航海日誌
Ship's Logs: May 20, 1967 – August 14, 1967


※1967年5月
1967/5/20 フォレスタルは1967年5月20日未明まで、ヴァージニア州ノーフォークの海軍作戦基地第12埠頭 Pier 12に留まり、晴天に恵まれたこの土曜日、3,500人の家族、友人、フォレスタル乗組員の親戚が、ファミリー・デー・クルーズのためにフォレスタル船内に到着した。エキサイティングな一日のために、友人や家族が早くから到着し始める。やがて係留索が引き込まれ、フォレスタルは航行を開始した。スペシャル・シーとアンカー・ディテール Special Sea and Anchor Detailが確保されたのち、家族はハンガー・ベイを歩き回り、さまざまな航空機を見て回った。友人や家族は、食堂甲板エリアや船員の寝室を見せてもらった。船員たちはゲストを第2デッキの小さな売店や宝石店に案内した。彼らは02階まで歩いて行き、前檣楼を見せた。錨鎖のリンクの大きさに彼らは本当に感心していた。そののち、駆逐艦ヴォーゲルゲザング Vogelgesang(DD-862)がハイラインの移送のために接舷した。彼らは右舷側から移送を見守った。First Division's junior division officerであるジョン F. エルスハイマー少尉 Ensign John F. Elsheimerは、ヴォーゲルゲザングに乗り移り、またヴォーゲルゲザングから戻ってきた。将校の中には、すべてのluckを持っている者もいる。そののち、フライト・オペレーションが始まる前に、家族はフライト・デッキに上がった。第17空母航空団 Carrier Air Wing 17は、航空ショー/火力デモンストレーションでゲストをもてなした。航空団パイロットは艦の近くを飛行し、ゲストが見ることができるように数多くの種類の武器を投下する火力デモンストレーションを行い、さらに飛行中に燃料を補給した。家族たちは前方の食堂甲板で昼食をとり、そののち、フォレスタルがどんな船なのかを十分に感じてもらうために、彼はただ彼らを歩かせた。航空機が着陸し、発進する光景と音はエキサイティングな体験だ。乗員全員が楽しい時間を過ごした。フォレスタルは夕方遅くに12番埠頭に戻った。
1967/5/22 03-144-5-Lにあるフォレスタル記念礼拝堂 Forrestal's Memorial Chapelが再献堂された。カルビン・ジョージ・ガードナー牧師 Chaplain Calvin George Gardnerが基調講演 以下省略


※1967年6月
1967/6/6 1967年6月6日午後、フォレスタルは東南アジアでの戦争に参加するため出航した。フォレスタルの乗組員の多くは、彼らが言うところの“on the line”の間、非常に忙しい時間帯がある以外、何が起こるかわからない。それは、北ヴェトナム沖の“ヤンキー・ステーション Yankee Station”で北ヴェトナムの標的を空爆する期間である
しかし、その前にフォレスタルは大西洋艦隊兵器訓練場での追加訓練と、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向かう南への航路で3日間の自由時間を過ごす前の作戦準備検査に向かう
1967/6/7 1967年6月7日から6月11日まで、フォレスタルと第17空母航空団は、大西洋艦隊の武器庫で駆逐艦ノリス Norris(DD-859)と行動をともにしながら、作戦技術の練習を続けていた。午後遅く、右舷船尾で2人の男性が船外から落ちたと報告された。ランディ・ゴードン消防士 Fireman Randy L. Gordonとパトリック H. ドーリン消防士 Patrick H. Doolinであった。両名ともS-2Mディヴィジョン配属である。間もなく、ランディ L. ゴードン消防士は、HC-2のヘリコプターに救助された。ノリスと2機のヘリコプターは、パトリック H. ドゥーリンの捜索を続けた。5時間の集中捜索ののち、捜索は打ち切られた。
1967/6/12 フォレスタルは1967年6月12日から、セント・トーマス港 St. Thomasで右舷の錨を下ろす1967年6月13日の午後まで、大西洋艦隊の武器射程 Atlantic Fleet Weapons Rangeで運用を続けた。セント・トーマスで束の間。ここでは乗組員に自由はない。セント・トーマス島はアメリカ領ヴァージン諸島で2番目に大きな島である。フォレスタルがセント・トーマスに停泊したのは、第2空母分艦隊 Carrier Division 2スタッフのフォレスタルの作戦準備検査を支援する攻撃航空母艦インディペンデンス Independence(CVA-62)のオブザーヴァーを乗せるのに十分な時間だった。これらの訓練、一般需品訓練 General Quarters Drill、船上操舵訓練、Chopsticks、射撃訓練、弾薬の航行中の補給、そして個々の仕事は、ヤンキー・ステーションでの戦闘航空作戦の実施という重労働のために乗員を鍛えている。
