艦隊航空偵察飛行隊 Fleet Air Reconnaissance Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第1艦隊航空偵察飛行隊(Fleet Air Reconnaissance Squadron 1: VQ-1)は、1955年6月1日に設立されたアメリカ海軍の航空部隊である。その役割は航空偵察と信号情報である。この飛行隊は“ワールド・ウォッチャーズ World Watchers”というニックネームを持ち、ホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey Islandを拠点とし、ロッキードEP-3E Aries IIを使用している
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
NAS Sangley Point | 1951/10 |
NAF Atsugi | 1960 |
NAS Agana | 1971 |
NAS Whidbey Island | 1994 |
航空機の割り当て | 初受領日 |
PBY-5A | 1951 |
P4M-1Q | |
A3D-1Q | |
A3D-2Q | |
WV-2Q | |
EP-3E Aries | 1969 |
VA-3B | |
EP-3E Aries II | 1991 |
A3D-2Qの呼称は1962年にEA-3Bに変更された。WV-2Qの呼称は1962年にEC-121Mに変更された |
日付 | 主な出来事 |
VQ-1“ワールド・ウォッチャーズ World Watchers”の系譜は、第二次大戦中に電子偵察用に改造された2機のPBY-5Aカタリナ“ブラック・キャッツ Black Cats”にまで遡ることができる。部隊は1951年10月、サングレー・ポイント海軍航空基地 NAS Sangley Pointの特別電子捜索プロジェクトとして正式に設立された。1953年5月13日に第1空中早期警戒飛行隊(Airborne Early Warning Squadron One: VW-1)のエイブル分遣隊 Detachment Ableに再指定されるまでに、部隊は4機のP4M-1Qマーケーターを運用していた | |
1955/6 | エイブル分遣隊が1955年6月1日に日本の岩国で第1電子対策飛行隊(Electronic Countermeasures Squadron One: VQ-1)に再編されたとき、それは電子戦に特化した最初の飛行隊だった。EA-3スカイウォーリアはそののち30年間、この飛行隊で活躍した |
1960 | 1960年、VQ-1は日本の厚木に移転し、第1艦隊航空偵察飛行隊(Fleet Air Reconnaissance Squadron ONE: VQ-1)に改称されただけでなく、最後のマーケーターが退役し、多くのWV-2Qスーパー・コンステレーション(“ウィリー・ビクター Willie Victor”とも呼ばれる)の最初の機体に置き換えられた。同飛行隊のヴェトナム戦争への関与は、1964年8月2日から5日にかけてのトンキン湾事件でのスカイウォリーアの乗員の役割に対して海軍部隊表彰 Navy Unit Commendationが授与されたときに、特徴的に始まった。そののち9年間、VQ-1はダ・ナン Da Nang、キュービ・ポイント海軍航空基地 NAS Cubi Point、バンコク、そして“ヤンキー・ステーション Yankee Station”や東南アジアのほかの基地でパトロール中の空母から運用された。1969年4月15日、偵察任務に就いていたVQ-1のEC-121Mウォーニング・スターが、日本海上空で北朝鮮のMiG-21によって撃墜された。搭乗していた31名のアメリカ人(30名の水兵と1名の海兵隊員)全員が死亡し、これは冷戦時代におけるアメリカ軍搭乗員の単独最大の損失となった。1969年に最初のEP-3E Aries Iが飛行隊に加わり、スーパー・コンステレーションの後継計画が始まった |
1970/3 | 1970年3月16日、飛行隊のEC-121K Bu.No. 145927がダ・ナン基地 Da Nang Air Baseに着陸中に墜落。VQ-1が次に失った航空機は1973年9月、5人の乗員を乗せたEA-3Bがグアムからフィリピンへ向かう水上航法訓練飛行中であった。陸地を見つけることができず、乗員は燃料切れ地点でベイル・アウトを余儀なくされた。乗員全員は日本のヘリコプター護衛艦はるな(DDH-141)のヘリコプターで救助された。1971年、VQ-1はグアムのアガナ海軍航空基地
NAS Aganaに飛行隊を移したが、日本の厚木に常設の分遣隊を維持した。その際に、第61重写真飛行隊(Heavy Photographic
Squadron 61: VAP-61) とその以前の親部隊であるVW-1を吸収した。1973年のヴェトナムにおける米軍の戦闘作戦の終了にともない、VQ-1はふたたび外洋での電子戦術支援を第7艦隊
