海兵中型ヘリコプター飛行隊 Marine Medium Helicopter Squadron
アイコン | 意味 |
![]() |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません |
![]() |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです |
![]() |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です |
![]() |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
![]() |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です |
![]() |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第165海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron 165: VMM-165)は、MV-22Bオスプリー輸送機で構成されるアメリカ海兵隊のティルトローター飛行隊である。海兵隊 第16航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)と第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)の指揮下にある
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAS Santa Ana | 1965/7/1 |
MCAS Kaneohe Bay | 1977/11 |
MCAS El Toro | 1996/5 |
MCAS Miramar | 1998/11 |
日付 | 主な出来事 |
1965/7 | 第165海兵中型ヘリコプター飛行隊は、第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)、第36海兵航空群(Marine Aircraft Group 36: MAG-36)の一部として、1965年7月1日にカリフォルニア州サンタ・アナ海兵航空基地 MCAS Santa Anaで活動を開始した |
1965/8 | 1965年8月、飛行隊は第37海兵航空サーヴィス群(Marine Wing Service Group 37)に配置転換された |
1966/7 | 1966年7月、飛行隊は“ヘイスティングス作戦 Operation Hastings”を支援した。飛行隊は10月にKỳ HàのMAG-36に配属された |
1967/6/3 | ![]() |
1968/1 | 1968年1月10日から2月18日まで、同飛行隊は特別上陸部隊(Special Landing Force: SLF)ブラヴォー・ヘリコプター飛行隊
Bravo helicopter squadronとして強襲揚陸艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(LPH-8)に勤務した。この間、“バジャー・キャッチ作戦 Operation Badger Catch”を支援した。飛行隊は2月1日にマン・カ駐屯地 Mang Ca Garrisonにヴェトナム共和国軍(Army of the Republic of Vietnam: ARVN)の増援部隊を空輸し、フエ Huếの戦いで戦う米軍と南ヴェトナム軍を支援した。![]() |
1969/1 | 1971年初め、飛行隊は第31海兵両用ユニット(31st Marine Amphibious Unit: 31st MAU)に配属された。1月中旬、飛行隊は“クーロン44/02作戦 Operation Cuu Long 44/02”でARVNを支援し、フー・クォック Phú Quốcへの支援任務を飛行した。2月1日、当時米海軍スービック湾基地 U.S. Naval Base Subic Bayにいた31st MAUは、ヴェトナム沿岸に展開するための艦船への乗艦を命じられた。同飛行隊は、2月11日から3月6日まで、“ラム・ソン719作戦 Operation Lam Son 719”から北ヴェトナム軍の注意をそらすため、31st MAUがヴィン Vinhの東で水陸両用作戦を実施する中、強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)から行動した |
1972/6 | 1972年6月27日、飛行隊はトリポリから出撃し、ARVNの“ラム・ソン72作戦 Operation Lam Son 72”を支援するフェイント空襲作戦を行った。6月29日、飛行隊は南ヴェトナム海兵隊を Quảng Trị東の上陸地点に輸送した。7月11日、飛行隊は再び海兵隊をクアン・チ(Quảng Trị)の北2kmの上陸地点に輸送した。7月22日から8月13日まで、飛行隊はフィリピンの洪水救援活動に参加し、地元住民に食料と物資を空輸した。9月9日、飛行隊は南ヴェトナムの最終的なクアン・チ(Quảng Trị)城塞への攻撃を支援するため、再びフェイント空襲を行った。1972年後半、飛行隊はHMH-462の3機のCH-53、2機のUH-1、強襲揚陸艦ニュー・オーリンズ New Orleans(LPH-11)の5機のCH-46とともに機雷掃海支援飛行隊に指定された |
