HMLA
海兵軽攻撃ヘリコプター飛行隊 Marine Light Attack Helicopter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第369海兵軽攻撃ヘリコプター飛行隊(HMLA-369)は、AH-1Zヴァイパー攻撃ヘリコプターとUH-1Yヴェノム汎用ヘリコプターで構成されるアメリカ海兵隊のヘリコプター飛行隊である。カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵航空基地 MCAS Camp Pendletonを拠点とし、第39海兵航空群(Marine Aircraft Group 39: MAG-39)と第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)の指揮下にある。任務は遠征作戦、合同作戦、複合作戦において、昼夜を問わず、あらゆる天候の下で攻撃的航空支援、汎用支援、武装護衛、空挺支援兵器の調整を行い、海兵航空地上任務部隊司令官を支援する。ニックネームはGunfighters

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS Futenma 1972/4/1
MCAS Camp Pendleton 1977/4
航空機の割り当て 初受領日
AH-1J
AH-1W
AH-1Z
UH-1Y
日付 主な出来事
1972/4 HMA-369は1972年4月1日に沖縄の普天間海兵航空基地 MCAS Futenmaで就役し、第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)、第36海兵航空群(Marine Aircraft Group 36: MAG-36)に配属された。同飛行隊は就役から2カ月後、MARHUK(Marine Hunter Killer)作戦に参加するため北ヴェトナムに派遣された。当時“ピストル・ピート Pistol Pete”と呼ばれていた飛行隊は、海兵隊史上初めて攻撃的航空作戦を実施した攻撃ヘリコプター飛行隊という栄誉を得た。これは1972年6月20日、ドック型輸送揚陸艦[ドック揚陸輸送艦]デンヴァー Denver(LPD-9)で運用されていたHMA-369所属AH-1Jシー・コブラが敵の艀やフェリーを阻止し、海軍空母の攻撃のために低空前方航空管制官 low lying Forward Air Controllersとして行動し始めたときに起こった。同飛行隊はそののち、ドック型輸送揚陸艦[ドック揚陸輸送艦]クリーヴランド Cleveland(LPD-7)、最終的にはドック型輸送揚陸艦[ドック揚陸輸送艦]ダビューク Dubuque(LPD-8)に転属し、MARHUK作戦を実施した。海兵隊航空機協会 Marine Corps Aviation Associationは1972年、HMA-369に年間最優秀ヘリコプター飛行隊賞 Helicopter Squadron of the Year Awardを授与した。HMA-369はこの期間、海軍部隊表彰 Navy Unit Citationも受けた。同飛行隊は1973年1月に沖縄に再派遣されたが、1975年の““イーグル・プル作戦 Operation Eagle Pull”と“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”まで紛争で活動を続け、サイゴンの避難を支援するために数多くの出撃を行った
1977/4 1977年4月、HMA-369は沖縄で閉隊し、第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)の第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)分遣隊としてカリフォルニア州のキャンプ・ペンドルトン海兵航空基地 MCAS Camp Pendletonに再就役した。1983年8月、HMA-369は米空軍レッド・フラッグ航空演習 U.S. Air Force Red Flag aviation combat exerciseに参加した最初のヘリコプター飛行隊という栄誉を得た
1985/10 1985年10月、HMA-369はジョージ H. W. ブッシュ副大統領 Vice-President George H. W. Bush(当時)の中華人民共和国訪問を支援するため香港にいた。“ガンファイターズ”は2度にわたり、香港から4機のUH-1Nを飛ばし、赤い中国国境を越えて広州 Guangzhouと深圳 Shenzhenに向かった。この歴史的な飛行は、1949年以来、海兵隊の戦術飛行隊が共産中国の領空に入った初めてのケースであった
1987 また1987年には、UH-1NがHMA-369の恒久的な一部となり、1987年9月15日、HMA-369は正式に第369海兵軽攻撃ヘリコプター飛行隊(Marine Light Attack Helicopter Squadron 369: HMLA-369)として再指定された。1987年10月、AH-1Jパイロットの大半はテキサス州ダラスで開催されたAH-1Wパイロット慣熟コースに参加し、1987年10月30日、HMLA-369は最初のAH-1Wを受領した
1990 1990年、HMLA-369は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”を支援する第70海兵航空機群(Marine Aircraft Group 70: MAG-70)のHMLA構成飛行隊の1つに選ばれた。“ガンファイターズ”先遣隊は1990年8月16日にサウジ・アラビアに到着し、戦地で最初の海兵隊軽攻撃ヘリコプター飛行隊として活動した
“砂漠の盾作戦”の期間中、“ガンファイターズ”は戦争に招集された。この戦争を通じて、“ガンファイターズ”は空中戦と地上戦の計画段階と実行段階の双方で際立った活躍を見せた。1991年3月10日、ガンファイターズはサウジ・アラビアを出発し、キャンプ・ペンドルトンに戻った。11月、“ガンファイターズ”はMCAA年間最優秀飛行隊賞 MCAA Squadron of the Year Awardを受賞。数多くの将校と乗組員が武勇を称えられ、中でも指揮官のマイケル M. “スポット”カース Michael M. "Spot" Kurthは海軍十字章 Navy Crossを授与された
