- ※サウス・カロライナ州 State of South Carolinaのチャールストン Charlestonのクーパー川 Cooper Riverにあるチャールストン・ドライ・ドック&マシーン Charleston Dry Dock & Machineは、1869年にサミュエル J. プレグナルと兄弟 Samuel J. Pregnall & Bros. が設立したプレグナル造船所 Pregnall Shipyardとして始まり、スクーナーや蒸気船の建造処として知られていた。1912年に閉鎖されるも1919年にチャールストン・ドライ・ドック&マシーン社と改名。ヴァルク&マードック鉄工所 Valk & Murdoch Iron Worksと同じ年に復活した。1934年にチャールストン・ドライ・ドック社 Charleston Dry Dock Co. として改編、1936年にチャールストン・ドライ・ドック&シップビルディング社Charleston Dry Dock & Shipbuilding Companyとなる。 同社は最初の戦時契約に問題を抱え、海軍は1942年にヤードを支配、チャールストン・シップビルディング&ドライ・ドック社 Charleston Shipbuilding & Dry Dock Co. に改名。第二次戦後、海軍は施設をトッド Toddに借用。トッドは1949年に撤退し、Detyens Shipyards, Inc. に引き継がれるまでいくつかの異なる企業によって運営されていた。 このヤードは現在公共スペースである。コンコルド・ストリート Concord StreetのLaurensとCalhounの間にあるCharleston Maritime Centerである
- ※アラバマ州 State of Alabamaのチカソー Chickasawの造船所には4つの名前があった。まず、1917年にU.S. スチール U.S. Steelの子会社であるチカソー・シップビルディング&カー社 Chickasaw Shipbuilding & Car Companyによって設立。1925年に閉鎖。1930年代にインガルス鉄工所 Ingalls Iron Worksにこの造船所を貸すも1938年にインガルスがディケーター Decatur とパスカグーラ Pascagoulaの造船所を設立する時にここの造船所を元の所有者に返還。その後、ウォーターマン・スチームシップ・ラインズ Waterman Steamship Linesの子会社であるガルフ・シップビルディング Gulf Shipbuildingが、ルイジアナ州 State of Louisianaのマディソンヴィル Madisonvilleにある旧バハム・シップヤード Baham Shipyard跡地共々買収。この会社は第二次大戦後に閉鎖。1979年にハルター・マリーン Halter Marineによって復活。1983年に再び閉鎖され、現在では小さな一般貨物ターミナルになっている
- ※コマーシャル鉄工所は1916年11月にウィリアムT. ケーシー William T. Casey、オットー J. ホーク Otto J. Hoak、ロバート・ボーグス Robert Boogsにより、ロス・アイランド・ブリッジ Ross Island Bridgeのすぐ南にある121,405uの敷地に設立。1946年に閉鎖。後にZidell Marineに船の解体施設として売却
- ※ジョン・クレイグ John Craigはニュー・ジャージー州 State of New Jerseyのキーポート Keyportで造船業を始め、燃え尽きた船体から2隻の新しい船を作った。その後、1866年にミシガン州 State of Michiganに移住する前に、メリーランド州 State of Marylandのウィコミコ・クリーク Wicomico Creekで全く新しい船を建造した。彼の最初のミシガン州の造船所は、デトロイト川 Detroit Riverの河口のすぐ近くにあるジブラルタル Gibraltarにあり、そこで21隻の船を建造し、1883年にトレントン Trentonまで遡上した。 しかし、この場所は十分な広さではなかった為、1890年に再びトレド Toledoに移転。1906年にジョン・クレイグは引退し、息子達はトレド造船所 Toledo Shipbuildingを地元の投資家に売却。アメリカン・シップ・ビルディング社The American Ship Building Company(アムシップ AmShip)の経営下では、1930年まで現役の造船会社として活動したが、その後は、第二次大戦中に2隻の砕氷船を建造した以外は修理と改造に限定されていた。終戦後、アムシップはこの地を買い取り、アムシップ・トレド AmShip Toledoと改名。アムシップは修理・改造事業に専念し、1982年にアムシップが閉鎖されるまでの間に12隻の船と4隻の船体を建造。その後、この物件はトレドルーカス郡港湾局 Toledo-Lucas County Port Authorityに返還され、その後、トレドルーカス郡港湾局は後続の船舶修理業者に賃貸している。現在のテナントはアイアンヘッド・マリーンIronhead Marine。Googleでここの航空写真を見ることが出来る。造船業の血が流れていたジョン・クレイグの息子達は、カリフォルニア州 State of Californiaのロング・ビーチ Long Beachで(新)クレイグ造船 (new) Craig Shipbuildingを設立し、後にコンソリデーテッド・スチール社 Consolidated Steelの造船所の一つとなった。興味深いのは、1861年にジョン・クレイグが始めた船体番号のシリーズが、トレドではトレド造船とアムシップ、ロング・ビーチでは(新)クレイグ造船とコンチネンタル・スチール Continental Steelによって継続された事である。クレイグ造船の生産量については、いくつかの情報源があるが、これらの情報源のどれもが完全に一致しているわけではない事に注意。リンク先の表の項目はすべてMVOTUSを中心とした同時代の文書に基づいている
- (Craig Shipbuilding [1907-1914], California Shipbuilding [1914-1918], Long Beach Shipbuilding [1918-1921], Craig Shipbuilding[1922-1939], Consolidated Steel [1939-1945] and Long Beach Marine Repair [1939-1970])
- ※1906年、ジョン F. クレイグは父親と共に長年造船業を営んでいたオハイオ州 State of Ohioのトレドからカリフォルニア州ロング・ビーチに移住。そこで彼は、現在のピア41 Pier 41があるチャネル3 Channel 3の南側に新しいクレイグ造船会社 Craig Shipbuilding Companyを設立。これにより、彼はロング・ビーチ港 Port of Long Beachの最初のテナントとなり、新しい港の浚渫業者にもなり、その地位を確固たるものにした。第一次大戦が迫ってくると、クレイグは自分の造船所をカリフォルニア造船会社 California Shipbuilding Companyに売却し、隣接するロング・ビーチ造船会社 Long Beach Shipbuilding Companyと名付けた貨物船建造のための事業を開始した。一方、クレイグ造船の潜水艦2隻と灯台補給船の入札を引き継ぎ、更に6隻の潜水艦を自社名義で受注していたカリフォルニア造船が経営難に陥り始めた為、クレイグは元の造船所を買い戻し、クレイグ造船 Craig Shipbuildingの名のもとに両造船所を1つの会社として運営する事にした。戦後もこの会社は、主に船舶の修理工場として事業を継続したが、地元の顧客向けにヨットを数多く建造していた。その後、1939年に米国海事委員会 U.S. Maritime Commissionが造船計画を開始すると、クレイグ社はロング・ビーチ造船所をコンソリデーテッド・スチール社に賃貸し、同社が商船の建造に使用していたが、元の造船所では修理や改造工事に専念。戦後、コンソリデーテッド・スチール社の造船所は閉鎖されたが、クレイグ社の造船所は1970年頃までロング・ビーチ・マリン・リペア Long Beach Marine Repairという名称で営業を続けていた。ロング・ビーチのクレイグ社が使用していた船体番号は、トレドなどで使用していたシリーズを引き継いだもので、1864年に建造されたジョン・クレイグの最初の船に遡る。そして、コンソリデーテッド・スチール社は、更に2つの大型造船所と少なくとも2つの小型造船所を設立したが、それらも同じシリーズを継続していた
Update 20/08/02