VAQ
戦術電子戦飛行隊 Tactical Electronics Warfare Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Carrier Tactical Electronics Warfare Squadron or Tactical Electronics Warfare SquadronはのちにElectronic Attack Squadronに改称された
※第135電子攻撃飛行隊(Electronic Attack Squadron 135: VAQ-135)は、“ブラック・レイヴンズ Black Ravens”の名で知られるアメリカ海軍の電子攻撃飛行隊で、現在はEA-18Gグラウラーを運用している。同飛行隊はホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey Islandに常駐し、無線コールサインは“サンダー Thunder”

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Alameda 1969/5
NAS Whidbey Island 1973
航空機の割り当て 初受領日
EKA-3B 1969
EA-6B 1973
EA-6B ICAP 1976
EA-6B ICAP II 1988秋
EA-18G 2010/11/1
日付 主な出来事
1969/5 第135電子戦飛行隊(Electronic Warfare Squadron One Three Five)は1969年5月15日、空母航空団に電子戦と空中給油支援を提供するために設立された。アラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaに配備された。同飛行隊は最初にEKA-3Bスカイウォーリアを飛ばし、大西洋と太平洋の両艦隊に配備された。
1973 1973年、VAQ-135はホイッドビー・アイランド海軍航空基地 NAS Whidbey Islandに移転し、グラマンEA-6Bプラウラーに移行した
1976 飛行隊は1976年1月から9月まで、EA-6Bとともに汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)に搭載された第2空母航空団(Carrier Air Wing 2: CVW-2)とともに西太平洋(WESTPAC)とインド洋に初めてデプロイメントした。そのデプロイメントののち、VAQ-135は改良型プラウラー(Improved Capability Prowler: ICAP)に移行し、最初の艦隊EA-6B ICAP飛行隊となった。同飛行隊は1977年11月から1978年7月まで、原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)の第8空母航空団(Carrier Air Wing 8: CVW-8)とともに地中海にデプロイメントした
1979/1 1979年1月、VAQ-135は汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)で第15空母航空団(Carrier Air Wing 15: CVW-15)の再訓練を開始し、1979年5月に西太平洋にデプロイメントした。展開中、イラン人質事件時のインド洋での作戦で海軍遠征勲章 Navy Expeditionary Medal、功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendation、初の海軍作戦部長安全“S”賞 Naval Operations Safety "S" Awardを受賞。1981年4月から11月まで、ふたたびCVW-15とともにキティ・ホークで展開。VAQ-135は太平洋とインド洋でいくつかの主要な演習に参加し、ヴェトナムのボート・ピープルの救助に参加したことで2回目の海軍遠征勲章と人道奉仕勲章 Humanitarian Service Medalを授与された
1982/5 1982年5月、VAQ-135は汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)と第1空母航空団(Carrier Air Wing 1: CVW-1)に配属された。ワークアップを終えた飛行隊はニミッツに編入され、1982年11月に地中海に派遣され、そののち2度目の海軍作戦部長安全 “S”賞を受賞した
1984 1984年、同飛行隊は4月から11月までアメリカとCVW-1に派遣され、3度目の海軍作戦部長安全“S”賞を受賞。1985年にはCVW-1とともに、これまでで最大のNATO海軍演習である“オーシャン・サファリ85 Ocean Safari '85”に参加し、2度目の功労部隊表彰を受けた
