| 日付 |
主な出来事 |
| 1984/11 |
“ウルフパック Wolfpack”の愛称で知られる第466海兵重ヘリコプター飛行隊(Marine Heavy Helicopter Squadron 466: HMH-466)は、1984年11月30日に編成され、海兵隊としては3番目、第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)としては2番目のCH-53E飛行隊となった。1984年12月までに、同飛行隊は180名の海兵隊員を擁し、その規模を拡大しつつあり、コネチカット州ストラットフォードにあるシコルスキー・エアクラフト社から、16機のCH-53Eスーパー・スタリオン・ヘリコプターのうち2機を受領していた |
| 1984/12 |
“ウルフパック”は1984年12月19日に初の実戦飛行を行い、1985年6月30日までに、同飛行隊は16機のうち11機を受領していた。作戦部隊としての最初の7ヶ月間で、HMH-466は1,100時間の飛行を行い、1,000人の乗客を輸送し、175,000ポンドの貨物を輸送した。航空機の引き渡しは1985年8月5日まで続き、同日、同中隊は16機目のCH-53Eを受領した |
| 1990/8 |
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻した際、“ウルフパック”はサウジ・アラビアにデプロイメントした最初のCH-53E飛行隊となった。“砂漠の盾作戦
operation DESERT SHIELD”および“砂漠の嵐作戦 operation DESERT STORM”の支援において、HMH-466は墜落した航空機の回収、初の暗視ゴーグル(Night
Vision Goggle: NVG)を用いた部隊投入を実施し、作戦の地上段階に備えて港湾施設から集結地への重量物輸送支援を行った。戦闘行動の終結に伴い、“ウルフパック”は人員・航空機の損失を一切出さずに、タスティン海兵航空基地
MCAS Tustinへ帰還した |
| 1992/5 |
1992年5月、“ウルフパック”は初のユニット・デプロイメント計画(Unit Deployment Program: UDP)に基づき、日本・沖縄の普天間海兵航空基地 MCAS Futenmaにある第36海兵航空群(MAG-36)へデプロイメントし、西太平洋にデプロイメントした2番目のCH-53E飛行隊となった。さらに、同飛行隊は第11海兵遠征ユニット(特殊作戦能力) 11th MEU(SOC)を支援するため、4機の航空機を第161海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron 161: HMM-161)に派遣した。1992年11月、HMH-466はMAG-16に復帰し、これにより、そののち数多く行われることになる極めて成功した6ヶ月間のUDPローテーションの最初のものが終了した。 |
| 1992/12 |
1992年12月から1993年3月にかけて、“ウルフパック”は“希望回復作戦 Operation RESTORE HOPE”を支援するため、4機の航空機をソマリアに派遣した。1993年11月、同飛行隊は創設9周年を迎えた。 この月、“ウルフパック”は飛行時間25,000時間を達成し、クラス“A”の事故ゼロというこのマイルストーンに到達した唯一のCH-53E飛行隊となった。1994年5月、同飛行隊はふたたび西太平洋へデプロイメントし、第15および第31海兵遠征ユニット(特殊作戦能力)
15th and 31st MEU(SOC)を支援するため、それぞれHMM-161およびHMM-262へ4機の航空機を派遣した。第15海兵遠征ユニット(MEU)ACE
15th MEU ACE所属の4機のCH-53Eは、ルワンダ難民のための救援作戦“サポート・ホープ作戦 Operation Support Hope”の一環として、ウガンダのエンテベに派遣された |
| 1995/5 |
1995年5月29日、“ウルフパック”は海兵隊のCH-53E飛行隊として初めて、事故ゼロで30,000飛行時間を突破した。1995年10月、ウルフパックは第13海兵遠征ユニット(特殊作戦能力)
