航洋掃海艇
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※朝鮮戦争の経験から、アメリカは新型の掃海艇を大規模に建造することになった。1950年代の10年間で、65隻の新型掃海艇が建造された。これらの新型掃海艇は航洋掃海艇(Minesweeper, Ocean: MSO)と命名された。これらの船は3つのクラスで構成されていた。艦種記号421から507のアジャイル/アグレッシヴ、艦種記号508から518のアクミ、そして艦種記号519から522のアビリティである。第二次大戦中の鋼鉄船体の掃海艇とは対照的に、掃海艇、艦隊掃海艇(AM)はのちに艦隊掃海艇(鋼製船体)(MSF)、さらにのちにMSOと命名された。これらの新型掃海艇は小型で、主に木材で造られ、青銅やステンレス(非磁性)鋼の継ぎ手を使用して磁気信号を最小限に抑えている。1950年代のMSOはすべてUQS-1機雷探知ソナー mine-locating sonarを搭載し、後にSQQ-14ソナーに更新された。MSOは、係留された接触型機雷 moored contact mines、底部磁気型機雷 well as bottom magnetic mines、音響型機雷 acoustic minesを掃海することができた
- 軽荷排水量:630t(MSO-423、MSO-434は620t) 満載排水量:755t 全長:52.42m 幅:10.66m(MSO-423、MSO-434、MSO-448、MSO-455、MSO-465、MSO-492は10.97m) 吃水:3.04m(4.26mともいわれる) 主機/軸数:パッカード式ID1700ディーゼル4基(のちにWaukasha Motors Co. 式ディーゼル4基に換装)/2軸 出力:2,280制動馬力(3,040馬力) 速力:14.0kt(15.5ktともいわれる、MSO-423、MSO-465は15.0kt、MSO-448、MSO-455、MSO-492は16.0kt) 航続力:10.0ktで3,300浬 兵装:40mm単装対空機関砲1基(のちに20mm連装機関砲1基に換装)、12.7mm単装機銃2基 乗員:士官8名、下士官兵40名(士官6名、下士官兵74名ともいわれる、MSO-423は士官、下士官兵合わせて74名、MSO-448、MSO-455、MSO-465、MSO-492は士官、下士官兵合わせて72名)
- ※MSO-421、MSO-428〜MSO-431をアジャイル級、MSO-422以降をアグレッシヴ級、またはMSO-421を単艦、MSO-428〜MSO-431をダッシュ級と資料によっては色々明記されている
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アジャイル | Agile | MSO-421 | Luders Marine Construction Co. | 1956/6/21 | 1972/7/28 | 1977/9/1 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-421)に改める ◎ニュー・ヨーク海軍造船所にて就役 ◎1960/1/29 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1960/4/5) ◎1972/7/28 ノーフォークにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1980/2 解体のため、Union Minerals & Alloys Corp. に売却(売却額$35,000) |
アグレッシヴ | Aggressive | MSO-422 | Luders Marine Construction Co. | 1953/11/20 | 1971/7/2 | 1975/2/28 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-422)に改める ◎1971/7/2 予備艦隊に編入 ◎1980/2 解体のため、TorranceのR. E. Williamsに売却(売却額$44,000) |
アヴェンジ | Avenge | MSO-423 | Luders Marine Construction Co. | 1954/5/13 | 1970/1/31 | 1970/2/1 | ◎1955/1/14 チャールストン海軍造船所にて改装、艦種を航洋掃海艇(MSO-423)に改める ◎1966/7 Savannahにてオーヴァーホール(〜1966/9) ◎1967/7/17 WandoのDetyens Shipyardにてオーヴァーホール(〜1967/8) ◎1969/9/27 ボルティモアのベスレヘム・スチール社フォート・マクヘンリー・シップヤードにて改装 1969/10/6 ボルティモアのベスレヘム・スチール社フォート・マクヘンリー・シップヤードにて原因不明の火災事故により損傷、のちに解体のため、Miami ShoresのSteve B. Clemonsに売却(売却額$2,789) |
◎Taiwan Straits 9 Sep 1958. | |||||||
ボールド | Bold | MSO-424 | ノーフォーク海軍造船所 | 1953/9/20 | 1971(1975?) | 1975/2/28 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-424)に改める ◎1981/6/1 解体のため、シンシナティのTuscon One Hour, Inc. に売却(売却額$45,000) |
