DD
駆逐艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


軽荷排水量:1,365t 満載排水量:1,711t(1,726tともいわれる) 全長:104.01m 幅:10.41m(10.43mともいわれる) 吃水:2.64m(4.72mともいわれる、DD-349は3.12m) 主缶:ヤーロー式水管缶(重油専焼)4基 主機/軸数:カーチス式オール・ギアード蒸気タービン2基/2軸 出力(計画):42,800馬力 速力(計画):36.5kt(DD-349は36.0kt) 燃料搭載量(計画):重油600t 航続力:12ktで7,200浬(戦時は12ktで5,980浬) 兵装:38口径127mm単装両用砲5基、12.7mm単装機銃4基〜8基、533mm4連装魚雷発射管2基(1945年に38口径127mm単装両用砲4基、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲5基〜6基、533mm4連装魚雷発射管2基、爆雷投下軌条2条、爆雷14個) 乗員:160名〜182名
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、1234
駆逐戦隊 Destroyer Squadron

↑USS Farragut (DD-348). In harbor, circa 1935. Note that her hull number was then painted low on the hull, just above the boot topping. Photograph from the Bureau of Ships Collection in the U.S. National Archives. Image courtesy of HyperWar.

↑USS Farragut (DD-348). Seen from astern while in drydock, during the 1930s. U.S. Naval Historical Center Photograph. Image courtesy of HyperWar.

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
 
↑Image courtesy of Shipbucket.
ファラガット
12
Farragut DD-348 ベスレヘム・シップビルディング社クインシー造船所 1934/6/18 1945/10/23 1947/1/28 ◎1932/9/20 起工
◎1933/7/15 スミス Smithと改名
◎1933/8/12(1933/8/15?) ファラガットと改名
◎1934/3/15 進水
◎1935/8中旬? サン・ディエゴの大型修理浮きドック(非自走)ARD-1にて入渠、修理
◎1936/7下旬 Port Angelesにて保守
◎1936/10/18 サン・ディエゴにてオーヴァーホール(〜1936/12/22)
◎1937/2/15 サン・ディエゴにて駆逐艦母艦ドビン Dobbin(AD-3)により保守(〜1937/3/14)
◎1937夏 メア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール(〜1937/9/7)
◎1938/4/8 真珠湾にてアップキープ(〜1938/4/14)
◎1938/8中旬 サン・ディエゴにて駆逐艦母艦ホイットニー Whitney(AD-4)により保守
◎1938/10/12 真珠湾海軍工廠にてオーヴァーホール(〜1938/12/6)
◎1939/4/22 メア・アイランドにて修理改装(〜1939/8/17)
◎1939/9/21 大型修理浮きドック(非自走)ARD-1にて入渠、修理(〜1939/9/22)
◎1939/10中旬 真珠湾にて駆逐艦母艦ドビン(AD-3)により保守
◎1940/5/27 駆逐艦母艦ホイットニー(AD-4)によりオーヴァーホール(〜1940/6/30)
1941/3/19 23.35N、158.14Wにて駆逐艦エールウィン(DD-355)と衝突し損傷、のちに入渠、修理
◎1941/8/5 真珠湾海軍工廠にて修理改装(〜1941/8/9)
◎1943/2? 西海岸にてオーヴァーホール
◎1947/8/14 解体のため、フィラデルフィアのノーザン・メタルズ社に売却(売却額$19,019)
◎1948 解体
◎Pearl Harbor, Coral Sea, Guadalcanal-Tulagi, Eastern Solomons, Komandorski Is., Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Palau-Yap Raids Mar 1944, Saipan, Guam, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Formosa Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945.
☆DD-348の撃沈スコア(以下の艦船)
・1943/4/27 日本海軍伊号第三一潜水艦(アッツ島ホルツ湾外にて撃沈(駆逐艦エドワーズ Edwards(DD-619)と共同で))
(←日本海軍巡潜乙型(伊号一五型潜水艦))
デューイ
12
Dewey DD-349 バス鉄工所 1934/10/4 1945/10/19 1945/11/1 ◎1932/12/16 起工
◎1933/7/15 フェルプス Phelpsと改名
◎1933/8/13 デューイと改名
◎1934/7/28 進水
◎1941冬 真珠湾にてオーヴァーホール
◎1942秋 メア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1944夏 海軍工廠ピュージェット・サウンドにてオーヴァーホール
◎1944/10/10 真珠湾にて駆逐艦母艦ヨセミテ Yosemite(AD-19)により保守(〜1944/10/18、航空戦史シリーズNo. 55「神風、米艦隊撃滅」(朝日ソノラマ)より)
1944/12/18 フィリピン東方にて台風“コブラ”により損傷、のちにウルシーにて修理(10時15分しぶき交じりの風邪が船体や上部構造物のペンキを剥がしあらゆる裂け目から侵入、無電池電話の回路が絶縁不良。11時30分閉鎖された水密ハッチや扉を通して浸水した結果、居住区はどこも20cmばかり水が溜まる。後部機械室の配線系統に海水が降りかかり、絶縁体の表面が放電、回路が短絡し出火。舵取り機が絶縁不良航空戦史シリーズNo. 55「神風、米艦隊撃滅」(朝日ソノラマ)より)
◎1946/12/20 解体のため売却
◎Pearl Harbor Arrived - 4 November 1943, Complete - 8 November 1943. Available for repair of leaks in tanks and overhaul of (3) air lock hatches, and minor machinery work. Pearl Harbor, Salamaua-Lae Raid, Coral Sea, Guadalcanal-Tulagi, Eastern Solomons, Attu (1, 2, 3), Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Marianas Raids Feb 1944, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Philippine Sea, Saipan, Guam, Iwo Jima, Okinawa, Fleet Raids 1945.



