アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
※駆逐艦籍 Destroyersの一等駆逐艦 Destroyer, First Lineはのちに駆逐艦 Destroyerに変更される。1920年7月17日、艦種記号DDが各艦に与えられる
- 軽荷排水量:700t(742tともいわれる、DD-32、DD-36、DD-38、DD-39、DD-42は787t) 満載排水量:887t(DD-26は893t、DD-35は883t) 全長:89.56m(DD-23、DD-24、DD-28、DD-32、DD-36~DD-39、DD-41、DD-42は89.58m) 幅:7.92m(7.95mともいわれる、DD-23、DD-36~DD-39、DD-41、DD-42は8.22m、DD-24、DD-28、DD-31は8.20m、DD-25、DD-27、DD-29、DD-30、DD-33、DD-34、DD-40は7.96m(水線)、DD-35は8.19m) 吃水:2.54m(平均、2.89mともいわれる、DD-25は3.32m(艦尾)、DD-26は3.04m、DD-29、DD-30、DD-33、DD-34は2.87m(艦尾)) 主缶:ノルマン式水管缶(重油専焼)4基(DD-24、DD-25、DD-28、DD-29、DD-32、DD-35、DD-37、DD-38はソーニクロフト式水管缶(重油専焼)4基、DD-26、DD-27、DD-34、DD-39はヤーロー式水管缶(重油専焼)4基(DD-39は1915年にはホワイトフォースター式水管缶(重油専焼)4基)、DD-30、DD-31、DD-36、DD-40はホワイトフォースター式水管缶(重油専焼)4基、DD-33はMosher式水管缶(重油専焼)4基(1918年にはノルマン式水管缶(重油専焼)4基)) 主機/軸数:パーソンズ式直結蒸気タービン2基/3軸(DD-26、DD-27、DD-34はカーチス式直結蒸気タービン2基/2軸、DD-30、DD-31はゾーリーフォスター式直結蒸気タービン2基/2軸、DD-31、DD-39は1915年にはウェスティングハウス式蒸気タービン2基) 出力(計画):12,000馬力(DD-31、DD-39は1915年には13,000馬力) 速力(計画):29.5kt(33.0ktともいわれる、DD-23、DD-26、DD-30、DD-32、DD-37~DD-39、DD-41は30.0kt、DD-24、DD-36、DD-42は29.0kt、DD-25は30.24kt(公試)、DD-27は30.37kt(公試)、DD-29は30.67kt(公試)、DD-33は30.89kt(公試)、DD-35は30.48kt、DD-40は29.65kt(公試)) 燃料搭載量(計画):重油241t 航続力(公試):16ktで3,000浬 兵装:50口径76mm単装砲5基、コルト式7.62mm単装機銃2基(DD-30は7.62mm単装機銃3基)、457mm連装魚雷発射管3基(1918年には50口径76mm単装砲4基、457mm連装魚雷発射管3基) 乗員:89名(1918年には110名、DD-24は91名、DD-27、DD-29、DD-34は86名、DD-33、DD-35、DD-38、DD-39、DD-41、DD-42は83名、DD-40は88名)
- ※DD-24~DD-27、DD-30~DD-32、DD-34、DD-36、DD-37は3本煙突で他の艦は4本煙突。DD-31とDD-39は1916年にエンジン換装
- ※この級はフリヴヴァーズ(Flivvers:古い安物小型自動車)というニックネームを持つ
↑Caption: Sterett underway, circa 1912. Photographed by O. W. Waterman, Hampton, Va. Courtesy of the Naval Historical Foundation. (Naval History and Heritage Command Photograph, NH 59932-A). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
↑Caption: Curtiss AH-12 seaplane on the hoist of Sterett, circa 1915. Note the steering chain running along Sterett's deck. (Naval History and Heritage Command Photograph, NH 2246). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ポールディング (1、2、3) |
