Battle Report
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※1989年に海軍歴史センターが纏めた報告「Operational Experience of Fast Battleships; World War II, Korea, Vietnam」および、月刊「丸」1993年2月号から1995年5月号に連載した「戦場別/アメリカ高速戦艦ウォー・ヒストリー」より
水上戦闘 1944年2月16日 太平洋艦隊司令部の報告 (↑日本海軍練習巡洋艦香取(1940年時)) (↑日本海軍駆逐艦陽炎) |
1944年2月16日1118、第50任務部隊司令官 Commander Task Force 50(R. A. スプルーアンス中将 Vice
Admiral R. A. Spruance)は、戦艦ニュー・ジャージー New Jersey(BB-62)、アイオワ Iowa(BB-61)、重巡洋艦ミネアポリス Minneapolis(CA-36)、ニュー・オーリンズNew Orleans(CA-32)、駆逐艦バーンズ Burns(DD-588)、ブラッドフォード Bradford(DD-545)、イザード Izard(DD-589)、シャーレット Charrette(DD-581)からなる第50.9任務群 Task Group 50.9に対し、トラック島 Truk Island沖を遊弋しつつ日本軍艦艇に遭遇したならば、これを撃沈せよとの命令を発した。第58任務部隊
Task Force 58に対しては航空援護を命ずるとともに、目標の位置に関する情報を流す戦術指揮担当士官(OTC)の配置を命じた。トラック島の北水道の北約13マイルに到達した時、見張り員は水平線上に煙が立ち昇っているのを認め、レーダーは水上目標を補足。観測機からの報告は、他の航空機や見張り員、レーダーからの報告と一致していなかったが、この時に環礁内に所在した日本軍艦艇は次の通りと信じられている (a)香取型軽巡洋艦1隻 (b)朝潮型駆逐艦1隻 (c)トローラー(特務艇)もしくは機雷敷設艇1隻。これはかなりの爆発物を搭載しており、北方からトラック島に接近していたが、アメリカ海軍艦艇が所在していたことに気付いていなかったのは明白だった (d)大型駆逐艦1隻 1509--トローラーとの距離が15,000ヤードに縮まり、アメリカ駆逐艦がこれに対して砲火を開く。トローラーは転舵を繰り返し、搭載していた高角砲で反撃するもアメリカ駆逐艦に命中弾は無かった 1520--このトローラーはアメリカ艦艇に向けて漂流しつつ、炎上した。この直後、戦艦ニュー・ジャージーは左舷5インチ砲の砲火を開いた。距離は800ヤード。このトローラーは凄まじい爆発を起こし撃沈された 1515--距離17,400ヤードで砲火を開いた。2隻の重巡洋艦と戦艦アイオワの砲撃を浴びて、香取型軽巡洋艦は左舷に大傾斜を生じて転覆、艦尾から沈む この軽巡洋艦に対する砲撃と同時に朝潮型駆逐艦と交戦、この駆逐艦も炎上、沈没 1522--砲撃開始、駆逐艦イザードはこの駆逐艦に対して13,000ヤードの距離から砲撃を行った 1522〜1540--この間、朝潮型駆逐艦に対し、集中砲火が浴びせられ、同艦は転覆沈没。駆逐艦イザードに続き、駆逐艦シャーレット、バーンズ、ブラッドフォード、戦艦ニュー・ジャージーの両用砲、重巡洋艦ミネアポリス、ニュー・オーリンズの順で砲撃が行われ、いずれの艦も目標を夾叉もしくは命中弾を認めたとの報告を提出している この水上戦闘に先立ち、まったく損害を受けていない日本駆逐艦が高速で西方に向かっていた 1546--第50.9任務群が30ノットで航走していたにも関わらず、この駆逐艦と戦艦アイオワとの距離は34,000ヤードと開いていた。戦艦アイオワとニュー・ジャージーは、 1547〜1558--この間、主砲の火ぶたを切り、砲撃を継続 射距離32,000ヤードから39,000ヤードの地点から戦艦アイオワは40発、ニュー・ジャージーは18発の主砲弾を射ち込んだ。