B5−BJ2
Army Concrete Refrigerated Lighter

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


積貨重量トン数:1,135t 全長:80.77m
※コンクリート製船体
船名 NAME 造船所
記号
海事委員会
記号
建造所 引き渡された日 備考
ハイドロゲン Hydrogen 45 2236 Concrete Ship Constructors, Inc. 1944/9 ◎1944/7/2 進水
◎1944/9/23 竣工、陸軍に移管、艦種を有蓋運貨船(BCL-3071)に改める
◎そののち、冷凍装置を取り付ける必要があった。1944年11月17日、York Dispatchの記事には「Floating Ice Box Is Equipped By York」とある
◎初のオール・コンクリート製冷蔵貨物運搬船であるフローティング・アイス・ボックスは、初期上陸作戦中に米軍侵攻部隊に新鮮な食料を供給するもので、この近くで完成し、現在南太平洋のどこかで活躍している
◎York Corporationが設計し、新鮮な肉や農産物のためのユニークな低温貯蔵システムを備えたこの新しい冷凍艀は、National Cityのコンクリート船建造業者のヤードで米軍のために建造される3隻のうちの1隻である
◎処女航海では、1,000t以上の新鮮な肉、果物、氷、アイスクリームがこの船によって運ばれた
◎海上では、この浮遊式冷蔵庫は陸軍の移動式コミッサリーと同じ役割を果たし、戦闘中の兵士に食料を、負傷者の緊急治療用に氷を供給する。船はカモフラージュされ、主要な島々を攻撃する際に所定の位置に移動する
1944年12月3日付の「Cumberland Sunday Times」紙も同じ記事を掲載しているが、より詳細な内容となっている:--初期作業が完了したのち、次の攻撃現場に曳航される
◎このタイプのバージ船としては初めて建造されたこの新造船は、全長265フィート、幅48フィート。船体のコンクリート壁の厚さは5インチ
◎ヨークのエンジニアによれば、冷蔵貯蔵能力は122,000フィートに達し、戦闘地域にいながら1日500ガロンのアイスクリームを製造できる工場と、1日5tの氷を製造できる工場がある。合計すると、この船は24時間ごとに53tの冷凍を生産していることになる
◎全長225フィートのデッキハウスの中央部分は、厚い壁で厳重に断熱され、巨大な外扉を備えた、事実上巨大な冷蔵庫である。内部は32゚Cから38゚Cに保たれる。甲板の下には、肉類を保存するために航海中10゚Cから15゚Cに保たれる船倉があり、それぞれの船倉は断熱材によって個別の冷凍室になっている。 戦闘区域での迅速な行動のために、モノレールのコンヴェア・システムが船内を走っている。その走行クレーンとスイッチは、一度に2tの一口サイズの貨物を持ち上げることができる。クレーン、荷降ろし装置、冷凍コンプレッサー、その他の機械により、合計400馬力、75,000人分の電力をまかなうことができる
◎BRL-3071は、“新しいディヴィジョン・プレートとジンク・プレート new division plates and zinc plates”の取り付けのため、1944年11月27日に真珠湾の米軍“インターアイランド・ドライドック Inter-Island Drydock”に到着したとCOM 14の戦時日誌 War Diaryに記されており、作業は1944年11月30日に完了した。1944年12月7日から1944年12月15日にかけては、右舷サイドレールの矯正作業が行われ、1944年12月28日に完了する予定であった冷凍システムの修理も必要であった。しかし、冷凍システムは、2つのフロン・コンデンサーの再チューブを含む、延長修理が必要であり、30%完了と記されており、1945年1月15日に予定されていた。この作業には“冷凍配管の再整理」が含まれていた。海軍工廠の仕事:フロン・コンデンサー1台は、チューブ交換と新しいチューブ・シートの製造のためヤードへ(海軍工廠が現在の作業を完了したら、No. 2コンデンサーを再チューブする”