Paulding | DD-22 | バス鉄工所 | 1910/9/29 | 1919/8 | 1934/6/28 | ◎1909/7/24 起工 ◎1910/4/12 進水 ◎1918 クイーンズタウンにて入渠(1、2) ◎退役後、予備艦隊に編入 ◎1924/4/28 沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-17)に改める ◎1930/10/18 海軍に移管、リーグ・アイランドにて予備艦隊に編入 ◎1934/6/28 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown, 1917-1918. | |||||||
ドレイトン (1、2) |
Drayton | DD-23 | バス鉄工所 | 1910/10/29 | 1919/11/17 | 1935/3/8 | ◎1909/8/19 起工 ◎1910/8/22 進水 1916~1917頃(1919?) 駆逐艦エールウィンと衝突し損傷 ◎1917/5上旬 チャールズタウン海軍工廠にて改装 ◎1919/1上旬 ボストンにてオーヴァーホール ◎1933/7/1 ドレイトンという艦名をとる ◎1935/6/28 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown, Brest, 1917-1918. | |||||||
ロー (1、2、3) |
Roe | DD-24 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1910/9/17 | 1919/12/1 | 1934/6/28 | ◎1909/1/18 起工 ◎1909/7/24 進水 ◎1913/11/3 フィラデルフィアにて退役、保管 ◎1914/3 予備水雷小艦隊に編入 1916/3/25 キー・ウェストにて駆逐艦モナハンと衝突し損傷 ◎1917/3/2 再役 ◎退役後、予備艦隊に編入 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-18)に改める ◎1930/10/18 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管 ◎1934/5/2 解体のため売却 |
◎Brest 1917-1918. | |||||||
テリー (1、2、3) |
Terry | DD-25 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1910/10/18 | 1919/11/13 | 1934/6/28 | ◎1909/2/8 起工 ◎1909/8/21 進水 1913/9/18 Gardiner's Islandにて座礁 ◎1913/11 退役、チャールストン海軍工廠にて保管、オーヴァーホール ◎1914 再役 1916/6/10 Puerto Plata港にて座礁沈没 ◎1916/6/26 引き揚げられる、一時的な修理(~1917/7/7) ◎1917/7中旬 チャールストン海軍工廠にて修理 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-19)に改める ◎1930/10/18 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管 ◎1934/5/2 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Sant Domingo 1916. Escort and patrol, Queenstown, 1918. | |||||||
パーキンス (1、2) |
Perkins | DD-26 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1910/11/18 | 1919/12/5 | 1935/3/8 | ◎1909/3/22 起工 ◎1910/4/9 進水 ◎1910/11 予備駆逐戦隊に編入 ◎1917/4/3 再役 ◎1917冬 チャールストンにてオーヴァーホール(~1918) ◎1919/12/5 予備艦隊に編入 ◎1933/11/1 パーキンスという艦名をとる ◎1935/6/28 解体のため売却 |
◎Queenstown 1917. | |||||||
スタレット (1、2) |
Sterett | DD-27 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1910/12/15 | 1919/12/9 | 1935/3/8 (1935/3/9?) |