観測機からの報告によれば、主砲弾の夾叉は認めたが、命中弾はなかったとされている 1601--速力を31ノットに上げたにもかかわらず、目標の駆逐艦との距離は縮まらず、この駆逐艦はアメリカ艦隊に捕捉されることなく逃げ切った 1300〜1500--この間、第50.9任務群は3度にわたる航空攻撃を受けた。第一回目の攻撃は戦闘爆撃機1機によるもので、まったくの奇襲であった。戦艦アイオワの艦首右舷の辺りの海面に爆弾を投下するも損害は全く生じず。第二回目は急降下爆撃機によるもの。これは対空砲火で対処。第三回目の日本機は、上空直掩にあたっていた艦上機によって撃墜 |
水上戦闘 1944年2月16日 アイオワ(BB-61)の戦闘報告 |
〜1500--戦艦アイオワは三つの目標を発見。針路245゚、距離33,000ヤード地点にいた巡洋艦1隻、針路260゚をとる巡洋艦もしくは駆逐艦1隻、針路270゚、距離22,000ヤードの地点に所在した小型船舶であった (原注)艦船と航空機の識別は常に問題となる。ここで認識された“巡洋艦”は軽巡洋艦香取。また、“巡洋艦もしくは駆逐艦”は陽炎型駆逐艦野分のこと。“小型船”はショウナン丸、“吹雪型駆逐艦”は陽炎型駆逐艦舞風であった 射出された観測機は2隻の大型艦に対して爆撃を行い、その艦の付近に大きな水柱が上がるのを視認。その“巡洋艦”が針路243゚をとり、距離30,000ヤードとなった時、観測機より、この艦は香取型巡洋艦と思われ、煙突は吹き飛び、次第に沈みつつあるとの報告を受ける 1512--信号に基づき速力を30ノットに上げた 1516--針路を267゚をとり距離28,000ヤードに迫った軽巡洋艦もしくは駆逐艦が全速を上げて西方に逃走していた。主砲はこの艦に指向されており、発射準備を完了していた。目標は真針路318゚で速力は24ノット。戦艦ニュー・ジャージーはほぼ砲火線上にあり、目標の識別もしくは砲撃については全く命令を受けていなかった第四番目の目標-のちに吹雪型駆逐艦と識別-は、沈みつつあり、煙をもうもうと吐き出していた。西方に向かって逃走していた艦は主砲の射距離内にあったが、同艦は速力を32ノットに上げ、1525には距離が31,500ヤードに開き、針路は267゚となっていた戦艦アイオワは速力30ノットで針路270゚ 1527--戦艦ニュー・ジャージーは機雷敷設艇に対して左舷の5インチ砲の砲火を開いた。砲撃を浴びた機雷敷設艇は爆発を起こし撃沈された。これに続きニュー・ジャージーは、今や沈みつつあるも真針路270゚をとっている吹雪型駆逐艦に両用砲の砲撃を指向した。1526、巡洋艦の左舷艦首から火災が吹き出しているように思えた。信号は受信しなかったが、第7戦艦戦隊司令官 Commander Battleship Division 7は、戦艦アイオワに対し、口頭で砲撃開始を許可 1530--戦艦アイオワは青葉型巡洋艦に対し、主砲と5インチ砲の砲撃を開始した。主砲は8斉射を実施、16インチ通常弾46発を発射、5インチ砲は124発発射した。アイオワはこの“巡洋艦”に対して砲撃を開始した時、目標の艦は随伴していたアメリカ重巡洋艦の8インチ砲の砲撃を受けていた。戦艦アイオワの主砲の8斉射は、全て目標を夾叉したアイオワの第4斉射が弾着した時、この“巡洋艦”は突然、左舷側に大きく傾斜し、1541には艦首を水面上から30フィートあまり持ち上げ、艦尾から沈んでいった。アイオワの第1斉射が行われた時、3発の魚雷の航跡がアイオワに向けられているのが視認された。1発目は左舷から艦首方向に走り、2発目は艦尾を走り去り、3発目は艦首前方100〜200ヤードを走り去った。右舷の5インチ砲、40mm機関砲、20mm機関砲はかねてから訓練されていた通り、魚雷の航跡を視認したならば、命令を待たずにその魚雷が航走している海面に向かって射撃を実施 1539--戦艦ニュー・ジャージーの5インチ砲の砲撃を浴びていた吹雪型駆逐艦は、戦艦アイオワの左舷7,000ヤードの距離にあり、煙が非常に濃くなって視認が困難となった。