↑Image courtesy of Shipbucket.
ハル
12
Hull DD-350 ニュー・ヨーク海軍工廠 1935/1/11 ◎1933/3/7 起工
◎1934/1/31 進水
◎アゾレス諸島、ポルトガル、イギリス諸島を巡る試運転航海を経て、ハルは1935年10月19日にパナマ運河経由でサン・ディエゴに到着した。太平洋艦隊の一員としてサン・ディエゴ沖での作戦活動を開始し、戦術演習や訓練に従事した。1936年夏にはアラスカへクルーズし、1937年4月にはハワイ海域での艦隊演習に参加した。この緊張が高まる戦前期、ハルは太平洋艦隊の空母護衛任務を頻繁に担当し、第二次大戦におけるアメリカの勝利の鍵となる戦術の完成に貢献した。同艦は1939年10月12日に新たな母港である真珠湾へ移動するまで、この任務を継続した
◎艦隊の問題、航空機警備任務、哨戒活動というパターンは、1941年12月7日、日本が真珠湾を攻撃したことで突然中断された。ハルは、修理中の駆逐艦母艦ドビン Dobbin(AD-3)に並んで停泊していたが、すぐに対空砲を稼働させ、数機の航空機を撃墜するのに貢献した。この襲撃の主な標的は戦艦であったため、駆逐艦は被弾することなく、翌日、航空母艦エンタープライズ Enterprise(CV-6)に合流し、真珠湾への護衛任務に就いた。そののちの戦争の重要な数ヶ月間、ハルはウィルソン・ブラウン大将 Admiral Wilson Brownの第11任務部隊 Task Force 11で活動し、ソロモン諸島の日本軍基地に対する重要な攻撃で航空母艦レキシントン Lexington(CV-2)を護衛した。3月26日に真珠湾に戻り、3ヶ月間にわたりサン・フランシスコと真珠湾間の護送任務に従事した。しかし、ハルはすぐに戦闘の渦中に戻った。12月7日、フィジー諸島のSuyuに向けて出航し、アメリカ初の陸上攻勢、ガダルカナル島への揚陸作戦の準備に入った。7月26日にソロモン諸島に向けて出航し、1942年8月7日の上陸当日、海岸砲撃中に巡洋艦の護衛を務めたのち、輸送船団の対潜水艦防護任務に就いた。翌日、同艦は敵の激しい爆撃を撃退し、数機の攻撃機を撃墜、その夜、制御不能に陥った兵員輸送艦ジョージ F. エリオット George F. Elliott(AP-13)を沈めるという悲しい任務を遂行した。8月9日、駆逐艦はガダルカナル沖で小型スクーナー船を撃沈し、その夜、Espiritu Santoに向けて出航した。ガダルカナルでの困難な数週間、ハルは軍隊を支援するために輸送船や軍艦とともに3回の航海を行い、9月9日と14日に空襲を受けた
◎同艦は10月20日に真珠湾に戻り、その年の残りはニュー・ヘブリディーズ諸島で戦艦コロラド Colorado(BB-45)とともに過ごした。1月29日に真珠湾を出航し、サン・フランシスコで修理を受けるため、1943年2月7日に到着した。修理が完了すると、アリューシャン列島に移動し、4月16日にAdakに到着、北部海域で戦艦や巡洋艦と一連の訓練演習を開始した。5月に海軍がアッツ島奪還作戦を展開する中、ハルは哨戒任務を継続。7月から8月上旬にかけてキスカ島への数度の砲撃に参加した。8月15日のキスカ島上陸作戦にも加わったが、日本軍はアリューシャン列島における最後の拠点を既に撤退させていた