◎1909/3/22 起工 ◎1910/5/12 進水 ◎マサチューセッツ州ボストンにて就役 ◎就役後、スタレットトは新年までボストンに留まり、1911年1月22日にようやく出航した。南下してサウス・カロライナ州チャールストンに入港したのち、北上して3月25日にニュー・ヨーク海軍工廠に寄港した。航海中は大西洋水雷艦隊第9隊 Ninth Division, Atlantic Torpedo Fleetに配属された。31日に離岸、4月3日にニュー・ヨークを出航し、ヴァージニア州の岬に向かい、4月9日に帰港した。6月1日までニュー・ヨークに留まり、ボストンに向けて出発、3日にニューポート経由でボストンに到着した。スタレットは6月中、ボストンとヴァージニア州ハンプトン・ローズ間の試運転と巡航を行った。1911年後半まで、寄港期間を挟みながら東部沿岸を巡航し、12月28日にニュー・ヨーク海軍工廠に到着した ◎1912年1月4日、ニュー・ヨークを出港したスタレットは、カリブ海での恒例の冬季演習に出発した。この航路の初期に強風に見舞われた。1月9日、バミューダで、スタレットは嵐で失った損害と装備を記録した報告書を提出した。訓練中、大西洋水雷艦隊は3月4日に大西洋艦隊水雷戦隊群 Torpedo Flotilla, Atlantic Fleetに再指定された。スタレットは4月の訓練サイクル終了時に北上し、ニュー・ヨークのヤードで一定期間を過ごした。そののち、ボストンから出航し、北東海岸沖で哨戒と訓練を行った。駆逐艦は10月19日にニュー・ヨーク海軍工廠に到着し、新年までそこに留まった ◎スタレットは1913年まで、ほぼ毎年恒例の任務を繰り返した。しかし、今回はチャールストン海軍工廠で年を越し、1914年までそこに留まった。1913年11月5日に予備艦となったものの、水雷戦隊群の任務は継続した。1914年1月20日にチャールストンを出航し、フロリダ州Cape Canaveral、フロリダ州マイアミ、フロリダ州キー・ウェスト、アラバマ州モービルに寄港したのち、3月2日にルイジアナ州ニュー・オーリンズに到着。翌日、新たに創設された予備水雷戦隊群 Reserve Torpedo Flotillaに加わり、テキサス州ガルヴェストンからメキシコ湾で活動した。6月には大西洋に戻り、今度はヴァージニア州ノーフォークを拠点に沿岸のパトロールを再開した ◎年末をふたたびチャールストンで過ごしたのち、1915年2月15日に出航し、フロリダ沖とカリブ海で訓練を行うために南下した。訓練が終了し、4月30日にチャールストンに戻った。そののち4ヶ月間、ニューポートとジョージア州Savannahの間の大西洋沿岸を巡航した。11月14日にSavannahを出航し、キー・ウェストを経由してフロリダ州ペンサコラの冬営地に向かい、17日に到着した ◎スタレットは1916年1月5日に減員され、その春はほとんどカリブ海のみで活動した。1916年6月1日、ドミニカ共和国のMonte Cristiに上陸した海兵隊を支援する艦隊の一員として、秩序を回復し、人命と財産を守るためにSantiagoまで行進した。そののちすぐに、スタレットはノーフォークに戻り、東海岸での活動を再開した。10月2日、スタレットとモナハンは中立任務に就く命令を受けた。そののち、両駆逐艦とラムソン Lamsonはフロリダ海軍民兵部隊 Florida Naval Militiaと巡航した(12月1日~11日)。そののち、スタレットとモナガンはラムソンと別れ、募集のためにジョージア州Savannah(12月12日~17日)、フロリダ州キー・ウェスト(12月18日~19日)、アラバマ州モービル(12月20日~21日)に寄港した。1917年1月1日、ミシシッピ川に入り、ルイジアナ州ニュー・オーリンズに停泊し、川を遡ってミズーリ州ヴィックスバーグに向かった。ふたたびメキシコ湾に入り、テキサス沿岸を哨戒。3月18日にキー・ウェストに移動し、キューバ沿岸まで航行したのち、母港のチャールストンに帰港した ◎1917年4月6日、アメリカは対独宣戦布告を行い、スタレットはチャールストンで修理を受けていた。その作業は4月28日に完了した。5月3日、同艦はマサチューセッツ州チャールズタウン海軍工廠に向かう命令を受け、左舷タービンの検査と修理を行い、遠洋での任務に備えるために必要な物資を積み込んだ。スタレットは出航し、5月23日にニュー・ジャージー州スコットランド・ライトシップの南東10マイルで給炭艦ジュピター Jupiterとウォークとランデヴーし、遠洋任務に出発した。6月5日、軽微な修理のためフランスのRoyon沖に停泊を余儀なくされたが、2日後にふたたび出航し、6月7日の午後遅くにフランスのブレストに入港した。翌朝、ウォークとともにアイルランドのQueenstown(現在のコーブ)第6基地に向けて出航した。9日に到着し、アメリカ海軍司令官に任務の報告を行った。Queenstownから輸送船団を出迎え、アイルランドのBerehavenかイギリスのデヴォンポートまで輸送することになっていた。これらの地点では、イギリスとフランスの駆逐艦が航海の最後の行程を担当した ◎1917年6月21日午後8時、アイルランドの西を哨戒中、スタレットは英国の蒸気船Lord Robertsがドイツ海軍潜水艦U62(艦長はKapitänleutnant Ernst Hashagen)から砲撃を受けているという無線通信を受信した。駆逐艦はそののち、汽船の乗組員が船を放棄したというメッセージを傍受した。スタレットは直ちに報告された位置に向かった。23日まで周辺を捜索したが、生存者もU62も発見できなかった。燃料を補給する必要があったため、捜索を打ち切り、Berehavenへ向けて航行した。