1992/11 1992年11月28日、HMLA-369はソマリアにおける国際連合人道支援活動“希望の回復作戦 Operation Restore Hope”の計画を開始した。1992年12月3日、“ガンファイターズ”は即応部隊として任命され、1993年1月1日までに、第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)の下で活動する唯一の軽攻撃ヘリコプター飛行隊として、飛行隊全体がソマリアのバレドグル Baledogleに配備された。HMLA -369は、近接火力支援、指揮統制、MEDEVAC、護衛、目視・写真偵察、後方支援、VIP、非政府組織(NGO)支援など、さまざまな任務に就いた。HMLA-369は、1月に1,098飛行時間を記録した。1993年4月、“ガンファイターズ”はキャンプ・ペンドルトンに帰還
1993/11 1993年11月、“ガンファイターズ”はUDPデプロイメント・プログラムを支援するため、沖縄へ出発した。さらに“ガンファイターズ”は、第11海兵遠征ユニット(特殊作戦可能)(11th Marine Expeditionary Unit (Special Operations Capable))と第31海兵遠征ユニット(特殊作戦可能)(31st Marine Expeditionary Unit (Special Operations Capable))にも分遣隊を提供した。“ガンファイターズ”11th MEU(SOC)分遣隊は、“希望回復作戦 Operation Continue Hope”と“ディスタント・ランナー作戦 Operation Distant Runner”を支援し、戦争で荒廃したルワンダからの米国人の避難を支援した
2002/3 強襲揚陸艦(多目的)ボノム・リシャール Bonhomme Richard(LHD-6)に所属する第13海兵遠征ユニット(13th Marine Expeditionary Unit)の“ガンファイターズ”は、2002年3月3日、アフガニスタンのバグラム空軍基地 Bagram Air Baseを拠点とする連合統合任務部隊(Coalition Joint Task Force: CJTF)を支援するため、その部隊が必要になるとの連絡を中央軍から受けた。“ガンファイターズ”の6機のAH-1Wは、付属、分離、複合護衛、近接航空支援(close air support: CAS)、前方航空管制(forward air control (airborne): FAC(A))、武装偵察などの戦闘作戦を22日間継続的に飛行した
2003/4 HMLA-369は2003年4月13日にクウェートに到着し、3日以内にイラクの空で戦闘活動を開始した。2003年4月、“ガンファイターズ”はクウェートのアリ・アル・サレム Ali Al Salemからイラクに300以上の戦闘任務を遂行し、地上の海兵隊に戦闘支援を提供した。600時間を超える無被害を達成した“ガンファイターズ”は、第1海兵遠征軍 1st Marine Expeditionary Forceを直接支援した。“ガンファイターズ”は1,300時間以上にわたって無事故で飛行し、攻撃空中戦や汎用支援任務を遂行した。5月だけでHMLA-369は948.3時間飛行し、638回の戦闘出撃を完了した
2003 主にイラクのアル・クート Al Kutにある前方作戦基地(forward operating base: FOB)、ブレア・フィールド Blair Fieldで活動した“ガンファイターズ”は、イラク北東部で継続的な航空支援を行った。6月27日から7月1日まで、“ガンファイターズ”はイラク南東部で英国の同盟国の航空支援を行った。英国地上軍は、アル・アマラ Al Amarahとアル・シラ Al Silahの町を掃討するための近接航空支援を要請した。第369海兵軽攻撃ヘリコプター飛行隊にとって、7月は短い月であった。“ガンファイターズ”は7月12日、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するための飛行活動を終了した
ガンファイターズは“イラクの自由作戦”の支援で2回目のローテーションを終え、イラクのアル・タカドゥム Al Taqaddum前方作戦基地を拠点としている。第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW(FWD))、第26海兵航空群(Marine Aircraft Group 26(FWD): MAG-26(FWD))の一員として。派遣中の2005年11月2日、同飛行隊のAH-1Wスーパー・コブラがラマディ Ramadi近郊で撃墜され、搭乗していた海兵隊員2名が死亡した。2007年1月、レッドフォード上級曹長 SgtMaj Ledfordが分隊の上級曹長として配属され、2007年4月から2007年11月までと2008年11月から2009年5月までふたたびイラクに派遣された。そののち2010年4月から11月までアフガニスタンのキャンプ・レザーネック Camp Leatherneckに派遣された。“不朽の自由作戦”(Operation Enduring Freedom: OEF)の支援中、HMLA-369はAH-1Wを撃墜され、搭乗していた海兵隊員2名が死亡した。2010年12月、クラーク中佐 Lt.Col Clarkが“ガンファイターズ”の指揮官に就任
2011 2011年5月、ゴールデン上級曹長 SgtMaj Goldenが飛行隊付上級曹長として配属され、飛行隊は2011年11月から2012年5月までアフガニスタンのキャンプ・レザーネックに派遣された。2012年6月、スミス中佐 Lt.Col Smithが“ガンファイターズ”の指揮官に就任し、アフガニスタンへの再派遣に備えた。2013年5月、ブエナフェ上級曹長 SgtMaj Buenafeが“ガンファイターズ”の新飛行隊付上級曹長として赴任。2013年11月から2014年6月まで、HMLA-369はアフガニスタンのキャンプ・バスティオン Camp Bastionに派遣され、西海岸から最後の“スキッド Skid”飛行隊となった。“ガンファイターズ”の3度目にして最後のアフガニスタン派遣は、3つの異なる場所から飛行し、活動した最初のHMLA飛行隊として歴史に名を刻んだ:アフガニスタンのアルファ分遣隊 Det-Alpha、カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンのブラヴォー分遣隊 Det-Bravo、そして31st MEU(SOC)の一員として87名の海兵隊員と水兵を率いて沖縄に派遣された。2014年6月、フェデリコ中佐 LtCol Federicoが指揮官に就任。2015年6月、バックレス上級曹長 SgtMaj Bucklesが新飛行隊付上級曹長として赴任。 2015年12月、マーヴェル中佐 LtCol Marvelが指揮官に就任。HMLA-369は、世界規模のテロとの戦いを支援し、米国海兵隊で最高の海兵軽攻撃ヘリコプター飛行隊であり続ける。2017年6月、ビッドストラップ中佐 LtCol Bidstrupが指揮官に就任


Update 24/02/12