海兵中型ティルトローター飛行隊 Marine Medium Tiltrotor Squadron
アイコン | 意味 |
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戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません |
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戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです |
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映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です |
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参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
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インターネットやTVゲームに登場する事柄です |
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不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第265海兵中型ティルトローター飛行隊(Marine Medium Tiltrotor Squadron: VMM-265)は、MV-22Bオスプリー・ティルトローター機を装備するアメリカ海兵隊の攻撃支援輸送飛行隊。この中隊は“Dragons”の愛称で知られ、日本・沖縄県にある普天間海兵航空基地 MCAS Futenmaを拠点とし、第36海兵航空群(Marine Aircraft Group 36: MAG-36)および第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)の指揮下にある
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAF Jacksonville | 1962/10 |
MCAS Kaneohe Bay | 1977/9/1 |
MCAS Futenma | 1995初め |
日付 | 主な出来事 |
この飛行隊の目的は、遠征作戦、連合作戦、または合同作戦において、昼夜を問わず、あらゆる天候条件下で、戦闘部隊、物資、装備の攻撃支援輸送を提供することにより、海兵隊空地任務部隊(Marine Air-Ground Task Force: MAGTF)司令官を支援することだ | |
1962/10 | HMM-265は、1962年10月1日にノース・カロライナ州ジャクソンヴィル海兵航空施設 MCAF Jacksonvilleで就役。当初はUH-34Dを運用していたが、就役後まもなく、アメリカ公民権運動の決定的瞬間であったミシシッピ危機 Mississippi Crisisへの支援のため、テネシー州メンフィスに展開した。そののち、HMM-265は夜間襲撃などの新しいヘリコプター戦術を試験する一連の展開を開始しました |
1964/6 | 1964年6月30日、飛行隊は最初のCH-46Aシーナイトの艦隊海兵隊への配備を開始した。新しい航空機を記念して、HMM-265は1964年10月1日に新しい記章を発表した。このデザインは、チャールズD.
ライルズ一等兵 PFC Charles D. Lylesによって作成され、2007年に日本の龍を表す心字体に基づいた新しいデザインが採用されるまで、公式の部隊パッチだった。1965年6月、飛行隊は強襲揚陸艦オキナワ Okinawa(LPH-3)に乗艦してカリブ海にデプロイメントした。![]() |
1966/4 | 1966年4月21日、飛行隊はヴァージニア州ノーフォークで強襲揚陸艦ボクサー Boxer(LPH-4)に乗艦した。5月22日、飛行隊は南ヴェトナムのダ・ナン空軍基地 Da Nang Air Baseの南東にあるマーブル・マウンテン航空施設(Marble
Mountain Air Facility: MMAF)に上陸した。飛行隊は22機のCH-46Aを保有し、第1海兵航空団 1st Marine
Aircraft Wing第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)に配属された。以前の改修にもかかわらず、CH-46Aは砂によってエンジン・コンプレッサーが損傷する問題を抱えており、その結果、200~300回の出撃ごとにエンジンを交換する必要があったが、8月末までにフィルターが設置され、問題は解決した。7月初旬、飛行隊は“メイコン作戦
Operation Macon”を支援した。![]() |
1967/7 | 1967年7月12日、同飛行隊は強襲揚陸艦トリポリ Tripoli(LPH-10)に搭乗し、特殊上陸部隊(Special Landing Force: SLF)ヘリコプター飛行隊となった。SLF飛行隊として、同飛行隊は沿岸部の解放戦線標的に対するヘリによる捜索・破壊任務を遂行した。この間、“ベアチェーン/フリーモント作戦 Operation Bear Chain/Fremont”、“ビーコン・ガイド作戦 Operation Beacon Guide”、“カンガルー・キック作戦 Operation Kangaroo Kick”、“ビーコン・ゲート作戦 Operation Beacon Gate”、“コチース作戦 Operation Cochise”という5つの主要な作戦が実施された。8月23日、飛行隊はMMAFの第36海兵航空群(Marine Aircraft Group 36: MAG-36)に配属された。10月16日、飛行隊はMAG-16に再配置された。12月下旬、飛行隊は“オーバーン作戦 Operation Auburn”を支援 |
