| 日付 |
主な出来事 |
| 1951/12/11 |
飛行隊は最初の戦闘出撃を行い、朝鮮半島で敵の通信線、輸送線、産業施設、補給施設に対する阻止任務を遂行した |
| 1952/3/22 |
朝鮮半島の高原 Kowon北部の鉄道線路への爆撃中、K. A. シェヒター少尉 Ensign K. A. Schechterは、敵の砲弾が搭乗していたADスカイレイダーのキャノピーに命中し、爆発して負傷した。傷口からの出血で視力を失い、操縦も不安定になった。シェヒター少尉の救援要請を聞き、その不安定な操縦を観察していたJ.
H. セイヤー中尉 Lieutenant (jg) J. H. Thayerは、隣に飛び、視力を失ったパイロットに無線で指示を出した。セイヤー中尉の無線誘導に従い、シェヒター少尉は緊急滑走路へ自機を飛ばし、着陸に成功した |
| 1955/2 |
1955年1月、中華人民共和国は国民党が領有する塔陳諸島への砲撃を開始した。2月、飛行隊の航空機は、中国国民党軍人と民間人の島からの避難を航空支援した |
| 1964/8〜10 |
トンキン湾事件後、飛行隊はヴェトナム沖での作戦に参加した |
| 1967/8/21 |
飛行隊の隊長であるL. T. プロファイレット中佐 Commander L. T. ProfiletとNFOのW. M. ハードマン大尉 Lieutenant Commander W. M. Hardmanは、北ヴェトナム上空での作戦中に撃墜され、捕虜となった。2人は北ヴェトナムによって解放され、1973年3月29日に米国に送還された |
| 1971/12 |
東パキスタン(バングラデシュ)をめぐるインドとパキスタンの戦争勃発を受け、原子力攻撃航空母艦エンタープライズ (CVAN-65)はインド洋での作戦行動のため“ヤンキー・ステーション”を出航するよう命じられた。VA-196を乗せたエンタープライズは、1972年1月初めの停戦までベンガル湾で活動した |
| 1972/10 |
飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加した。これは、南ヴェトナムへの物資の流入を阻止するために北ヴェトナムの標的に対して行われた大規模な空爆だ |
| 1972/12 |
飛行隊の航空機は、“ラインバッカーI作戦”の強化版である“ラインバッカーII作戦 Linebacker II operations”に参加した |
| 1973/2〜5 |
飛行隊の航空機は、北ヴェトナム領海における機雷除去作戦“エンド・スイープ作戦 Operation End Sweep”の航空支援を行った |
| 1975/4 |
飛行隊は、共産党軍に陥落したサイゴンからの人員撤退において、CVW-14のほかの部隊とともに航空支援を行った |
| 1977/2 |
ウガンダ危機と同国における米国人への脅威の中、VA-196を乗せたエンタープライズは、ウガンダから米国人を撤退させる準備を整えてケニア沖で活動した |
| 1979/12 |
10月下旬の朴正煕大統領暗殺後、VA-196を乗せた汎用航空母艦コーラル・シーCoral Sea(CV-43)は韓国沖で活動した |
| 1980/4 |
コーラル・シーは、イラン人人質救出作戦を支援する任務部隊の一員として、飛行隊を乗艦させた |
| 1980/5 |
韓国の内乱を受けて、コーラル・シーから出撃した飛行隊は同国沖で活動した。 |
| 1983/8 |
中米情勢の不安定化を受け、VA-196を乗せたコーラル・シーはニカラグア沖で活動し、違法薬物取引の監視にも参加した |
| 1987/7 |
イラン・イラク戦争中のペルシャ湾における商船およびタンカーへの攻撃増加を受け、米国はクウェートの船籍変更後の石油タンカーの護衛を開始した。“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”において、VA-196はホルムズ海峡を通過する最初の船団に対し航空支援を提供した |
| 1990/8 |
イラクによるクウェート侵攻を受け、VA-196を乗せた汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)は北アラビア海への派遣を命じられた |
| 1990/8〜10/2 |
VA-196は、イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、アメリカと連合軍の兵力増強を目的とした“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”を支援するため、インディペンデンスから出撃した |
| 1990/10/2〜11/2 |
10月2日、インディペンデンスはペルシャ湾に入り、2日間同海域で活動したのち、アラビア海北部へ戻った。VA-196は“砂漠の盾作戦”への出撃を続け、11月2日にインディペンデンスが交代し、アメリカ本土への帰路についた |
| 1997/3 |
1997年3月21日に閉隊 |