陸軍輸送船
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略
- ※データは兵員輸送艦アルゴンヌ級の項を参照
- ※1024型貨物船を改装
↑USAT Cantigny (U.S. Army Transport). Photographed on 23 August 1920 on her delivery voyage from the shipyard at Hog Island, Pennsylvania, where she was built. U.S. Naval Historical Center Photograph. Image courtesy of HyperWar.
艦名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
カンブレー | Cambrai | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1920/11 陸軍輸送科に移管 ◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base ◎通常、ニュー・ヨーク~Antwerp間及びニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間を航行 ◎1920/12/10 初航海 ◎1921/6/6 ニュー・ヨークにて係船(~1921/11/10) ◎のちに陸軍輸送科太平洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)にて運用開始、母港はフォート・メイソンのサン・フランシスコ乗船港 ◎1922 サン・フランシスコ~ホノルル間を航行(~1931) ◎1923年9月に日本を襲った大地震ののち、横浜に地震救援物資を輸送 ◎1928年11月以降、フォート・メイソンとブルックリン陸軍補給基地の間をほぼ隔週で往復し、パナマ、プエルト・リコ、フィリピンに臨時航海 ◎1928 ニカラグアを支援(~1932) 1929 ニカラグアのコリントで暗礁に激突(損傷は軽微であったが、サン・フランシスコへの帰港後、乾ドックでの修理が必要であった) ◎1931/10/27 U.S. Shipping Boardに移管、のちにUnited States Lineに売却されAmerican Travelerと改名 ◎1940 ベルギーの業者に売却されVille d'Arlonと改名、ベルギー船籍となる 1940/12/2 ドイツ海軍潜水艦U47(1、2)の雷撃により沈没(1940年12月2日04時09分、護衛なしのVille d'Arlon(Master Albert Wilding)はU47からのG7e魚雷1本を右舷船尾に受け、Rockall南西約250マイルで搭載貨物とともに急速に沈没した。この船は、HX90船団の71番の位置にいたが、操舵のトラブルではぐれ、Uボートの攻撃を受けて停船し、修理中と思われた。船長、乗員55名、乗客1名(DBS)を失った) |
|||
カンティニー | Cantigny | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1920/9 陸軍輸送科に移管 ◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、ニュー・ヨーク州ブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Baseを母港とする ◎1920/9/7 陸軍輸送科の最初の航海を行い、ベルギーのアントワープに向かい、ドイツでの占領任務から米軍を帰還させた ◎カンティニーは、通常、ヨーロッパからのニュー・ヨーク~アントワープ航路とニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ航路に就航した ◎1922/7 米陸軍輸送科のために最後の航海を実施 ◎1922/7/28 ヴァージニア州ノーフォークにて係船 ◎1922/9/31 United States Shipping Boardに引き渡しを命じられる ◎1923/7/3 United States Shipping Boardに移管 ◎1924 United States Lineに売却されAmerican Bankerと改名 ◎American Merchant Lineに割り当てられ、16人乗りの貨物船としてニュー・ヨーク~ロンドン間の商業運航に就航 ◎1926 乗客定員を約90人に増員 ◎1931 United States Lineに移籍 ◎American Bankerは、1939年9月に第二次大戦が勃発し、1939年11月の中立法によりアメリカ船籍の船舶が交戦国に寄港できなくなるまで、アメリカとロンドンの間で運航された。 運航を再開するため、アメリカ人船主は1940年にベルギーの海運会社Antwerp Navigation Co. を設立した。American Bankerは新会社に売却され、Ville d'Anversと改名され、運航が再開された ◎第二次大戦後、Ville d'Anversは1945年11月13日にホンジュラス船籍に再登録され、ベルギーの船名はそのままに貨物船として運航された ◎1946/11 City of Athensの名で200バースの客船として再就航したが、新しい所有者(おそらくイタリアかギリシャ)の身元は明らかにされなかった ◎1947後半 パナマのPanamanian Linesに売却され、移民輸送船Proteaとして改装された。ある歴史家によれば、1000人以上の寝台を備えたこの船は、当時のヨーロッパ船主の船の中で最悪のものであったという ◎1952 Arosa Lines(パナマの国際輸送会社)に売却され、Arosa Kulmと改名 1958/12 イギリスのプリマスにて借金のため抑留 ◎1959/5月 ブルージュにて解体 |
|||
