陸軍輸送船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略
※データは識別番号船アメリカの項を参照
↑USAT America (U.S. Army Transport). Photographed circa 1919. Completed as the German passenger liner Amerika in 1905, she was USS America (ID # 3006) in 1917-1919. Courtesy of Donald M. McPherson, 1973. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Image courtesy of HyperWar.

↑USAT Edmund B. Alexander (U.S. Army Transport). Underway near Boston Light, Massachusetts, 6 January 1945. Photographed from a Squadron ZP-11 blimp. Completed in 1905 as the German passenger liner Amerika, this ship served as USS America during World War I. She was extensively modernized in 1942-1943. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. Image courtesy of HyperWar.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アメリカ
12
America Harland & Wolff, Ltd. ◎1919/9/26 陸軍に移管され艦種を陸軍輸送船に改める
◎1919/12末? ニュー・ヨーク海軍工廠にて入渠、修理(〜1920/1/21)
◎1920/8? United States Shipping Boardに移管
◎1921/6/22 民間に売却され客船となる(1234
1926/3/10 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社にて火災により損傷(修理額$2,000,000)
◎1929年1月、凍てつく天候と激しいスコールに見舞われたイタリアの蒸気船Floridaの乗組員32名を救助した。アメリカはフランスからニュー・ヨークに向かっていた。 大嵐の中、アメリカ号はFloridaからの遭難信号をキャッチ。無線方向探知機の助けを借りて航行しながら、アメリカはイタリア船の位置を確認し、翌1929年1月28日の午後遅く、危機に瀕した船を発見した。Floridaのweather beamに接舷したアメリカは、8名の乗組員を乗せたハリー・マニング航海士 chief officer Harry Manningが指揮する救命艇を発進させた。マニングの乗組員は救命艇を傾きかけたFloridaから50フィート(約1.5メートル)以内まで漕ぎ寄せ、必死になっている貨物船の乗組員に綱を投げた。イタリア船から一人、また一人とロープを渡ってきた。Floridaの船長が最後の一人として救命艇に引き上げられるころには、強風が吹き荒れ、海は荒れ、高くなっていた。救命艇をアメリカまで漕ぎ戻したのち、船員たちは梯子、ロープ、貨物用ネット、2つの自家製吊り下げ型救命ブイ breeches buoyを使ってFloridaの生存者の乗船を手伝った。この吊り下げ型救命ブイは、基本的に、Floridaの乗組員を救助したアメリカの大型救命いかだから、待機していたアメリカまで結ばれたジップ・ライン zip linesだった
◎1931 Point Patienceにて係船
◎1935年に陸軍と海軍は、海軍の反対が予想される場合を除き、陸軍が独自の船舶を運航し、その場合には船舶に海軍軍人が搭乗することに合意した。しかし、第二次大戦の前半の経験から、潜水艦という形で敵の海戦に遭遇する可能性はどこにでもあることがわかった
◎1940/10 陸軍が再取得、ボルティモアのベスレヘム・スチール社にて改装(〜1941/1)、エドマンド B. アリグザンダー Edmund B. Alexanderと改名
◎1941年4月、海軍作戦部長(Chief of Naval Operations: CNO)は陸軍参謀総長 Chief of Staff of the Armyにこの問題を検討する委員会を提案した。同審議会は1941年4月28日、陸軍に対し、同審議会が列挙した手順に従い、“現緊急事態の期間中、輸送サーヴィスの運用を放棄する”ことを勧告した
◎1941年5月15日、補助艦艇委員会 Auxiliary Vessels Boardはこの計画の実施を指示し、1941年5月22日、陸軍長官は、各艦艇の管轄権は海軍が乗船した時点で移譲されることに留意しつつ、艦艇の移譲を承認した
◎1941年6月5日、海軍長官は26隻の艦の名称を承認したが、そのうち23隻(エドマンド B. アリグザンダーを含む)は陸軍の名称を維持することになった。AP-20〜36(23を除く)、AK-32〜40、APL-1(ニューファンドランドの兵舎船)の艦種記号がすぐに割り当てられた。海軍は実質的に直ちに3隻(AP 25-27)を配乗、引継ぎ、改装したが、そののち残りの艦を配乗するための人員が不足していることが判明し、1941年7月7日に就役スケジュールの最初の修正を行った。最終的に海軍は26隻中15隻(全てAP)しか配備できず、そのうち5隻はのちに陸軍に返還された。APL-1を含む他の艦を配備するための海軍指令は、1942年3月30日に取り消された。艦種記号は公式に“不使用 not used”とされ、艦は陸軍の管理下に置かれた
◎1941/6/5 艦種を宿泊船(非自走)(APL-1)に改める
◎1941夏? Atlantic Basin Iron Worksにて修理
◎1942/3/30 艦種を宿泊船(非自走)(APL-1)に改める予定がキャンセル
◎1942/5 ボルティモアにてオーヴァーホール、近代化改装(〜1943/4)
◎1949/5/26 Hawkins' Pointにて保管
◎1951/1/28 ハドソン川にて係船
◎1957/1/16 解体のため、ボルティモアのベスレヘム・スチール社に売却


Update 24/08/17