◎BRL-3071が出征する準備が整うのは、1945年2月10日のことであった。艦隊航洋曳船バノック Bannock(ATF-81)戦時日誌によると、その日、“桟橋7に横付けされたBRL-3071(冷凍バージ)に曳航ホーザーを艤装
0935--BRL 3071への曳航索の艤装を完了。...南西に進路をとり、速力6kt、ハワイ準州ホノルルからエニウェトク島へのルートを進む”
◎1945年8月のことである。Buckner Bayは、沖縄の南東にある中城湾の米海軍による愛称で、1945年4月1日から6月21日まで続いた沖縄戦で、1945年6月18日に戦死したサイモン・ボリヴァール・バックナー Jr. 陸軍大将 U.S. Army General Simon Bolivar Buckner, Jr. にちなんで命名された。沖縄占領後、米海軍が泊地、海軍基地、造船所を設置したのがBuckner Bayだった
◎1945年8月25日のCOMSERDIV 104の戦時日誌には、“C2-S-AJ2型貨物船サンタ・リタ Santa Rita(MCハル1372)から割り当てられたチルド食料の発行を完了した。残りの(500)tは沖縄の陸軍のためにBRL-3071に排出される”と書かれている
◎1945年9月5日のCOMSERVDIV 104の戦時日誌には、給糧艦アタナシア Athanasia(AF-41)がBRL-3071に“東部沖縄の全艦に配給するため”アイス・クリーム・ミックス200ケースを届けたと記録されている。これは興味深い記録で、BRL-3071がアイス・クリームを製造するだけでなく、ほかの艦船のためにアイス・クリーム・ミックスを貯蔵していたことを示唆している
軽質油艦トンビグビーTombigbee(AOG-11)の1945年9月7日の戦時日誌によると、1027時にBRL-3071の左舷に係留し、淡水の排水を開始した。12時25分、19,400ガロンの淡水を補給し、BRL-3071から出航した
◎第二次大戦が終結した1945年10月9日、新たな敵、台風“ルイーズ台風”が沖縄を襲った。時速92マイルの風と最大35フィートの波が、Buckner Bayに停泊していた船舶に大惨事をもたらした。12隻が沈没、222隻が座礁、32隻が大破した。人的被害は死者36名、行方不明47名、重傷者100名であった。 1945年10月24日、艦隊航洋曳船チマリコ Chimariko(ATF-154)は沖縄の宜野湾でBRL-3071を浮揚させようとした。後部コンパートメント6室が浸水し、艀はサンゴの頭に沈んでいた。1945年10月28日、揚水作業は中止された
◎COMSERVDIV 104の戦時日誌によると、BRL-3071は10月1日、11月1日、そして1945年12月1日にもBuckner Bayにいた。興味深いことに、BRL-3072は1945年10月1日のみに存在したと記録されている。両BRLは1945年10月25日、沖縄で臨時任務に就いていると、COMSERVRON 10の戦時日誌に記載されている
◎BRL-3071の最終処分に関しては、これは謎のようなものである。海軍歴史遺産司令部 Naval History and Heritage Commandは“台風とハリケーン”:“太平洋台風、沖縄、1945年10月 Typhoons and Hurricanes: Pacific Typhoon at Okinawa, October 1945”のページで、座礁、損傷、沈没した艦船の包括的なリストを提供している。BRL-3071は座礁し、その音からすると沈没して放棄されたことが知られているが、言及されていない。この唯一の説明は、同船が海軍ではなく陸軍の艦艇であったということである
◎ほかの情報がなければ、バックナー湾に放置された可能性が高い
カルシウム Calcium 46 2237 Concrete Ship Constructors, Inc. 1944/10 ◎1944/10 陸軍に移管、艦種を有蓋運貨船(BCL-3072)に改める
アンチモン Antimony 47 2238 Concrete Ship Constructors, Inc. 1944/11 ◎1944/11 陸軍に移管、艦種を有蓋運貨船(BCL-3073)に改める


Update 25/04/22