1986/1 1986年1月1日の朝、VAQ-135は地中海での第6艦隊戦闘群 Sixth Fleet Battle Groupの作戦を支援するために展開された。48時間以内にホイッドビー・アイランド海軍航空基地から出撃し、汎用航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CV-43)洋上で新しい航空団である第13空母航空団(Carrier Air Wing 13: CVW-13)と合流し、地中海中部で進行中の有事作戦を支援した。そののち5ヵ月間、現地での補給支援もないまま、飛行隊はリビア沖で活動する米海軍部隊に電子戦支援を提供した。同飛行隊は1986年3月にシドラ湾で成功した攻撃に参加し、同年4月に成功したベニナ/ベンガジ飛行場 Benina/Benghazi airfields攻撃では重要な近接支援妨害サーヴィスを提供した。その結果、同飛行隊は1986年に2つの海軍部隊表彰 Navy Unit Commendations、軍隊遠征章 Armed Forces Expeditionary Medal、海軍遠征勲章、オールド・クラウズ協会優秀部隊賞 Association of Old Crows Outstanding Unit Awardを授与された
1986/11 1986年11月、飛行隊は原子力汎用航空母艦エンタープライズEnterprise(CVN-65)の第11空母航空団(Carrier Air Wing 11: CVW-11)に再配置された。1987年、VAQ-135はCVW-11とのワークアップを完了し、中型攻撃高度準備プログラム(Medium Attack Advanced Readiness Program: MAARP)と改訂されたEA-6B防衛航空戦闘機動(Defensive Air Combat Maneuvering: DACM)シラバスを完了した最初のプラウラー飛行隊となった
1988/11 1988年1月、VAQ-135は5機のプラウラーを配備した最初のEA-6B飛行隊となった。WESTPAC '88では、同飛行隊がエンタープライズとともに第7艦隊 Seventh Fleetに復帰し、北アラビア海で活動する米海軍部隊に電子戦支援を提供した。同飛行隊は軍隊遠征章を授与された
1988/4 1988年4月、VAQ-135はCVW-11およびフォックストロット戦闘群 Battle Group Foxtrotとともに、イラン海軍水上部隊に対する作戦“プレイング・マンティス作戦 Operation Praying Mantis”に参加。同司令部は統合功績部隊賞 Joint Meritorious Unit Award、功績部隊表彰 Meritorious Unit Commendation、軍隊遠征章を受賞した。1988年秋、飛行隊はプラウラーのICAP-IIヴァージョンに移行し、AGM-88高速対放射線ミサイルを発射する能力を獲得した

(↑AIM-88 HARM)
1989/9 1989年9月、VAQ-135はエンタープライズで世界一周クルーズを行い、第二次大戦後最大の海軍演習であるPACEX '89に参加した。1989年12月、同飛行隊はフィリピン政府防衛のための“クラシック・リゾルヴ作戦 Operation Classic Resolve”に参加し、その結果、司令部は軍隊遠征章を授与された
1990/9 1990年9月、飛行隊は原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に配備された。2ヶ月の処女航海で、ノーフォーク海軍基地 NS Norfolkからホーン岬を回り、エイブラハム・リンカーンの新しい母港であるカリフォルニア州アラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaへ向かった。1991年5月、エイブラハム・リンカーン艦で西太平洋に展開し、フィリピンのスービック湾海軍基地 NB Subic Bayから空軍と海軍の要員を避難させる“ファイアリー・ヴィジル作戦 Operation Fiery Vigil”に参加した。ペルシャ湾に駐留中、同飛行隊は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”、オマーンとの“ビーコン・フラッシュ演習 Exercise Beacon Flash”、日本の海上自衛隊との年次演習作戦に参加した。1992年2月、飛行隊は1991年AIRPAC安全“S”賞 1991 AIRPAC Safety "S" awardを受賞し、12年以上、21,000時間無事故という飛行隊の優れた安全記録が認められた
1992後半 1992年後半、飛行隊はエイブラハム・リンカーンへの2回目の配備のためのワークアップ・サイクルを開始し、チャイナ・レイク海軍航空兵器基地 Naval Air Weapons Station China Lakeの砂漠の上空で飛行隊初のAGM-88の射撃に参加した