約2ヵ月後、スタレットはイギリス海軍スループZinniaからの無線メッセージを傍受した。Azalea級スループがベンハム Benhamと衝突したため、スタレットとイギリス海軍掃海スループCrocusが救援に向かった。ZinniaはベンハムをアイルランドのDauntまで曳航し、スタレットとCrocusが護衛を務めた。それからわずか3ヶ月弱後の11月3日、スタレットはイギリス海軍スループCamelliaと衝突。両者とも損傷を受けたが、どちらも戦闘不能にはならなかった ◎スタレットは1917年11月13日、Capel Islandに向かって航行中、右舷75ヤードに魚雷航跡を発見。全速力で前進し、全方位を鳴動させたのち、深度爆雷を投下したが爆発に失敗した。そののち、進路を反転し、2回目の爆雷を投下したが、これも爆発しなかった。潜水艦を発見せず、エンジン・トラブルが発生したため、Queenstownに進路をとった。その8日後、護衛艦を率いていた左翼隊列の先頭艦が左舷に魚雷を受けた。ふたたび速度を上げ、総員配置を鳴動させた。しかし潜水艦は発見されず、アンメンとファニングは輸送船団から離脱し、魚雷を受けた商船をアイルランドの Rosslareまで護衛した。翌月の12月8日、スタレットはイギリスのSt. Mary'sに待機し、沈没したジェイコブ・ジョーンズ Jacob Jonesの生存者をピックアップしてQueenstownに運んだ。月末近く、スタレットは放棄されたSantee(元Arvonian)からボートに乗った8名を救助した。そののち、スタレットは魚雷を受けたQシップ(ドイツ海軍潜水艦U61が雷撃、艦長はKapitänleutnant Victor Dieckmann)を発見し、2隻の曳船に曳航された ◎スタレットがドイツ潜水艦と初めて遭遇したのは、1918年5月31日のことだった。マッコールとともに、Queenstownからランデヴー地点までタンカーAstrakhanを護衛していた時、スタレットはUボートに遭遇した。左舷クォーターに潜望鏡があるのを確認し、両駆逐艦は攻撃に転じた。スタレットが接近すると、潜水艦は急速に潜行した。スタレットは爆雷を投下し始めた。深爆雷の補給を使い果たしたのち、スタレットはUボートの泡の航跡と油の軌跡で敵を追跡し、バッテリーと給気を使い果たさせることを望んだ。同艦は夜通し追跡を続け、暗闇の中、潜水艦から漏れる油の煙だけが道しるべとなった。そして夜明け、駆逐艦の執念は報われた。同艦は約1,000ヤード前方の水面にUボートを発見した。スタレットは潜水艦に突っ込もうと最高速度で海面を切り裂いたが、Uボートは左舷に大きく振って対抗した。スタレットは潜水艦の20フィート以内を通過し、Uボートが急潜航しようとすると、艦砲を構えた。しかし、敵を括りつける十分な時間もなく、スタレットの砲手たちは、潜水艦が水面下に滑り落ちていくのをなすすべもなく見ていた。駆逐艦は6月1日の大半を潜水艦の捜索に費やしたが、のちにU97(艦長はKapitänleutnant Hans von Mohl)と特定された獲物は逃走した。その執念深い決断に対して、スタレットの士官と乗組員は、アイルランド沿岸総司令官ルイス・ベイリー海軍中将 Commander-in-Chief, Coast of Ireland, Vice Adm. Lewis Bayly, RNから表彰を受けた ◎休戦協定により1918年11月11日に敵対関係が終結し、スタレットは過酷な輸送船団と対潜水艦の任務に終止符を打ち、1919年1月3日には米国のチャールストンに戻った。そこからフィラデルフィアに移動し、1919年12月9日に退役した。1935年3月8日、15年余りの活動停止ののち、ステレットは海軍リストから抹消された。6月28日、海軍軍備縮小のためのロンドン条約に基づき、ヴァージニア州ノーフォークのM. Black & Co. に売却された。購入者は1936年7月14日にスクラップにした |
◎Mexican Intervention, 1914. Sant Domingo 1916. Queenstown 1917-1918. | |||||||
マッコール | McCall | DD-28 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1911/1/23 | 1918/12/12 | 1934/6/28 | ◎1909/6/8 起工 ◎1910/6/4 進水 ◎1914/10/27 Lynn Havenにて座礁 ◎1917/6 フィラデルフィアにてオーヴァーホール 1917/12/3 ニュー・ヨークにて商船Comancheと衝突 ◎退役後、保管 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-14)に改める ◎1930/10/18 海軍に移管 ◎1934/5/2 解体のため売却 |
◎Queenstown 1917-1918. | |||||||
バロウズ (1、2) |
