VB
爆撃飛行隊 Bombing Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第87爆撃飛行隊(Bombing Squadron: VB-87)は1944年7月1日、ニュー・ジャージー州ワイルドウッド海軍航空基地 NAS Wildwoodに設立された。SB2Cヘルダイヴァーを装備した飛行隊は、航空母艦ランドルフ Randolph(CV-15)で出撃する前に、同地とヴァージニア州オシアナ海軍航空補助基地 NAAS Oceanaで訓練を受けた。真珠湾でこの艦から切り離された飛行隊は、そののち航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CV-14)に配属された。VB-87は1945年5月上旬にタイコンデロガで真珠湾を出航し、17日にマロエラップ Maloelapに対して一連のウォームアップ攻撃を行い、空母はウルシー Ulithiに向かい、沖縄作戦の最後の支援任務に参加するために第58任務部隊 Task Force 38に合流した。6月10日、これらの最後の任務ののち、任務部隊はレイテ湾に退却した。第38任務部隊 Task Force 38のほかの空母とともにタイコンデロガは7月1日にふたたび出航し、日本へ向かったが、エンジン・トラブルによりグアムへの回航を余儀なくされ、敵国沖で姉妹と合流できたのは21日になってからであった。VB-87は7月24日と28日に呉で帝国艦隊の残存部隊に対する攻撃に参加し、月末には東京の南西の工場を爆撃した。8月初旬、任務部隊は北上し、飛行隊は青森と大湊の標的を攻撃した。月中旬にはふたたび南下し、VB-87の最後の攻撃は13日の横浜港に対するものだった。降伏後、タイコンデロガは帰路の乗客を乗せ、1945年9月20日にふたたび出航した。真珠湾に寄港したのち、10月5日にカリフォルニア州アラメダに到着。乗客を下船させ、貨物を積み下ろしたのち、9日に退役軍人を迎えに出航した。タイコンデロガは1,000名以上の兵士と水兵をワシントン州タコマに送り届け、ネイヴィー・デイ Navy Dayのお祝いのために28日までそこに留まった。10月29日、空母はタコマを出発し、アラメダに戻った。その途中、第87航空群 Air Group 87の飛行機は全て陸上に移され、空母はそののちの“マジック・カーペット Magic Carpet”航海で乗客を追加収容できるように改装された。VB-87は1945年11月2日にシアトル海軍航空基地 NAS Seattleで閉隊した


Update 24/06/15