◎キスカ作戦後、ハルは中部太平洋に戻り、1943年9月26日に真珠湾に到着した。3日後、艦隊と共にウェーク島攻撃のため出撃し、海軍の真の目標であるギルバート諸島を隠蔽するための陽動作戦において護衛空母と共同作戦を展開した。ハルは11月20日のこの攻撃中にマキン島を砲撃し、上陸作戦が順調に進む中、1943年12月7日に護衛艦隊とともに真珠湾に到着した。そののち、12月21日にオークランドへ戻り揚陸演習に参加した
◎このヴェテラン艦は次に、4月29〜30日のトラック島日本軍大基地への壊滅的空襲に参加。そののち1944年5月4日にマジュロに到着した。そこでリー大将 Admiral Leeの戦艦部隊に合流し、次の主要な侵攻作戦であるマリアナ諸島攻撃に備えた。ハルは6月13日にサイパン島を砲撃し、掃海作戦を砲火で支援し、6月15日の最初の上陸作戦中は哨戒任務に就いた。2日後、日本軍が接近準備を進める中、ハルはほかの艦艇とともにミッチャー大将 Admiral Mitscherの空母機動部隊に合流するため出航した。両艦隊は6月19日、戦争史上最大の空母戦を繰り広げるべく接近。4度にわたる大規模空襲が米軍陣地を襲う中、ハル所属の第58.2任務群 Task Group 58.2所属空母からの戦闘機支援と水上艦の砲火が日本軍機を壊滅させた。米潜水艦の巧みな支援もあり、ミッチャーは6月19日の“マリアナの七面鳥撃ち The Great Marianas Turkey Shoot”において日本海軍航空隊に壊滅的損害を与えるとともに、日本空母2隻を撃沈することに成功した。ハルはこれらの見事な対空戦闘の幾つかに貢献した
◎7月、駆逐艦はグアム沖で空母部隊と行動を共にし、7月21日の上陸作戦後は同島沖で哨戒任務に就いた。8月にはシアトルへ帰還し、25日に到着。修理のため10月23日まで米国内に留まり、同日に真珠湾へ入港した。ハルは第3艦隊 3d Fleet補給群に編入され、1944年11月20日に出航、フィリピン海で高速空母攻撃部隊と合流した。給油は12月17日に開始されたが、次第に荒れる海況により同日中に中止を余儀なくされた。翌日、給油部隊は接近する台風に見舞われ、気圧計は極度に低下し風速は90kt(約167km/h)を超えた。12月18日11時ごろ、ハルは山のような波の谷間で“アイアンズ状態 in irons”に陥り、操舵不能となった。乗組員全員が激しい揺れの中で船体の完全性を維持し浮上状態を保つため必死に作業したが、最終的に艦長の言葉によれば“船体は80゚以上の角度で横倒しになり、上層構造に海水が流れ込んだ。私は艦橋の左舷側に留まっていたが、海水が私の位置まで達したため、船体が転覆する際に海へ飛び降りた”という状況となった
台風は多くの生存者を飲み込んだが、そののち数日にわたり護衛駆逐艦タッバラー Tabberer (DE-418) や艦隊のほかの艦艇による勇敢な救助活動により、7名の将校と55名の兵士の命が救われた(12
◎Foundered in typhoon in Philippine Sea, 18 Dec 1944 (202 killed). Pearl Harbor, Salamaua-Lae Raid, Guadalcanal-Tulagi, Solomons, Attu, Wake I. Raid 1943, Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam.

