VA
攻撃飛行隊 Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1948年7月15日、第153戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE HUNDRED FIFTY THREE: VF-153)として編成。1950年2月15日、第194戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE HUNDRED NINETY FOUR: VF-194)に改称。1955年5月4日、第196攻撃飛行隊(Attack Squadron ONE HUNDRED NINETY SIX: VA-196)に改称。VA-196の名称を与えられた最初の飛行隊。VA-196の名称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはThundercats(1948〜1950年代)、The Main Battery(1950年代〜)。1979年以降、飛行隊はMilestonesと愛称のMain Batteryを交互に使用していた

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
NAS Alameda 1948/7/15
NAS Moffett Field 1959/2/23
NAS Lemoore 1963/2
NAS Oceana 1966/5/1
NAS Whidbey Island 1966/11/15
航空団 テイル・コード 割り当て日
CVG-15 A 1948/7/15
CVG-19 B 1949/12/1
ATG-1 U/NA 1951/7/1
COMFAIRALAMEDA 1959/2/23
CVG-19/CVW-19 NM 1970/6/1
CVW-14 NK 1966/10/15
CVW-2 NE 1969/8/2
CVW-14 NK 1970/6/1
ATG-1は1956年に“U”の文字が付与されるまで、テイル・コードが割り当てられていなかった。それ以前は、CVG-19に割り当てられたテイル・コードを使用していた。テイル・コードは1957年にUからNAに変更された。この変更の発効日は、おそらく1958会計年度の初め(1957年7月1日)だった。1963年12月20日に空母航空群(Carrier Air Group: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wing: CVW)に改称された際に、CVG-19もCVW-19に改称された
航空機の割り当て 初受領日
F8F-1 1948/7
F8F-2 1949/5/1
F4U-4 1950/8
AD-3 1950/12
AD-1 1951/1
AD-2 1951/9
AD-4NA 1952/8
AD-4Q 1952/8
AD-6/A-1H 1967/8/18
AD-7/A-1J 1962/3
A-6A 1966/10/1
A-6B 1968/6
KA-6D 1971/3
A-6E 1975/7/2
AD-6とAD-7の名称は、1962年にA-1HとA-1Jに変更された
日付 主な出来事
1951/12/11 飛行隊は最初の戦闘出撃を行い、朝鮮半島で敵の通信線、輸送線、産業施設、補給施設に対する阻止任務を遂行した
1952/3/22 朝鮮半島の高原 Kowon北部の鉄道線路への爆撃中、K. A. シェヒター少尉 Ensign K. A. Schechterは、敵の砲弾が搭乗していたADスカイレイダーのキャノピーに命中し、爆発して負傷した。傷口からの出血で視力を失い、操縦も不安定になった。シェヒター少尉の救援要請を聞き、その不安定な操縦を観察していたJ. H. セイヤー中尉 Lieutenant (jg) J. H. Thayerは、隣に飛び、視力を失ったパイロットに無線で指示を出した。セイヤー中尉の無線誘導に従い、シェヒター少尉は緊急滑走路へ自機を飛ばし、着陸に成功した
1955/2 1955年1月、中華人民共和国は国民党が領有する塔陳諸島への砲撃を開始した。2月、飛行隊の航空機は、中国国民党軍人と民間人の島からの避難を航空支援した
1964/8〜10 トンキン湾事件後、飛行隊はヴェトナム沖での作戦に参加した
1967/8/21 飛行隊の隊長であるL. T. プロファイレット中佐 Commander L. T. ProfiletとNFOのW. M. ハードマン大尉 Lieutenant Commander W. M. Hardmanは、北ヴェトナム上空での作戦中に撃墜され、捕虜となった。2人は北ヴェトナムによって解放され、1973年3月29日に米国に送還された
1971/12 東パキスタン(バングラデシュ)をめぐるインドとパキスタンの戦争勃発を受け、原子力攻撃航空母艦エンタープライズ (CVAN-65)はインド洋での作戦行動のため“ヤンキー・ステーション”を出航するよう命じられた。VA-196を乗せたエンタープライズは、1972年1月初めの停戦までベンガル湾で活動した
1972/10 飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加した。これは、南ヴェトナムへの物資の流入を阻止するために北ヴェトナムの標的に対して行われた大規模な空爆だ
1972/12 飛行隊の航空機は、“ラインバッカーI作戦”の強化版である“ラインバッカーII作戦 Linebacker II operations”に参加した
1973/2〜5 飛行隊の航空機は、北ヴェトナム領海における機雷除去作戦“エンド・スイープ作戦 Operation End Sweep”の航空支援を行った
1975/4 飛行隊は、共産党軍に陥落したサイゴンからの人員撤退において、CVW-14のほかの部隊とともに航空支援を行った
1977/2 ウガンダ危機と同国における米国人への脅威の中、VA-196を乗せたエンタープライズは、ウガンダから米国人を撤退させる準備を整えてケニア沖で活動した
1979/12 10月下旬の朴正煕大統領暗殺後、VA-196を乗せた汎用航空母艦コーラル・シーCoral Sea(CV-43)は韓国沖で活動した
1980/4 コーラル・シーは、イラン人人質救出作戦を支援する任務部隊の一員として、飛行隊を乗艦させた
1980/5 韓国の内乱を受けて、コーラル・シーから出撃した飛行隊は同国沖で活動した。
1983/8 中米情勢の不安定化を受け、VA-196を乗せたコーラル・シーはニカラグア沖で活動し、違法薬物取引の監視にも参加した
1987/7 イラン・イラク戦争中のペルシャ湾における商船およびタンカーへの攻撃増加を受け、米国はクウェートの船籍変更後の石油タンカーの護衛を開始した。“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”において、VA-196はホルムズ海峡を通過する最初の船団に対し航空支援を提供した
1990/8 イラクによるクウェート侵攻を受け、VA-196を乗せた汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)は北アラビア海への派遣を命じられた
1990/8〜10/2 VA-196は、イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、アメリカと連合軍の兵力増強を目的とした“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”を支援するため、インディペンデンスから出撃した
1990/10/2〜11/2 10月2日、インディペンデンスはペルシャ湾に入り、2日間同海域で活動したのち、アラビア海北部へ戻った。VA-196は“砂漠の盾作戦”への出撃を続け、11月2日にインディペンデンスが交代し、アメリカ本土への帰路についた
1997/3 1997年3月21日に閉隊

↑An A-1J Skyraider of VA-196 in 1964. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 26/02/17