13th MEU(SOC)を支援するため、4機の航空機をHMM-163へ派遣した一方、飛行隊の本隊は1996年5月に日本の沖縄へ向けて出発した。 デプロイメント期間中、メイン・ローター・ヘッドのスワッシュ・プレートに不具合があったため、CH-53E全機が飛行停止処分となり、同飛行隊は8機の改修作業に追われた。1996年11月にUDPが完了すると、同飛行隊はタスティン海兵航空基地へ帰還した |
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沖縄への展開を成功裏に終えたのち、“ウルフパック”は米国本土(continental United States: CONUS)全域で海兵隊部隊への支援を継続した。1997年1月と2月、ウルフパックはカリフォルニア州ブリッジポートにある山岳戦訓練センター(Mountain
Warfare Training Center: MWTC)にて、さまざまな部隊を支援した。10月はカリフォルニア州29パームズ 29 Palmsで合同兵科演習(Combined
Arms Exercise: CAX)の支援に充てられ、12月は次回の沖縄デプロイメントに向けた準備に重点を置いて終了した |
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別のUDPが進行中である中、同飛行隊は世界各地にデプロイメントした分遣隊を通じて、3つのMEU(SOC)を支援した。また、基地再編・閉鎖委員会(Base
Realignment and Closure Commission: BRAC)の指示に基づき、UDPからの帰還後、同飛行隊はタスティン海兵航空基地からミラマー海兵航空基地
MCAS Miramarへ移転した |
| 2000/2 |
2000年2月、“ウルフパック”はふたたび4機の航空機を第13海兵遠征ユニット(特殊作戦能力)へ派遣した。同部隊はHMM-161とともに強襲揚陸艦(汎用)タラワ Tarawa(LHA-1)に乗艦してデプロイメントし、東ティモールでの任務を遂行したほか、イエメン港に停泊中にテロリストの攻撃を受けたミサイル駆逐艦コール Cole(DDG-67)のペルシャ湾からの撤退を支援した |
| 2001 |
2001年を通じて、“ウルフパック”は3回のCAXに参加し、2回の武器・戦術教官課程(Weapons and Tactics Instructor
Courses: WTI)を支援した。2001年5月、“ウルフパック”はブッシュ大統領 President Bushの就任後初のカリフォルニア訪問の際にも支援を行った。同年後半、同飛行隊は、間もなくデプロイメントする第11海兵遠征ユニット(特殊作戦能力)の分遣隊に向けた乗員訓練、および2002年6月の沖縄への別のUDPに重点を移した。 |
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このUDPは、同飛行隊にとって多岐にわたる展開となった。西太平洋地域を飛行し、フィリピンでの“バラキタン BALAKITAN”やタイでの“コブラ・ゴールド
COBRA GOLD”といった作戦において、“ウルフパック”は大型輸送機部隊を代表して活躍した。2003年7月にミラマー海兵航空基地へ帰還した時点で、“ウルフパック”は飛行隊史上最長となる13ヶ月間のデプロイメントを完了していた |
| 2003/8 |
2003年8月、“ウルフパック”はカリフォルニア州ロス・アラミトスを訪問したHMX-1およびブッシュ大統領を支援し、同年後半にはWTI 1-04を支援するため、6機の航空機と必要な整備要員を提供した |
| 2003/10 |
2003年10月、サン・ディエゴ地域を悲劇が襲い、400,000エーカーの土地が山火事で焼失した。地域社会を支援するため、“ウルフパック”は1機あたり1,320ガロンの水バケットを搭載した6機の航空機を投入し、広範囲に燃え広がる火災を鎮火しようとする苦戦中の消防隊員たちに、切実に必要とされていた支援を提供した |
| 2003/12 |
12月は、飛行隊が訓練に注力した準備の月であった。ネヴァダ州インディアン・スプリングスとアリゾナ州ユマで訓練に励んだ“ウルフパック”は、イラクへの展開に備えて技能を磨いた |
| 2004/1 |