1993/6 1993年6月15日には西太平洋にデプロイメントし、イラク南部の飛行禁止区域を守る“サザン・ウォッチ作戦”に参加、敵の地対空ミサイルから航空団の航空機を守るために2発のAGM-88を発射し、2度目の南西アジア功労勲章 Southwest Asia Service Medaを受章した。さらに同飛行隊は、エイブラハム・リンカーンがソマリア沖に駐留していたときに“希望の回復作戦 Operation Restore Hope”に参加し、軍隊遠征章を受賞した。1993年11月、飛行隊はホイッドビー・アイランド海軍航空基地に帰還する直前に、14年間無事故という新たな安全上の節目を迎えた
1995/4 1995年4月、VAQ-135はエイブラハム・リンカーンで西太平洋に派遣され、パキスタン空軍との“インスパイアード・アラート演習 Exercise Inspired Alert”、サウジ・アラビア空軍およびサウジ・アラビア海軍との“ノーティカル・アーティスト演習 Exercise Nautical Artist”、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”に参加し、3度目の南西アジア功労勲章を受章した
飛行隊は配備から戻り、キティ・ホークで12ヶ月のターンアラウンドを開始し、“リムパック96' RIMPAC 96'”に参加した。同飛行隊は1996年10月に配備され、ふたたび“サザン・ウォッチ作戦”に参加し、4度目の南西アジア功労勲章を授与された。1997年4月に配備から戻ったのち、飛行隊は“レッド・フラッグ演習 Exercise Red Flag”を含むいくつかの演習に参加した
1998/2 1998年2月、飛行隊は第135電子攻撃飛行隊 Electronic Attack Squadron 135に再指定され、Modex No. が500シリーズに変更された。1998年夏、同飛行隊は原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に配備され、“リムパック'98 RIMPAC 98'”に参加した
同飛行隊は1998年11月に西太平洋にデプロイメントし、“サザン・ウォッチ作戦”と、数回の空爆からなる4日間の“デザート・フォックス作戦 Operation Desert Fox”に参加した。飛行隊は2機のAGM-88を発射し、航空団の攻撃機を支援した。同飛行隊は1999年5月に配備から戻った
1999/9 1999年9月、同飛行隊は2000年8月のトルコのインシリク基地 Incirlik Air Baseへの配備に備え、“レッド・フラッグ”と“スピリット・ホーク Spirit Hawk”の演習に参加した
2000/5 2000年5月から7月にかけて、同飛行隊は米太平洋艦隊電子攻撃飛行隊司令官の統合遠征任務 Joint Expeditionary role for Commander Electronic Attack Wing U.S. Pacific Fleetを支援しながら、インシルリク基地 Incirlik Air Base駐留の“ノーザン・ウォッチ作戦 Operation Northern Watch”を支援するミッションを飛行した。2001年3月、同飛行隊は“サザン・ウォッチ作戦”を支援するため西太平洋にデプロイメントした。2001年9月11日の同時多発テロののち、カール・ヴィンソンとCVW-11はパキスタン沖に駐留し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”の間、アフガニスタンの連合空軍と地上部隊を支援して空爆を行った。同飛行隊は2002年1月に帰還し、最も戦術的熟練度の高いプラウラー飛行隊として、海軍作戦部長安全“S”賞、戦闘効率賞 Battle Efficiency Award、オールド・クラウズ賞を受賞した
2003/3 2003年3月にはニミッツに配備され、イラク戦争の初期空爆に参加した。8ヵ月に及ぶ長期デプロイメントののち、2つの有事作戦を支援し、2003年11月に帰還した
2004/7 2004年7月、飛行隊はネリス空軍基地 Nellis Air Force Baseで行われた統合遠征軍実験(Joint Expeditionary Force Experiment: JEFX)に参加した。同飛行隊はTSTA/Computexのためにニミッツに2ヶ月間派遣され、2004年を終え、優れた整備に対してCVW-11ゴールデン・レンチ CVW-11 Golden Wrenchを授与された。2005年には、ファロン海軍航空基地 NAS Fallon、リムーア海軍航空基地 NAS Lemoore、ノース・アイランド海軍航空基地 NAS North Islandへの分遣と、ニミッツでの数回の演習で、WESTPAC配備に向けたハイテンポな活動を続けた
2005/7 2005年5月7日、同飛行隊は第11空母打撃群 Carrier Strike Group 11の一員としてニミッツに配備された。2005年の派遣中、VAQ-135は西太平洋とペルシャ湾で作戦を行い、ペルシャ湾とイラクのアル・アサド基地 Al Asad Air Baseからふたたび“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”に参加し、イラクの連合軍を支援した。同飛行隊は派遣期間中、CVW-11 /USSニミッツ・チームワーク賞 CVW-11/USS Nimitz Teamwork Awardを2度受賞した。さらにVAQ-135は、CVW-11で最も優れた整備部門として、派遣中にCVW-11ゴールデン・レンチ賞を受賞した。