1967/6/14 フォレスタルの作戦準備検査 Operational Readiness Inspectionが本格的に始まった。防空訓練、一般需品、船上給油訓練、航行中給油、航行中再武装訓練 Underway Rearmingと、一日中たくさんの航空作戦が行われている
1967/6/15 作戦準備検査が続く中、フォレスタルの乗組員は、飛行作戦、砲撃訓練、一般需品訓練、再武装訓練と、またまた忙しい一日を過ごす
1967/6/16 1967年6月16日の朝、フォレスタルはセント・トーマス港に戻り、インディペンデンスのオブザーヴァーを下船させ、作戦準備検査を終了した。本日、フォレスタルは“優 Excellent”の評価を受け、作戦準備検査を完了した。数時間後、錨を降ろして赤道を越え、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向かう
1967/6/17 USSフォレスタル・ファミリー・グラム USS FORRESTAL FAMILY GRAM 以下省略
1967/6/18 赤道祭の情景について 以下省略
1967/6/19 赤道祭の情景について 以下省略。1967年6月19日午後、シェルバック(shellback、船で赤道を越えた人)を終えたフォレスタルは、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向けて南下した
1967/6/22 1967年6月22日、リオ・デ・ジャネイロに向かう途中、フォレスタルはC-1Aトレーダーを発進させ、リオ・デ・ジャネイロに飛び、第17空母航空団の航空ショーのためにブラジルとアメリカの訪問者を乗せ、艦内に連れてきた。ブラジル海軍大臣のラデメーカー大将 Admiral Rademakerや駐ブラジル・アメリカ大使のジョン・タティル氏 Mr. John Tuthillも多くの訪問者の一人である
1967/6/23 1967年6月23日早朝、フォレスタルはブラジルのリオ・デ・ジャネイロに向けて航行中、ブラジル海軍大臣ラデメーカー大将、ブラジル海軍作戦部長マイア大将 Admiral Maia、駐ブラジル米国大使ジョン W. タティル氏ら35名以上の来賓を前に、飛行作戦と航空デモンストレーションを実施した。航空ショーには21機以上の航空機が参加した。航空デモンストレーション終了後、フォレスタルはグアナバラ湾 Guanabara Bayに停泊した
1967/6/26 1967年6月26日早朝、フォレスタルは錨を降ろしてグアナバラ湾を出港し、フィリピン諸島のスービック湾に向かう操船を開始した。 フォレスタルがリオ・デ・ジャネイロからスービック湾に向かう間、フィリピン諸島では訓練が続けられた。フォレスタルがスービック湾に到着するまでの数日間、フォレスタルと第17空母航空団の乗員たちは訓練を続ける。海難事故、Chopsticks Emergency、衝突、火災、船舶放棄、一般需品、操舵負傷者、砲術などの訓練が毎日行われた


※1967年7月
1967/7/2(日) 1967年7月2日、フォレスタルはフィリピン・スービック湾のキュビー・ポイントに向けて航行を続け、給油艦カルーサハチー Caloosahatchee(AO-98)に接近を開始した。 今日、フォレスタルはカルーサハチーから給油する予定である。今日の天気はデイヴィー・ジョーンズ Davey Jonesを震え上がらせる。風は勢いよく吹き、波は80,000tのフォレスタルを手漕ぎボートのように翻弄する。問題は、フォレスタルが危機的な燃料不足を解消できるほど海が落ち着くのか、それとも翌日まで作戦を中止しなければならないのか、ということだ。気象庁に連絡が入り、主任航空士官フレッド・バイリー Chief Aerographers Mate Fred Baillieがブリッジに呼び出され、熟考のすえ、燃料補給を試みることが決定された
1967/7/3(月) 1967年7月3日の朝、フォレスタルは駆逐艦ジョセフ P. ケネディ Jr. Joseph P. Kennedy, Jr.(DD-850)、カルーサハチーとランデヴーした正午過ぎ、KA-3Bタンカー(Modex No. AA-611)が着艦し、左舷メイン・マウントを破損するという飛行甲板事故が発生した。しかし、幸いにも負傷者は出なかった。VAH-10のKA-3Bスカイウォーリア Modex No. AA-611が着艦時に飛行甲板に激突した際、左舷メイン・マウントが破損し、機体は艦の左舷に沿って海に向かって滑走した。左舷のエンジンは飛行甲板の端の手すりに沿って滑り、機体は飛行甲板上にとどまった。左舷の主翼は飛行甲板の端から大きく垂れ下がっていた。VAH-10セーフティ・チェッカーのロバート・ビーマン三等航空電子技術兵曹 ATN3 Robert Beamanは着艦エリアの右舷側におり、スカイウォーリアのハード・ランディングに最も近い場所にいた。ビーマン三等航空電子技術兵曹は、スカイウォーリアの乗員が機体から降りようとしたとき、駆け寄った。そののち、損傷したスカイウォーリアは第1エレヴェーターの前方にクレーンで運ばれた。スカイウォーリアは検査されたのち、フォレスタルがスービック湾に入港する際に荷揚げされることが決定された。