アイオワの5インチ砲が砲撃開始の許可を与えられた時、吹雪型駆逐艦はアイオワに向かって転舵し、急速に沈んでいった。この駆逐艦は、沈没する直前に後部に爆発が生ずるまで砲撃を止めなかった。西に向かって航走していた駆逐艦は、速力30ノットに達していなかったにも関わらず、戦場から離脱し続け、1542には距離が34,000ヤードとなっていた 1546--戦艦ニュー・ジャージーは無信号で右に転舵し、単縦陣で続航していた戦艦アイオワもこれにならって転舵し、針路310゚をとった。新しい針路をとったニュー・ジャージーは、逃走を続ける駆逐艦を目標に主砲の火ぶたを切った。この行動について全く信号を受信しなかった。アイオワは戦術指揮担当士官(OTC)の指示に従い、1547、同様に主砲を発射した。この主砲射撃は5斉射で、第1斉射は距離35,700ヤード、第5斉射の際は39,000ヤードであった。第1斉射の際の観測では修正なしと報告され、目標は火災と煙に包まれた模様と観測された。この駆逐艦は真針路222゚に変え、速力も28ノットに落ちたかのように思われた。この間に第3斉射が弾着し、目標は眩しい陽光とモヤ、そして距離が遠いこともあって視認出来なくなった。最後の2斉射は1558、OTCが“発射止め”と命ずる前にレーダーにより発射された [兵器・装備の性能について] 1531〜1536--この間、Mk. 8型レーダーと見張り員に従って青葉型巡洋艦に対し、戦艦アイオワは8斉射を実施した。射距離14,200ヤードで46発が発射された。観測機からの報告はなかった。発射された通常弾の内、半数は瞬発信管が装着され、残りの半数は通常信管が弾底新刊とともに装着されていた。発射薬は正規の発射薬。水柱は非常に大きく、見張り員にもMk. 8型レーダーでもはっきりと認められた 1532--5インチ砲が、この巡洋艦に対して発射を開始し、124発が発射された。この射撃は完全にレーダー管制下で行われた。5インチ砲の管制員は、主砲の発射煙のために目標を視認できなかった。16インチ砲弾と、重巡洋艦の8インチ砲弾による水柱のために5インチ砲弾の弾着点は正確には判定できなかったが、その弾着点は正確なものと推定 1550〜1557--この間、主砲は5斉射を行った。射距離35,700ヤードから39,000ヤードで、発射された砲弾は40発。この斉射は28ノットから31ノットで西方に逃げる駆逐艦(もしくは軽巡洋艦)に指向されたもの。緩徐な砲撃であった。この砲撃による水柱は39,000ヤードの距離であったにもかかわらず、見張り員とレーダーではっきりと視認された。第1斉射の観測では“修正なし”であったが、第2斉射にあたっては“上げ200、左へ300”の修正が行われ、第3斉射については“上げ100、左へ200”の修正が行われた。これは目標が左方向に針路を変えていたためであった。第4斉射と第5斉射にあたっては、眩しい光、モヤ、遠距離で小さな目標を視認することの難しさのために観測不能な状況になっていた。通常弾を発射するにあたって、正規の発射薬が使用された。16インチ砲弾は重量1,900ポンドで、初速は2,690フィート/秒。この射撃に際して使用された方位盤は視覚、偏流、風速等を入力出来るもので、重量2,700ポンドの徹甲弾を射撃する場合にはOP720型方位盤を使用するものであった。第7戦艦戦隊司令官によれば、高い視程と一連の砲撃は、かなりの程度の正確さをもって詳細に観測され、記録されたとしており、アイオワの砲撃については、撃沈したかどうかの点を除けば、完璧なものであったとしている |
水上戦闘 1944年2月16日 戦艦ニュー・ジャージー(BB-62)の戦闘報告 |
