VAW
艦載早期警戒飛行隊 Carrier Airborne Early Warning Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。艦載早期警戒飛行隊 Carrier Airborne Early Warning Squadronは2020年1月1日に空中指揮管制飛行隊 Airborne Command & Control Squadronに改称された
※第123空中指揮管制飛行隊(Airborne Command and Control Squadron 123: VAW-123)は、ノーフォーク海軍基地 Naval Station Norfolkを拠点とし、E-2Cホークアイを飛ばしている。原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)に配備されている間は、第3空母航空団(Carrier Air Wing Three: CVW-3)に所属している。ニックネームはScrewtops

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
NAS Norfolk 1967/4/1
航空機の割り当て 初受領日
E-2A 1967
E-2B 1970
E-2C 1973
E-2C APRS 1978
E-2CグループII 1996/3
日付 主な出来事
1945 VAW-123の歴史は、1945年に第12混成飛行隊(Composite Squadron Twelve: VC-12)が就役し、1956年に第12空母空中早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Squadron Twelve: VAW-12)に再指定されたことから始まる。1967年4月1日、VAW-12は閉隊され、大西洋艦隊 Atlantic Fleetの全てのAEW活動を指揮するために第12空母早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Wing Twelve: CAEWW-12)が編成され、すべてのE-2A分遣隊は独立した飛行隊として設立された
1967/4 再編成の結果、CAEWW-12の第59分遣隊 Detachment 59は1967年4月1日、ヴァージニア州ノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkで第123空母空中早期警戒飛行隊(Carrier Airborne Early Warning Squadron 123: VAW-123)として就役した。1967年4月1日の就役により、VAW-123はアメリカ海軍で最も古いVAW飛行隊の一つとなった。1967年6月、VAW-123は攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)でヴェトナムに向けて出撃し、東海岸初のVAW飛行隊となった。トンキン湾で活動中の1967年7月29日、フォレスタルは艦内火災に見舞われ、乗組員134名が死亡、161名が負傷、21機が損傷または破壊され、艦に数百万ドルの損害が生じた。フォレスタルはVAW-123と残りの乗組員および航空団とともにノーフォークに戻った。VAW-123は火災による人員の損失や負傷はなかったが、飛行隊のE-2A航空機の一部は艦内の火災と爆発によって非常に軽微な損傷を受けた
当初はフォレスタルのCVW-17に所属していたが、同飛行隊は攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)のCVW-3に不可欠な存在となり、1970年代を通してそこに留まった。1972年にVAW-123はふたたびトンキン湾のヴェトナム海域に長期巡航し、1973年にノーフォークに戻った
1980/10 1980年10月、飛行隊は汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)のCVW-11(テイル・コード“NH”)に編入された。1981年8月25日から31日にかけて、飛行隊とアメリカが西オーストラリアのパース/フリーマントルを唯一訪問した1981年のインド洋デプロイメントののち、VAW-123は1981年11月12日にCVW-11(テイル・コード“AB”)に移籍した。それ以来、同飛行隊は1996年にアメリカが退役するまで、CVW-1/CV-66の一員としてインド洋、地中海、北大西洋に数回にわたって長期派遣を行った。同飛行隊は1986年にリビア沖のシドラ湾作戦に参加し、AGM-88 HARMとハープーン兵器システムの最初の戦闘使用に直接関与した