1967/7/4(火) 1967年7月4日、カルーサハチー、ジョセフ P. ケネディ Jr. は、コース085、速度17ktで、フィリピン諸島、スービック湾、キュービ・ポイントの米海軍航空基地に向かっている。SOPAはCOMCARDIV TWO RADM Harvey P. LanhamがForrestalに乗艦。OTCはフォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐 Captain John K. Beling。フォーメーションのガイド Guide of formationカルーサハチー、ジョセフ P. ケネディ Jr. はフォーメーションのスクリーン。ボイラー1B、3A、3B、4B、ジェネレーター1、3、4、6、8がライン上にある。船は航海灯を除いて暗い。マテリアル・コンディション・ヨーク Material condition Yokeと一般準備状態 5 general condition of readiness 5が船全体に設定されている
0000 デイヴィッド A. ローソー中尉 LTJG David A. RosowがOOD当直に就く
0400 レジナルド C. コーベリー大尉 LT Reginald C. CorbeilleがOOD当直に就く
0800 エドウィン L. フープス3世中尉 LTJG Edwin L. Hoopes, IIIがOOD当直に就く
0800 船の位置は南緯37度05.8分、東経23度19.9分
0806 針路を070に変更、速力24ノット。カルーサハチーまで1マイル
0830 針路085、速力15ノット。コース200でカルーサハチーの左舷に接近しながら操艦、速力12ノット
0915 第一射線オーヴァー
0943 NSFOポンピング開始
0958 JP-5のポンピングを開始
1110 ポンピングNSFOを確保
1200 カルヴィン M. ジョーンズ中尉 LTJG Calvin M. JonesがOODの見張りに就く
1220 ポンピング JP-5を確保
1224 離脱開始。全線クリア 全機関、側面前方。コースを201に変更。カルーサハチーとジョセフ P. ケネディ Jr. を切り離す
1232 すべての給油ステーションから確保
1317 ボイラー 1Aを確保
1325 ボイラー 4Bを確保
1404 ボイラー 4Bを洗浄のためJP-5でラインに戻す
1430 ボイラー4Aを確保
1600 ウィリアム R. ハント中尉 LTJG William R. Huntが OOD に着任
1800 ジェームズ H. ラッセル大尉 LT James H. RussellがOODに着任
2000 デイヴィッド A. ローソー中尉がOODに着任
1967/7/8(土) トランジットの時間は仕事ばかりではなかった。1967年7月8日、スモーカー Smokerが開催された。ハンガー・ベイ Hangar Bayではボクシングの試合が行われた。これらの試合の審判は、First DivisionのA. L. “サル”コルテス一等兵曹 Boatswain Mate First Class A. L. "Sal" Cortezが務めた。 夕方のスモーカーでは、乗員のサイモンズ Simondsとルマスター LeMasterが歌うカントリー・ウェスタン音楽が乗組員を楽しませた。V-1ディヴィジョンのメルヴィン・フィリップス Melvin Phillipsとフィリップ・ロニー・ハドソン Philip Lonnie Hudsonをリード・ヴォーカルに迎えた“アドミレイションズ Admirations”は、素晴らしいソウル・ミュージックでハンガー・ベイと乗員をロックした。ロックン・ロール・グループ“ダイナスティ Dynasty”は、ポピュラーなロック・ミュージックを見事に演奏し、この夜のエンターテイメントを締めくくった。 V-1ディヴィジョンのグレン・エドワード・ロバーツ Glenn Edward Robertsがドラム、Xディヴィジョンのティム・フロッジ Tim Frodgeがベース、S-3ディヴィジョンのデイヴ・ウォーレン Dave Warrenがリード・ギター、Eディヴィジョンのケニー・リンガー Kenny Ringerがヴォーカルを務める。ティムとデイヴは歌も歌う。
