LST
戦車揚陸艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


※データは戦車揚陸艦LST-1級の項を参照

↑Artists Sketch of USAT LST-246. Image courtesy of NavSource.
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
LST-44 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1947 陸軍に移管
◎1947/7/23 破壊処分、船体は部品を取られ解体
LST-47 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1946/1/11 陸軍に移管(SCAJAP番号Q007)
◎1952/3/31 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行(T-LST-47)
LST-246
12
ミズーリ・ヴァリー・ブリッジ&アイアン社 ◎1947/6/26 陸軍輸送隊に移管
のちに座礁(12
LST-553 ミズーリ・ヴァリー・ブリッジ&アイアン社 ◎除籍後、横浜にて陸軍に移管
◎のちに民間に売却され艀Humboldt Woodsmanとなる
LST-618 シカゴ・ブリッジ&アイアン社 ◎1946/10/24 陸軍に移管
◎1957年6月29日、マーシャル諸島ロンゲラップ環礁でのUSAT LST-618。この日、USAT LST-618はビキニ環礁島民を故郷の環礁に戻した。1946年、アメリカ海軍は核実験に先立ちビキニ環礁島民を避難させた。1954年3月1日、米国はロンゲラップに放射性降下物が到達することを知らずに15Mtの水爆を爆発させた(“キャッスル・ブラボー実験 Castle Bravo test”)。1954年3月3日、アメリカはロンゲラップ Rongelapの住民をクェゼリン環礁に避難させた。島民は嘔吐、下痢、皮膚の火傷、脱毛を経験した。彼らは急性放射線症候群 acute radiation syndromeに苦しんでいた。1955年から1957年まで、ロンゲラップ島民は、環礁に戻る許可を何度も米国政府に求めた。そして1957年、原子力委員会 Atomic Energy Commissionはロンゲラップの再移住の安全を宣言した。米海軍写真、ジャック A. トビンJack A. Tobin写真コレクションより。資料番号441604315046048814931497。ハワイ大学マノア校図書館デジタル画像コレクション University of Hawaii at Manoa, LIbrary Digital Image Collections。研究、教育、個人研究の目的で一般公開されている
LST-648 シカゴ・ブリッジ&アイアン社 ◎除籍後、陸軍に移管
LST-694 ジェファーソンヴィル・ボート&マシーン社 ◎1948/4/22 陸軍に移管
◎1950/3/1 海軍に移管、籍をもどし、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行(T-LST-694?)
LST-711 ジェファーソンヴィル・ボート&マシーン社 ◎退役後、陸軍に移管
◎1951 シアトルのFoss Launch & Tug Co. に売却され艀Foss 207となる(オフィシャル・ナンバー262259)
◎1969 シアトルのDillingham Corp. に売却
◎1970 シアトルのMarine Disposal Co. に売却されSanitary 2と改名(〜1973)
LST-715 ジェファーソンヴィル・ボート&マシーン社 ◎1946/6/28 陸軍に移管
◎1947/9/29 除籍
◎1950/7/25 海軍に移管
LST-737 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1946/11/2 陸軍に移管
◎1959/12 日本に貸与
LST-742 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1946/6/28 陸軍に移管
◎1950/9/1 海軍に移管、再役
LST-799 ジェファーソンヴィル・ボート&マシーン社 ◎1946/4/22(1946/5/6?) 退役、陸軍に移管
◎1950 海軍に移管
LST-833 アメリカン・ブリッジ社 ◎のちに陸軍輸送隊に移管
◎1948/5/13 ニュー・オーリンズのAlexander Shipyards, Inc. に売却(オフィシャル・ナンバー272161)
◎1956 ニュー・オーリンズのDelta Marine Drilling Co. に売却され石油探査船Joseph Zeppaとなる(〜1975)
LST-883
12
ミズーリ・ヴァリー・ブリッジ&アイアン社 ◎1946/8/26 陸軍輸送隊に移管
◎1950/7/1 海軍に移管、籍をもどす
LST-898 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1946/8/26 陸軍に移管
◎1950/6/1(1950/7/1?) 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行(T-LST-898)
LST-914 ベスレヘム・ヒンガム・シップヤード ◎1946/6/28 陸軍に移管(乗員は日本人)
◎1950/8/26 横須賀にて海軍に移管、籍をもどす、再役
LST-916 ベスレヘム・ヒンガム・シップヤード ◎1946/6/28 陸軍に移管
1948/10(1949?) 沖縄海域にて台風により座礁
LST-973 ベスレヘム・ヒンガム・シップヤード ◎1946/8/2 陸軍に移管
◎1950/9/6 海軍に移管、籍をもどす
LST-975 ベスレヘム・ヒンガム・シップヤード ◎1946/4/28 陸軍に移管
◎1950/7/1 海軍に移管、籍をもどす、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行(乗員は日本人)
LST-1009 ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 ◎1946/7/17 陸軍に移管
LST-1010
12
ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 ◎1947/4/4(1947/4/24?) 陸軍に移管
◎1950/3/1 海軍に移管、太平洋予備艦隊に編入
LST-1048 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1946/8/2 陸軍に移管
◎1950/7/1 海軍に移管、籍をもどす
LST-1055 ドラヴォ社ピッツバーグ造船所 ◎1947/2/13 陸軍に移管
◎のちに民間に売却され商船Peter G. となる
◎1953 Eagleと改名
LST-1087 アメリカン・ブリッジ社 ◎1948/4/18 陸軍に移管
◎のちに空軍に移管


Update 24/05/26