ブルワーク | Bulwark | MSO-425 | ノーフォーク海軍造船所 | 1953/11/12 | 1975/2/28 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-425)に改める ◎1980/5/1 解体のため、TorranceのR. E. Williamsに売却(売却額$44,000) |
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コンフリクト | Conflict | MSO-426 | Fulton Shipyard | 1954/3/23 | 1972/6/9 (1973/1/12?) |
1972/6 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-426)に改める ◎1965ごろ ロング・ビーチ海軍造船所のDrydock No. 1にて入渠 ◎1973 解体のため、ウィルミントンのAl Kidmanに売却(売却額$32,000) |
コンスタント | Constant | MSO-427 | Fulton Shipyard | 1954/9/8 | 1992/9/30 | 1994/3/9 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-427)に改める ◎1987/9 サン・ディエゴのCampbell Shipyardにて入渠(〜1988/1、1、2) ◎除籍後、解体のため、Crowley Marineに売却(1999/9/29移動) |
MSO-428 | |||||||
MSO-429 | |||||||
MSO-430 | |||||||
MSO-431 | |||||||
MSO-432 | Colberg Boat Works | ||||||
MSO-433 | Colberg Boat Works | ||||||
エンバトル | Embattle | MSO-434 | Colberg Boat Works | 1954/11/16 | 1972/7/5 (1972/7/24?) |
1976/5/15 (1976/11/1?) |
◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-434)に改める ◎1956年5月から11月までと1958年11月から1959年5月までは、第7艦隊との演習のために極東までクルーズし、日本の各港、台湾、香港、タイ、フィリピンに寄港した。1959年5月から1960年末まで、エンバトルは西海岸をクルーズし、訓練を行い、海軍伝統の高い即応態勢を維持した ◎1959初め 佐世保にて入渠、台風“ヴェラ”の損傷修理(1、2) ◎退役後、ワシントン州ブレマートンの太平洋予備艦隊非稼働船舶整備施設 Inactive Ship Maintenance Facilityにて係船 ◎1972/12/21 解体のため、フロリダ州マイアミのGlen Dobkinsに売却(売却額$32,769) ◎1977/1 ブレマートンから撤去 ◎のちにカリフォルニア州オークランドにて放棄(1、2、3)、のちに陸軍工兵隊によって処分された |
◎Vietnam Mar-Jul 1965, May-Aug 1968, Jan-Mar 1970. | |||||||
MSO-435 | |||||||
MSO-436 | |||||||
MSO-437 | |||||||
MSO-438 | |||||||
MSO-439 | |||||||
MSO-440 | |||||||
MSO-441 | |||||||
MSO-442 | |||||||
MSO-443 | |||||||
MSO-444 | |||||||
MSO-445 | |||||||
MSO-446 | |||||||
MSO-447 | |||||||
イリューシヴ | Illusive | MSO-448 | Martinolich Shipbuilding Co. | 1953/11/14 | 1990/3/30 | 1990/6/1 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-448)に改める ◎1956/11 主機交換工事(パッカード社製の実験機に交換、1957年5月まで技術評価試験) ◎1970/11/29 退役 ◎1972/3/2 再役 ◎1993/2/9 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため、ボルティモアのSea Witch Salvageに売却(売却額$12,000) ◎のちにボルティモアにて解体(1、2、3) |
◎Vietnam Jan 1962, Oct 1965-Mar 1966, Jun-Dec 1967, Oct-Nov 1968, Jan-Feb 1969, Libya Oct 1987-Apr 1988, Earnest Will (1, 2, 3, 4, 5, 6). | |||||||
MSO-449 | |||||||
インプリシット | Implicit | MSO-455 | Wilmington Boat Works, Inc. | 1954/3/10 | 1994/9/30 | 1994/11/29 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-455)に改める ◎1964/7/28 ロング・ビーチに戻り、造船所にてオーヴァーホールとカリフォルニア沿岸での準備戦術と訓練を行った ◎1994/9/30 台湾に売却されYung Yang(MSC 1306)と改名 |