Burrows | DD-29 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1911/2/21 | 1919/12/12 | 1934/7/5 | ◎1909/6/19 起工 ◎1910/6/23 進水 ◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役 ◎1917/5/4 フィラデルフィア海軍工廠にてエンジンをオーヴァーホール(~1917/6/3) 1918/1/18(1918/1/19?) 機関室出火により損傷、後に修理 1918/5/20 Bardseyにてイギリス海軍哨戒艇P.62と衝突しNo. 1機関室浸水、出火、リヴァプールへ曳航、修理 ◎退役後、フィラデルフィアにて保管 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-10)に改める ◎1931/5/2 フィラデルフィにて海軍に移管、予備艦隊に編入 ◎1934/8/22 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown 1917-1918. | |||||||
ウォーリントン | Warrington | DD-30 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1911/3/20 | 1920/1/31 | 1935/3/20 | ◎1909/6/21 起工 ◎1910/6/18 進水 ◎フィラデルフィア海軍工廠にて艤装 1911/12/27 ヴァージニア岬近海にて霧によりスクーナーと衝突し損傷(正体不明のスクーナーが暗闇と霧の中を突進し、ウォリントンの船尾に衝突、船尾を約30フィート切り落とした。この衝突で推進力を奪われたウォーリントンは、Cape Hatteras沖17マイルの海上で停泊を余儀なくされた)、のちに海軍工廠ノーフォークへ税関監視船部カッター・オノンダガ Onondagaが曳航、海軍工廠ノーフォークにて保管、修理(~1912/12/2) ◎退役後、フィラデルフィアにて保管(~1935) ◎1935/6/28 解体のため、ノーフォークのM. Black & Co. に売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Convoy escort. Queenstown and Brest, 1917-1918. | |||||||
メイラント (1、2) |
Mayrant | DD-31 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1911/7/12 | 1919/12/12 | 1935/3/8 | ◎1909/4/22 起工 ◎1910/4/23 進水 ◎1915/5/20 退役、ブルックリン海軍工廠にてオーヴァーホール ◎1918/1/2(1918/2/2?) フィラデルフィアにて再役 ◎1919/6下旬 チャールストン海軍工廠にてオーヴァーホール ◎退役後、フィラデルフィアにて予備艦隊に編入(~1935) ◎1935/6/28 解体のため、ノーフォークのM. Black & Co. に売却 ◎1935/8/21 解体 |
モナハン (1、2) |
Monaghan | DD-32 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1911/6/21 | 1919/11/4 | 1934/7/5 | ◎1910/6/1 起工 ◎1911/2/18 進水 1916/3/25 キー・ウェストにて駆逐艦ローと衝突し損傷 ◎退役後、予備艦隊に編入 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-15)に改める ◎1931/3/8 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管 ◎1933/7/1 モナハンという艦名をとる ◎1934/8/22 解体のため、ブルックリンのMichael Flynnに売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. | |||||||
トリップ (1、2) |
Trippe | DD-33 | バス鉄工所 | 1911/3/23 | 1919/11/6 | 1934/7/5 | ◎1910/4/12 起工 ◎1910/12/20 進水 ◎チャールズタウン海軍工廠にて就役 ◎1912 修理 ◎1914/6上旬? オーヴァーホール ◎1915/12/13 退役?、第2予備小艦隊に編入 ◎1916/7/25 ボストンにて再役 ◎1917/5下旬? 修理 1917/9/18 悪天候により損傷 ◎1917秋 フランスのQuiberon Bayにて応急修理 ◎1919/7下旬 フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール ◎退役後、フィラデルフィアにて予備艦隊に編入 ◎1924晩春 フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管 ◎1931/5/2 海軍に移管されフィラデルフィアにて保管 ◎1934/8/22 解体のため、ブルックリンのMichael Flynn, Inc. に売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Escort and patrol, Queenstown, 1917-1918. | |||||||