1450--距離32,200ヤード、真方位257゚で、軽巡洋艦と思われる目標に対して指向を指向。この目標は朝潮型駆逐艦と判定された。この目標は30,200ヤードまで接近したのち、反転して全速で航走した。この時点において戦術指揮担当士官(OTC)、この小さな目標に対して16インチ砲の砲撃を行うことに躊躇いを持っていた。この目標が射距離外に航走しようとしていた時、この目標に対して数発の砲撃を行う許可が出た (原注)朝潮型とは陽炎型は外観が似ていた 1547--32,200ヤードの距離で“発射始め”が令せられた 1555--見張り員の目にも、レーダーの画像にも、目標が急に消えたので“発射止め”が決定されたが、主砲に装填されていた砲弾は発射され、目標との距離を縮めることとなった 1556--最後の斉射と共に“発射止め”が令せられた。この時、目標との距離は35,000ヤードとなっていた。水柱が消えた時、一番見張り員は目標を失い、レーダーの画像からも目標が消えていた。戦闘航空哨戒にあたっていた艦上機から、目標は速力25ノットで航走中との報告を受けたにもかかわらず、この目標を探知・補足することは出来なかった。航空機による着弾観測は、戦闘航空哨戒にあたった艦上機によって行われていたが、最後の2、3斉射については戦艦アイオワの斉射による弾着を識別できなかったと思われる。低速で精密走査を行っていたMk. 8型レーダーは、目覚ましい成果をあげていた。35,500ヤードの距離で目標が消え、見張り員も目標を見失った時、目標は煙とモヤの中でぼんやりしていた。レーダーによる測距はしっかりしたもので、目標はスティック・マスト stick mastsを装備し、反射面として働くレーダー・アンテナや、その他の構造物は認められなかった。レーダーによって水柱を識別することに困難はなかった。16インチ砲弾18発と正規の発射薬が使用された。第4斉射に引き続き、目標から濃い煙が噴き出された。これは観測機からの報告によれば、夾叉はあったものの命中弾はなしとあり、破片によるものと推定。5インチ砲(38口径)は、本来の性能を充分に発揮した。砲員には犠牲者はなく、砲の発射に際してほとんど問題はなかった。5インチ砲の発射にあたって唯一の問題点は揚弾の問題で、一つの型式の砲弾から、別の型式の砲弾に切り換える際に生じた。5インチ砲弾は、二つの水上目標に引き続き二つの空中目標に対処しなければならなかった。第一の空中目標はレーダーや、見張りの目をかいくぐって低層雲からダイヴしてきた。この日、雲がびっしり張り巡らされていたので、水上目標と交戦中に航空攻撃を受ける可能性は非常に高く、砲側に揚弾した砲弾は、5回にわたってその型式を変更した [艦上機による弾着観測] 1944年2月16日の午後、ニュー・ジャージーがトラック島周辺で日本軍艦艇を捜索していた時、航空母艦バンカー・ヒル Bunker Hill(CV-17)の航空群は、目標の所在確認にあたっていた。まったく損傷を受けていないと見られた1隻の日本駆逐艦が高速で西に航走しつつあり、ニュー・ジャージーの主砲を使用するのが適当と考えられた。ニュー・ジャージーに搭載されていた観測機を射出するのは、実際的ではないと考えられたので、この目標の位置及び戦術情報は、バンカー・ヒルの艦上機に依存し、非常に効果を上げたものと認められた。ニュー・ジャージーに搭載されていた観測機は、艦位、天候に加えて、この水上戦闘が不期遭遇戦であったこと、観測機の機速が遅いこと、観測後の揚収に難点があったことなどにより、使用できなかった。従って、空母機に観測任務を与え、所定の周波数と手順を定め、ニュー・ジャージーは空母機の観測により、その情報を充分に使用できたはずであるが、目標となった日本駆逐艦はアイオワとニュー・ジャージーから逃げおおせた。第7戦艦戦隊司令官は、このバンカー・ヒルの艦上機による弾着観測について、特に注目し、この観測情報は非常に適切なものであり、今後、この方法の手順、周波数の割り当てなどを確立する必要があるとしている |
Update 24/04/15