セント・ミヘル | St. Mihiel | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1920/10/29 陸軍輸送科に移管 ◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base ◎1920 ニュー・ヨーク乗船港~Antwerp間を航行(~1923) ◎1923 ニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間を航行(~1923) 1922 大西洋航路で効率性(Efficiency: "E")ペナントを受賞 ◎1923/1 Antwerp~ニュー・ヨーク間を航行(在独米軍最後の部隊を運ぶ) ◎1926/7 フィラデルフィア~Fort Monroe間を航行(第213沿岸砲兵隊 213th Coast Artilleryを運ぶ、毎年恒例の夏季訓練に参加) ◎1928/9 ハリケーン救援活動に参加し、食糧やそのほかの物資をサン・ファンに運ぶ ◎のちに陸軍輸送科太平洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)にて運用開始、母港はフォート・メイソンのサン・フランシスコ乗船港 ◎1931 サン・フランシスコ~ホノルル~パナマ~ニュー・ヨーク間を航行(~1932) ◎1932/1 第30歩兵隊 30th Infantryをハワイに派遣し、ハワイ準州の水陸両用演習と作戦に参加(~1932/2) ◎1932/11/16 フォート・メイソンにて運用終了、係船 ◎1935/4 運用開始、恐慌のために救援に来ていた287名の中西部の農民とその家族をアラスカでの新生活のために運ぶ ◎1939/7/28 ブルックリンにて運用終了、係船、乗員は陸軍輸送船レナード・ウッド Leonard Woodに転属 ◎1939/9/15 運用開始 ◎1940/4 サン・フランシスコ~アラスカ間を航行(Yaktat、Sitka、ダッチ・ハーバー、Unimak、ホノルル、シアトルに寄港する事もあった) ◎1941/7/22 海軍に移管 |
|||
アルゴンヌ (1、2) |
Argonne | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1921初め 陸軍輸送科に移管、アルゴンヌ Argonneと改名 ◎1921/2 フィラデルフィアにて係船 ◎1921/11/3 海軍に貸与 |
|||
ソンム | Somme | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1920/12/24 陸軍輸送科に移管、ソンムと改名 ◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base ◎1920 ニュー・ヨーク~Antwerp間およびニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間の航路を運航(~1922) ◎1920/12/24 陸軍輸送科のために最初の航海を行った ◎1921/3/17 第一次大戦中にフランスにて戦死したアメリカ軍人1,609名の遺体をHobokenへ運ぶ ◎1921/8/12 ノーフォークの陸軍補給基地のピア1にて退役、係船 ◎1921/12/23 再役 ◎1922/8ごろ 陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)に編入 ◎1922 サン・フランシスコ~ホノルル、サン・フランシスコ~ニュー・ヨーク航路を運航(~1931、マニラ、長崎、横浜への航海もあった) ◎1922/10/7 サン・フランシスコにて係船 ◎1923/9/7 再役、1923年9月に日本を襲った大地震ののち、横浜に地震救援物資を輸送 ◎1925/2 サン・フランシスコにて係船 ◎1925/8 再役 ◎1928 海兵隊遠征隊および陸軍のニカラグア地形調査隊を臨時に支援(~1932) ◎1931/10/27 ニュー・ヨーク港にてUnited States Shipping Boardに移管、 United States Lineに売却されAmerican Importerと改名 ◎のちにAmerican Travelerと改名 ◎のちにベルギーのSociété Maritime Anversoiseに売却されVille de Gandと改名、ベルギー船籍となる 1940/8/19 アイルランド北西海域にてドイツ海軍潜水艦U48(1、2)の雷撃により沈没 |
|||
ウルク | Ourcq | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1921/1/6 陸軍輸送科に移管、ウルクと改名 ◎大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)に編入され、ヴァージニア州ノーフォークを母港とする ◎1921/1/13 ヴァージニア州ノーフォークにて係船 ◎1922年7月1日付大統領令により、U.S. Shipping Boardに引き渡される ◎1923/1/5 U.S. Shipping Boardに引き渡される ◎1924初め American Merchant Lineに売却されAmerican Farmerと改名 ◎ベルギーの海運会社Société Maritime Anversoiseに売却されVille de Liegeと改名、ベルギー船籍となる 1941/4/13 グリーンランド東海岸沖でドイツ海軍潜水艦U52(1、2)の雷撃により沈没(1941年4月14日01時17分、無警戒のVille de Liege(C. P. ピーターソン船長 Master C. P. Peterson)は、フェアウェル岬の東約700マイルの地点で、U52が発射した2本の魚雷のうちの1本を艦尾に受けた。02時10分、同船は01時30分にG7aの命中を受けたのち、炎上しながら沈没した。生存者は船長、乗組員9名、乗客2名のみであった) |
|||
マルヌ | Marne | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1920/12/30 陸軍輸送科に移管 ◎1921/12 ノーフォークにて係船 ◎1922年7月1日付大統領令により、U.S. Shipping Boardに引き渡される ◎1923/1/18 U.S. Shipping Boardに移管 ◎1924初め American Merchant Lineに売却、American Traderと改名(1、2) ◎のちにベルギーの海運会社Société Maritime Anversoiseに売却、Ville de Hasseltに改名、ベルギー船籍となる 1940/8/31 スコットランド西岸St. Kilda沖にてドイツ海軍潜水艦U46(1、2)の雷撃により沈没 |
|||
ツアーズ | Tours | アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 | ◎1921/1/22 陸軍輸送科に移管 ◎のちに陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はノーフォーク ◎のちにノーフォークにて係船 ◎1923/1/11 United States Shipping Boardに移管 ◎1924初め American Merchant Lineに売却されAmerican Shipperと改名 ◎のちにSociété Maritime Anversoiseに売却されVille de Monsと改名、ベルギー船籍となる 1940/9/2 アイルランド北部海域にてドイツ海軍潜水艦U47(1、2)の雷撃により沈没 |
Update 24/11/23