◎Vietnam Feb-Jun 1962, Jan-Jun 1966, Apr-Jun 1969, Aug-Dec 1970. | |||||||
MSO-456 | Wilmington Boat Works, Inc. | ||||||
MSO-457 | Wilmington Boat Works, Inc. | ||||||
MSO-458 | |||||||
MSO-459 | |||||||
MSO-460 | |||||||
MSO-461 | |||||||
MSO-462 | |||||||
MSO-463 | |||||||
MSO-464 | Wilmington Boat Works, Inc. | ||||||
プレスティージ | Prestige | MSO-465 | Wilmington Boat Works, Inc. | 1954/9/11 | ― | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-465)に改める 1958/8/23 鳴門海峡にて座礁、のちに放棄、全損(救助に来た艦隊航洋曳船タワコニ Tawakoni(ATF-114)が機密指定の器材を爆破処分) |
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MSO-466 | Wilmington Boat Works, Inc. | ||||||
MSO-467 | Wilmington Boat Works, Inc. | ||||||
MSO-468 | |||||||
MSO-469 | |||||||
MSO-470 | |||||||
MSO-471 | |||||||
MSO-472 | |||||||
MSO-473 | |||||||
MSO-474 | |||||||
MSO-488 | |||||||
MSO-489 | |||||||
MSO-490 | |||||||
MSO-491 | |||||||
プレッジ | Pledge | MSO-492 | J. M. Martinac Shipbuilding Corp. | 1956/4/20 | 1994/1/31 | 1994/1/31 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-492)に改める ◎1955/7/20 進水 ◎1957/10 改装(〜1958/3) ◎1994/8/3 台湾に売却されYung Teh(Yung The?、MSC 1309)と改名 |
◎Vietnam Dec 1961-Feb 1962, Oct-Dec 1965, Oct 1966, Jun-Jul 1967, Sep-Dec 1967, Apr-Jun 1969. | |||||||
MSO-493 | |||||||
MSO-494 | |||||||
MSO-495 | |||||||
MSO-496 |
- 軽荷排水量:720t 満載排水量:780t 全長:52.73m(MSO-517は52.42m) 幅:10.66m(10.97mともいわれる) 吃水:3.04m(4.26mともいわれる、MSO-517は3.35m) 主機/軸数:ジェネラル・モータース式ディーゼル4基/2軸 出力:2,800制動馬力 速力:14.0kt(15.0ktともいわれる、MSO-517は15.5kt) 航続力:10.0ktで3,300浬 兵装:40mm単装対空機関砲1基(のちに20mm連装対空機関砲1基に換装)、12.7mm単装機銃2基 乗員:57名(78名とも80名ともいわれる)
※緑枠は諸外国に貸与・売却された艦
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アクミ | Acme | MSO-508 | Frank L. Sample, Jr. (Frank L. Sample, Inc.?) |
1956/9/27 | 1970/11/6 | 1976/5/15 | ◎1955/2/7 艦種を航洋掃海艇(MSO-508)に改める ◎1955/6/23 進水 ◎1956/10/7 ロング・ビーチ海軍造船所にて広範な減音修理作業(〜1958/3/6) ◎1960/1初め スービック湾にて保全 ◎アクメは1月29日にスービック湾に戻った。1週間の航海修理ののち、2月8日に母港のロング・ビーチに向けて出航 ◎1961/1/13 オーヴァーホール ◎1961晩秋 保全 ◎1962 保全、オーヴァーホール ◎1963春 ロング・ビーチにてオーヴァーホール ◎1964/5 ロング・ビーチにて保全 ◎1965/1/11 ロング・ビーチ海軍造船所にてソナー交換工事(〜1965/3) ◎1965/6/7 ロング・ビーチのHarbor Boat Building Companyにて修理(〜1965/8/19) ◎1967/5/1 ロング・ビーチ海軍造船所にて実験装置撤去(〜1967/8) ◎1967/9/1 サン・ペドロにてオーヴァーホール(〜1967/12、20mm連装機関砲設置) 1968/8 Sattahipにて故障、のちにスービック湾にて修理 1968/9 ダナンにて故障、のちにスービック湾へ駆逐艦ロウリー