ウォーク (1、2) |
Walke | DD-34 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1911/7/22 | 1919/12/12 | 1935/3/20 | ◎1910/3/5 起工 ◎1910/11/3 進水 ◎チャールズタウン海軍工廠にて就役 ◎ボストンにて艤装 1911/8/27 ニューポートにてピアと衝突 1912/10/1 ニューポートにて公試中、タービン爆発により損傷 ◎1913/11/1 ニュー・ヨーク海軍工廠にて保管 1914/3 Dry Tortugasにて右舷シャフト付近に損傷(船体に穴)、後に入渠、修理 ◎1915/4 退役 ◎1915/7 再役 ◎1915/11/1 チャールストン海軍工廠にてオーヴァーホール(~1916/2) ◎1916/7下旬 海軍工廠ノーフォークにてオーヴァーホール(~1917/3) ◎1917/12中旬 チャールストン海軍工廠にてオーヴァーホール(~1918/3) ◎1919/12/12 フィラデルフィア海軍工廠にて保管 ◎1933/7/1 ウォークという艦名をとる ◎1935/4/23 フィラデルフィア海軍工廠にて解体 |
◎Mexican Intervention, 1914. Escort and patrol, Brest and Queenstown, 1917. Convoy escort, New York, 1918. | |||||||
アンメン | Ammen | DD-35 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1911/5/23 | 1919/12/11 | 1934/7/5 | ◎1910/3/29 起工 ◎1910/9/20 進水 ◎フィラデルフィアにて就役 1913/10/5 Barnegatにて海底の捨てられていた障害物を引っ掛け損傷 ◎1917/5上旬 フィラデルフィア海軍工廠にて艤装 1917/6/2 撒積貨物船Herman Fraschと衝突し損傷 1917/12/16 アイルランドにて疾風により損傷 ◎1919/12/11 予備役に編入 ◎1924/4/28 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-8)に改める ◎1931/5/22 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管 ◎1933/7/1 アンメンという艦名をとる ◎1934 解体のため、ブルックリンのMichael Flynn, Inc. に売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown 1917-1918. | |||||||
パターソン (1、2) |
Patterson | DD-36 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1911/10/11 | 1919/1/1 | 1934/6/28 | ◎1910/3/29(1910/4/27?) 起工 ◎1911/4/29 進水 1912/10/7 ニューポートにて座礁 1918/1/1 Berehaven港入り口にてイギリス曳船Dreadfulと衝突し損傷 ◎1918/6中旬 フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール ◎退役後、フィラデルフィア海軍工廠にて予備艦隊に編入 ◎1924/4/28 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-16)に改める ◎1930/10/18 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管 ◎1933/7/1 パターソンという艦名をとる ◎1934/5/2 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown 1917-1918. | |||||||
ファニング (1、2、3) |