1968/6 | 1968年6月15日、飛行隊分遣隊はSLFブラヴォー・ヘリコプター飛行隊として強襲揚陸艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(LPH-8)に乗艦し、7月7日に飛行隊全体がトリポリに移動した。8月19日、飛行隊はSLFの任務から上陸し、 MAG-16。9月30日、MAG-36に配属された。![]() |
1969/5 | 飛行隊は1969年5月下旬、強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)に艦載するSLF飛行隊として任務を再開した。彼らは、“ボールド・パースート作戦 Operation Bold Pursuit”(6月27日~7月6日)、“マイティ・プレイ作戦 Operation Mighty Play”(7月10日~20日)、そして最後に“デファイアント・スタンド作戦 Operation Defiant Stand”(9月7日~18日)を支援する水陸両用襲撃を実施した。ヴェトナム戦争に3年間従軍したのち、飛行隊は10月7日にカリフォルニア州サンタ・アナ海兵航空基地 MCAS Santa Anaに移転し、国内のほかの飛行隊とヘリコプターで連携した |
1970/11 | ![]() |
1977/9 | 1977年9月1日、飛行隊はハワイのカネオヘ・ベイ海兵航空基地 MCAS Kaneohe Bayでドナルド・クリングラー中佐 Lieutenant Colonel Donald Klinglerの指揮の下、再編成され、太平洋におけるプレゼンスを再構築した。このプレゼンスは今日まで続いている。再編成当日、飛行隊にはヘリコプターが1機もなかった。12月にはCH-46Dが4機、CH-46Fが7機となり、ほぼ完全な戦力となった |
1978春 | 1978年春、HMM-265は、来たる西太平洋デプロイメントに備えて戦闘即応性を高めるため、カウアイ島バーキング・サンズ Kauai's Barking Sands訓練場に展開した。そこで、飛行隊は低地飛行と兵員輸送の訓練を実施した |
1978/4 | 1978年4月、HMM-265は強襲揚陸艦ニュー・オーリンズ New Orleans(LPH-11)に乗り込み、冷戦期における第一線防衛の軍事プレゼンスを確立するため、西太平洋に向けて出発した。飛行隊はカネオヘ海兵航空基地を6ヶ月間離れ、その間にフィリピンのセブ島で訓練演習を実施し、香港とシンガポールにも寄港した。この任務の展開兵力は、12機のCH-4612機、4機のCH-53、2機のUH-1N、2機のAH-1Jであった |
1979/8 | HMM-265は1年間の国内滞在を経て、次回の展開に備え、カホオラウェ Kahoolawe島で訓練演習を実施した。1979年8月の最初の週末を同島で過ごし、大隊上陸部隊とともに水陸両用作戦を実施。AV-8Aハリアーとヘリコプターの運用を組み合わせた作戦に加え、トリポリ上で演習を実施 |
1979/8 | 1979年8月下旬、飛行隊はトリポリでふたたび西太平洋へデプロイメントした。ふたたびドナルド・クリングラー中佐の指揮下、飛行隊は海兵両用ユニット(MAU)とともに展開し、複数のMAUと合流して沖縄での“フォートレス・ゲイル作戦 Operation Fortress Gale”に参加した。そののち、飛行隊はオーストラリア北東部で、ニュー・ジーランド軍とオーストラリア軍の合同作戦である“カンガルー3演習 exercise Kangaroo Three”に参加。彼らはまた、ニュー・ギニア、香港、タスマニア、シドニーを訪問し、1979年11月10日の海兵隊誕生日を祝った。この任務中の展開兵力は、CH-46が12機、CH-53が4機、UH-1Nが2機、AH-1Jが2機、AV-8Aが2機だった |
1980/2 | 1980年2月初めに飛行隊が帰還したのち、2月22日の指揮官交代式で飛行隊の指揮権はウィリアム・バーバ中佐 Lt. Col. William Barbaに引き継がれた。飛行隊はカネオヘ・ベイと西太平洋での作戦活動を継続した |
HMM-265(REIN)“ドラゴン”は、第76.3任務群 Task Group 76.3/両用即応群アルファ Amphibious Ready Group Alfa/第7両用戦隊 Amphibious Squadron Sevenの一員として、強襲揚陸艦(汎用)タラワ Tarawa(LHA-1)に展開した。HMM-265はCH-46Dシーナイト12機を装備し、HMH-463とCH-53Dシースタリオン4機、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵航空基地 MCAS Camp Pendleton所属のAH-1Tシー・コブラ4機/UH-1Nヒューイ2機を装備したHMA-169、アリゾナ州ユマ海兵航空基地 MCAS Yumaを拠点とするAV-8Aハリアー6機を装備したVMA-513からの分遣隊によって増強された。