Lowry(DD-770)が曳航(1968/9/15到着) ◎1968/12 ロング・ビーチにて保全 ◎1969/1/13 ターミナル・アイランドにて入渠(〜1969/3/20、コントロール・ピッチ・プロペラの問題を修正) 1969/3/20 出渠後、試験中、コントロール・ピッチ・プロペラの問題発生、のちに修理(〜1969/4/21) ◎1970/1 スービック湾にて保全 ◎1970/9/1 ロング・ビーチにてNaval Inactive Ship Maintenance Facility(NISMF)により不活性化工事、保管 ◎1977/1/6 Defense Reutilization & Marketing Serviceにより解体のため、Capistrano BeachのServiceOskco Edwardsに売却(売却額$30,000) |
◎Vietnam Jun-Sep 1968, Jan-Mar 1970. | |||||||
MSO-509 | Frank L. Sample, Jr. (Frank L. Sample, Inc.?) |
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MSO-510 | Frank L. Sample, Jr. (Frank L. Sample, Inc.?) |
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MSO-511 | Frank L. Sample, Jr. (Frank L. Sample, Inc.?) |
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― | ― | MSO-512 | |||||
― | ― | MSO-513 | |||||
― | ― | MSO-514 | |||||
― | ― | MSO-515 | |||||
― | ― | MSO-516 | |||||
― | ― | MSO-517 | Tampa Marine Co. | ◎1955/6/15 起工 ◎1956/6/21 進水 ◎1957/2/22 竣工 ◎1957/3/12 イタリアに貸与され、Sgombro(M 5432)と命名(1、2、3) ◎1990 艦種記号をP 5432に改める ◎2000/10/3 運用終了 ◎2000 除籍 |
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― | ― | MSO-518 |
- 軽荷排水量:801t 満載排水量:950t 全長:57.60m(57.91mともいわれる) 幅:10.97m 吃水:3.65m 主機/軸数:ジェネラル・モータース式8-498ディーゼル2基/2軸 出力:2,700馬力 速力:15.0kt 航続力:12.0ktで3,900浬 兵装:40mm機関砲1基、12.7mm単装機銃2基 乗員:75名(83名ともいわれる)
↑Ability (MSO-519), underway near the Charleston (S.C.) Naval Shipyard, 23 March 1959. Visible on the after portion of the ship is her minesweeping gear, including the otters visible on her main and forecastle decks, and the reels of alloy cable. (NH 96645). Propulsion: Two 1,400hp General Motors 8-498 diesel engines, Falk 3:1 reduction gear, two shafts, two Farrel-Birmingham controllable pitch propellers Ships Service Generators: Three 100kw Delco generators drived by General Motors 6-71 diesel engines Magnetic Sweep generator powered by 2,350kw Westinghouse generator driven by one General Motors 8-489 diesel engine Acoustic Sweep generator 250kw variable frequency 0 - 400 for Rotovac and Wapavac operation driven by one General Motors 8-268A diesel engine One 2,000 gallon per day Badger distilling plant, Hotel steam provided by two 125psi CycloTherm firetube boilers. Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
- ※緑枠は諸外国に貸与・売却された艦