Fanning | DD-37 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1912/6/21 | 1919/11/24 | 1934/6/28 | ◎1911/4/29 起工 ◎1912/1/11 進水 1913/7/18 ニュー・ヨークにて海底の捨てられていた障害物を引っ掛け損傷 ◎1916/10 給炭艦ジェイソン Jasonと洋上給油試験 ◎1917~1918ごろ この間、Birkenheadにて入渠 ◎退役後、フィラデルフィアにて予備艦隊に編入 ◎1924/6/7 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-11)に改める ◎1930/11/24 海軍に移管 ◎1934/5/2 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown
1917-1918. ☆DD-37の撃沈スコア(以下の艦船) ・1917/11/17 ドイツ海軍潜水艦U58(アイルランドにて撃沈) |
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ジャーヴィス | Jarvis | DD-38 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1912/10/22 | 1919/11/26 | 1935/3/8 | ◎1911/7/1 起工 ◎1912/4/3(1912/4/4?) 進水 1918/7 フランスにて駆逐艦ベンハムと衝突し損傷 ◎退役後、予備艦隊に編入 ◎1935/4/23 解体のため売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown, Brest, 1917-1918. | |||||||
ヘンリー | Henley | DD-39 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1912/12/6 | 1919/12/12 | 1934/7/5 | ◎1911/7/17 起工 ◎1912/4/3 進水 ◎ボストンにて就役 ◎1915/6/19 主機換装工事(~1917/3/22) 1918/7/14 ニュー・ヨークにて商船Edward L. Dohenyと衝突し損傷 ◎退役後、フィラデルフィア海軍工廠にて予備艦隊に編入 ◎1924/5/16 ニュー・ヨーク海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-12)に改める ◎1931/5/8 海軍に移管 ◎1934/8/22 解体のため、ブルックリンのMichael Flynn, Inc. に売却 ◎フィラデルフィアにて解体 |
◎Mexican Intervention, 1914. | |||||||
ビール (1、2) |
Beale | DD-40 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1912/8/30 | 1919/10/25 | 1934/6/28 (1934/7/5?) |
◎1911/5/8 起工 ◎1912/4/30 進水 1912/10/4 デラウェア川にて艀と衝突し損傷 ◎1915/12/13 退役、保管 ◎1917/3/22 再役 ◎退役後、フィラデルフィア海軍工廠にて保管 ◎1924/4/28 フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-9)に改める ◎1930/10/18 フィラデルフィア海軍工廠にて海軍に移管、フィラデルフィア海軍工廠にて係船、予備艦隊に編入 ◎1934/8/22 解体のため売却 ◎フィラデルフィアにて解体 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown 1918. | |||||||
ジュエット (1、2) |
Jouett | DD-41 | バス鉄工所 | 1912/5/24 (1912/5/25?) |
1919/11/24 | 1934/7/5 | ◎1911/3/7 起工 ◎1912/4/15 進水 ◎ボストンにて就役 ◎1919/11/24 フィラデルフィア海軍工廠にて予備艦隊に編入 ◎1924/4/23(1924/4/28?) フィラデルフィア海軍工廠にて沿岸警備隊に移管され船種を沿岸警備隊駆逐艦(CG-13)に改める ◎1931/5/22 海軍に移管 ◎1934 解体のため、ブルックリンのMichael Flynn, Inc. に売却 |
◎Mexican Intervention, 1914. | |||||||
ジェンキンス | Jenkins | DD-42 | バス鉄工所 | 1912/6/15 | 1919/10/31 | 1935/3/8 | ◎1911/3/24 起工 ◎1912/4/29 進水 1914/10/27 Lynn Havenにて座礁 1917/6/11 アイルランドにてイギリス海軍艦艇Laburnumと衝突し損傷 ◎退役後、フィラデルフィアにて予備艦隊に編入 ◎1935 解体 |
◎Mexican Intervention, 1914. Queenstown 1917-1918. |
Update 24/12/29