1967/7/12(水) コース057、22ノットで、フィリピン、スービック湾の米海軍航空基地キュービ・ポイントに向かうため、インド洋を単独で航行中。SOPAは、フォレスタルに乗艦しているCOMCARDIV TWOのハーヴェイ P. ランハム少将 RADM Harvey P. Lanham。OTCは、フォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー2B、3A、4A、4Bと発電機2、3、4、7、8がライン上にある。一般準備状態5とマテリアル・コンディション・ヨークが船全体に設定されている。フォレスタルの航空士官補 Assistant Air Officerであるエドワード L. カーヴァー中佐 Commander Edward L. Carverは本日、RVAH-11所属のRA-5Cヴィジランテで超音速飛行を体験し、“名誉チェッカーテイル Honorary Checkertail”となった。そののち、カーヴァー中佐は“チェッカーテイル”指揮官のトーマス J. キルライン中佐 Commander Thomas J. Kilclineから飛行隊への歓迎を受けた。カーヴァー中佐は、フロリダ州サンフォードを拠点とする機体を操縦するRVAH-11訓練オフィサーのA. J. ペレラ少佐 LCDR A. J. Perrellaとともに、今日フォレスタルが横断しているインド洋上空を飛行する際、偵察攻撃ナヴィゲーター席に同乗した
1967/7/13(木) 1967年7月13日、フォレスタル艦内で行われたセレモニーで、ペンシルヴェニア州ピッツバーグのラリー G. レンツ航空科上等水兵 Airman Larry G. LentzがVF-74の“月間最優秀機長”に選ばれたことが発表された。VF-74の指揮官であるH. N. ウェルマン中佐 Commander H. N. Wellmanが賞を授与した。この賞は、飛行隊の下士官メンバーの献身、誠実さ、卓越した業績を表彰するものである
1967/7/14(金) 南シナ海に入港。コース063T、25ktで、フィリピン、スービック湾のキュービ・ポイント、米海軍航空基地へ向かう途中、単独で航行中。SOPAはCOMCARDIV TWOのハーヴェイ P. ランハム少将がフォレスタルに乗艦。OTCは、フォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー2B、3B、4A、4Bと発電機2、3、4、5、7がライン上にある。一般準備状態5とマテリアル・コンディション・ヨークが船全体に設定されている
0000 ウィリアム R. ハント中尉 LTJG William R. HuntがOODに着任
0038 コースを067に変更。スダ海峡に接近中、25ktで操縦
0144 スンダ海峡のグレート・チャネルに入った
0400 ジェームズ H. ラッセル大尉がOOD当直に就く。スンダ海峡を通過しながら、操艦を続ける
0510 コースを030に変更した
0542 ボイラー2Bで低水圧事故。ボイラー2Bを確保。2番と3番のメインスペースをクロスコネクト。船速を約23ktにするため、#2および#3シャフトを減速
0600 損傷はないと評価された。ボイラー2Bの下で点火
0630 ボイラー2Bを稼動。プラントを分割。速度25kt
0800 デイヴィッド A. ローソー中尉がOODの見張りに就く
0800 現在の船の位置は、南緯04度24分、東経106度52.9分である
0831 コースを040に変更
0851 コースを030に変更
1050 コースを349に変更。Stolze海峡を通過中、操艦を開始
1200 レジナルド C. コーベリー大尉 LT Reginald C. CorbeilleがOODの見張りに就く
1240 コースを017に変更
1321 艦隊給油艦シェマング Chemung(AO-30)とランデヴーするため、操艦を開始
1348 Stolze海峡の通過を完了。南シナ海に入った
1357 操艦を開始し、シェマングの左舷に接近
1415 最初の射線を越える
1445 #3ステーションでNSFOのポンピングを開始。 スポンソン2で給油
1456 ヘリコプター1機を発進させた
1542 ヘリコプター1機を回収
1600 エドウィン L. フープス3世中尉がOODの見張りに就く
1622 JP-5 の汲み上げを開始
1800 カルヴィン M. ジョーンズ中尉がOODに着任
2000 ウィリアム R. ハント中尉がOODに着任
2045 離脱開始
2048 全てのラインクリア。速力25kt。ウィリアム R. ハント中尉の戦術指揮権を放棄
2053 コースを346に変更
フォレスタルは、シェマングに6時間3分給油した
1967/7/15(土) 南シナ海を単独で航行中、フィリピンのスービック湾にある米海軍航空基地キュービ・ポイントに向かう。SOPAはCOMCARDIV TWOのハーヴェイ P. ランハム少将がフォレスタルに乗艦。OTCはフォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー1A、2B、3B、4A、発電機2、3、4、5、7はライン上にある。一般準備状態5とマテリアル・コンディション・ヨークが船全体に設定されている