2004年1月、同飛行隊は16機の航空機を強襲揚陸艦(多目的)ボクサー Boxer(LHD-4)に搭載し、ペルシャ湾へ向けて出航した。“ウルフパック”は11機の13,000ポンド級曳航機を運用し、強襲揚陸艦(多目的)バターン Bataan(LHD-5)からHMM-261を降ろしたのち、16機すべての航空機を350マイル北にあるイラク中部のアル・アサド空軍基地 Al Asad Airbaseへと飛行させた |
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イラク駐留中、同飛行隊は合同統合任務部隊7(CJTF-7)において、同国初の海兵隊製輸送機運用能力を有する飛行隊となった。展開期間中、同飛行隊は3,774.9時間の飛行を行い、“イラクの自由作戦II-1(OIF) Operation IRAQI FREEDOM II-1 (OIF)”を支援するため、8,530名以上の乗客と6400,000ポンドの貨物を輸送した。 さらに、同飛行隊は、展開期間中にクラス“A”の事故ゼロで50,000飛行時間を達成した功績が認められ、海軍長官から表彰を受けた |
| 2005/9 |
2005年9月21日、“ウルフパック”は“イラクの自由作戦04-06.2 OIF 04-06.2”を支援するため、ミラマー海兵航空基地を出発し、再び展開に向かった。同飛行隊は、重要人物(High
Value Individual: HVI)の急襲作戦、ヨルダンのアンマンにおける国防長官の輸送といった要人輸送、戦術的バルク燃料供給システム(Tactical
Bulk Fuel Delivery System: TBFDS)による給油任務、外部吊り下げによる航空機および要員の戦術的回収、そしてイラク全土で活動する地上部隊への全般的な支援を含む、すべての任務を遂行した。 そして2006年2月18日、ウルフパックはクラス“A”の事故ゼロ飛行時間を60,000時間を突破し、また一つの注目すべき節目を達成した |
| 2007/4 |
2007年4月、“ウルフパック”はふたたびCONUSを離れ、イラクのアル・アサドへ向かった。展開開始間もなく、同飛行隊は第13海兵遠征ユニット(特殊作戦能力)から4機の航空機を迎え入れた。これらは、イラクにおける多国籍軍西部(Multi-National
Forces-West: MNF-W)を支援するため中東で活動を続けていた第13海兵遠征部隊から分離されたもので、CH-53E運用部隊としては初めての事例となった。展開期間中、同飛行隊は数多くの任務を遂行し、3,700時間の戦闘飛行時間と2,400回の出撃という驚異的な実績を挙げ、340万ポンド以上の物資と18,000人の乗客を輸送したのち、2007年11月にミラマー海兵航空基地へ無事帰還した |
| 2008/10 |
同飛行隊は2008年10月にふたたびイラクへ出発し、クウェートからは4機の分遣隊がアフガニスタンのカンダハールへ向けて出発するのを目撃した。イラクでは、“ウルフパック”は第26海兵遠征ユニット(MEU)からの4機の分遣隊を配属し、同分遣隊を飛行隊に完全に統合した。イラクでの作戦開始から1ヶ月も経たないうちに、“ウルフパック”は国内の別の地域への機動支援を要請され、4機の航空機と要員をイラク北西部のサール・シンジャール遠征飛行場 Expeditionary Airfield of Sahl Sinjarに8週間以上にわたり派遣した。そこでウルフパックは第1海兵遠征軍(I MEF)に対し、重量物輸送および一般支援を提供した。そののちの展開期間中、同飛行隊は世界各地で数多くの任務を成功裏に遂行し、2009年3月に無事帰還した |
| 2012/1 |
HMH-466は2012年1月、アフガニスタンにおける“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するため、米国本土を出発した。HMH-466は、ノース・カロライナ州チェリー・ポイントのHMH-366によって増強され、完全な飛行隊を編成した。デプロイメント期間中、HMH-466/366は結束した部隊を形成するため、自らを“HMH-アメリカ
HMH-America”と名乗り、コールサイン“サイクロプス Cyclops”を使用した。7か月にわたるデプロイメント期間中、同飛行隊は175回以上の作戦に参加し、4,500時間の戦闘飛行時間を記録した。その任務は、RC南西部において、米海兵隊の作戦およびアフガニスタン国軍、オーストラリア、イギリス、ジョージアを含むISAFパートナー部隊を支援するものであった |