1980年10月14日、第7両用戦隊はタラワに乗艦後、サン・ディエゴを出港し、フィリピンのスービック湾を訪問し、フィリピンで“ヴァリアント・ブリッツ演習 exercises Valiant Blitz”に参加した。そののち、12月22日から27日までパタヤ・ビーチ Pattaya Beachで約1週間を過ごしたのち、シンガポールへ移動し、30日に到着した。ディエゴ・ガルシア島 Diego Garciaで1月28日から30日にかけて第7両用戦隊の乗艦した海兵隊員が上陸演習を実施したのち、オーストラリア軍部隊とともに南東へ向かい、西オーストラリア州ランセリン沖で“ヴァリアント・アッシャー81-3演習 exercise Valiant Usher 81-3”に参加した。“ヴァリアント・アッシャー”が西オーストラリア沖で活動したのち、VMA-513と第1両用戦隊 Amphibious Squadron Oneは、1981年2月8日から13日まで西オーストラリア州パース/フリーマントルで視察・訓練を実施した。戦隊はそののち、韓国釜山で行われた“チーム・スピリット81演習 exercises Team Spirit 81”および“ヴァリアント・フレックス81-2演習 exercise Valiant Flex 81-2”に参加した。HMM-265(REIN)は1981年4月16日ごろまでにハワイのカネオヘ・ベイ海兵航空基地に戻り、分遣隊はそののちまもなく帰国した | |
1990 | 1990年と1991年、この飛行隊は第5海兵遠征旅団、第50海兵航空群 5th Marine Expeditionary Brigade, Marine Air Group 50に所属していた。“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”中、オマーンにおける海兵隊史上最大の兵員輸送作戦“シーソルジャーIV作戦 Operation Sea Soldier IV”に参加した。そののち、飛行隊はペルシャ湾で揚陸艦を待機させ、戦闘作戦開始を待った。飛行隊は第5海兵遠征旅団によるクウェートへの水陸両用陽動作戦に参加し、サダム・フセイン軍の注意を内陸で発生した実際の攻撃から逸らすことに成功した |
ペルシャ湾地域での戦闘終結後、飛行隊はハワイに戻った。航海中、“シー・エンジェル作戦 Operation Sea Angel”において、バングラデシュへの人道支援と災害救援活動の要請を受けた。作戦中、彼らは10日間で770時間を飛行した | |
1991/10 | 1991年10月に沖縄にデプロイメントするまで、飛行隊は休息する暇もほとんどなかった。このデプロイメント中、“ドラゴンズ Dragons”は大統領の東京訪問に際し、HMX-1の支援を行った。そののち、1992年にはカンボジアの“フル・アカウンティング作戦 Operation Full Accounting”への支援に招集され、ヴェトナム戦争で亡くなった米兵の遺骨収容を支援した。1995年初め、飛行隊は沖縄の普天間海兵航空基地に完全移転した |
1998秋 | 1998年秋、ペルシャ湾における緊張の高まりを受け、飛行隊は第31海兵遠征ユニット 31st Marine Expeditionary Unitの航空戦闘部隊(Aviation Combat Element: ACE)として予告なく再デプロイメントした。彼らは1998年11月から1999年2月にかけて、ペルシャ湾とクウェートで“砂漠の狐作戦 Operation Desert Fox”に参加。部隊は帰国後、短い休息を取り、そののちふたたび派遣された。今回は、海兵隊員は1999年10月の“スタビライズ作戦 Operation Stabilise”と2000年1月から2月にかけて、東ティモールにおける内戦終結に貢献した |
2004/10 | 2004年10月から 2005年2月まで、アル・アサド空軍基地 Al Asad Airbase、アルカイム Al-Qa'im、韓国村 Korean Villageから“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”の支援のために派遣された |
2017 | ![]() |
2025/8 | VMM-265(Rein)所属のMV-22Bが2025年8月8日にフィリピン海で、原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)と強襲揚陸艦(汎用)アメリカ America(LHA-6)を拠点として対潜戦(Anti Submarine Warfare: ASW)を支援する試験を実施した |
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↑PACIFIC OCEAN (May 19, 2022) - An MV-22 Osprey attached to Marine Medium Tiltrotor Squadron (VMM) 265 takes off from the flight deck of the amphibious assault ship USS Tripoli (LHA-7), May 19, 2022. Tripoli is conducting routine operations in U.S. 7th Fleet. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 1st Class Peter Burghart)
Update 25/08/27