1973/2 | 1973年2月初旬、混成飛行隊はニュー・オーリンズ艦上に配備され、スービック湾から北ヴェトナム沿岸に向かい、2月23日にハイフォン Haiphong沖に到着して“エンド・スイープ作戦 Operation End Sweep”を開始した。4月20日、飛行隊はトリポリに移動した。掃海活動は6月18日に再開され、任務部隊がスービック湾に戻る7月4日までに完了した |
1975 | 1975年の北ヴェトナムの春季攻勢によって南ヴェトナムの状況が悪化した3月、米軍は米民間人と“危険な”南ヴェトナムの避難の準備を始めた。1975年3月28日、飛行隊はふたたび31st MAUに配属されたが、利用可能な強襲揚陸艦がなかったため、飛行隊は当初4つの別々の分遣隊に分割され、利用可能な艦船に分割された。7機のCH-46はドック型輸送揚陸艦ダビューク Dubuque LPD-8に搭載され、2機のUH-1Eは揚陸指揮艦ブルー・リッジ Blue Ridge(LCC-19)に搭載され、1機のCH-46は貨物揚陸艦ダーラム Durham(LKA-114)と戦車揚陸艦フレデリック Frederick(LST-1184)の両方に搭載された。4月初めから、飛行隊のヘリコプターは南ヴェトナム沿岸で毎日偵察飛行を開始した。4月5日、飛行隊のヘリコプターは前日に墜落したC-5ギャラクシーのデータ・レコーダを発見した。4月29日から30日まで、飛行隊はサイゴンの避難作戦である“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”に参加した。4月30日04:58、ジェラルド・フォード大統領 President Gerald Fordの直接命令により、CH-46“レディ・エース09 Lady Ace 09”はグラハム・マーティン米大使 U.S. Ambassador Graham Martinをサイゴンのアメリカ大使館から避難させた |
1977/11 | 1977年11月、“ホワイト・ナイツ White Knights”はハワイのカネオヘ・ベイ海兵航空基地 MCAS Kaneohe Bayに移動し、第1海兵旅団 1st Marine Brigadeの航空戦闘部隊である第24海兵航空群(Marine Aircraft Group 24: MAG-24)に再配置された。この時、飛行隊の名称は“ホワイト・ナイツ”から“ハワイアン・ウォリアーズ Hawaiian Warriors”に変更された。機体尾翼のロゴは伝統的な騎士から、プリモ・ビール Primo Beerのロゴに似たハワイの王の横顔に変更され、飛行隊の入隊者は自分たちを“プリモ・ウォリアーズ The Primo Warriors”と呼ぶようになった |
1979/12 | 1979年12月、イラン人質事件とソヴィエトのアフガニスタン侵攻で国際情勢が緊迫する中、HMM-165は31st MAUとともに強襲揚陸艦オキナワ Okinawa(LPH-3)に搭載され、アラビア海に展開した。彼らの任務は、ジミー・カーター大統領 President Jimmy Carter(当時)の命令の下、ソヴィエトの侵略を抑止することだった。この政策はのちにカーター・ドクトリンと名付けられることになる。同時に、同飛行隊はイランでの人質救出作戦の支援も行った |
1980/6 | 1980年6月にハワイに戻ると、翌年の冬はオアフ島を横切る電線を損傷させる激しい暴風雨に見舞われ、HMM-165はこれらのダウンした電線を交換するために地元当局を支援した。1981年、HMM-165は31st MAUとともに強襲揚陸艦(汎用)ベロー・ウッド Belleau Wood(LHA-3)に搭載され、ふたたび西太平洋とアラビア海に派遣された。HMM-165の名称は“ホワイト・ナイツ”に戻り、尾翼徽章は伝統的なホワイト・ナイトのヘルメットに変更された。HMM-165はスリ・ランカ政府を支援する人道的活動を行い、遠隔地にTV送信機を届け、スリ・ランカの人々に初めてTV局の全国放送を提供した |
1983/4 | 1983年4月、HMM-165は31st MAUの航空戦闘部隊(Air Combat Element: ACE)となった。飛行隊は12機のCH-46に加え、2機のUH-1、4機のAH-1、4機のCH-53、6機のAV-8で強化され、HMM(C)Rein-165として再指定された。飛行隊は西太平洋と インド洋に展開し、沖縄、フィリピン、タイ、マレーシア、ケニア、ソマリアでの有事作戦を完了した。強化された飛行隊はレバノンのベイルートに回航され、強襲揚陸艦(汎用)タラワ Tarawa(LHA-1)のフライト・デッキからレバノン、キプロス、イスラエルで有事作戦を実施した。飛行隊はクリスマスに間に合うようにカネオヘ・ベイに戻った。1989年12月、“ホワイト・ナイツ”はフィリピン共和国のクーペ未遂の際、アメリカ大使館の援軍を含むアメリカの利益を支援した |