↑Image courtesy of Shipbucket.
マクドノー MacDonough DD-351 チャールズタウン海軍工廠 1935/3/15 1945/10/22 1945/11/1 ◎1946/12/20 解体のため売却
◎Pearl Harbor Arrived - 4 November 1943, Complete - 8 November 1943. Available for inspection and necessary replacement of high pressure stealing flange bolts. Pearl Harbor, Salamaua-Lae Raid, Guadalcanal-Tulagi, Eastern Solomons, Guadalcanal, Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam, Leyte, Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, Formosa Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945.
☆DD-351の撃沈スコア(以下の艦船)
・1944/5/1 日本海軍呂号第四五潜水艦(トラック諸島南西海域にて撃沈(他艦と共同で))
ウォーデン
12
Worden DD-352 海軍工廠ピュージェット・サウンド 1935/1/15 1944/12/22 1943/1/12 アリューシャン方面にて座礁により沈没(123
◎Pearl Harbor, Midway, Guadalcanal-Tulagi, Eastern Solomons.

↑Image courtesy of Shipbucket.
デイル
12
Dale DD-353 ニュー・ヨーク海軍工廠 1935/6/17 1945/10/16 1945/11/1 ◎1946/12/20 解体のため売却
◎Pearl Harbor, Salamaua-Lae Raid, Komandorski Is., Attu, Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam, Formosa Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945, Okinawa, Balikpapan.
モナハン Monaghan DD-354 チャールズタウン海軍工廠 1935/4/19 ◎1933/11/21 起工
◎1935/1/9 進水
1941/12/7 真珠湾にて日本海軍特殊潜航艇(甲標的)と衝突、特殊潜航艇を沈没させる
1942/6/27 キスカ島にて濃霧により高速掃海艇ロング Long(DMS-12)と衝突し損傷、ダッチ・ハーバーと真珠湾にて修理、のちにメア・アイランドにて修理
1942/11/17 Noumea港にて海底の捨てられていた障害物を引っ掛けプロペラ損傷、のちに真珠湾にてスクリュー交換工事(〜1943/2/21)
1943/6/22 キスカ島沖にて日本海軍伊号第七潜水艦の攻撃により損傷
◎1944夏 ピュージェット・サウンドにてオーヴァーホール
1944/12/18 フィリピン海にて台風“コブラ”により沈没
◎Pearl Harbor, Coral Sea, Midway, Komandorski Is., Attu, Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam, Luzon Raids Oct 1944.
☆DD-354の撃沈スコア(以下の艦船)
・1941/12/7 日本海軍特殊潜航艇(甲標的)(真珠湾にて撃沈)
・1943/6/22 日本海軍伊号第七潜水艦(キスカ島沖にて損傷を与える、座礁、アメリカ軍に拿捕されるのを防ぐため爆破処分)

↑Image courtesy of Shipbucket.
エールウィン
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Aylwin DD-355 フィラデルフィア海軍工廠 1935/3/1 1945/10/6 1945/11/1 ◎1933/9/23 起工
◎1934/7/10 進水
1941/3/19 23.35N、158.14Wにて駆逐艦ファラガット(DD-348)と衝突し損傷
画像解説:1944年12月5日、フィリピン海において第30.8任務群 Task Group 30.8と行動中。この1〜2週間後に発生した台風により、同艦は沈没寸前となり、同型艦ハルとモナハンは実際に沈没した。塗装は迷彩仕様“Measure 31, Design 6d”である。 国立公文書館写真 80-G-263910、NARA II カレッジ・パーク所蔵 National Archives photo 80-G-263910, NARA II College Park.
◎1946/12/20 解体のため売却
◎Pearl Harbor, Coral Sea, Midway, Attu, Gilbert Is., Kwajalein, Eniwetok, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam, China Coast Raids Jan 1945, Formosa Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945.


Update 26/02/02