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アビリティ | Ability | MSO-519 | Peterson Builders, Inc. | 1958/8/4 | 1970/6 | 1971/2/1 | ◎1956/3/5 起工 ◎1956/12/29 進水 ◎ボストン海軍工廠にて艤装 ◎艤装後、1958年8月28日にチャールストンに向けて出航し、29日にMine Squadron (MinRon) 4に編入され出撃した。同艦はキューバのグアンタナモ湾にて訓練を行い、10月20日にチャールストンに帰港した ◎1958年末から1959年の最初の6ヶ月間、チャールストンを基点に活動するMine Division (MinDiv) 45に所属していた ◎1959年7月1日、旗艦としてMinDiv 85に移された。アビリティは引き続きチャールストンを拠点に、主に海軍機雷戦学校 Naval Mine Warfare Schoolの支援に従事した。また、Port Evergladesの海軍兵器研究所試験施設 Naval Ordnance Laboratory Test Facilityや、Panama Cityの海軍機雷防衛研究所 Naval Mine Defense Laboratoryの支援業務も時々行っていた。これらの任務に従事していないときは、東海岸と西インド諸島で独自の艦船演習と型式訓練を実施した ◎1961年5月、フリーダム7号 Freedom 7の宇宙撮影の際には、接近回収船として活躍 ◎1962年の最後の2ヶ月間は、キューバ島にソヴィエトのミサイルが設置されたことによるキューバ臨検を支援。同船はウィンドワード航路 Windward Passageのパトロールを始めたが、グアンタナモ湾のアメリカ軍基地のための港湾防衛艦としてその任務を終えた ◎1963年は、チャールストンから海軍機雷戦学校と海軍機雷防衛研究所を支援する作戦で、アビリティにとって通常の年として始まった。しかし、その年の秋には、同船の残りのキャリアに残ることになる新たな局面が加わった。9月下旬、掃海艇はチャールストンを出発し、地中海と第6艦隊での最初の任務に向けて出発。10月5日、スペインのロタにいる第6艦隊司令官のもとに出頭。そののち4ヶ月間、掃海演習、水陸両用上陸演習の支援、地中海の各港の訪問を行った ◎1964年2月12日、ロタでの交代式を終え、チャールストンに向けて進路を取り、1964年3月1日に母港に帰港 ◎1964年の残り期間と1965年の全期間、海軍機雷防衛研究所を支援するためにチャールストンから出港し、東海岸と西インド諸島を航海して各種の演習に参加し、再訓練を行った ◎1965年のハイライトは、12月に行われたジェミニ6号 Gemini 6とジェミニ7号 Gemini 7の宇宙撮影の支援サーヴィスであった ◎1966年初頭、アビリティは第6艦隊に配属されることになった。地中海到着直後の2月には、B-52とKC-135のアメリカ空軍機2機が空中で衝突して失われたB28RI核爆弾の捜索に参加した(パロマレス米軍機墜落事故)。それ以外は通常の演習と港湾訪問が行われた ◎アビリティは1966年7月13日にチャールストンに戻り、海軍機雷防衛研究所と海軍機雷戦学校へのサーヴィスを再開した ◎1967年5月11日、Montrealで開催された万国博覧会を親善訪問するため、同市へ向けて進路をとるまで、その任務は継続された。ケベック州を訪問したのち、1967年6月9日にチャールストンで通常の任務を再開 ◎1968年7月25日、アビリティは最後の地中海クルーズに出発した。この任務は11月下旬まで続き、演習、寄港地訪問、ソヴィエト艦船監視任務など、通常の第6艦隊の活動で構成された ◎11月30日、ジブラルタルを出港し、アメリカに向かう。12月15日にチャールストン港に再入港した掃海艇は、休日休暇と整備期間に入った ◎1969年と1970年の最初の5ヶ月間は、アビリティは通常の東海岸と西インド諸島での活動に従事した ◎1970年6月には、ブルックリンのTodd Shipyards Corp. にて大規模な修理と改装を受けるために任務を停止。しかし、海軍省の部隊レヴェルの決定により、1970年10月16日にリハビリテーションの契約が打ち切られた ◎1972/1/3 解体のため、ニュー・ヨークのUnion Minerals and Alloysに売却(売却額$17,688) |
◎Cuba Jan-Feb 1962. Cuba missile crisis Nov-Dec 1962. | |||||||
MSO-520 | Peterson Builders, Inc. | ||||||
MSO-521 | Peterson Builders, Inc. | ||||||
― | ― | MSO-522 | Peterson Builders, Inc. | ― | ― | ◎1959/3/2 起工 ◎1959/10/29 進水(1、2) ◎1960/11/7 竣工 ◎1960/12/12 ベルギーに貸与され、J. E. Van Haverbeke(M 902)と命名(1、2、3、4、5、6、7、8) ◎2002 アムステルダムにて解体(1、2) |
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― | ― | MSO-523 | ― | ― | ◎1968 建造中止 | ||
― | ― | MSO-524 | ― | ― | ◎1968 建造中止 | ||
― | ― | MSO-525 | ― | ― | ◎1968 建造中止 | ||
― | ― | MSO-526 | ― | ― | ◎1968 建造中止 | ||
― | ― | MSO-527 | ― | ― | ◎1968 建造中止 | ||
― | ― | MSO-528 | ― | ― | ◎1968 建造中止 |
Update 24/02/23