1053 ヘリコプター1機を発進させた
1103 航空機発進および回収中の操艦を開始。VAW-123のE-2Aホークアイ2機をフィリピン・キュービ・ポイント海軍航空基地へ向けて発進させた
1139 フィリピン・キュービ・ポイント海軍航空基地からC-2Aグレイハウンド1機を回収
1142 ヘリコプター1機を回収
1967/7/16(日) 南シナ海を単独で航行中、フィリピン・スービック湾のキュービ・ポイント米海軍航空基地へ、コース046、23ノットで向かう。SOPAは、フォレスタルに乗艦するハーヴェイ P. ランハム少将。OTCはフォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー1A、2B、3B、4A、発電機3、4、7、8はライン上にある。一般準備状態5とマテリアル・コンディション・ヨーク船全体に設定されている
0445 給糧艦プロキオン Procyon(AF-61)とランデヴーし、戦術指揮を執る。プロキオンの3,000ヤード後方に陣取るため、操艦を開始した。基本コース046、速力14kt
0600 プロキオンの後方に停泊
フォレスタルはプロキオと3時間13分、航行中補給を行った。今日もたくさんの食料が積み込まれた。今日、南ヴェトナムのサイゴンから、チャーリー分遣隊 Detachment Charlieが、CVW-17のパイロットと艦艇の中隊員にブリーフィングをするために艦上に飛んだ。パイロットは海図を調べ、ブリーフィングを受け、残りの乗員はこれからの行動に備える
1967/7/17(月) 南シナ海を単独で航行中、コース065、20ノットでフィリピン、スービック湾、キュービ・ポイント米海軍航空基地に向かう。SOPAは、フォレスタルに乗艦するハーベイ P. ランハム司令官。OTCはフォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー1A、2A、3A、4A、発電機3、4、7、8がライン上にある。マテリアル・コンディション・ヨークと一般準備状態4修正が艦全体に設定されている
1635 駆逐艦ヘンリー W. タッカー Henry W. Tucker(DD-875)は、第77.6任務群司令官 Commander Task Group 77.6に任務報告。CTG 77.6により、ヘンリー W. タッカーの戦術指揮をとるよう指示。CTG 77.6は、ヘンリー W. タッカーの戦術指揮を引き受け、目視信号範囲内で単独で行動し、1800までにB1ステーションに入るよう指示した
2247 速度27ノット。COMNAUPHIL MSG 1710347 July 1967に従い、足の指を切断された乗員の医療搬送のため、Lykes Bros. SS Co. のC3-S-37c型貨物船アリソン K. ライクス Allison K. Lykes(MAハル135)とランデヴーする
2255 アリソン K. ライクスとのランデヴーを実現するための操船を開始
2346 アリソン K. ライクスと合流。右舷救命艇 lifeboatを降ろす
艦長ジョン K. ベリング大佐が艦内スピーチ 以下省略
1967/7/18(火) 南シナ海でヘンリー W. タッカーとともに5ノットでコース070を航行中、フィリピン、スービック湾のキュービ・ポイント米海軍航空基地に向かう。SOPAは、フォレスタルに乗艦するハーベイ P. ランハム司令官。OTCはフォレスタル艦長ジョン K. ベリング大佐。ボイラー1A、1B、2A、2B、3A、3B、4A、4B、発電機1、3、4、7、8がライン上にある。マテリアル・コンディション・ヨークと一般準備状態4修正が船全体に設定されている
0000 エドウィン L. フープス3世中尉がOODの見張りに就く。コースを090に変更。アリソン K. ライクスからフォレスタルに負傷した船員を移送し、必要な治療を受けさせながら操船
0016 フォレスタルはコースを070に変更
0018 負傷した船員を救命艇からフォレスタルに移す
0030 速度12ノット。医療部から、アリソン K. ライクスの負傷船員ジェームズ・コール・ロー James Cole Low(生年月日1914年11月3日)の現在の状態は良好であるとの報告を受ける。左足の第1、2、3指の外傷性切断と診断された。予後は良好: 良好
0600 スペシャル・シー・アンド・アンカー・ディテール Special Sea and Anchor Detailをセット。進路を034に変更。ウィリアム R. ハント中尉がOODの見張りに就く。速力30ノット。フィリピンのスービック湾に入り、スービック湾のレイテ桟橋の右舷に向かう間、操船を開始した
0810 最初の係留索を桟橋に渡す
0839 特別な海と錨の詳細を確保した。J. E. サマーズ Jr. 中尉 LTJG J. E. Summers, Jr. は、OODの見張りを引き受ける


Update 24/03/10