大尉 Capt Christopher Syrowikが操縦し、VMGR-152のKC-130が支援した10時間の輸送は、MV-22で飛行した最長時間のフライトとなった
ザ・マナ・タイガー The ManaTiger
HMM-262、そして今回のVMM-262のパイロットは、フライト前にマナ・タイガーをこすって幸運を祈る神話の獣。 VMM-262のマスコットは、トラとマナティーを組み合わせた“マナタイガー”。部隊のモットーである“Every Man a Tiger”にちなんだもの

↑第262海兵中型ヘリコプター飛行隊(HMM-262)“フライング・タイガース”所属UH-34D(旧称HUS-1)、Bu.No. 148772、Modex No. ET-37

↑A CH-46E Sea Knight of Marine Medium Helicopter Squadron (HMM) 262 lifts off from Ronald Reagan's flight deck during Operation Tomodachi, 21 March 2011. (Mass Communication Specialist 3rd Class Alexander Tidd, U.S. Navy Photograph 110321-N-5503T-301, Navy NewsStand). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.


Update 24/02/03