1990/8 | 1990年8月、同飛行隊は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”に参加するためサウジ・アラビアに派遣された。“ホワイト・ナイツ”は1991年3月にサウジ・アラビアから帰国した。HMM-165は1992年7月から11月まで特別目的MAGTF special purpose MAGTFを支援した“フィリピン諸島最後の飛行隊”であった。1992年9月から10月にかけて、分遣隊がカンボジアに派遣され、統合任務部隊フル・アカウンティング Joint Task Force Full Accountingに参加した。分遣隊はヴェトナム戦争のMIAの遺骨捜索でタスク・フォースを支援した。1993年3月、HMM-165から別の分遣隊がカンボジアに派遣され、統合任務部隊のフル・アカウンティングに参加したが、この時は1993年4月に任務部隊のベース・キャンプが迫撃砲の攻撃を受けたため、任務は打ち切られた |
1996/5 | 基地再編閉鎖委員会(Base Realignment And Closure Committee's: BRAC)の措置の結果、HMM-165は1996年5月15日にハワイ海兵基地 MCB Hawaiiの第1海兵航空団航空支援部隊 1st Marine Aircraft Wing Aviation Support Elementからカリフォルニア州エル・トロ海兵航空基地 MCAS El Toroの第3海兵航空団 3rd Marine Aircraft Wing、第16海兵航空群 Marine Aircraft Group 16に再配置された。 HMM-165は1998年11月、BRACの追加要求によりカリフォルニア州サン・ディエゴのミラマー海兵航空基地 MCAS Miramarに移転。1998年12月、HMM-165は第11海兵遠征ユニット 11th Marine Expeditionary Unitの航空戦闘部隊に指定された |
2001/7 | 2001年7月、HMM-165は第13海兵遠征ユニット 13th Marine Expeditionary Unitの航空戦闘部隊に指定された。2001年9月11日のテロ攻撃ののち、HMM-165はアフガニスタンでの“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するために展開した。“ホワイト・ナイツ”は2002年12月にイラクへの派遣命令を受けた。1月から、HMM-165は強襲揚陸艦(多目的)ボクサー Boxer(LHD-4)に配備され、ペルシャ湾まで巡航した。クウェートで荷揚げしたのち、飛行隊は“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”の期間中、第1連隊戦闘チーム(Regimental Combat Team 1: RCT-1)を支援する任務を負った。2003年4月1日の夜、HMM-165はタスク・フォース20 Task Force 20のCH-46部隊を構成し、捕虜となったジェシカ・リンチ陸軍上等兵 Army PFC Jessica Lynchを救出した |
2006/9 | 同飛行隊は2006年9月、第15海兵遠征ユニット 15th Marine Expeditionary Unitに所属してイラクに再派遣された。![]() |
2011/3 | HMM-165は2011年3月1日にV-22オスプリーに移行し、そののち第165海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron 165: VMM-165)に再指定された。2012年10月6日、VMM-165飛行隊のMV-22オスプリー・ティルトローター機が原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)に着艦し給油した。この作戦は、C-2グレイハウンド空母搭載型貨物輸送機(carrier onboard delivery: COD)の代替となりうるMV-22の実現可能性評価の一環であった。2013年7月、VMM-165は“不朽の自由作戦”を支援するためアフガニスタンに展開した。アフガニスタンの キャンプ・バスティオン Camp Bastionに到着すると、飛行隊は南西地域司令部(Regional Command Southwest: RC(SW))の突撃支援の任務を引き受けた。VMM-165の“ホワイト・ナイツ”は、7ヶ月間のアフガニスタン派遣中、ヘルマンド州 Helmand Provinceにおける国際治安支援部隊(International Security Assistance Force: ISAF)の活動を支援するため、突撃支援、戦場照明、VIP輸送、CASEVACを実施した |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
↑A CH-46 in front of an old blimp hangar at Marine Corps Air Station Tustin. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 24/04/14