(↑AGM-88 HARM)
長年にわたり、VAW-123は11のバトル“E” Battle "E"と9の“セーフティS Safety S”を受賞しており、1999年には11番目のバトル“E”が授与された。1973年にE-2Cを採用し、1978年にはE-2C ARPS(Advanced Radar Processing System)を初めて運用した。1996年3月には、東海岸で最初のE-2飛行隊となり、アヴィオニクスとエンジンが大幅にアップグレードされたE-2CグループIIに移行した。1998年11月には、東海岸で最初にナヴィゲーション・アップグレードのE-2CグループIIの引き渡しを受けた飛行隊となった。VAW-123は“砂漠の盾/砂漠の嵐作戦 Operation Desert Shield/Desert Storm”を支援し、紅海とペルシャ湾の両方で活動した唯一のE-2飛行隊であった。同飛行隊はまた、ボスニアヘルツェゴヴィナ上空での“デナイ・フライト作戦 Operation Deny Flight”と“デリバレート・フォース作戦 Operation Deliberate Force”、イラク上空での“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援した。1998年5月18日、第1空母航空団(Carrier Air Wing One: CVW-1)は原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)から汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)に移籍した。1998年7月から8月にかけて、VAW-123はルーズヴェルト・ローズ海軍基地 NS Roosevelt Roadsに派遣され、カリブ海を経由する麻薬の流入を食い止めるための米国の継続的な取り組みを支援した。1998年11月と12月には、同艦隊は新たに就役した原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S Truman(CVN-75)、同艦のシェイクダウン・クルーズとセオドア・ルーズヴェルト戦闘群 USS Theodore Roosevelt Battle Groupに対する“オレンジ・エア作戦 Orange Air operations”を支援した
2001/9 VAW-123は2001年9月19日、原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)のCVW-1とともにデプロイメントした。VAW-123は第1空母航空団とセオドア・ルーズヴェルトの一員として、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するため、そののち160日間を洋上で戦闘作戦に従事し、第二次大戦以来、洋上での最長記録を更新した。“スクリュートップス Screwtops”は2002年3月27日にヴァージニア州ノーフォークに帰投し、最優秀E-2飛行隊としてAKERS賞であるバトル“E”と海軍部隊表彰 Naval Unit Commendationsを授与された。2002年、SCREWTOPSはヴァージニア州ノーフォークを拠点に活動し、4ヶ月間飛行隊を分割してノーフォークとオシアナという2つの海軍航空基地で活動した。2002年9月から10月にかけて、“スクリュートップス”はプエルト・リコのルーズヴェルト・ローズ海軍基地からメキシコ湾での麻薬対策作戦を支援するために活動した。2003年8月、VAW-123は原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)とともに派遣され、特殊戦部隊を支援する遠征分遣隊を運用する最初の空母艦載飛行隊となった。“スクリュートップス”は、メッツラー丘 Metzler hillへの攻撃でレッド・ハンド特殊部隊グループ red hand special forces groupを統制した。アフガニスタン北部で敵の砲火が飛び交う戦闘状況下で、同飛行隊は連合軍機への空中指揮統制と、“マウンテン・リゾルヴ作戦 Operation Mountain Resolve”のための特殊作戦部隊への時機を得た照準調整を行った。同じ展開で、VAW-123は“不朽の自由作戦”を支援するためにイラクに展開した特殊作戦部隊だけでなく、通常部隊も支援した。2006年3月と2007年、VAW-123はふたたび第1空母航空団およびエンタープライズとともにイラク戦争と“不朽の自由作戦”を支援するために展開した
2011 2011年、同飛行隊は“不朽の自由作戦”と“新たなる夜明け作戦 Operation New Dawn”を支援するため、第1空母航空団とともに6カ月間派遣された。2012年3月、同飛行隊はエンタープライズの第1空母航空団とともに、“不朽の自由作戦”を支援するためふたたび8ヶ月間派遣され、562回の出撃と1,935時間の無事故飛行を行った。2012年を通して、同飛行隊は米空軍、英空軍、空軍州兵とさまざまな注目度の高い演習に参加した。2013年、VAW-123は東海岸の全E-2飛行隊の中で最も優れた空母着艦の成績を収めたとして、空挺指揮統制兵站飛行隊“トップフック”賞 Airborne Command Control and Logistics Wing "Top Hook" Awardを受賞した。同飛行隊は2013年の退役前にエンタープライズに配備され、そののち原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)に配属されている第3空母航空団 Carrier Air Wing 3に移籍した。2020年1月1日、同飛行隊はほかの8つの米海軍E-2飛行隊とともに第123空中指揮管制飛行隊(Airborne Command and Control Squadron 123)として再指定され、本来のAEWの焦点以外の航空機の役割と責任の拡大を反映した。2023年10月、VAW-123は第3航空団とともにアイゼンハワーに配備された。VAW-123と第3航空団は直ちにCENTCOM AORに配備され、イエメンのフーシ・イラン軍部隊に対する広範な防衛・攻撃戦闘作戦を開始した
2024/9 VAW-123で運用していたE-2C×4機のうち2機が2024年9月9日に、309th AMARG(309th Aerospace Maintenance and Regeneration Group)に送られた。残る2機は、FRS(Fleet Replacement Squadron)のVAW-120に移管して訓練用とする(12345

↑Image of VAW-123. Image courtesy of Naval History and Heritage Command.

↑Atlantic Ocean (Sep. 2, 2003) -- An E-2C Hawkeye assigned to the "Screw Tops" of Carrier Airborne Early Warning Squadron One Twenty Three (VAW-123) launches from one of four steam powered catapults aboard USS Enterprise (CVN-65). The nuclear-powered aircraft carrier is underway in the Atlantic Ocean, completing her Tailored Ships Training Availability (TSTA) in preparation for a Mediterranean Deployment. U.S. Navy photo by Photographer's Mate Airman Jason W. Pfiester. (RELEASED)


Update 24/11/09