Seventh Fleetの空母戦闘群 carrier battle groupに提供し始めた。1975年4月、2機のVQ-1 EP-3E機と3名の乗員が、CTF
72の一員としてヴェトナム撤退を支援するため、フィリピンのキュービ・ポイント海軍航空基地に派遣された。VQ-1には、キュービ・ポイント海軍航空基地のVQ-1分遣隊に一時的に駐留する保守、情報、作戦要員を支援し、ヴェトナム戦闘地域で24時間体制で重複したカヴァーを提供する責任が割り当てられた。特定の基準リストが与えられた上で、VQ-1要員が“フリークエント・ウィンド作戦
Operation Frequent Wind”の開始を勧告する最初の電話をかけた。飛行作戦に直接関与した飛行隊の航空乗員は、ヴェトナム戦闘地域での勤務が認められ、2003年に“フリークエント・ウィンド作戦”がヴェトナム戦争の18番目かつ最後の作戦として再分類された際に、功労部隊表彰 Meritorious
Unit Commendation、人道活動勲章 Humanitarian Action Medal、ヴェトナム従軍勲章 Vietnam Service
Medalを授与された ↑日本海上自衛隊ヘリコプター護衛艦はるな(DDH-141) |
1984/3 | ジョン T. ミッチェル中佐 CDR John T. Mitchellは1984年3月にVQ-1の指揮を執った。10か月後の1985年1月23日、同飛行隊のVIP機が厚木からグアムへ向かう途中、海上で行方不明となり、同中佐とVQ-1の隊員8名が死亡した。大規模な空と海の捜索救助活動が行われたが、VA-3Bやその乗員と乗客の痕跡は発見されなかった。彼らは海上で死亡したか行方不明になったと推定された |
1989後半 | 1989年後半に最後のスカイウォーリアが退役したのち、同飛行隊はEP-3 Aries Iのみを飛行した |
1991 | 1991年、同飛行隊は30年続いた厚木分遣隊を閉鎖し、三沢に移転した。同年、VQ-1は、P-3C機体を改造したAries Iのアップグレード版であるEP-3E Aries IIの初号機を受領。同飛行隊は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”で重要な役割を果たした |
1994 | 1994年、VQ-1アガナ基地の閉鎖に伴い、母港は米国ホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey Islandに変更された。1994年7月、VQ-1は海軍で最も古い運用中のP-3、EP-3E Aries I(Bu.No. 148887)を退役させた。この退役により、VQ-1は全ての任務用航空機をEP-3E Aries IIに移行した |
2001/4 | 2001年4月1日、VQ-1のEP-3Eと人民解放軍海軍のJ-8II戦闘機が空中衝突し、米国と中華人民共和国の間で国際紛争に発展した事件が発生した。事故は、王維少佐 Lieutenant Commander Wang Weiが操縦するJ-8のうちの1機がEP-3に2回接近したのちに発生した。3回目の接近でEP-3に衝突し、J-8は2つに分裂した。EP-3は、少なくとも15回の遭難信号に応答がなかったため、深刻な損傷のため、凌水飛行場 Lingshui airfieldに許可なく緊急着陸した。着陸後15分間、EP-3の乗員は国防総省のプロトコルに従い、機内の機密事項やデータを破壊し続けた。EP-3の乗員は 2001年4 月11日に解放され、ハワイのホノルルを経由してホイッドビー・アイランドの基地に戻り、そこで2日間の集中的な報告を受け、そののち英雄として歓迎された |
2001/9 | 9月11日の攻撃から1ヶ月以内に、この飛行隊は“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”の一環としてアフガニスタン上空で任務を遂行していた |
2002 | 2002 年、VQ-1はホイッドビー・アイランドの基地とペルシャ湾での活動に加え、日本の三沢に常駐部隊を維持した。その責任範囲はアフリカ東海岸から米国西海岸まで、地球の表面積のおよそ3分の2におよぶ |
2012/5 | 2012年5月、国防予算の削減によりVQ-1の姉妹飛行隊であるVQ-2の閉隊が義務付けられ、VQ-1はEP-3E Aries IIを飛行し、信号諜報(signals intelligence: SIGINT)任務に専念する米海軍唯一の艦隊航空偵察飛行隊となった |
2024 | VQ-1所属のEP-3E Aries II(Bu.No. 159893)が、2024年10月29日に第5艦隊 5th FleetのAOR(Area of Operations)における最後の任務飛行を実施。そののちでホームベースのホイッドビー・アイランド海軍航空基地に戻り、これで同機の運用は終了した |
↑EP-3E ARIES(Airborne Reconnaissance Integrated Electronic System)II
Update 24/11/16