2006/3 2006年3月3日、VAQ-135のEA-6Bプラウラー1機と乗員4名がワシントン州ワラ・ワラ Walla Walla近郊にて低空飛行訓練を行っていたところ、オレゴン州ペンドルトンの北に不時着した。乗員4名全員が軽傷で生還し、墜落原因は右エンジンのベアリング不良と判明した
2007/4 飛行隊は2007年4月に出発し、“不朽の自由”と“イラクの自由”の両作戦の支援を含む6ヶ月間のWESTPACデプロイメントのため、2007年10月初旬に帰還した
同飛行隊はそののち、ニミッツでの4カ月半の太平洋デプロイメントののち、2008年6月に帰還した
2009/7 同飛行隊は2009年7月、“不朽の自由作戦”と“イラクの自由作戦”を支援するため、ニミッツで8カ月間のWESTPACデプロイメントに出発した
2010/11 2010年11月1日、VAQ-135はEA-6BからEA-18Gグラウラーへの移行を開始し、2011年6月17日に新機材での“飛行安全”指定 safe for flight" designationを達成した
2015/8 2015年8月、飛行隊は太平洋軍責任地域 Pacific Command area of responsibilityへの遠征デプロイメントから帰還した。6ヶ月間、VAQ-135は主に日本の三沢基地 Misawa Air Baseから運用され、戦術能力をテストし、洗練させるだけでなく、太平洋全域の米国および国際的なユニットとの相互運用性を向上させた
2015/10 2015年10月24日、アーチ建設50周年記念 50th anniversary of the construction of the archの一環として、飛行隊はセント・ルイス・ゲートウェイ・アーチ St. Louis Gateway Archのフライオーヴァーを行った
2025/2 海軍当局はUSNI Newsに対し、EA-18Gグラウラーの乗員は2025年2月12日にノース・アイランド海軍航空基地への着陸を試みている際に墜落したが、容態は良好であると語った。“太平洋夏時間午前10時15分ごろ、VAQ-135に所属する米海軍のEA-18Gグラウラーが着陸中に墜落しました”と海軍航空隊の声明は述べている“2人の乗員がサン・ディエゴ湾に脱出し、すぐに救出されたのち、医療検査のために地元の病院に搬送されました。”そののちの声明で、海軍は、パイロットの容態は良好であると述べた。2025年2月12日遅くの時点で、“機体は水没したままで、対応チームが現場を精査中です”と海軍の声明は述べている。“港湾警備艇が現場にいてエリアの安全を確保しており、燃料と残骸の拡散を最小限に抑えるために墜落現場の周囲に封じ込めブームが設置されました。環境および安全チームは、起こりうるあらゆる影響の軽減に取り組んでいます。現時点では、民間人の負傷や被害の報告はありません。”墜落時の無線通信によると、2人乗りの電子攻撃機はノース・アイランド海軍航空基地に接近中だった。滑走路を飛行したのち、機体の乗員は脱出し、機体は海に墜落。無線通信によると、2人のパイロットは当初、スポーツ・フィッシングのチャーター船に救助され、そののち、税関国境警備船 Customs and Border patrol vesselに移送された。ABC 10によると、パイロットはカリフォルニア大学サン・ディエゴ校ヘルスに搬送された。無線通信によると、乗員の救助後、緊急隊が墜落による残骸と燃料に対応した
海軍は、2025年2月12日にサン・ディエゴ湾に墜落したEA-18Gグラウラーを回収する予定であると発表した。13日の海軍の発表によると、回収作業は進行中だが、天候によって遅れる可能性があるという。“回収作業は、環境への影響を最小限に抑えながら、可能な限り迅速に航空機を水から安全に取り出すことに集中している。”リリースによると、海軍航空部隊司令官 Commander, Naval Air Forcesが機体回収の調整を指揮し、爆発物処理グループ1 Explosive Ordnance Disposal Group Oneが引き揚げ作業の戦術指揮をとる。海軍地域南西部 Navy Region Southwest、コロナド海軍基地 NB Coronado、海軍施設工学システム司令部南西部 Naval Facilities Engineering Systems Command Southwest、海軍海システム司令部サルベージ監督官 Naval Sea Systems Command Supervisor of Salvage、太平洋電子攻撃航空団 Electronic Attack Wing Pacificが回収作業を支援している


Update 25/02/20